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17話―恋敵

「今はちょっと考えられないかな……それに私も気になる人いますし」


 動揺が心に波を打つ。

 それを隠すかのように、気づけば口が勝手に話し始めていた。

 ワインはすでに空となり、もう一杯と次は深めの赤ワイン注文する。


「気になる人ですか?」

「はい。相手は私のことあまり気にかけていないような気もしますが」


「どんな人なんですか?」

「悔しいことに年下です。私も年下の男の子を好きになるだなって全く思っていませんでしたけど、なぜだか惹かれてしまって……」


「上井さんにも可愛らしい部分があるんですね。その男性のどこらへんが好きなんですか?」

「好きなところ……優しいところですかね」


「それだけですか?」

「うーん……」


 私はその言葉の先に詰まってしまった。

 これに関しては言葉に表せない雰囲気というか相性のようなものを感じているからなのだ。


 この好きという気持ちを言語化するのであれば、「優しくて、みんなから慕われているところ」という一言で片付いてしまう。

 本来であればそんな深い意味のある言葉を紡ぎださなければいけないはずなのだが、どうも私は知らず知らずのうちに塩浦くんへと恋心に盲目となっており、言葉すらも奪われるほど、思考がぼやけてしまっていたようであった。


「優しいだけの男ならいっぱいいますよ、世界中に」

 東条さんの口に少しだけ嘲笑の色が見える。


「好きな人を好きである理由なんて、そんな簡単に言葉に出来ないんじゃないですか?」

 私は彼に言葉を突き刺すように投げかけた。


 それは私の言葉足らずへの正当化の理由でもあり、彼との推し量ることのできない抽象的な感情の存在を証明するための言葉でもあった。


「私の言い方が少し悪かったです。すいません」

 彼は私の反応に反省し、少し背中を丸めた様子でワインに口を付けた。


「そんなことないです。私も酔いが回って言葉をキツくいってしまいました。すいません」

 私も少しだけお辞儀をして、ワインを飲んだ。


 夜景がこんなにも燦々と綺麗に照らし出しているというのに、私はなんて様だと、窓に映った自分を見ては落ち込んだ。


 好きだという気持ちは、理性を麻痺させる薬物なようで、彼への気持ちを他人が少しでも触れたものなら、私がこんなにも感情をコントロールできなくなるだなんて思ってもみなかった。

 このままでは沈黙で終わってしまうと焦った私は、頭を回転させ、話題を探した。


「東条さんは何か趣味とかあるんですか?」

 頭をフル回転させた挙句に出た質問が、ありふれた当り障りのないものになってしまった。


「たまにフットサルとかやってますね。体動かすの好きなんですよ。上井さんは?」

「私は読書……ですかね。趣味とは言えないかもしれませんけど」


「読書ですか!どんな本を読まれるんですか?」

「純文学小説です。時代でいえば太宰治とか三島由紀夫とか……宮沢賢治なんかすごく好きなんです。堅苦しいのかもしれませんが……私はその表現美というか世界観というか、すごくそれが魅力的なんです」


 空気を吸うことを忘れるほど慌ただしく動き、早送りのように私は口を動かした。

 自分が話過ぎていることに気付くと、私は停止線で直前の急ブレーキをかけるかのように口が硬直し、一呼吸おいて「ごめんなさい」と謝った。


「そんな、謝ることないですよ。自分の好きなこと話したら早口になるなんて誰にでもあることですよ。それにそんなに楽しく話してくれると、私も嬉しいですよ」


 彼はあっけらかんとした様子で「あはは」と笑った。

 私は恥ずかしさのあまり俯いてしまった。


「私はビジネス書はよく読みますけど、もっぱら小説は……あまり読んでないですね。なにかオススメとかあります?」

「オススメですか……東条さんはどのような物語が好きですか?」

「そうですね……"人の表と裏"のような心理描写の多い小説なんかがいいですね」


 私は少し考え込んだ。

 他人に小説をオススメするのが非常に難しい。


 ビジネス書とは違い、小説とは著者の価値観によって構成される芸術作品であるため、人によって好き嫌いがはっきりと分かれてしまう。

 小説を日ごろから読んでいる人ならまだしも、読んでいない人へ小説を薦めるというのはもはや苦行に等しい。


「有名なところですと……芥川龍之介の"地獄変"とかはすごく良いですよ。もし海外の作品もご興味があるのでしたら、フランツカフカなんかは上手く心理描写を描いていますしオススメです」

「カフカ……あの『変身』の著者ですか?あの芋虫になっちゃう小説の」

「そうですそうです!あの芋虫になっちゃうやつです!」


 私は興奮交じりの声を上げた。

 隣にいたカップルがひそひそとこちらをちらりと見ながら怪訝な視線を送ったことに気付くと、私はこんな食事の場で芋虫などという言葉を連呼してしまったことを非常に悔いた。

 私はコホンと咳ばらいをし、小さく「ごめんなさい」と謝った。


「そんな悪いことしたわけじゃないんですから」と必死で彼が慰める。

 どうも私は慣れない緊張のせいか、いつもよりも酔いの回りが早く感じた。

 いつもならもっと考えて言葉を出すはずなのに、今日はどうもそれが出来ていないみたいだ。


 彼は私の様子を見ると、水を一杯に注文してくれた。

 外見からもわかるぐらいに酔ってしまっていることに、私は羞恥心を覚えた。

 ウエイターから水を渡され、私はそれをくいっと飲むと、全身にそれが行きわたり、精神的なの緊張とアルコールが解れていくのを感じた。


 それからあっという間に2時間が過ぎていく。

 私はずっと東条さんと話していたせいか、乾燥で唇がかさついている。


 リップクリームを塗りなおすと、私はここに着席する前の自分の仮面をはめなおしたような感覚となり、先ほどまでの興奮がなかったかのように、冷静さを取り戻した。

 テーブルの上のお皿は気づけば空となっていたが、私はどうもそれ以上食べ進める余裕は持ち合わせていない。


「そろそろお会計にしますか?」

「そうですね。いくらでしょうか?」


「今日はいいですよ上井さん。お礼って言ったじゃないですか」

「いや、そんな、悪いですって」


 私がお金を取り出そうとするが、彼はそんな行動を止めることなどせずに、請求書とカードをウエイターに手渡し、「一括で」と笑顔で対応していた。

 私は肩を落としながら、渋々財布をカバンへと閉まった。


「次は出させてください」

 少しばかり強い口調で、彼に言った。

 私が奢られたくなかったのは、借りを作りたくなかったためだ。


「そしたら次、コーヒーでもおごってくれません?」

 彼の提案に、私は小さくコクリと頷いた。


 お会計が終わると、「出ましょうか」と彼が私の荷物を持ち、出る準備をさりげなく手伝ってくれていた。

 どこまでも紳士的なんだなと、一瞬フラッとしたが、意外にも直感は強く拒絶した。


 何故か、一歩近づいてはいけないような、そんな雰囲気を感じ、私はそれを見せないように彼と一定の距離を保っていた。

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