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13話―恋敵


「上井さん、この伝票のことなんですけど……」

「あぁ、これですね、これは……」


 いつもと変わらない忙しい平日が私のもとへと戻ってきた。

 変わったといえば、私と東条さんとの距離感だろうか


 空気感というか、雰囲気というか、青色だったものがオレンジ色に変わったと言えばわかりやすいと思う。

 笑いあって談笑なんてする仲じゃなかったのに、東条さんはふいに冗談なんていうものだから、私はそれにつられて笑ってしまっている。


 ついこの間まで塩浦くんとの距離に思い悩んでいたのに、そんな灰色の不安はまるでパラレルワールドの私が考え込んでいたもののようにも感じるほどに、私の頭の中から消え去っていた。

今目の前にいる東条さん以外のものが、私の視界には映っていない。


「あと、はい。これよかったら食べてください」

 東条さんは私に小さなチョコレートの箱を渡すと、そのままその場を立ち去った。


 そのチョコレートの封を開けると、中から金紙に包まれたチョコレートがお行儀よく並んでいた。

 私はその包みを開け、一口頬張ると、その甘味が私の途切れた集中力の肩を揉むように、リラックスさせていく。


 ふと、ちらりと視線をズラすと、そこには塩浦くんの姿があった。

 私は思わず目を背けてしまった。

 まるで私は自分自身が何かいけないことをしでかしたんじゃないかと、あるはずもない空想の罪悪感を感じているのはなぜだろうか。


 目が合わないようにとちらちらと塩浦くんの姿を見る。

 彼は加藤さんと終始和やかな雰囲気で話をしていて、時に笑っている姿を見たときには、つい嫉妬のような熱いマグマが私の心の中に湧き出した。


 彼と私の仲は微妙な距離を保った会社の先輩と後輩で会って、それ以上でもそれ以下でもない。

 そう思いたくはないが、それが現実であって、私はそんな現実が嫌いで目を瞑ってしまった。


 彼のことなんて気にしないほうがいい。

 彼は私のものではないし、私に彼を束縛する権利などないのだから、そんな嫉妬を感じるほうがお門違いなのだ。


 私は塩浦くんに意識を向けぬよう、東条さんのほうに視線を向けた。

 東条さんはその視線に気づいたのか、小さく私に向かって手を振った。


 その小さな優しさに私は励まされた。

 どっちつかずの私の中には、好きなのに嫌いという矛盾した混沌が渦を巻いている。


 塩浦くんが一体何をしたというのだろうか。

 彼の優しさが帳消しされるほどの嫉妬心は、私の心をいつの間にか食い散らかしていたようで、塩浦くんとのそれまでのことを望んでもいないのに悪いほうへと上書きをしてしまっていた。


 月曜日の午前中というのは、嵐のように忙しい。

 電話対応に見積作成、発注処理やメール対応が数分ごとに私のもとへと舞い込み、私はそれをさっさと捌いていく。


 気づけば、時刻は14時を回っていた。

 空腹はもはや私の思考を奪い去り、ランチ以外のことを何も考えられなくなっている。


 私は食堂へ行くと、お弁当と温かいお茶を準備すると、遅めの昼食を口にした。

 お弁当は曲げわっぱを愛用し、五穀米を半分敷き詰め、だし巻き卵を2切れ、少しばかりのブロッコリーとバジルで味付けした鳥のささ身が入っている。


 健康面を考えると、どうしても塩味の少ないものになってしまうが、今の私はこれに満足している。

 20代前半のまだ入社したての頃はお弁当を作る気力なんてなく、うどんとおにぎりだったり、蕎麦とサンドイッチだったり、その時々でお腹が膨れそうなものばかりを近くのコンビニで買っていた。


 だが、近頃は炭水化物をとればとるほど体に疲れが残るようになってしまっていた。

 炭水化物というのは消化をするのに、年を重ねれば重ねるほど、恐ろしいほどのエネルギーを使っていく。エンジンだったはずのものが、いつのまにか重油のようになっていくのだ。


 それではあまりにも体に負担をかけてしまうだけでなく、健康面にも影響が出てしまうと、去年あたりからお弁当を作り始めた。

 今では手慣れたもので、冷蔵庫の中には作り置き調理されたおかずがいくつかストックされている。


 私自身もこんなに料理に凝るとは思いもしていなかったが、美味しくものを作れるという快感は意外にも気持ちよく、私の小さなストレスの発散にもなっていた。


「美味しそうですね」


 食べている途中に後ろから声がした。

 ふわりとラベンダーの香りが舞った。

 振り向くとそこには東条さんがいた。


「あ、東条さん。休憩ですか?」

「コーヒーブレイクですよ」


「珍しいですね。今日は外回りしないんですか?」

「今日は会議が16時から入ってまして1日社内にいる予定なんです」


 彼はそういうとホットコーヒーをすすった。

 私は黙々とお弁当を食べ進める。


「お弁当自分で作ってるんですか?」

「えぇ、まぁ」


「すごく美味しそうですね。私もたまには美味しいお弁当食べたいですよ」

「作ってくれる人いないんですか?」


「今はいませんよ。私、料理下手なんで料理できる女性って尊敬するんです」

「そんな、別にこれぐらい誰だって作れますよ」


 謙遜はしたが、内心はすごく嬉しさを感じていた。


「いい奥さんになりそうですね。羨ましいですよ」


 彼の爽やかな笑顔が、私の心を締め付けた。

 どっちつかずの私は、その好意の息苦しさにやられ、今にも叫びだしそうな心を抑えるようにして、奥歯を少しだけ噛んだ。


「ありがとうございます」

 私は小さくありがとうございますと呟いた。

 

「今度、ご飯食べ行きませんか?」


 彼は私の目を見て、誘った。

 それは本当にさりげなく、まるで台本に書いてあったかのように軽いお誘いであった。


「いいですよ」


 私はつい、そんなことを言ってしまった。

 これも台本通りのセリフだったのだろうか。


 読み上げたセリフのままに動くだなんて、これではまるで私が軽い女みたいに思える。

 それでも敏感に好意を感じてしまうのは、恋そのものに飢えているからなのだろうか。


 どっちつかずなのは私だけじゃない。

 塩浦くんだってどっちつかずじゃないか。


 私は心の中で東条さんの誘いを正当化する理由をいくつも思い浮かべた。

 そうだ、私は間違っていない。


 私の握った手の平には、嫌な汗がにじみだしていた。

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