第一話
「遅ぇよ!」
朝の食卓はいい。少し遅れたくらいで罵倒を浴びせられたり、二日酔いの親方を引きずる様に食卓の椅子に座らせるのも毎日の日課の様なものだ。
「親方が起きなくて……」
「飲み過ぎは良くないですぅ~」
「ぼ、僕はそんなに飲んで無いですよ。ほとんどは親方が飲んで……」
「あらあら、早く座って下さいね」
「……」
皆で住む様になってからこんな日課が半年くらい続いている。女の子に囲まれてハーレム状態。悪くは無いが手を出した事は無い。それは僕が紳士だからでは無く、調子にのって手を出したら、出した手を折られたからだ。
手を出したのは、この飲んだくれの親方に。僕の師匠にあたる錬金術師ラウラ・グラセス。親方と言っても女性で、サラサラストレートな黒髪に筋肉質なプロポーションといつもタンクトップを着て競り出す胸に顔を埋めたくなる、この城船の錬金術師のトップに立つ人で僕を拾ってくれた親方だ。
日本で生まれ、死んだ理由はわすれたけれど、転生してこの世界にやって来た。神様からはチートで「魔力のてんこ盛り」を貰ったが「属性」まではくれなかった。
属性が無ければ「火」や「水」の魔法を使う事は出来ず、属性が無くても成れる魔導師と言えば錬金術師くらいで、親方に拾われたのは運が良かったのかもしれない。
雨の中、打ち捨てられる様にしていた僕を拾い上げて、僕を錬金術師見習いにしてくれた。僕が錬金術師五級に受かった祝いとして祝賀会を開いてくれ、帰りに送って行って僕は「送り狼」となった。
だって、親方の方から迫って来たんだもん。「ちょっと寄ってけよ」って言うしお互いにお酒が入っていたし、服を向こうから脱ぎ始めるし……
あの頃は十代前半になるのかな。死んだ時には二十二だったけど、健全な男子だし、誘われたし、親方は綺麗だし……
そして出した手を折られた。関節技を決めたのでは無く、親方が握ったら僕の手が折れた。カルシウム不足? とんでもない!? 握力が六百なんてローランドゴリラより上じゃね。
「そんで…… 襲ったのか?」
「襲いませんよ! 逆に襲われたくらいです!」
「あらあら、若いっていいですね」
「……」
神に誓って襲ったりはしていない。十八禁な事なんてしてはいない! いや、血が出たから十八禁になるのか…… 酒乱の親方に付き合わされ壁に穴が空いたくらいで昨日の夜は終わった。
「ドタドタと何時にも増して五月蝿かったぜ」
この口が少々悪い娘は火系魔導師三級のフィリス・ステイプル。喋らなければ可愛い、そんな風に思わせるくらいだが、魔法を使わなければもっといい。
燃える様な赤い髪は火系の魔導師だからか。少しキツイ目をしているが、笑った時には目が垂れる。そんな時には「俺の女にしてぇ」と思う事が多々あるが、以前、城船の噴水の前で別れ話だか、男と喧嘩をしている時に出会い、遠目で見ていたら話している男が燃え上がり人間松明を見た。
フィリスはその男を噴水に蹴り込んで消火。僕を見付けたフィリスは僕に腕を絡ませ「行くぜ」と言って噴水を後にした。
怖ぇんだよ。人様を簡単に燃やすお前が怖いんだよ。良く付き合っていたな、あの男は。同じ錬金術師だったけど、あの一件で城船を降りたらしい。ちなみに腕を絡ませた時に分かったが隠れエフ・カップだ。
「壁が薄いのかもしれないですぅ~。増築しますかぁ~」
間延びした緊張感の無い口調が口癖の土系魔導師三級リリヤ・パルヴィア。十三歳。 ……ズルいだろ。僕なんか錬金術師見習いから三級まで八年も掛かったのに、天才っているんだね。羨ましくなんかないからね。
リリヤちゃんとは仕事柄よく組む事がある。城船の増改築で手伝ってもらったり、土魔法は城船の維持に必要な魔法だ。
仕事は出来るし、性格もいい。よく開く目で感情を表す事が、また可愛い。スタイルと年齢が内角低めなので三年待ってストライクゾーンに入った所でホームランを狙いたい。
「あらあら、今度は三階建てにしてもらおうかしら」
「城船の重力バランスが崩れるので勘弁して下さい」
いつも「あらあら」から始まるこの宿屋の主、セラフィーナ・リミニさん。この城船に住む数少ない一般人だ。
僕達は訳あって、この城外から来る人達の為の宿屋「三度の飯亭」に住まわせてもらっている。本来なら魔導師には個室が与えられ、親方にも個室があったのだが、ある事件が元で居住区が崩壊したからだ。
セラフィーナさんは快く僕達を迎え入れてくれた。朝夕の飯、昼にはお弁当を持たせてくれ、掃除洗濯付で一日、五十シルバー。日本円で五千円くらいでここまでのサービスなら充分だ。お金は僕が払ってる訳でもないしね。
そして何よりセラフィーナさんには癒される。慈愛に満ちた笑顔と美味しい手料理。グラマラスなボディは男心を掴んで離さない。掴まれた僕はここの宿屋に泊まる様になって三ヶ月後、それとなく彼氏はいるのかと聞いてみた。
「×三」「彼氏無し」「年齢百四十三歳」 ……彼氏無し以外は何て言えばいいのか。百四十三年も生きていれば×三にもなるだろう。ただ、セラフィーナさんの見た目は二十代後半から三十代前半にしか見えん。この異世界の種族の違いに呪いあれ。
「……」
ナターシャは無口だ。無口なだけに「ナターシャ」以外の名前を知らない。ナターシャ・ナントカさんなのか、ナントカ・ナターシャさんなのか、皆が「ナターシャ」と呼んでるのだからナターシャで合っているのだろう。
この城船で唯一、黒のローブを羽織っているナターシャはいったい何の魔法を使うのか、僕はそれを見た事がない。無口な君もキュートだけど、食事中はフードを取ろうねと、僕はナターシャのフードを取った。
表れたのは色白の感情の薄れた顔。もう少し笑えば可愛いのに、すぐにフードを被ってしまい表情を見せるのを拒んでいる様だ。
そうなると見たくなる。隠せば隠すほど見たくなるのは男心からなのか、僕とナターシャはフードを取ったり被ったりを数回繰り返し、僕の意地の勝利を迎えた。
勝利を迎えた僕を見る瞳は冷たく、もう一度フードを被せたくなるほどだが、僕もじっとナターシャを見返すと目線を逸らされた。もしかして恥ずかしがってるのか?
「気持ち悪りぃぃ」
「大丈夫ですか? 少し吐いてきますか?」
「あぁ、それより…… 足の補修は終わったのか?」
「終わってますよ。それは昨日のうちに報告書を出してます!」
僕達の乗る城船。船と言っても海の上を走る訳けでは無く、陸上を百足の様に歩き城と街を担いで動いている。僕達、錬金術師の仕事の大半は船の維持の為に魔法を使っている。
城船の足を治し整備し、城の補修、武器や防具を作り出し、時には街の整備や壊れたトイレも直す、城船の「何でも屋」とは僕達の事だ。
「ご苦労、ご苦労…… 一杯飲むか?」
「朝から飲みませんよ! この後に仕事があるの分かってますか!?」
「飲むのが仕事……」
これでも特級錬金術師だ。この人が嫌がれば城船の存続に関わるほど重要なポジションにいる人がこれでいいのだろうか。
「二日酔いで仕事は不味いですよ。早くお酒を抜かないと。セラフィーナさん、いつものをお願いします」
「あらあら、酔いざましの特製ドリンクを作って来ますね」
親方曰く、とても苦くて一発で目が覚めるらしい。首を横にふって嫌がっている様だが、仕事に穴を開ける訳には行かない。あんまり嫌がるなら口移しで飲ませてやろうか!?
それより早く朝ご飯を食べて仕事に行こう。今は森林地帯を抜けているから、使わない短脚の方のメンテのチャンスだ。木々の上を越える長脚は長い分に脆い。昨日も長脚に時間を取られて短脚の補修に人が回ってない。
今日は城船の脚と、それに城船の構造変更の書類を作らないと。そんな慌ただしい朝食を更に慌てて来る足音が軽やかに聞こえて来た。
「水が止まりました」
もう一人、この三度の飯亭に住んでいる魔導師、水系魔導師準二級のソフィア・アルフォードさん。このソフィアさん、僕達の秘密結社の中でダントツの人気を誇る美形。
いや、スーパーモデルと言ってもいいだろう、その容姿。八頭身の小顔、ブロンドの髪が風でなびく姿は天使も平伏す美しさ。そんな人がこの宿屋で一緒に住んでるのを知った結社の仲間から、僕は安全靴の中に画ビョウを入れられるイジメにあった。
そのくらい美しい人が、髪から身体中からを泡だらけにして、食堂に入って来た。見るからにお風呂の途中で水が止まったみたいだ。だけど、自前で水を出せるんだから魔法を使えば良いなんて事は言わない。だってねぇ……
「素っ裸で来るなよ! ミカエルもいるんだぜ」
いえ、僕の事は気にしないで下さい。こんなハプニングに会えるなんて、ここに住んでて良かった。まさに眼福。泡が少し邪魔だけど、それもまた良し!
「気にしないでいいですよ。水が止まったなら直しましょう。錬金術師の仕事ですから」
僕は目の開けられないソフィアさんの手を引こうと立ち上がると同時に船内方法が鳴り響く。
「第三戦闘配備! クルーは所定の位置に!」
途端に急旋回する城船。いくらこの城船が大きくても急旋回すれば傾くくらいだ。立ち上がった途中で傾くものだから、僕も傾く。泡だらけのソフィアさんに向かって。
この後の事を考えると頭が痛い。たぶん長脚に負担が掛かってメンテが大変な事になる。残業しないといけないし、魔力も使って大変だ。でも、ソフィアさんの胸にダイブする事で帳消しになるのなら、僕はこのまま傾きに身を任せよう。
肌どころか、泡にさえ触れる前に僕は引き止められた。「危ない!」と手を引いてくれたのなら、僕は逆に腕を引き寄せ君を抱き締めよう。腕を引き寄せてくれたのなら。
僕は首を中心に引き寄せられた。首に何かが絡まり僕を引き戻したのだから、一瞬意識を失い三途の川で泳いでいる死んだ爺ちゃんを見た。
「ぐへ! ……な、なに!?」
爺ちゃんに帰れと言われ、すぐに意識を失い取り戻して後ろを見るとナターシャの足元から伸びる「蔦」がポロポロと渇れる様に消えていった。
こ、こいつ…… 植物を使う魔導師か!? それならドルイドになるのだろうか? ドルイドなら緑系のローブを羽織ると思うのにナターシャは黒のローブ。一体、貴女は何者デスカ?
「急げ! 第三戦闘配備だぜ!」
僕の首の怪我より第三戦闘配備の方が大切なのか!? 結構、痛いぞ。首が右に回らねぇ。だから左側から回ってソフィアさんに……
「急がないとダメですぅ~」
下から見上げる様に僕の手を押さえるリリヤちゃん。上目遣いが可愛いのだが止めてくれ。ソフィアさんを見たいから止めてくれでは無く、リリヤちゃんが押さえた手が石化していくから。
リリヤちゃんは軽度の男性恐怖症らしいが、僕に限って触る所が石化していく。普段は仕事やこの宿屋で話したり普通に接しているのだが、接した体は石化する。
「急いで行って来い! 一杯飲んだらすぐに行く!」
仕事しないと…… 右に曲がらない首と石化した左手は後回しだ。僕は…… ミカエル・シンは城船の三級錬金術師なんだから。