第0章
始めは説明となります
その役員はとあるアパートを訪れていた。
「そこの人、急に居なくなったのよ。ご両親が来てね」
そんな事を言われたのは、ちょうどチャイムを鳴らそうとした瞬間であった。
アパートの住人はあと数日で年齢が30歳となる女で、『素晴らしい老後』のために必要な書類が届いておらず、更には連絡なども無いことから、役員が自宅まで伺いに来ていたという経緯がある。
『素晴らしい老後法案』
少子高齢化と孤独死の増加に対応する策、また、犯罪防止策として可決された法案である。
30歳になった段階で結婚義務が生じ、未婚の場合30歳の誕生日の一週間後までに相性診断用の書類を提出しなければならない。もし未提出で原因が不明の場合罰金が科せられ、会社が原因の場合、会社に支払い義務が生じ、強制休暇となる。
相性診断の書類が未婚であること、義務により結婚しますという証明書として有効になるため、その相性診断の結果が出次第次々に結婚させられる。
という、『素晴らしい』法案なのだ。
自分が訪ねた女性というのはこの義務から逃れようとしている、と考えるのが無難だろうか。
簡単に調査をした結果。
彼女の携帯は解約され、仕事も数日前に辞めていたことが分かった。
引越し業者に確認すると、いくらになっても良いので立ち会いはしないという条件で作業の注文がきたという。家の荷物が運びこまれた先は誰も管理していない無人の倉庫で、その倉庫から彼女の実家に荷物が運び込まれていた。
両親に確認を取ると『突然彼女の携帯から連絡があり、倉庫から荷物を運び込んでほしい』と連絡があったらしい。
引っ越しを頼んだのは本当の両親ではなく、別の誰かが行ったようである。
会社についても、急に出社しなくなり、後日退職届けの提出があったそうだ。
出社しなくなった前日までは普通に勤務しており、特段変わった様子はなかったという。
一介の役員にはそれ以上の調査は難しく、後は会社でなんとか調べてもらうしかない。
ただ、一度話したことがある彼女からは、この義務について嫌悪している様子が伺えなかった事に違和感を覚えていた。
おそらく、彼女はこの義務について仕方がないことだと思っていたのだから。
「はぁ……」
この法案から逃げようとした人物は何人も見てきている。
結婚したくない者、義務に縛られなくない者。
片思いの相手がいるとか、今仕事が楽しいとか、主な理由はそんなとこだ。
ただ安易な逃走ではすぐに見つかるため、今までここまで逃れられた人物はいなかった。
だから不思議で仕方がない。
そこまで力を入れる理由はなんだろう。
ピリリリ
携帯が鳴る。表示されたのは上司の名前だ。
何か、わかったのだろうか。
少しだけ、万が一そこまでして逃げたい理由があるのだとしたら。是非とも逃げ切ってもらいたいものだ。
諦めて結婚をした自分に、他全国の人間に、その強い意志を示してみてほしい。
そんな事を考えながら電話に出た。
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