悲しみの空
「どうしましょうか、ローウェン様。昨日などは城へと忍び込もうとした者もいたようです。門番のダリアンが怒り心頭でしたよ」
庭師のアランが困り顔を浮かべている。持っていた剪定用のハサミを腰に掛けてある専用のカバーに突っ込むと、両手の手袋を取って、付いている土を払った。
「リューン様がご不在だからな。色々なことを決めかねてはいるが……」
リューンの執事、ローウェンも同じように困り顔を貼り付けていた。組んでいた腕を解いて、顎に手を添える。考え事をするローウェンのお決まりのポーズだ。
「これはもうムイのリサイタルか何か開かないと、収拾がつかないですね」
「そんなことをしたって、次を次をとまた求められて、それこそ収拾がつかなくなるぞ」
「ムイの歌は本当に素晴らしいですからね。結婚式で歌ったものは、そう、まるで神への祈りのように思えました。宗教色が濃くなって一人歩きしないか、心配ですよ」
「ムイを信奉する者たちが出るかもな」
「はあ。俺もちょっとそう思ったんです」
「ムイはリンデンバウムの領主であるリューン様の添え物程度の活躍で十分なのだが……」
アランがそのローウェンの物言いに、苦笑する。
「そのリューン様が不在となると……ムイがこれを機にと、担ぎ上げられても困るのだがな」
「ムイは最近、元気がありません」
アランが心配そうに呟く。
「リューン様がいらっしゃらないと、途端に病気になった小鳥のように弱ってしまうのだよ」
皮肉を込めたローウェンの口調に、再度苦笑しながら、アランは言った。
「今は、側にシバがいるからまだ気が紛れているけど、そのシバももう国王陛下のいらっしゃるブァルトブルグ城に戻るんですよね?」
「国王陛下直属の楽団の楽団員だからな」
「そんなところの歌姫だったなんて、ムイは本当に幸運でしたね」
「……アラン、お前は知らないだろうが、」
ローウェンが声を落として続ける。
「リューン様の元を去ってから、ムイは相当な努力をしたのだよ。それは歌姫になるための努力ではない。リューン様と離れて、独りきりで生きていくために、強くなろうとしたんだ」
アランが頷く。
「リューン様と心の病を抱えていたサリー様とのご結婚が正式に決まった聞いて、ムイは国王陛下の御前で、ばたりと倒れたこともあるのだ」
「え、」
アランが驚きの声を上げた。国王陛下の前では、容易に粗相はできないはずだ。それ程にショックだったのだと、改めて思う。
「お前にも話したことがあるだろう、アズルがそう言っていた。その頃のムイは見ていられないほど、悲しみに打ちひしがれていた、とな」
ローウェンの学友が、ブァルトブルグ城で書類の管理の仕事をしているということは、リューンとアランにしか知らされてはいない。その学友アズルが何かと取り計らってくれるので、ローウェンはブァルトブルグ城の国王陛下のことを、ずいぶんと把握していた。
「それがだぞ、考えてもみろ。国王陛下の命令とはいえ、婚約者であるサリー様の病を治しにこのリンデンバウム城へと戻ったのだから、ムイにとっては相当な心労だっただろうと思う」
「あれは本当に、ムイにとっては酷なことでしたね」
「そうだよ。自分が心から愛する人と、自分ではない相手との結婚を、手助けするようなものだからね。そればかりか、自分の心を殺して二人の結婚の祝福を強制されるわけだ。倒れるのも無理はないだろう」
「ムイ、なんて辛い思いを……」
ローウェンは、空を見上げた。
「どうして、このように……上手くいかないのだろうな」
アランも顔を上げる。
青い空には雲が浮かび、すうっと風に乗って流れている。鳥が飛び回り、遠くの方からピーっという甲高い鳴き声が聞こえてきた。
「……あんなにもお互いを想い合う二人は、なかなか居ないだろうに」
ぐるぐると回旋する鳥を見つめながら、二人はいつまでも空を見上げていた。




