表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
覗き、覗かせ、覗かれて  作者: てんてこ
7/19

蠱惑乱

匠には思いを寄せる人がおり、友達の力を借りてデートに誘う所から物語は始まる。デートプランを記したメモを忘れた匠は予約したお店を間違えるなど散々な初デートを遂げる。

後日、協力した友達が早紀にデートのことについて聞き出すと、楽しかったと感想を漏らしたのだが、当の本人である匠は早紀を諦めようとしていた。

 輾転反側に陥った匠は、諦める事よりも、玉砕することが容易だと思い、破れかぶれな気持ちで早紀をデートにもう一度誘うことにする。

 匠の思惑では断られると思っていたのだが、了承を得て狼狽えた。この時既に、早紀は匠のことが気になり始めていたのだ。

 鈍感で不器用な匠は友達や早紀を奔走させ、恋を実らせる物語であった。

 一日を掛けて、父親から借りた脚本を粗雑に纏めてみたが、終盤の早紀をも奔走させる匠には笑声が集まったであろうと思われた。

 面白かった。僕のような感想を抱いた人は父親の言葉通り、アンケートを見ても少数しかいなかった。一枚一枚丁寧に目を通している間に、自ずとその理由がわかってきた。

 不満の声を一言で纏めるならば、現実的で堅実な物語。と、言えばいいだろうか。ノートに書いた文字を見るだけでは、悪いことではないのではと思ってしまうが。

 個人の人生に置き換えれば、及第点以上の恋愛物語である。だのに、可視化された感想は不平不満が多い。観客たちが求めているものは理想郷ではないのか。となれば、観客は何を期待して劇場に足繫く通うのだろうか。

 ノートを見続けても答えは出てこず、藤堂との約束の日を迎えていた。僕は目覚まし時計に八時に起こしてくれるよう頼み、眠ることにした。

 藤堂が指定した待ち合わせ場所までは、学校の最寄り駅をも過ぎ、主要駅まで行かなければいけない。主要駅近辺は、彩られた人々でごった返していることを思い出すと、今日の服装を考えなければと目が冴えてくる。僕はむっくと起き上がり、クローゼット内の明かりを灯して、ハンガーに吊るされている数々の服を見つめた。

 春のコーディネート特集が記事となっていた雑誌を捨てたことを後悔した僕は、服の組み合わせが分からず、クローゼットを静かに閉じた。

 カーテンの隙間から斜光が入り、つま先から全身へと陽光を浴びた。振り向けばミラーボールのように小さな埃が煌めいており、僕は息を止めて部屋を出た。階下へと降りて一通りの生活様式を済ませた僕は、自室のクローゼットに向かう。


 肩に掛けた手提げバッグからスマホを取り出し、指定された店名を検索してマップを表示した。雑踏する大通りから離れ、人気のない路地へ誘われる。右に古書店、左には喫茶店。僕は扉にノベルのベルと書かれた喫茶店の扉を引いた。

 店名に相応しいベルの音に迎えられ、ひとりでに閉まる扉が再びベルの音を響かせると、店員は呼応するように、声を響かせた。辺りを見渡すが藤堂の姿は見当たらず、案内された窓際の席に座った。

 注文を済ませ、間違っていないかとスマホに文字を打ち込む。

「春 ファッション」

クローゼットの前で見たときと変わらず、様々な組み合わせが紹介されている。持っている服に限りがある僕は、どの記事にでも書かれている「清潔感」の言葉だけを信じ、黒のスキニーを履き、白いシャツを着た。

 やはり、僕が着ている服の組み合わせは見当たらない。

 言い知れぬ不安が募り、スマホを鞄に投げ込む。所在なく往来を眺めていると、向かいの古書店から藤堂が出てきた。彼女は頬杖をついている僕に気付き、小さく手を振る。僕は時計を確認することを堪えて、小さく手を振り返した。

 店員に声を掛けられた彼女は僕が座る席を指さし、メニュー表を持った店員に先導され、目の前に座った。期間限定メニューの説明を一通り聞いてから、手に提げていた鞄からチケットを取り出し、店員へ渡した。

顰め面をした店員はチケットを受け取り、メニューを持ってカウンター奥に消えた。

「常連なんだね」

彼女は否定してから短い声を発した。

「あっ。チケットは向かいの古書店で買い物したら貰えたの」

続きそうだった会話は、ほうじ茶ラテとコーヒーを運んできた店員に遮られ途絶えた。

 接ぎ穂がなくなった僕たちは、目の前の飲み物を飲み続けた。突然生じた壁は、時間が築き上げたのだろうか、環境が築き上げたのだろうか。窓を隔て、手を振った時から彼女と視線を合わせられていない僕は、後者であると感じた。

 紺色の制服と違い、うろ覚えだが春のトレンドと謳われていたパレットカラーを着ている彼女は爽やかな明るさを放出していたのだ。

 彼女も壁に気付いていたのだろう。壁が築かれていなかった頃にした会話まで、時間を巻き戻した。

「まだ完成してないけど、頼まれてたやつ」

小さな鞄から二つ折りされたA4サイズの紙を取り出し、テーブルの上を滑らせた。

 それを手に取り、蠱惑乱と大きくプリントされた表紙を捲った。


 主人公の美姚夏姫が御月の告白に、首を縦に振り物語は始まる。

「本当に?ほんとにほんと?宗助じゃなくて俺でいいの?俺が言うのもおかしいけど」

「うん。いいの君が。宗助君って女の子に人気がある人でしょ?私、話したことないよ」

「そうなんだ。周りは二人のことお似合いだって言ってたから、つい。でも本当に俺でいいの?」

「そんなに卑下する人は嫌。それって私の気持ちを無視してるんだよ」

「ごめん。それだけ信じられないんだよ。夏姫ちゃんに告白して断られる人が多いから」

「私を透かして見ないで。御月は過去の人達と競うために告白したの?」

「違う。ただ月の裏が気になるのと同じことだよ」

「月の裏?」

「そうだよ」

「よく分からないや」

タイトルの通り、蠱惑的な夏姫に御月は惑乱に陥ることになる。

 嫉視と疾視にも晒されることになり、剰え形となった嫌がらせも始まる。ある朝、登校した御月は上靴を手に取り、絶句した。罵詈雑言が書かれていたのだ。周りを見渡しても犯人らしい人はおらず、普段と変わらない時間が流れる人たちがいるだけであった。その一人であろう、朝練が終わった宗助は御月の肩越しに例の上靴を目撃した。

 昼休みが始まり、御月は弁当箱を持って中庭に行こうとすると、彼を呼び止める声がする。

「おいっ、叔乃。ちょっとだけ時間貸して」

「返せるならいいけど?」

「面倒くさいな、お前。じゃあ、時間を僕に頂けませんか?」

「でも、俺だけの時間じゃないから」

「もう、美姚さんの時間は貰ったから心配するな」

「それならいいけど、何の用事?雑用を押し付けるとか?」

「ちょっと話がある」

御月は埃と黴の匂いが入り混じるサッカー部の部室で宗助と昼食を食べることになった。

 箸が進まない御月は食べかけの弁当箱を閉じ、パンを齧る宗助に話しかける。

「それで、話ってなに?わざわざ、人がいない場所を選んだってことは、他の人に聞かれたら困るの?それとも、夏姫ちゃんに関係してるとか?」

「あたらずと雖も遠からず。付き合ってるとは噂で聞いてたけど本当だったんだ。でもさ、付き合い始めてから変わったことない?例えば、上靴に落書きされたとか」

「なんだ、俺がスリッパ履いてたから勘繰ったわけね。家で洗って忘れてきただけだよ」

「それならいいけど一つだけ、いい?」

「いいよ。もっと新鮮な空気を早く吸いたいから」

「妖しい色香を放つ花の顔が森に咲いていれば、探しに行く人は多いだろうね。たどり着けずに森で迷う人や横取りだけを狙って出口で待ち構える人もいるかもしれない。既にその花に惑わされていることも知らずにね」

「何が言いたい?」

「二つになるけど?」

「お前も面倒くさい奴だな」

「要は、福は糾える縄の如しってこと」

御月は腑に落ちないまま部室を後にした。

 

指をこすり合わせているのに、次のページが見つからない。蠱惑乱と書かれた表紙が終わりを告げ、

「これの続きは?何かの原作を翻案したの?それともオリジナル?すごい面白い」

彼女の書いた作品の全てが気になり、捲し立てるように言った。今までに見たことのない、彼女の面映ゆそうな表情を見て、立ちはだかっていた壁が崩れたことに気が付いた。

 俯く彼女は向かいの古書店の店名がプリントされている袋から一冊の本を取り出した。

「夏姫ちゃんにはモデルがいるの。音読みにしたら、中国の歴史上の人物になるんだ。続きは見ての通り、煮詰まったから中島敦の本を買いに来たの。ついでに君に相談をね」

優があれば劣があることを改めて気づかされ、彼女の優れた戯曲は僕の脚本を劣るものにと変えてしまった。その彼女の相談にのり、僕が戯曲に加われば駄作になるに違いない。

 彼女のためにも、自身のためにも諷諫しなければ。いつか抱いた虚栄と矜持が再び纏わりつき、邪魔をする前に。

「完成してからじゃないと作風も変わってくるよ」

故意に壁を築くように、紙ナフキンを正方形に千切り鶴を折りながら言った。

 鶴が翼を広げても彼女からの反応はなく、紙袋が鳴らす音だけが耳に届き続けている。上目で盗み見ると、原稿も古書店で買ったと言っていた本も片付けられ、今にでも店を出ることができる準備をしていた。僕は怪訝に思い、完成した鶴から目を転じた。彼女は鞄を肩に掛け、

「相談って言っても、次は君の番だから否応なしに付き合ってもらうけどね」

置かれた鶴に手を伸ばし言った。

 僕の言葉は彼女の耳ではなく、紙袋に吸収されて届いていなかったらしい。僕は安堵よりも、忸怩たる思いであった。彼女のため、戯曲のためだけであれば、恥じ入ることはなかった。しかし僕は、自身のためにもと考えが及んだ結果の言葉だったのだ。既に虚栄は心に住み着き、矜持は僕を形成していたのかもしれない。

 保身を捨てきれない僕はあべこべに相談を持ち出せず、伝票を持ってほうじ茶ラテの会計を済ませた。

 手に滲む汗を拭い、荷物を持っていない彼女の左手へ差し伸べる。右手から体温が下がっていくように感じたが、不快に思うことはなかった。反対に彼女は左手から温かみを感じ、不快に思っているのだろうか。

 互いの体温が渾然一体となった左右の手が離れることなく、大通りに出たことを答えだと受け取ることにした。

 彼女に曳かれて入った駅ビルは一歩進めば人にぶつかり、二歩進んでも人にぶつかるといった具合で、掻き分けながらようよう辿り着いたエレベーターの入口は更に犇めき合っていた。自然と離れていた手に呼ばれ、マップの前に立つ藤堂の側まで歩くのもやっとのことであった。

 手を取り合って逆流に立ち向かい、せせらぐエスカレーターに身を任せた。

 煌びやかに装飾された店内は、極彩色を用いた前衛的な絵画のように見えた。誰よりも洒落ているマネキンは敬遠され、所狭しと掛けられている服が靡いている。一着の服を持った藤堂は姿見の前に立ち、想像を膨らませているのだろう。

 想像は萎んだのか破裂したのか、ネズミの色をしたノースリーブのニットは戻された。畳まれたシャツを広げては畳み直しを繰り返し、話しかけてきた店員に勧められたのだろう、白色のニッカポッカのようなズボンを持って姿見の前に立っている。

 彼女の三歩後ろに立つ店員は両の掌を何度も合わせ、誉めそやしている。第三者の言葉が彼女の想像に入り込み、現実となったのだろう。

 綺麗に畳まれたズボンが入っている袋を店員は店先で渡し、深々と頭を下げた。

「何買ったの?」

「ガウチョパンツだよ」

僕は気に入ったのがあってよかったねと言いながら、然有らぬ体で右手を差し出した。

 どこか行きたいお店があるか聞かれた僕は悩んだ末、ないと答えた。僕同様、彼女も駅ビルに用事はないと言い、人いきれから逃れるためにも地上へ出ることにした。

 外の空気は人から発せられるものと違い、粘りがなく、淀みのない空気に身体が洗われたように感じた。駅ビルを後にしたところで目的地も行きたい場所もなく、主要駅周辺を逍遥する僕たちを喧しい音楽と若者の声とが誘うようにどこからともなく聞こえる。

 遠くなった音楽と声の出所は自動ドアが教えてくれた。

 大きなタヌキのぬいぐるみを抱えて出てきた男の子とその父親とすれ違い、耳を聾する喧噪の中に入った。射幸心を煽られた人々が、流行りのカニファイターのぬいぐるみや大人気アニメとなった笹暮紗々子のフィギュアを獲得しようとクレジット音を響かせている。

 寸分違わずと箱の前で動き回る人に注意しながら歩けば、華やいだ声だけが聞こえてきた。

「私たちもせっかくだから撮ろうよ」

僕は立て看板を指さし振り向いた。

「カップルはいいよって書いてあるじゃん」

「確かに書いてるけどさ。書いてるけど、だよ」

背後からむずかる子供を抱っこする父親と母親が出てくると、すぐさま垂れ幕の陰に消えていった。

 後ろめたいと思う心が防犯カメラの位置を探させる。きょろきょろする僕の袖を引っ張る彼女は悪びれることなく、親子が出てきた白い空間に連れ込んだ。

「これ外にあるやつだ」

彼女の独り言は理解できず、言葉通り外に行く彼女を目で追った。

 頭上から緑の垂れ幕が突然に降りてき、驚いた僕は水たまりを跳び越すように大きな一歩で前に出た。

「それ床に置いていいよ。邪魔でしょ?」

何かを済まして戻ってきた彼女に言われ、床に置くことを憚られていたガウチョパンツが入っている袋を右手から離した。

 親子連れが入った場所とは反対に位置した空間に入ると、気まずい雰囲気を具現した写真がモニターに映し出されている。取り付けられたペンを持ち、二つあるモニターの一つに何かを書き始めた彼女の真似をするように、僕はペンを持ってみたが筆は乗らなかった。

 減っていく数字の大半を残して現像された写真は、彼女の才能とでも言うべきか甘味と酸味が加えられ、叙情的な写真になっていた。

 建物の隙間から顔を出す太陽は本来の色を取り戻し、外に出た僕たちを赤く照らす。時間を確認しようとスマホを取り出すと、新着のメールが表示されていた。返信をするために、

「晩ご飯どうする?」

薄目をしている彼女に尋ねた。呻吟して出された結論を母親の携帯に送信し、僕たちはファミレスに向かった。

 休日と飯時が相俟って名前の如く、家族連れが多くいた。幸いにも空席はあり、予約表に名前を書くこともなく、待たされることもなく座ることができた。座るが早いかメニューを広げた僕は、新メニューと書かれたジャンバラヤに決め、同じくメニューを見ていた彼女も顔を上げた。

 ワイヤレスチャイムのボタンに反応した店員に注文を告げた。動から静になると戯曲のことを思い出してしまう。自身の成長を妨げているのが自分であることに肩を落とし、深い息を吐いていた。

「どうかしたの?あからさまなため息って私が困るんだよね。察せない私を責めてるみたい」

「ごめん、無意識で。ただの自己嫌悪ってやつ」

「だから、何て言ってほしいの?大丈夫?それとも、私にできる事なら何でも言って?とか?」

「ごめん。自分の縄で自分を縛ってしまって身動きがとれなくなってしまって」

「解けば?切れば?」

淡々と核心に迫ってくる彼女の言葉はナイフとなり、僕を巻きつく縄から切り解いた。

 ジャンバラヤを持った店員は僕が座る席を通り越した。

「藤堂さんの戯曲を見て打ちのめされた。何であんなに面白くて惹き込まれる物語が書けるの?」

「そんな褒められるとは思ってもみなかったな。うーん、私が意識してるのは非現実でありながら、実在の人物の人生を覗いているように感じさせることかな。それと、登場人物に感情移入させるんじゃなくて、見る人たちに感情移入できるように」

彼女の話を理解できているようで理解できていないことが自分でも分かる。二の矢を収め、

「よく考えてみるよ。ありがとうございます」

お盆を使い、二人の食事を運んできた店員にお礼を言った。

 赤い色が視覚を刺激し、ご飯粒をスプーンで掬いあげ口へ運ぶ。スパイスが舌を直接刺激し、トマトの酸味がそれら全て包み込む。溢れてくる唾液は喉の通りを良くして、気が付けばお皿には何も残っていなかった。

 彼女のフォークが置かれて、僕たちはどれくらい話したであろうか。彼女の相談が続いているか否かで僕がとる行動は変わってくる。聞くのも野暮と言うものだ。僕は伝票を手に持った。自己の価値の見出し方を間違え、暗黙の了解を普遍的にした先人たちに憤り、レジへ向かった。

 因習を作り上げる一員になったことを悔やみながら、彼女と別れた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ