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覗き、覗かせ、覗かれて  作者: てんてこ
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エチュード

某所 愛子の家

中央にセンターテーブルがあり、向かい合う座布団が今しがたまで誰かが座っていたことを物語っている。

上手奥のキッチンで作業をしている愛子の後姿が窺える。

下手側から濡れた手をズボンで拭いながら部屋へと入ってくる羽柴簾。

それに気づいた愛子はマグカップを両手に持ってセンターテーブルに向かう。


愛子 (上手の座布団に座る)いつも言ってるけど、洗面所にタオル掛けてるよ?

羽柴 知ってるよ。ただ拭き残しがあったから(下手の座布団に座る)

愛子 だから、拭き残さないようにしてって言ってるの。

羽柴 あー、そういう事ね。気を付ける。

愛子 その言葉も何回聞いたことやら。


羽柴、キッチンを指さす。

   愛子、指先を辿るようにキッチンを振り向く。向き直り座り直す。

   

愛子 いつも言ってるけど、たまには自分で動いたら?

羽柴 知らないんだよ。砂糖がどこにあるかなんて。

愛子 指をさすってことは、砂糖がどこにあるか知ってるってことでしょ?

羽柴 知ってるも何も砂糖はキッチンにあるものじゃん。

愛子 本当に何も知らないね。私は何でも知ってるのに。

羽柴 そんなことはいいから取ってきて。

愛子 そんなことはいいから飲んでみたら?


   羽柴、怪訝そうにマグカップを口へと運ぶ。

   一口飲み、噴き出した羽柴を見て愛子は笑い転げる。


羽柴 ブラックじゃん!

愛子 (大の字になり、天を仰ぐ)あー面白い。幸せだな。廉は私のこと好き?

羽柴 さっき何でも知ってるって言わなかった?


上半身を起こし、テーブルへ両肘をつき手に顎を乗せ羽柴を見つめる


羽柴 はいはい。好き好き。

愛子 その言葉は何回聞いても嬉しいな。


 島津が掌を二、三度叩きエチュードは終わった。僕は稽古の風景を見たのは今日が初めてであった。ケーキを食べたあの日から放課後は図書室に通うなど、戯曲を書くために時間を使っていたのだ。

「どうだった?小さな幸せがテーマだったんだけど」

反省会が終わり、島津は心許なげに聞いてきた。

「上手く纏められてたと思うよ。それに井伊さんには驚かされたよ」

「おいおい。おいおい。おいおい」

異を唱えると言った調子で羽柴は歩み寄ってき、冗談めかして彼をあしらい取り残された上手に座る井伊を覗き見ると、エチュードの時とは別人のように俯いていた。彼女との数少ない会話を思い出し、エチュードでの井伊が別人であり、俯く彼女が井伊愛子であるのかもしれないと思った。

 井伊も交え、島津は続くはずだった話を再開させた。彼女が言うには練習方法のアイデアが欲しいと言うことだった。お題、テーマと言ったものは、尽きることなく思いつくと言うが、何かが足りないと続ける。その何かが分からないゆえに、見えない壁に衝突しているのだと井伊は付け加える。彼女は壁に上り、手を差し伸べているのだと羽柴はさらに付け加えた。

 三人の意見に僕が見たエチュードの感想を加味して考えれば、どうやら立ちはだかっているのは壁ではなく、羽柴ではないのか。そのことに彼は気付いているではないか。他の二人も婉曲に伝えようとしていたのだろうか。

 三人の意見を総意と仮定し、着地点を決めたらどうだろうか、と、明確には告げず、濁して言った。早々とろ過したのは井伊愛子であった。僕の代わりに詳らかに説明をしている彼女を見届けてから、更に練習の幅を広げるためにと教室を後にした。

 スマホをポケットに仕舞い中庭のベンチへと向かうと、既に藤堂は麗らかに輝く日の下で微睡んでいた。一回、二回、三回、四回と前後に揺れ、五回目の時にあの日のように遠くから吹奏楽部の演奏が聞こえると、正に青天の霹靂と言ったように目を覚まし、辺りを見渡し始めた。

 僕の姿を確認した彼女は隣の空いたスペースを何度か叩いた。

「どうしたの?」

「一応、メールしたんだけど」

それを聞いた彼女は幾つもあるポケットに手を突っ込み、

「鞄の中だ。部室に置いてるみたい。で、何か用があった訳だね」

「そう言うこと。教室で稽古をする人たちのために、藤堂さんを利用しようと思って」

「この前のこともあるし、私から言ったことだから何でも言って」

彼女が引き受けてくれることを聞いて、鞄からノートを取り出し渡した。

 訝しむように渡されたノートのページを繰り、全てを読み終えた彼女は、

「これと関係があるの?」

膝の上に乗せられたノートを閉じて言った。

「こんな風に簡単でいいから、翻案してほしい。別に、自分で考えてもいいし」

「うーん。んー。えーっと」

「それはさっき教室でやってたエチュードを文字に起こしたやつで、藤堂さんは柱とかト書きとかは書かなくていいから。少しでも参考になればいいなって」

「いやいや、お願いは引き受けるよ。ただ、このノート貸してほしいかな」

僕はノートを彼女の膝の上に残し、跳ねるように立ち上がり手を差し伸べた。

 凝然と指し伸ばした手を見つめる彼女は、ノートを抱えて立ち去った。僕は虚空を掴み教室へ踵を返す。


 破裂音が廊下にまで聞こえ、今からの反省会を邪魔しないようにと図書室へと足を運ぶことにした。廊下の角を曲がり、階段へと差し掛かると踊り場にキャサリン先輩こと、小早川先輩がポスターを貼っており、僕は急いで角に身を隠し、隠れる理由を探した。

 型取られた陽光が等間隔に廊下へ照りつく。階段からゴムが擦れる音が近づき、隠れた理由から、どこかへ隠れなければと考えがすり替わる。

 当然のことで長い廊下に隠れる場所はなく、小早川先輩は僕の存在に気付き、

「こんな所で暇を持て余していいの?まあ、私の知ったことじゃないけれど。足踏みが続いているのなら」

抱えているポスターを一枚差し出してき、受け取ろうと手を出せば、ポスターを持つ手は引っ込んだ。

「あなたのお父さんって、星名聖って筆名で活動してる?」

韜晦していたつもりであったのだが、僕の袖を掴み引き寄せる小早川先輩は確信を持って言っているようだった。型取られた陽光がバックライトとなって目つぶしをし、小早川先輩の感情を読み取ることができない。

 一歩、二歩、下がり、壁に背中を預け改めて差し出されたポスターを受け取る。

「どこで知ったんですか。皆には言わないでください」

「あら、やっぱり。もしかしてと思って言ったのに、親切に教えてくれるなんて」

最後に「あなたは役者がお似合いよ」と、頑迷な言葉を置いて、三階へ続く階段へ消えていった。

 隠れることも隠すこともできなかった。なぜ隠れようとしたのか。なぜ隠すことができなかったのか。僕はわからない。が、どちらにも思い当たる節があると言えばあり、共通していると言えばしているのだ。

 あの雨の日、校門の前で赤い傘を差していた人物こそが原因なのだ。

 傘に隠れた顔は見えていない。その代わりに見覚えのあるミサンガは確認できていたのだ。類推ではあるが、僕は確信を持つことができる。赤い傘の下にいた人物こそ小早川先輩で間違いないのだと。

 先輩が僕の父親のことを言うまで、僕はその日を境に無意識が行動していたのかもしれない。赤い傘を差す人物は先輩かもしれないと。先輩は父親の顔を知っているのかもしれないと。関係を気付かれ、邪推されるかもしれないと。偉大である父親が枷になるかもしれないと。

 かもしれないに支配された僕は、かもしれないが断定されることを恐れ、小早川先輩から逃げようとしたのかもしれない。

 結局、断定はせずにポスターを茫然と眺めた。今週の日曜日か。


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