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覗き、覗かせ、覗かれて  作者: てんてこ
3/19

蠢動

中庭のベンチに一人で座り、遠くから聞こえる吹奏楽部の演奏に耳を傾けていた。その後、藤堂は虚空を掴み一言だけ残して立ち去ったのだ。

 未だに全てを把握できずに、彼女の言葉と共に取り残されていた。吹奏楽部の演奏が止み、重たくなった腰を上げ、彼女の言葉も連れて帰ることにした。

 連れて帰った言葉は、ご飯を食べた僕を養分にするように蝕み、お風呂で汗を流せば逃げ込むように僕の身体を侵食してきた。羽柴と島津にどう説明すればいいのだろうか。

 好機会だ。枕に顔を埋め懊悩する僕のスマホに島津からメールが届いた。

「明日、学校に来て。今後の為だから」

僕は「わかった」とだけ送り、部屋の明かりを消した。

 目覚まし時計よりも早く、屋根を打つ沛然と降る雨の音で目を覚ました。起き上がりカーテンを開けると、雨粒だけが小さく輝き光を放っていた。

 ビニール傘を手にした僕の背後から、車の鍵を手にした父親が現れた。僕より先に玄関の扉を開け、

「送ってやるから乗れ」

頤使されるがまま、車に乗った。ワイパーは左右に揺れ、小さく光る雨粒を弾いていた。

 赤色になった信号は車を止めたが、父親の口を動かし始めた。

「部活は演劇部なんか?」

「一応、演劇部」

「一応ってどういうこっちゃ」

「入部するために一年だけで、一つの舞台を作り上げないといけないみたいなそんな感じ」

「そうか。頑張れよ」

アクセルを踏んだ車はゆっくりと動き始めた。

 校門の前には赤い傘を差す人が立っており、その人の前で車は止まった。助手席の扉を閉めると、父親は後部座席に傘を乗せたまま車を走らせ去っていき、最後の最後に有難迷惑になってしまった。僕は泥を跳ね上げ、小走りで校舎へと入った。

 ファーストフード店で計画を立てたあの日から、一年二組の教室での活動は初めてであった。どんな顔をして入るのが正しいのだろうか。教室に一歩ずつ近づくにつれ、表情が硬くなっていくのが自分でもわかってしまう。教室の扉の窓ガラスに映る僕は、糸で引っ張られているような不自然な笑顔を作り上げていた。

 教室から声が聞こえた。羽柴と島津が楽しそうに話し、横で誰かが大きな相槌をしていた。後ろからは誰何する声。

「もしかして、嵯峨さん?」

聞き覚えのない声に恐々と回れ右をし、見覚えのない制服を着ている女子生徒を見た。長い髪を一つに結び、少し垂れた目の横には小さな黒子があり、少し厚い唇をした彼女は、

「いきなりごめんなさい。あたしは鵜鷹高校演劇部一年の井伊愛子です」

自己紹介をして、手を前に組みお辞儀をした。僕は服の裾を引っ張り、

「はじめまして、嵯峨です」

服装を正し、言葉少なに自己紹介をした。井伊愛子と名乗った女性はどうやら僕のことを知っているのだと思い。

 教室へ二人で入り、僕は大きな相槌をしていたであろうマッシュルームの髪をした男子生徒を確認した。井伊愛子と同じ校章が入った制服を着ていた。僕の確認と同時に、教室にいた三人は僕たちに気付き、

「二人とも来たね。嵯峨くんは愛ちゃんと三好くんとは初対面だよね」

島津は椅子から立ち上がり、二つの椅子を曳き言った。

 円になるように僕たちは座り、島津が井伊とマッシュルームがこの場にいる経緯を説明した。

「天坂と鵜鷹が合同になって嵐が丘を上演するらしいの。それで顧問同士で私たちの話になったらしくて、鵜鷹の高山先生がそれなら是非うちの新入部員も一緒にお願いしますって言葉から今が出来上がったの。だからね、嵯峨くんに人数が増えたことを伝えたくて。ついでに懇親会みたいな」

説明が終わり、僕たち初対面の三人はお互いに会釈を交わした。

 不自然だった笑顔は懸案となっていた事柄が解決したことで、意識せずとも笑い声を発するようになっていた。それとは対照的に羽柴は言葉すら発することはなく、黙り込んでいる。彼の様子の変化に彼以外は気付いているのだろう、誰も羽柴には話しかけることはなかった。

 扉を叩く音に会話は止まり、羽柴を除く僕たちは顔を見合わせた。扉の向こうにいる人物は、僕たちの見えないやり取りに我慢できなくなったのかもう一度ノックの音を響かせると扉を開き、僕たちの前に現れた。

 入ってきた藤堂を見て、毛穴から昨日の言葉が飛び出すように全身が粟立った。昨日の懊悩は嘘のように忘れ去られていた。その理由は明白であった。

 話の口火を切ったのは、予想に反して羽柴であった。どうやら彼は、髪が短く、猫の目のように凛とし、薄い唇をぽかんと開けて立っている藤堂亜紀とは初めて言葉を交わすのか、

「忘れ物か何かですか?気にしないでください」

丁寧な口調で言い、手を左右に振り否定をする彼女に、

「それとも、天馬にでも用事ですか?」

彼は先程とは違う、低い声で続けて言った。一つ、二つと刻む心臓は大きく脈を打った。

 今しがたまで無言を貫いていた彼が、自身の沈黙を破ったのには思い当たる節があったからだとわかった。蓋し彼は、昨日僕と藤堂が中庭のベンチに座り話していたのをこの教室から見たのであろう。しかし、当然会話は聞こえる訳がなく、言葉も僕が預かっていたので内容までは知らないはずであって、

「昨日藤堂さんに頼まれたんだよ。部誌作成のために僕たちをモデルに書きたいって」

藤堂の代わりに説明をした僕を睨めるように、

「自分たちのことも儘ならないのに?俺たちには協力しないで、彼女には協力してあげるんだ」

彼はため息交じりに言った。教室は藤堂亜紀の登場と羽柴の一言で殺伐とした空間へ変貌していた。

 危惧していたことが現実となって降りかかってきた。面白くないことになりそうな雰囲気を早くも察知した島津が、

「たまたま藤堂さんは嵯峨くんに頼んだだけで、もし私が頼まれて協力してあげたら廉だってそんな言い方しないでしょ?」

因果を含めるように言った。

「えっと、島津さんだっけ?それは違うよ。私は嵯峨だから頼んだの」

藤堂は臆面もなく言い、丸く収まるはずの場を歪な形にしたのであった。

 側杖を食わないように、井伊と三好は立ち上がり教室を出ていった。申し訳ないと思ったのは僕だけでなく、羽柴も島津も藤堂も出ていく二人に小さく会釈をした。

「ほらな、天馬はただいい格好をしたいだけなんだって。もう、演劇部の事だってどうだっていいんだよ」

二人が出ていくと、羽柴は藤堂の言葉に悪いように便乗して言った。僕もいよいよ我慢ができない。僕自身も自分の言動が原因であることは重々承知しており、島津の言った事はあながち間違いではないと思い、言われる分には仕方ないと覚悟はしていた。だが、羽柴の邪推には我慢ができない。

 強い怒りを覚えると、身体の何処かに指揮者でもいるのであろうか、心臓の音をだんだん強くした。

「それは本気か?今言った事は本気か?本当にそんな考えなんか?」

脈を打つたびに言葉が送られてきた。脈を打つたびに足が動いた。脈を打つたびに力が入った。

 羽柴の前に立ち、大きく手を振り上げ、振り下ろした。僕の前に立ち、大きく手を振り上げ、振り下ろした。僕は強く握った拳を解いた。

「二人ともいい加減にして」

島津は自身の手を見ながら、消え入りそうな声で言った。

「辞めた辞めた。もう無理だ。じゃあな」

羽柴はそう言い残し、教室を後にした。さめざめと泣く島津を気にも留めずに。

 僕は漸く喧嘩だったことに気が付いた。島津に心配を掛けないようにと曖昧に濁したことで、更に事を煩雑にしてしまい良心の呵責に苛まれ、

「ごめんね」とだけ残し、教室から逃げ出した。

 不幸中の幸いに雨は止んでいた。泥になったグラウンドを横切り、小さな輝きも失った薄暗い往来を歩いて帰った。


 水の弾ける音が背後から近づいてきた。やがて抑揚のある音になって僕の耳に届き、それが声だと気付くまでに少しの時間を要した。反応しない僕に続けて、

「おーい。無視ですか?それとも考え事ですか?」

同じ教室にいたとは思えないほど明るい声が届いた。声だと理解した僕は振り向き、声の主である藤堂を見た。

 乱れた制服と呼吸を整えている彼女を漫然と眺めた。どこかに行こうとする心を引き留め、意識的に彼女を見ると徒労感に襲われ、彼女の一言さえなければと考えていた。

「どうしたの?またややこしくしてくれるの?」

「すごい嫌味なこと言うね。悪いとは思ってるけど感謝の方が大きいかな」

全てを整え終えた彼女は空笑いのように笑い言った。彼女の言う感謝とは何であろうか。僕たちをモデルにしたいと言ってきたのは彼女ではないか。それにも拘わらず、僕たちが四散するようなことを言った。何が感謝であろうか。羽柴が教室を出たとき、既に僕と彼女の協力関係は終わりを告げたのだ。

 僕は頭を大きく横に振り、結論付けようとする考えを捨てた。彼女に責任を転嫁しようとする考えを。確かに彼女から種は貰った。その種を僕自身に植え、肥料もあげ、花を咲かせたのはやはり僕である。なんら彼女に責任はないのだ。しかし、得手勝手が過ぎるのも事実だ。

 滴り落ちる雫が肩に当たり思わず見上げた。視界の隅に釣られるように見上げる彼女が見えた。

「今日の雨で散っちゃったんだね」

「そうだね」

視線を下げれば、綺麗だったはずの桜が無残な最期を遂げ道にへばりついていた。

「感傷的になってるとこ申し訳ないけど、教室に戻ろうよ」

図星を指され取り繕うように、

「また後日にするよ。今日はいろいろありすぎた」

平然の皮を被り言うと彼女は言下に、

「今だから戻るんだよ。羽柴くんがいないときに」

呆れるように言うのであった。

 さめざめと泣く島津から逃げ出したのに、おめおめと教室に戻れるはずがない。そんな僕の思いを汲み取らずに光を遮る雲は雨を降らし始めた。

「みたところ傘も持ってないみたいだし戻るよ」

雨を味方にした彼女は傘を広げ、僕を打つ雨から守ってくれた。

 緊張から鼓動は速くなった。受け取った傘の柄は温かく、仄かな温もりが全身を駆け巡っているようだった。肩を並べて歩く彼女からはシャンプーだろうか、仄かな香りがしていた。

「ちょっとちょっと、こっち水たまりがあるからそっちに行って」

不意に届いた声色は、言葉とは裏腹に弾んでいた。ごめんと言えば艶然と微笑む彼女が視界に入った。

 一人で吊り橋効果を発揮しようとしていた。五感の味覚以外が彼女を感じ、島津と顔を合わせることに対する緊張や不安から生じた動悸を藤堂が好きなのではと勘違いを起こしていたのだ。

 昇降口に佇む島津が見えて漸く我に返り、グラウンドの泥濘を歩きたくないと言う藤堂の隣を侍るように歩いていた。軒下まで来て彼女は一息つきハンカチを取り出し、肩を拭きながら何か言っていたのだが、犬走りを歩かされている僕は、軒から落ちる幾つもの大きな雫が傘に当たる音に邪魔をされ聞き取れていない。

「言った通り連れて帰ってきたよ」

島津の許へ走る彼女に聞き返すことはできなかった。

 コンクリートの上を歩いているはずなのに、思うように足が動かない。二人が話す姿を見て俯いていたが、確かにコンクリートの上を歩いていた。泥濘を歩いているが如く、一歩を踏み出す度に足が重くなるのはなぜであろうか。分かりたくない。僕が思った時、全てを理解している自分に嘘をつこうとしている事に気付いた。

 どうか泣き止んでいますように。涙に打たれて泥濘になっている心で呟き、二人が話す昇降口まできた。

「遅いよ。肌寒いから教室に行くよ」

藤堂は島津を連れて一緒に校舎へと入っていった。僕は少しだけ軽くなった足取りで二人を追いかけた。

 教室は逃げ出したときと変わっておらず、井伊と三好の姿もなかった。二人に促され向き合う形で座ることになった僕は、被告人にでもなったような気持だった。

「ねえ、些細なことで怒りすぎだと思わない?」

「どうだろう」

「ここまで言っても分からないか。さっきも言ったけど、君は機微に疎すぎるよ」

確かに藤堂の言っていることは理解できなかった。が、かき消された言葉はわかった。

「あんまり人のことを勝手に話したくはないけど仕方ないよね」

僕たちの会話を遮り、自身に言い聞かせるように呟いた島津は語りだした。

「私が廉にサッカー部になんで入部しなかったのか聞いたこと覚えてる?うんそれなら良かった。それでね、あの時廉がはぐらかしてるように聞こえたから、帰り道にもう一回聞いてみたんだ。やっぱり、嵯峨くんにもそう聞こえたよね。聞いた後もなかなか教えてくれなくて、でも私がしつこかったからか諦めたように話してくれたの。まず、知っていてほしいのは私たちの中学はサッカー部が強くて全中にもよく出場してたんだ。そして廉は三年生になって漸くメンバーに選ばれたの」

ペットボトルから水を一口飲み更に続けた。

「今から廉が話してくれた話なんだけど、その前にもう一つ私から話さないといけないことがあるの。それはね、廉がサッカーを始めたきっかけを作った人のこと。その人も私と廉の幼馴染だった人でね、碧人って言うんだけどその碧人に誘われて始めたんだ。今までの話を覚えてくれたら後は簡単だから」

手に持っていたペットボトルを机に置いて更に続けた。

「廉と碧人は一緒に始めたのに、中学生になる頃には比べ物にならないぐらい碧人は上手になってたらしいの。一年生で唯一のレギュラーになるぐらい。それに比べて廉は二年生になってもベンチに入ることはできなかった。それでも廉は碧人との約束の為に、家に帰っても走ったり、ノートを毎日取ったり、練習には誰よりも早く行ったりして三年生になって最後の大会でメンバーに選ばれた。これは私だけが知る廉の陰の努力ね。ちなみに坊主もその一つね。と言ってもベンチだったらしいけど。でも準決勝前に一人が怪我をして先発に廉が選ばれて、碧人との約束がやっと叶った。相手のゴールに近い人が碧人で、え?フォワードって言うポジションなんだね。改めて、フォワードが碧人でゴールの近くを守る人が廉だったらしい。違うよ、キーパーぐらいは私も知ってるよ。確かそんな名前だったかな。取り敢えず、センターバックが廉だったわけ。後は、予想できると思うけど廉の一つの失敗で最後の大会は幕を閉じた」

突然彼女は口を噤み、俯いた。

 空になったペットボトルと少し前に僕が照れた三白眼をこちらに向け、

「ここからは、嵯峨くんも当事者だから」

僕は黙って頷き、彼女の言葉を待った。

「嵯峨くんが廉に言った言葉、覚えてる?そうそう、その言葉。廉がサッカーを辞める決意を固めたときも、碧人に同じようなこと言われてたの。やっぱり、俺だけが頑張っても勝てる試合も勝てない。見てる世界が違うからかな?もっと周りのレベルが高いチームだったらな。みたいなことを碧人は廉に向かって言ったらしいの。さっき私だけが知るって言ったけど碧人も知ってたはずなのに」

「それで羽柴くんはなんで演劇部を選んだの?」

彼女の長広舌を黙って聞いていた藤堂が徐に口を開いた。

 両手に拳を作り戦慄かせ、両目を強く瞑っていた。全身に込めた力を放出するように息を吐き、

「世界を共有できるかもしれない」

彼女が言った羽柴の言葉を聞いて、いたたまれない気持ちになった。僕の発言も間違いではないはずだが、羽柴の発言も間違いではないように思い、

「今から羽柴の家に行く」

僕が立ち上がるのを見て、島津も立ち上がろうとしていた。島津の腕を握る藤堂にお礼を言って、教室を後にした。



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