第7話
退化召喚術?一体どういう意味なのか・・・?ラズバクト家に伝わる秘伝の書、「黒と魔の章」を開いてみると、それは記されていた。
退化召喚術・・・・・力の弱い術者が、強大な悪魔を召喚する方法の一つ。その悪魔と契約を結び、双方の条件が合えば可能となる術。なぜ、力の弱い術者が強大な悪魔を呼び出せるのかというと、一度、悪魔の魔力を限界にまで退化させ、自分の体内に取り込み、その術者の力にもよるが、数年、又は、数十年かけて悪魔に自分の魔力を吸わせ、完全体になった時に、体内から出す。と、いう術らしい。しかし、体内に取り込んだものの、術者の体がもたなければ、術者諸共、悪魔も消滅してしまう。よって、術者もそうだが、よほどの理由がない限り、この術に応じてくれる悪魔は多くはない。
「やっぱりそうか・・・・。して、どんな契約を交わした?」
愕然とした表情でギザがボソッと言った。
「お、俺、死ぬの?」
「わからん・・・。さぁ、早く答えろ。一体、どんな契約を交わしたんだ?」
「わ、忘れちまったよ・・・。ずっと前の事だから・・・。」
ジャイロは頭を抱え込み、ボロボロ大粒の涙をこぼしながら思い出そうとしているのか、果ては、覚えているのに忘れた振りをしているのか、地面に頭を擦りつけ、もがき苦しんでいた。すると、ギザは、ブツブツと呪文を唱え始め、前にタリアがナパの記憶を映像として映し出した時と同じ術をジャイロに使うことに・・・。
そして、その映像は10年程前のジャイロが深い森の中で、退化召喚術を始める処から映し出された。
「我・・・・闇に蠢く者達に問う・・・・。我こそ最強と謳う者、我の声に耳を貸したまえ・・・・。」
「・・・・・・・・」
なんの反応も無い。魔法陣を描く際に、間違いがあったのか?そう思い、ジャイロは魔法陣を見直そうと立ち上がると、頭に激痛が走った。割れるように痛い。そして、その痛みに混じり、とても冷たく、低い声が頭の中に響いてきた。
「この声は・・・・人間か?名を名乗れ・・・・。」
声を聞くだけで頭に激痛が走る。よほどの力の持ち主なのだろう・・・・。だがジャイロは激痛に耐えつつ、その顔は笑っていた。
「ジャイロ・・・・ラズバクト・・・。」
静かにジャイロが答えると、また、頭の中に悪魔の声が響いてきた。
「ラズバクト?おぉ・・・知っているぞ、あのラズバクトか。と、言う事は、ようやくワシも外へ出られるというわけじゃな?」
どうやらラズバクト家は、地獄の果てまでもその名を轟かせていたらしい。
「ゆ、有名なんだな・・・あのクソ親父は。いや、じいちゃんが有名だったのかな?ま、まぁ、いいや。と、とにかく、お前を召喚したいのは山々なんだけど・・・・残念ながらお前ほどの悪魔を呼び出せるほどの力は持っていない。まだ修行中の身だから。でも、お前の話を聞くと、誰かに召喚されるのを待ってるみたいじゃない?でも恐らく、これからどれだけ待とうと、そんな機会は無いと思う。そこでだ・・・・。我がラズバクト家に伝わる秘術、退化召喚術ってのがあるんだ・・・・・・」
ジャイロは無我夢中で説明を始めた。そして、一通り説明を聞き終えると、悪魔は術者が未熟な場合、自分も消滅してしまうということを薄々感じ取ったのか、しばらく黙り込んでしまった。
それからどれくらい経った頃だろう・・・?ようやく悪魔が口を開いた。
「ラズバクト・・・・。お前の器が見てみたい。お前もワシを見たいだろう?さぁ、魔法陣の中心に顔を近づけてみろ・・・・・。」
躊躇いは無かった。恐怖や不安も感じなかった。寧ろ、初めて試みた術だけにあって興味や期待が膨れ上がってきた。ジャイロは言われるがままに、描いた魔法陣に歩み寄り、更に、その中心となる位置まで近づくと、ゆっくり顔を近づけてみた。
ズオォォォォォォォォォォッ
突然物凄い音と共に、閃光が走り、一瞬何が起きたかわからなかった。そして、ゆっくり目を開けると、先ほどまで見ていた景色とは一変し、そこは暗闇の世界だった。段々と恐怖が込み上げてくる。逃げよう・・・・。とっさにそう思ったジャイロはとりあえず走って逃げることに・・・・・。が、しかし、肝心なことに、体が無い。首から上しかなかったのだ。どういうことだ?体の感覚がまったく無い。一体ジャイロの体は何処へ・・・?その答えは地上にある魔法陣の所だ。その体は両膝を着き、両腕は踏ん張った状態で地面に根を張らせていて、首から上が地面にめり込んでいたのだ。何とも言えぬ妙な光景だ。そして、恐怖という波が押し寄せる中、そいつは突然現れた。暗闇の中から浮かび上がるように現れた、声の主と思われるそいつの姿は、やはり、ジャイロと同じように首から上だけしか出ていないが、黒い布の様な物を被っていて、その顔は見えない。闇だ。そして、その顔がゆらゆらとゆっくり近づいてきた。どんどん近づいてくる。逃げようにも逃げられない。どうにもならないジャイロは視覚を遮断しようと目を閉じるが、頭の中でさっきの映像が続く。更にその中で目を閉じるが、その中の中で頭の中に映像が浮かび上がってくる。そして、その悪魔の顔が10センチほど、あともうちょっとでくっつくという所まで迫って来た時、ようやくその動きが止まった。
「さすがはラズバクト家の血を受け継いだ者だ・・・。」
相変わらずの冷たい声が頭の中に響く。そしてジャイロは今更ながらもどうしようもない恐怖の中、何かを言おうと、口を籠もらせていた。
「何?聞こえん・・・・。もっとはっきり言わんか。」
「こ、こ、殺してくれ・・・・。お、お、親父を・・・・・。」
「それがお前の望みか?ラズバクト・・・・・。悪魔達の中でもその名を聞くだけで震え上がる者も居るというあのラズバクトか。よかろう。ワシほどの力があれば容易いとは言わんがなんとかなるだろう。して、ワシの望みは・・・・」
「ちょっ、ちょっと待った・・・。や、やっぱり止めよう。いくらあんたでも無理だよ。親父は一族の中で最強らしいから・・・・。とても敵う相手じゃないよ。」
「アゼザルだ・・・・。」
「え?」
「ワシの名はアゼザルだ。ラズバクトと同様、地獄の中でワシの名を知らぬ者などいない。どうだ?それでもまだ不安か?それともワシに恐怖を抱いているのか?」
アゼザルのその表情からは何も窺えない。何しろ顔が闇なのだから・・・・。そして、それに対しジャイロはしばらく黙り込んだ。父親殺しという大罪を犯そうとしている自分に臆しているのか、果ては、自分に危害が及ぶのではないか?という不安が頭の中を駆け巡っているのかどうかは分からないが、とにかく何かを悩んでいる様子だった。何も言わず、答えを待つアゼザル。
すると、ピクリとジャイロの眉が動いた。
「アゼザル・・・・。お前の望みは何だ?」
何かを決心したのか、ジャイロが呟いた。が、アゼザルは何故かすぐには答えようとはしなかった。そして、数秒、間が空いたところでようやく口を開いた。
「ワシの望みは・・・・・地上に出られればそれでいい・・・・。ただそれだけだ。」
アゼザルがそう言うと、ジャイロは間を空けることなく
「分かった。契約成立だな。これからアゼザル・・・お前を退化させる準備に入る。それでだ、出来ればお前の体の一部を貰えればやり易いんだけど・・・・。」
「ワシの体の一部?難しいな・・・・・。なにせワシらの居るこの空間は人間界と地獄の世界の狭間だからな・・・・。直接、互いの肌を触るのにも困難。況してや体の一部を渡すなど・・・。まぁ、出来るかどうかは分からんがやるだけやってみよう。」
アゼザルがそう言い終えると、今にもくっつきそうだったその顔が段々と離れていく。そして、二メートルほど離れた辺りで止まると、しばらく動かなくなってしまった。すると、暗闇の中に浮かぶ、布を纏ったアゼザルの何も見えない顔、星の無い宇宙空間の様な顔の中に何かが見えた。それが徐々に奥の方から迫ってくる。一体、アゼザルの顔の中身はどうなっているんだ・・・・?と、思ったその瞬間、それが出てきた。
手だ。二本の腕がアゼザルの顔と思われる闇の中から現れた。まるで朽ち果てた木の枝のようなボロボロの肌で、関節の部分が異様に膨れ上がっている。そして、ヒビが入り、1センチほど伸びているボロボロに毀れた爪で、片方の腕の皮膚を捲り上げた。その皮膚と思われる物は、まるで、花崗岩の中に含まれる、雲母にも似たような薄い物だった。そして、その薄い皮膚の様な物をアゼザルがピンッと指で弾くとジャイロの右頬に張り付き、消えてしまった。
「さすがのワシでもこれが限界じゃ。唯でさえこの空間にワシと、生身の人間を入れさせるだけでもかなりの魔力を要する。今、渡した物で良いか悪いかは分からんが、出来るだけお前の魔力の波長に合わせて渡したつもりだ・・・・。地上へ戻り、念を込めればそれが具現化されるだろう。さぁ、術を完成させろ。お前の望みは叶えてやる。頼んだぞ・・・・。」
そう、言い残し、アゼザルは闇の中に溶けていくように消えてしまった。そして、気付けばジャイロは魔法陣の上に横たわっていた。
「す、すげぇ・・・・。あいつなら、アゼザルならあのクソ親父を殺せるかもしれない。くっくっく。今に見てろ、親父め・・・・。」
不適な笑みを浮かべ、右拳を見つめながら念を込め始めると、握った拳の中に何かを感じた。不思議に思い、拳を開くとそこには一匹の小さな油虫のような生き物が掌を歩き回っていた。
息を吹きかけても逃げようとしないそれを見ながら、「これはきっと渡された物だ。アゼザルの一部に違いない。」と確信し、ジャイロはその蟲をまた拳で包むと、更に念を込め始めた。まだ、うまく力を操れないジャイロは数分間魔力を集中させると、何かを感じ取ったのか、徐にゆっくりと握っていた拳を開いた。が、そこにあった物、自分の掌の上にあった物を見たジャイロはとっさにそれを投げ落とし、後退りをしてしまった。
ジャイロが投げ落としたそれは、まだ生暖かい黄白色の目玉だった。
「め、め、目玉?ひ、皮膚じゃなかったのかよ・・・・。気持ち悪ぃな。仕方ない、これでやるか。」
一度、投げ落とした目玉を、親指と人差し指でそっとつまみ、それを魔法陣の中央に置き、ジャイロは魔法陣の外へ。そして、その魔法陣の外周の円から4メートルほど離れた場所まで行くと、ジャイロは呪文を唱えながら右足のつま先で線を引きつつ、また魔法陣の方へと歩き出した。
これで、4メートルほどの直線が魔法陣の外周の円に繋がるわけだが、今度はその直線の上を、ぶつぶつ呪文を唱えながら往復し始めた。それからどれくらい往復した頃だろう・・・・・。魔法陣に繋がる直線の先端でその足を止め、右拳を突き上げると、直線の先端にそれをドンッと叩き付けた。
その音に少し遅れること数秒後、拳を叩き付けた直線の先端から魔法陣の方へと徐々に地面が盛り上がっていく。霜柱だ。霜柱が土や砂を持ち上げている。そして、それが、魔法陣の外周まで達すると、その勢いは更に増し、魔法陣の中は、あっという間にぶ厚い氷に覆われてしまった。が、中央に置いてあるアゼザルの目玉の様子がおかしい・・・・溶け始めているではないか。
「し、しまった!地獄の熱がこれほどまでとは・・・・・。」
焦った様子で、今一度、力を込めるジャイロ。更にぶ厚い氷が魔法陣を覆うが、その一方で地面に触れている右拳も凍っていた。
「はぁ・・・はぁ・・・こ、これで大丈夫か?クソッ。こんなんでほとんど魔力を使っちまったじゃねぇか。こ、ここからが本番だっつーのに・・・。」
凍りついた右手を、左手で造った炎で溶かしながら、少し項垂れ気味に言った。そして、右手の氷が完全に溶け、傷ついたボロボロの右手をしばらく見つめると、ジャイロの顔つきが変わった。
「やってやる・・・。」
不適な笑みを浮かべ、そう言うと、ぶ厚い氷に覆われた魔法陣の反対側、つまり直線の先端、ジャイロが拳を当てていた所に、もう一つの魔法陣を描き始めた。これで、直線の両端に魔法陣が一つずつあることになる。そして、先ほどと同様、今度は左拳を直線の中央辺りに叩きつけ力を込めると、土や、砂を持ち上げている霜柱が融け始め、反対側の魔法陣が真っ赤に燃え上がる炎に包まれた。
大きく肩で息をするジャイロ。相当魔力を消費したのだろう。だが、休む間もなく直線上の中央に腰を下ろし、座禅を組むと、静かに目を閉じ、小さな声で呪文を唱え始めたのだった。
そんな光景が五分・・・十分と続く中、右半身は凍りつき、左半身からは、薄っすらと煙が立ち昇る。十五分、そして、二十分が経過しようとしたその時だった。急に立ち上がり、左右の魔法陣を結ぶ直線の真ん中に、右足でスパッと切れ目を入れた瞬間、右側の魔法陣ではぶ厚い氷が、左側の魔法陣では真っ赤に燃え上がる炎が、物凄い勢いで魔法陣の中心に吸い込まれていく。
ズゴォォォォォォォッ・・・・・
魔法陣の中にあった氷や炎、目玉、そして、ジャイロが描いた図形の様な模様や文字も全て吸い込まれてしまった。
まるで、時が止まってしまったかのように、異常なほどまでの静けさが訪れた。だが、これで終わったわけではない。これから退化させたアゼザルを体内に取り込まねばならない。この時、失敗して悪魔を体内に取り込みきれなかった場合、術者諸共、悪魔も滅びてしまう。これが最後の勝負時。
地面の奥底から地鳴りが轟く。まるで、悪魔の唸り声にも聞こえるそれがしばらく続くとピタリと止まった。と、同時に、ジャイロが印を結びながら大きな口を開け、何かを待っている。
ブォォォォォォォォッ・・・・
突然、双方の魔法陣から煮えたぎる赤い液体と、重油のような、粘りのあるドス黒い液体が溢れ出してきて、大きく開けるジャイロの口の中に吸い込まれていった。そして、全てを飲み干したジャイロは胸に封印を意味する文字を描き、数年後、又は数十年後に出てくるであろうアゼザルに、
「しっかり育ってくれよ。」
と、語りかけ、深い森の中へ消えて行ってしまったのだ。
「なんて馬鹿なことを・・・・・・。」
ジャイロの記憶を映像化して見ていたギザがボソリと呟いた。ジャイロは俯いたまま何も喋らない。すると、ギザが少し離れた場所まで歩き出すと、今まで見たこともない、大きな魔法陣を描き出した。そして、それが完成すると、そこにジャイロを呼び出し、先ほど描いた魔法陣の中に入るよう命じた。
「親父。ご、ごめん・・・・。」
「いいからさっさと入れ。」
「俺の中から、出してくれるの?悪魔を・・・・。」
「あぁ・・・今のうちなら何とかなるだろう。さすがの俺も、アゼザルとやらが完全体になってからでは、まずいかもしれんからな・・・・。それに、アゼザルが地上に生まれ出た瞬間、殺されるぞ、お前。」
「で、でも、退化召喚術で取り込んだ悪魔を途中で出す方法なんて本に載ってなかったよ。」
「大丈夫だ。俺は天才だからな・・・・。」
ジャイロは胸が張り裂ける思いでいっぱいだった。自分の師であり、親であり、憎んでいたギザが今、助けようとしてくれている。怒りもせず。そして、ジャイロが魔法陣の中心に座ると、それはすぐさま開始された。
「いいか、ジャイロ。何を見ても、何が起きても、そこから動くなよ。」
ギザがそう言うと、まず、ジャイロが座る正面の位置に描かれている文字に手を当て、魔力を注ぎ込む。そして、それが終わると次は、右側にある文字に同じ事を。次はジャイロの背後に回り、右斜め後ろの文字に。そして、少し間隔は空くが、その左隣の文字に。最後は、ジャイロの左側にある文字に魔力を注ぎ込むと、地面に人差し指を第二関節までめり込ませ、
「いでよ・・・・・魔人。」
と、ギザが叫んだ。すると、先ほど魔力を注いだ文字の下がモコモコッと膨れ上がり、五体の、悪魔でもなく人間でもない、魔人と呼ばれる者達が姿を現した。一見、悪魔となんら変わらないその姿、一体この魔人とは何者なのであろう・・・・?
「ジャイロ、恐れることはない。今、俺が召喚した者達は、悪魔ではなく、魔人と呼ばれる者達だ。」
「魔・・・・人?」
初めて聞いたその言葉に不安げにジャイロが言った。
「そう、魔人だ。この者達は、天国にも地獄にも行かず、闇の中を永遠と彷徨い続け、特殊な力を身につけた闇の住人達だ。もちろんこの召喚法など、我がラズバクト家に伝わる「黒と魔の章」に記されているはずはない。俺が編み出した術だからな・・・・。」
ギザがそう言い終える頃、ジャイロの正面に位置していた闇の住人、魔人と呼ばれる者がゆらゆらとジャイロの方へと歩き出していた。残りの4体はそのままボォーッと立っている。そして、とうとうジャイロの目の前まで・・・・。
目を覆いたくなるそいつの姿は、異様に背が高く、あちこち骨がむき出しになり、顔は皮膚が所々ついているだけで、あとは赤黒い筋繊維が顔の骨を覆っている感じだ。目は無い。そして、頭蓋骨の割れ目から一匹の蛇がニョロニョロと出てくると、その蛇がジャイロの胸元辺りを、小刻みに舌を出しながら、なにやら探っている様子。ジャイロは恐怖で目が開けられない。すると突然、胸に激痛が走った。そこに目をやれば、なんと、魔人の腐蝕している左腕が自分の胸にめり込み、アゼザルを引っ張り出そうとしているではないか。だが、そう簡単にいくはずがない。魔人の左腕が段々と黒い炭になり、やがては灰になってしまったのだ。
パンッ・・・
突然ギザが手を叩くと、左腕を失った魔人は苦痛に顔を歪めることなく、ゆらゆらと元の場所へと戻り、闇の世界へと消えて行ってしまったのだ。
「やはり一筋縄ではいかんか・・・・。」
渋い顔で、蓄えた顎髭をいじりながらギザがそう言うと、もう一度パンッと手を叩いた。と、同時に今度はジャイロの右側に居た魔人がゆっくり近づいてきた。
ん?2体・・・・?いや、一瞬、2体に見えたその魔人は、実は一体で、ただ、上半身と、下半身がちぎれているだけだった。上半身は二本の腕で自らを支えながら歩行し、下半身は上半身の後を追うようにフラフラと近づいてきた。そして、下半身はジャイロの背後へ回り、上半身は正面へ。座り込むジャイロの視線と、正面に居る上半身の視線は同じくらい。白く濁った虚ろな目でジーッと見つめてくる。なぜか目を閉じることも逸らすことも出来ない。と、突然背中に衝撃が走った。後ろに居た魔人の下半身がジャイロの背中を蹴飛ばしたのだ。そして、その足は体内にめり込み、アゼザルを捕らえると、一瞬ではあったがアゼザルの腕らしきものが表に出たのだ。正面に居る上半身は、ジャイロの胸の辺りから一瞬飛び出たそれを捕まえると、力いっぱい引っ張り出す。そして、後ろで蹴り続ける下半身。徐々にではあるが、アゼザルの体が表に出てきた。が、やはり先ほどと同様、後ろで蹴り続ける下半身の右足が黒く変色し、やがては炭になり、砕け散ってしまったのだ。
「やはり駄目だったか・・・・。となると、残り3体のうち、他の2体も同じ結果になるだろうな・・・・。」
予想外の結果に戸惑いを隠せないギザは、珍しく焦りと不安の表情を見せた。
眉間にシワを寄せ、二、三分考えた頃だろうか・・・・ジャイロの右斜め後ろと、左斜め後ろの2体の魔人をそのまま闇の世界へと帰してしまったのだ。残るは、左側にいる一体の魔人のみ。だが、ギザの様子からすると、どうしてもその魔人だけは使いたくはなかったようにも見える。
「はぁ・・・こいつだけは使いたくはなかったんだがな・・・・。パワーは他の魔人に比べ、桁違い。ただ・・・いや、仕方がない。こいつに託すか・・・・。」
全身、包帯で身を包むその魔人をマジマジと見ながらギザがそう言うと、その魔人の下に描かれている文字の様なものをその場にもう一つ描き、そこに手を当て力を込め始めた。
今までにない膨大な魔力を流し込む。片膝をつく足元からは砂埃が舞い上がり、黒い瞳が朱色に変わるとその力は絶頂に達し、掌から眩いばかりの閃光が溢れ出した。そして、珍しく息を切らしながらゆっくり立ち上がると、何かを待つように魔人を見つめだした。
一体、どんな術を施したというのか・・・・?すると、ある変化にジャイロが気付いた。地面から数センチほど浮いている魔人の下に描かれていた文字が赤色に光り、その文字がまるで縄の様にするすると解けて行き、その文字が完全に解けると、蒸発するように消えてなくなってしまった。これから何が起きるというのか?不安に駆られる気持ちを抑え、ジィーッと待つジャイロ。
そして、静寂に包まれた中、それは始まった・・・・・。
魔人の頭のてっぺんからスルリスルリと、包帯が地面に落ちていく。徐々に姿が見えてきた。そして、全身を包んでいた包帯が全て取れると、ジャイロの顔に驚きが走った。
その魔人の姿とは、青色に染まった長い髪を靡かせる美しい女性だった。一瞬、ジャイロの顔が緩む。が、やはりギザの顔は強張ったままだ。
「ジャイロ!その姿に惑わされるな!かつて精霊だったそいつの魔力は俺と互角、いや、それ以上かもしれん。」
「せ、精霊だっ・・・・た?」
「あぁ・・・。昔はな。しかし長い年月を経て、我ら人間の妬み、憎しみ、恨みなど様々な負のエネルギーを吸収し、闇の住人となってしまったのだ。そして、体を包んでいた包帯のようなものは、そのあまりにも凄まじい力を封印する為のものだ。さすがの俺でも手に負えん相手だったもんでな・・・・。やっとの思いで封印したんだが、今、その呪縛を解いた。恐らく・・・・・」
と、その時、長い呪縛から解き放たれた魔人が動きを見せた。
瞑っていた目をゆっくり開けると、その視線は、ジャイロではなく、魔法陣の外にいるギザに注がれていた。そして、青白く、細い腕を掲げると、膨大な量のエネルギー波を放ったのだ。しかし、その強力なエネルギー波は、魔法陣による結界によって掻き消されてしまった。
「ラズバクト・・・・・我をここから出せ・・・・。」
綺麗な顔とは裏腹に、その声は低く掠れていた。
「いやぁ、うれしいねぇ。俺の名前を覚えていてくれたのか?まぁ、頼みを聞いてくれたら出してやってもいいんだが。どうだ?」
「小癪な・・・。我を誰だと思ってる・・・・。」
それまで無表情だった魔人の顔が怒りに変わった。魔法陣の中に、すぐ近くにジャイロが居るにも拘らず、それを無視してギザの方に歩き出すと、魔法陣の外周に張り巡らされている結界の前で止まった。そして、右手で拳を作ると、目の前にある見えない結界に向かって凄まじい打撃を放った。その衝撃は結界に亀裂を生じさせ、地割れを引き起こしたのだ。
「さすがは元精霊。地獄で例えるなら最下層部のB級クラスに匹敵する力だろう・・・。しかし相手はこのギザ・ラズバクト。そう簡単に出させてたまるか!」
ギザが印を結び、呪文を唱えると、亀裂の入った結界がみるみる修復されていく。その後、魔人が何発か打撃を放つが、結界を破壊することは出来なかった。
「おのれ・・・・ラズバクト・・・・。我の渾身の一撃を喰らうがいい。」
怒り狂う魔人は、一歩、二歩、と下がり、地面から一メートルほど体を浮き上がらせると、両手に全身全霊の魔力を注ぎ始めた。
ズゴゴゴォォォォォォッ・・・・
物凄い音と共に地面が揺れる。同じ圏内に居るジャイロ。このままでは跡形もなく消し飛んでしまう。ギザに助けを求めるかのよう、目で訴える。
そんなジャイロの眼に映った光景は魔法陣の外から何かを叫んでいるギザが居た。が、物凄い地鳴りの音で何を言っているのか聞こえない。ピシリピシリッと、結界に蜘蛛の巣の様な亀裂が入り、それが全体に広がっていく。
まだ技を放つ前だというのに・・・・と、そんな時、ジャイロが動いた。呪文を唱え始め、何種類かの印を結んだ後、右手を高々と掲てジャンプすると、着地と同時に右手を地面に叩きつけた。
ドォォォン・・・
地鳴りの音を掻き消すくらいの衝撃音が一瞬轟くと、宙に浮いている魔人の下の地面が激しく陥没し、魔人の首が異様な方向に曲がった。
どうやら何十倍もの重力を浴びせたらしい。が、通用するはずがない。グンニャリ曲がった首を直す素振りも見せず、傾いたままの顔でジャイロを睨み据えると、ゆっくり近づいて来た。ジリジリと後ずさりするジャイロ。しかし後ろには結界がありこれ以上後ろへ下がることは出来ない。魔人との距離がどんどん縮まっていく。そして、ジャイロの目の前で止まると、ミチミチッと音を鳴らし、曲がっていた首を元に戻した。
だが、そんな魔人は攻撃を仕掛けてくるわけでもなく、顔を突き出し、歯を剥き出しにして奇声を上げた。どうやら威嚇しているらしい。しかし、その怒りをあらわにする眼はジャイロの顔ではなく、胸の辺りを睨め付けている。
「気付いたな・・・・。ジャイロの体内に何者かが棲みついている事に。頼む・・・うまく引っ張り出してくれ・・・・・。」
魔法陣の外から見守ることしか出来ないギザが、ソワソワと落ち着かない様子でそう言うと、魔人がジャイロの顔に右手を伸ばし、長い爪で左頬をかるく傷つけるとニタリッと笑いこう言った。
「二つの匂いがする。一つはラズバクトの匂い。もう一つは我に似た匂い・・・・死臭・・・・腐敗した肉の臭いだ。後者はどうであれ、なぜラズバクトと同じ匂いが?お前、ラズバクトの子供だろ・・・・・。」
「ち、ち、違う・・・。な、何を言っている・・・・。」
目の前にある魔人の赤と青の左右違う色の瞳を見ながら、ジャイロはその事実をとっさに否定すると、魔人は首を傾げ、しばらく黙ってしまった。数秒・・・いや、少なくともジャイロには数十秒と感じられたその時、魔人が右手を振り上げジャイロの胸に一撃を放ったのだ。
その腕はジャイロの胸にめり込み、そのままアゼザルを引っ張り出してくれるのかと思いきや、魔人は腕を突っ込みながらギザの方に振り返ると、不気味な笑みを浮かべ、こう言った。
「ラズバクト。今、我はお前の息子の心臓を握っている。このまま握り潰してもいいのだが、どうだ?我を自由にしてくれるか?」
そんな言葉に対し、ギザは意外にも冷静に腕を組みながらこう返したのだ。
「やはりそうきたか・・・。そうしたければやればいい。好きにしろ。だがその瞬間、お前を封印してやる。永遠にな。その前に、自分の右腕を心配したらどうだ?」
ギザのその言葉が気に入らないのか、それともその冷静な態度が気に入らないのか、物凄い形相で睨み据える。そして、魔人がゆっくりと自分の右手に目をやると、今までの魔人達のように、ジャイロの胸に突っ込んでいる右腕が黒色に染まり、炭の様になっていた。
「なんだ・・・・・?これは?」
自分の右腕を見て、一瞬、驚いた表情を見せるが、少し力を入れた途端、炭の様に黒色に染まる腕がみるみる元の色に戻ってゆき、何事も無かったかのようにまたギザの方を見ると、
「遠慮なく潰させてもらうぞ。我を脅しているつもりだろうがそんな事で怯むとでも思ったか?知っているぞ・・・・ラズバクト。我を封印した術。いや、忘れるものか・・・・。あの術は一度、我の体に触れなければ完成しない。今一度、我を封印するというのならば、その老いた体で我に触れることが出来るか?それは不可能だ・・・・・。それではその目に焼き付けるがいい。自分の子供が死に逝く様を・・・・・。」
そう言い放ち、魔人が心臓を握り潰そうとジャイロの方へゆっくり視線を移すと、今まで気を失っていたはずのジャイロが目を覚まし、その目は魔人を睨み据えていた。
だが、その魔人を見据えるジャイロの瞳は白く濁っていて、口を開いたかと思えば、そこから放たれた声は今までのそれとは違い、とても冷たく、低いものだった。




