第3話
小さな我が弟が、わずか数十センチ、手を伸ばせば届くその距離で、静かに、眠るように逝ってしまった。そしてニコラスは、恐らく、まだ温かいであろうその小さな体を、抱きしめようと結界の外に・・・・と、その瞬間ガラムが人差し指を出し、空中に何かの文字らしき物を描いた。そして、その文字の様な物がブワッと、光を放ち、スゥーッと消えると、さっきまで出入り出来たはずの入り口が、そこにまるでガラスの壁があるかのように塞がれ、出れなくなっていた。そしてガラムは深く深呼吸し、こう言った。
「ここから出さないよ。そして、もう誰も入れない。それから・・・ニコラス、今からしばらく目を閉じてたほうがいいよ・・・。それに、これから聞こえる声に耳を貸しちゃ駄目だ。いいね?」
最愛の弟を目の前で亡くし、気が動転している彼にはこの声、いや、この忠告は届かなかった。そして、その時がついに・・・・・
「兄ちゃん・・・・。」
「・・・・・・?」
「苦しいよ・・・・。兄ちゃん・・・・。」
「ハ、ハイド、い、生きてたのか?」
それは、先ほど死んだはずの・・・ハイドの声だった。
「ニコラス!聞いちゃ駄目だ!騙されるな!」
ガラムが怒鳴った。
「兄ちゃん、苦しいよ・・・、痛いよ・・・・。僕もその中に入れてよ。兄ちゃん達だけずるいよ・・・。うぅぅっ・・、ゲボゲボォォォッ。」
すると、ハイドが大量のドス黒い血を吐き出し、突然、喉の辺りを激しく掻き毟り始めたのだ。
「ほら・・・、兄ちゃん、見て・・・。こんなに取れちゃったよ・・・首の肉が・・・。」
「うぁぁぁっ!や、やめろ!やめろぉぉぉ!ま、待ってろ、今・・・今兄ちゃんが・・・」
ニコラスは泣き崩れ、何度立ち上がろうとしても立てないその足を引きずり、ガラムの元へ近寄りこう言った。
「俺を、俺を、ここから・・・、出してくれ。頼む。あいつを・・・ハイドを助けなくちゃ・・・。あんなに苦しんでるのに、俺は、俺は・・・・。」
ガタガタと震えるニコラスの肩をポンッと叩き、ガラムは彼の耳元でこう言った。
「ニコラス、君には見えなかったかもしれないけど、僕にははっきり見えたんだ。あの悪魔がニヤニヤと笑いながら、ハイドの体に入り込むのを。だから見た目は、肉体はハイドでも、中身は・・・・あの悪魔なんだよ。」
「そんなの・・・・デタラメだ・・・。」
ニコラスは座り込んだまま頬を伝う涙を拭いながら呆然と言った。
最早、ニコラスになにを言っても無駄だった。そして、ガラムの頭の中は今、「どうやってこの結界から出て、どうやって悪魔を召喚しようか?」と、そんな問題がグルグルと回っていた。そして、そんな時、ハイドが、いや、あの悪魔が巧みな話術を持ち掛けてきた。
「兄ちゃん、それに、ミラ、ロワード、ジェシカ、ゼス、ランス、ウィルソン、タナロス、ウィル、サイファー、ハロルド・・・・・皆、きっと恨まれるよ・・・。外にいる皆を見てよ?ほら・・・・血ヘドを吐きながら地面を這い蹲る人、そして、まだ感染してない人達も、彼等の様に苦しみたくない、と、首を吊って自殺をしてる人達。いいねぇ・・・皆は。でも仕方ないよ。だって、自分が一番だもんね。自分さえ助かればそれでいいもんね?」
すると、それまで黙っていた皆が、ボソボソと口を開き始めた。
「ガラム・・・・、俺もここから出してくれ。」
「私も・・・・。」
「俺も出してくれ。仲間が苦しみ、死に行く中、ここで指をくわえてただ見ているなんていかねぇよ。」
呆然と座り込んでいるニコラス、そして、追い込まれたガラム。そして、そんなガラムが精一杯の声でこう叫んだ。
「みんな騙されてんだ!あいつは悪魔だぞ!どうして分からないんだよぉ!あいつの言葉は聞いちゃ駄目なんだって!」
すると、その中の一人「ゼス」がこんな事を言った。
「そんなの知ってるよ。あいつが悪魔だって。でもよぉ、正しい事言ってるじゃねぇか。確かに俺は皆の事なんか考えず、ただ、助かりたいって事しか考えてなかった。でも、冷静になって周りを見たら、仲間達が死んで行く姿を見たら・・・、そうは行かなくなっちまったんだよ。でも、怖ぇよ。死ぬのは怖ぇけどよ、皆、そうなんだよ・・・・、怖ぇのは一緒なんだよ。とにかく、ここから出してくれ。どうしても出さないって言うんなら、ガラム・・・・、お前を殺す。そうすれば、この結界も消えるはずだ。」
結界の入り口を開き、皆を外に出すことは容易なことだが、入り口を開いた瞬間、そこから悪魔が入り込む可能性は十分に考えられる。だからと言って、このままの状況では、悪魔の巧みな言葉に洗脳された者達に殺されてしまう。外に敵、中に敵。まさに窮地に追い込まれたガラム。そしてゼスがゆっくりと近づいてきた。
「出せ、早く入り口を開け!」
後退りをするガラム。
「ちょっ、まっ、待て、すこし考えさせてくれ。」
そんな時間は無かった。
バコンッ・・・
ゼスはおもいっきりガラムの顔面をぶん殴り、その衝撃で吹っ飛んだガラム。そしてその吹っ飛んだ先には、ウィルソン達が待ち構え、羽交い絞め状態にされてしまった。
「ガラムよ・・・・、いくらお前にでも、こんな事はしたくねぇんだよ。頼むから、俺達を皆と一緒に死なせてくれ・・・・。頼む。」
ゼスがそう言うと、ガラムの表情が変わった。何かの覚悟を決めたかのように。そしてガラムはこう言った。
「わかった。わかったから、この手を離してくれ。」
ウィルソンがゆっくり羽交い絞めを解くと、またガラムが喋りだした。
「今から、この結界を解く。でも・・・、その前に、僕の話を聞いてくれないかな?その、話と言うか、言い訳と言うか・・・、実は、実は、ジョゼフの事なんだけど・・・・。」
「今さら何言ってやがる!」
ゼスがガラムの襟首を掴み怒鳴った。何処かで見た光景だ。そう、少し前、ニコラスがガラムにやっていた時とまったく同じ光景。するとそんな時、突然、一人の女性が口を開いた。
「・・・・・・・せて。」
「・・・・・・?」
「その話・・・・、聞かせて。」
そう言ったのは・・・・ミラだった。そしてガラムは、襟首を締め上げているその手を払いのけ、ミラとは目を合わせず、少し上のほうを見てこう言った。
「殺すつもりはなかったんだ。殺すつもりは・・・・。ほんの脅しのつもりだったんだ。今となってはもう・・・遅いけど、どんなに、どんなに謝っても、罪は償えない。だからあの時の責任を・・・・取らせてもらうよ。すまない、ミラ・・・・。これで罪は償えるとは思っていないけど、もう、これしか方法は無いんだ。恐らく、この結界を解いたと同時に、真っ先に僕を殺しに来るだろう・・・。あいつは。だから、僕の体内に爆弾を仕掛ける。」
「爆弾・・・・??」
「そう、爆弾。って言っても、実際には爆弾じゃないけどね・・・。つまり、僕自身に術をかけて、僕が死んだと同時に僕の体内から悪魔が出てくるってしくみ。要するに、外で召喚するか、中で召喚するかの違いだよ。まぁ、こっちの方が簡単なんだけどね。魔法陣を書く必要も無いし・・・・。で、この術は僕一人では出来ないんだ。」
ガラムがそう言うと、急に、自分の人差し指の先端をガリッと噛んだ。そして、そこから流れ出る血液で、懐から出した紙に、何かの文字を書き始めた。
「よし。さっきも言ったように、僕一人ではこの術は完成しない。誰か一人・・・、協力してくれないか?」
「そ、それで、協力した者にも災いが起こるなんて事は無いだろうな?」
ゼスが心配そうに言うと、さっきまで呆然と座り込んでいたニコラスが喋りだした。
「俺がやる。俺が協力してやる。生け贄にでも何でもやってやるよ!仲間の為、そして弟の為に・・・・。」
そう言うと、ニコラスは重い腰を上げガラムの元へ向かった。
「さぁ・・・・、俺は何をすればいい?」
「大丈夫だよ、そんな真剣にならなくても。」
ガラムが少し綻びた表情でそう言うと、先ほど自分の血で書いた紙をニコラスの前に出した。
「この紙を見て・・・・。僕が書いたこの文字の隣に、君の血でこの文字を反対方向に書いてほしいんだ。そう、まるで鏡に映したように。」
すると、ニコラスは人差し指を噛み、言われたままに、その文字を鏡に映したようにスラスラと書き始めた。
「よし、これで大丈夫。で、この紙をちょうど真ん中から半分、縦に折ると、ほら・・・・僕が書いた文字と君が書いた文字がぴったり重なるわけ。ふぅー、さて、ここからが本番。」
そう言い終えると、その、半分に折った紙を右手の人差し指と中指で挟み、それを顔の前に近づけ、何かの呪文らしきものを唱え始めた。そして最後に深く息を吸い込み、その紙めがけて息を吹きかけた。
「フゥーッ。」
「よし、これで大丈夫なはず。最後にこいつを飲み込む・・・だけか。ったく、誰がこんな術を考えたんだか・・・・。」
そんな事をブツブツ言いながら、右手に持っていたその紙を特殊な折法で小さく折りたたみ、口の中に放り込むとグッと目をつむり、いっきに飲み込んだ。
ゴクリッ・・・
「これで完成だ・・・・。ん?し、しまった!こいつを忘れてた!」
慌てた表情でガラムがそう言うと、いきなり右手を差し出し、人差し指にはめていた銀の指輪を取り外すとニコラスにこう言った。
「さぁ、ニコラス、右手を出して。」
何も言わず、ニコラスは右手を差し出した。
すると、その微かに震えている右手の人差し指に、今までガラムがはめていた指輪をそっとはめ込んだ。
「何のまねだ?なぜ俺に?」
ニコラスは言った。するとガラムが、
「君も術者の一人。さっき紙に書いたろ?自分の血で。」
「ど、どういうことだ?」
「ニコラス・・・・、君が操るんだよ・・・、悪魔を。だからその為の呪印を書いてもらったんだよ。そして、その指輪には、僕の魔力が込められている。僕のちっぽけな魔力が・・・・。だから、その魔力の力量に応じたレベルの悪魔しか呼び出せない。でも、それであいつを倒せたら・・・、いや、少しでも弱らせることが出来たら、仇を取ったぞ!って笑って死んでやろうぜ?」
すると、今まで恐怖で引き攣っていた皆の表情が自然と和らいでいた。そしてニコラスが、怒っているのか、そうでないのか、なんとも微妙な顔でこう言ってきた。
「俺が操る?そんな重役を・・・・・?ったく最初に言えよな?そういう事は。まぁいい。最初にお前の死に様も見れるしな・・・・。いつでもいいぜ・・・・、ガラム。」
異様な沈黙が流れる中、ガラムが口を開いた。
「い、いくよ!解くよ・・・・・。」
ガラムの震えたその声には、自ら死に行く恐怖と、成功するかどうか?という期待と不安が入り交じっていた。
皆の顔に緊張が走る。ミラやジェシカは目を瞑り、小さく体を丸めている。ウィルソンやサイファーは震えながらもドンッと胸を張っている。そして、ついにその時が・・・・・。
ガラムが唇を微かに動かす程度に、小さく呪文を唱え、高々と上げた拳を結界の中心にドンッと叩きつけた。
シュワァァァッ・・・・・
結界が解けた。
周りに目をやれば、ハイドに取り憑いていたアゼザルが消えていた。ハイドの肉体を残し・・・。
何処だ?
いったい何処に消えたんだ・・・?
何処なんだ・・・・・・?
異常に時の流れが遅く感じる。額には脂汗。聞こえるのは自分の息遣いと心臓の音。
「すぅーはぁー・・すぅーはぁー。」
ドクンッ、ドクンッ・・・
「すぅーはぁー・・すぅーはぁー。」
ドクンッ、ドクンッ・・・
スパッ・・・・・
何かが起きた。
「・・・・・・・・。」
ドサッ・・・・
埃を巻き上げガラムが倒れた。ほんの一瞬の出来事だった。だが、これも計画の内。そろそろ現れるはずだ・・・・。ガラムの体内から・・・・。
「・・・・・・・・・?」
何も起きない。術は失敗だったのか?そうこうしてる間にウィルソン、ゼスがガラムと同じように倒れた。恐らく、これは、タナロスの娘ジュリが殺された時と同じ手口なのだろう。心臓だけ綺麗に切り取る。体に外傷を残さず・・・・。
「・・・ラム、ガ・・ラム。どうなっ・・・てんだよ・・・・。」
ニコラスはガタガタと震えながら言った。ガラムという動かなくなった屍に・・・・。最早、恐怖で立っているのが精一杯のニコラス。すると、今まで姿を見せなかったアゼザルが徐々に姿を現し始めた。それは、ニコラスの前方、約3メートルの辺りで、最初はつむじ風が砂ぼこりを巻き上げていたが、それが消えると同時に、黒いガス状の物がモヤモヤと表れ、それがだんだんと形になっていった。そして、古代の悪魔、アゼザルが姿を現した。
「ウッシャッシャッシャ。人間は・・・・、脆いなぁ・・・。さぁ、もっと恐怖しろ。その恐怖に引き攣った顔が何よりのご馳走じゃ。こんな心臓なんかよりも。」
アゼザルがそう言うと、三つ持っていた心臓の一つをムシャムシャと食べ始めた。しかし、良く見ると、残りの二つのうち、左手に持っているほうは、わずかながら、
トクンッ・・・トクンッ・・・・
と、小さく鼓動していた。間違いない。そう、それは、ガラムの心臓だった。
「おう、今日は運がいい・・・。数百年振りか・・・?まだ動いている心臓が食えるなんて。」
そう言うと、紫色の長い舌を出し、それで、ガラムの心臓にクルクルと巻き付けると、口の中へと運び、まるで、プチトマトを食べるように奥歯でブジュッと噛み潰した。
すると、その瞬間、ガラムの体に異変が・・・・。
それはまるで、電気ショックを何回もくらっているかの様に、仰向けで横たわっているガラムの胸がボンッ、ボンッと弾みだした。
そして、その異変に気付いたアゼザルはムシャムシャと動かしていたその口を止め、
「ほう・・・・、骸の召呪法か・・・・。ウッシャッシャッ、一体、何を考えているんだ?そんなもので悪魔を呼び出してもただ敵を増やすばかりじゃないか?シャッシャッシャ。」
と、笑い始めた。そして、その、頭の奥深くまで響く不気味な笑い声が止み、しばらくすると、ボンボンッと弾んでいたガラムの胸がピタッと止まった。
「ズドォォォォォォォォッ」
物凄い勢いでガラムの口から、黒いガス状の物が天高く突き上げた。そして、辺りには鼻を刺す硫黄のような臭いがたちこめた。
「このクソ人間共め・・・。俺をこんな所に呼び出しやがって。うぅぅっ、臭ぇ・・・、鼻が曲がっちまいそうだ・・・。お前らのその臭い・・・・、く、臭ぇんだよ・・・・。」
ついに現れた。
そいつの名前はモロク。体中、硬い毛に覆われて、身の丈、3メートルはあろうかと言うぐらい大きな体で、顔は豚と、牛を混ぜたような、なんとも言えない顔をしており、指先には鋭い爪が生えていた。
「く、臭ぇ・・・、臭ぇ臭ぇ臭ぇ!俺様はなぁ、この人間の臭いってやつが大嫌いでなぁ・・・。どうにもこうにも我慢できねぇ!さぁ、さっさと地獄へ戻せ・・・・。」
ニコラスは自分の役目を忘れ、砂に覆われた地面を見つめたまま、下を向いて固まっていた。そんなニコラスを見たハロルドが、出来るだけ音を立てずにそっと近づき、こう言った。
「ニ、ニコラス・・・・ガラムに言われた事・・・・忘れちまったのか?」
ハロルドが小さな声でそう言うと、モロクが物凄い形相で振り向き、
「このクソ人間がぁぁぁ、黙れぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ。」
と、耳を劈く様なでかい声でハロルドに怒鳴りつけた。
すると、怒鳴り声と共に放たれたこの悪魔特有の技、デストラクティブ・ボイス(破壊の声)で、ハロルド、そして、彼の後ろにあった、木や建物が、衝撃波の様なもので粉々に砕け散った。
今、ほんの数秒前、隣にいたハロルドが一瞬にして灰になった。そして、その爆風の衝撃で我に返ったニコラスは、風で今にも飛ばされそうなハロルドの灰を握り締め、
「上等だよ。やってやろうじゃねぇか・・・・。俺が、俺が、お前を呼び出した術師の一人だ。この銀の指輪が証拠だよ・・・・。さぁて・・・、俺の言う通りにするか、それとも、この銀の指輪をぶっ壊してみるか?」
すると、モロクがひどく怒った様子で、
「ぬおぉぉぉっ!人間めが!指輪を壊すだと?調子に乗りやがって!一体何のために俺を呼び出しやがった!」
と、凄まじい形相で怒鳴った。
その恐怖に圧倒されながらも、ニコラスは銀の指輪からモロクへと視線を移し、こう言い放った。
「そこに居る悪魔を倒してほしい。まさか、悪魔に感情なんてものは無いだろう?だから、その悪魔を、お前の仲間を・・・・・殺してほしい。そうすれば、地獄へ返してやる。」
そんな術を知るはずもないニコラスは、アゼザルを指差し、そう言った。そして、ゴクリと生唾を飲み込み、瞬きをしたその瞬間、
「え?」
と、思わず声が出てしまった。それまで、モロクとアゼザルとの距離は、およそ、十メートルはあったはずなのだが、瞬きをしたその瞬間、モロクがいつの間にか、アゼザルの前に立ちはだかっていた。
「地獄では見ねぇ面だな。何処の層の者だ?」
モロクが小さなアゼザルを見下ろしそう聞くと、アゼザルは、
「この若造が・・・・。人間ごときに操られおって。お前こそ何処の層から来た?」
と、質問には答えなかった。
「俺様か?俺様は上層部のA級クラスだ。どうだ?A級クラスと聞いてびびったか?がはははっ。」
「ほう・・・・。A級か。ワシは上層部のC級クラスじゃよ。」
アゼザルは嘘をついた。地獄には幾つかの層が有り、上層部、中層部、下層部、最下層部、と、4つの層に分かれていて、下に行けば行くほど強力な悪魔がいる。そして、各、層にはA、B、C、Dと、その層の中でもランク付けされており、Dが一番下でAが上、そして、その上が、S級クラスとなっている。その中で今のアゼザルは、下層部のC級クラスの悪魔だった。そして、なぜ嘘をついたか?それは恐らく、数千年もの間地獄に帰れず、暇つぶしを見つけたかっただけだろう。
「C級だと?がははははっ、笑わせやがって。A級の俺様にでけぇ口叩くんじゃねぇよ。まぁ、俺様の為に・・・・・、死ね!」
モロクはアゼザルの細い首を掴み、そのまま持ち上げ、口の前まで持ってくると、先ほどの、デストラクティブ・ボイスをアゼザルの顔面に浴びせた。
ブワァァァッ・・・・
モロクの衝撃波混じりの吐息がアゼザルの顔面を貫く・・・・・。いや、よく見るとアゼザルは大きな口を開け、放たれたそれを吸い込んでいるではないか。
「それで終わりか?ゲプッ・・・。」
「な、なんだと?」
「お返しじゃ・・・・。」
アゼザルが口を開け、大きく膨れ上がったその腹をボンッと叩くと、自らが放った衝撃波がそのままモロクの顔面へ。
ブワァァァッ・・・・
巨体が砂ぼこりを上げ倒れた。
「ふん、若造めが。少しは期待してたんじゃが・・・・。」
すると、いつの間にかさっきまで大木の様に転がっていたモロクが消えていた。
「この老いぼれが、なに勝った気でいやがる。俺の能力があんなものだと思ったら大間違いだぞ・・・・。俺の本当の能力はこのスピードだ。お前の老いた体で着いてこれるかな?」
モロクの声だけが何処からともなく聞こえた。姿は見えない。超高速で動き回っているのだろうか。
すると、アゼザルの顔の目の前に、モロクの右腕が突如現れ、鋭利で鋭い爪がこめかみに突き刺さった。そのままパワーで?ぎ取ろうとするが、モロクの右腕に手応えが無い。
なぜなら、モロクの爪が突き刺さる瞬間、アゼザルの顔が小さな、何千、何万という無数の蟲に変身し、そこを引っかいただけなのであった。そして、元通りになったアゼザルは、黄ばんだ歯をむき出しにして、ニヤリと笑いこう言った。
「さて、最初に右腕でも貰うかのぉ・・・・ボンッ。」
すると、アゼザルがボンッと言った瞬間、何も無い所から小さな爆発が起き、モロクの動きが完全に止まってしまった。しかも、そんなモロクの右腕が吹っ飛んでいるではないか。
「ぐおぉぉぉ、み、右腕が・・・・、ど、ど、どうなってやがる!」
モロクが苦痛に顔を歪めながらそう言うと、アゼザルは自分の右腕を先ほどと同じように、無数の小さな蟲に変え、こう言った。
「ウッシャッシャッシャッ。この蟲じゃよ。お前がワシの顔に触れたその時に蟲を一匹着けておいたんじゃ。一匹であの威力・・・。この右腕分、そうだなぁ、数にして800匹・・・・・。全部お前の体に着けたらどうなるだろうなぁ?ウッシャシャシャ。」
アゼザルは楽しそうに笑っている。だがなぜか、モロクもニヤリと笑った。
「最高速・・・。」
笑う口からそう放たれると、モロクが消えた。
先ほど消えた時は、わずかながらにキィィンっという高い音がしていたが、今回は、何も聞こえない。聞こえるのは風の音だけ。
「ふむ・・・・。スピードだけは大したもんじゃ。仕方が無い。あれをやるか・・・。」
アゼザルがしばらく目で追っていると、途中で見失ったのか、果ては、面倒くさいのか、その追っている目の動きを止め、全身を小さな蟲に変え始めた。あとはモロクの攻撃を待つのみ。少しでも触れれば、蟲がまとわりつき、爆発する。かと言って、遠距離からのデストラクティブ・ボイスで攻撃すれば、居場所がばれてしまう。最早、モロクに打つ手無し・・・・と思われたその時、超高速で動き回り、姿を隠していたモロクが姿を現した。
「この時、この瞬間を待っていたぜ。」
モロクがそう言うと、腹の辺りから
ギュボッ、ギュボッ・・・
と、何とも異様な音が鳴り出した。そして、鼻から大きく息を吸い、何かを、アゼザル目掛けて吐き出した。
それは半透明な、ネバネバした粘液で、速乾性が強く、それに捕まれば五秒もたたないうちに固まってしまう。
そして、全身をハエのような無数の蟲に変えたアゼザルは、その粘液を浴び、半透明だった液体が、何万匹もの蟲により、黒い水溜り状になり、あっという間に固まってしまった。
「ふははははっ、その体液はな、俺が、餓鬼共を喰らうときに吐き出して使うんだよ。あいつ等はチョロチョロと逃げ回るからなぁ・・・・。まぁ、そんな事はどうでもいいが、これでお前は、もう元の姿には戻れねぇ。はっはっはっ、いい様だぜ・・・。」
悪魔対悪魔・・・・。前代未聞の戦いだったが、ようやく終止符が打たれたようだ。まさか、上層部のA級クラスの悪魔が、下層部のC級クラスに勝ってしまうと言うことは、べヘモドが支配していた時よりも、悪魔全体のレベルが上がっている事になる。それはサタン(ルシファー)の影響なのだろうか?
「さぁ、このクソ人間共、はぁ・・・、はぁ・・・、終わったぞ。クソッ。骸の召呪法なんかで呼び出しやがって・・・・。こっちは無条件で仕事をやらなきゃいけねぇ。まぁいい・・・。お前等のその臭いと面を見ているだけで虫唾が走る。さぁ、戻してもらおうか?
地獄へ・・・。」
アゼザルを倒せたものの、これはまずい事になった。ニコラスはそんな術を知るはずもない。
「・・・・・・・・・・。」
「どうした?さっさとやらねぇか。」
モロクがニコラスを睨めつけ、言った。
「・・・・・・・・・・。」
言葉が出ない。せっかく助かったのに、このままでは殺されてしまう。
「てめぇ、ふざけているのか?じゃ・・・・・お前の仲間を順に一人ずつ殺してくれるわ・・・・。」
「ま・・・、待てっ。」
とっさに言葉が出た。そして、右手の人差し指にはめてある銀の指輪がぼんやりと赤く光りだし、何故だか頭の中に映像が浮かんできた。その内容とは、ニコラスが自分の左手の人差し指を噛み、銀の指輪がしてある右手の掌に、自分の血で文字を書いている。それは、術を行う前、ガラムが書いた呪符の隣に書いた文字に、似たような文字だった。そして、何かをブツブツ唱えながら、右足を軸に、左足で円を描き、その中心に文字を書いた右手をドンッと叩きつける。だが、これは、映像だけであって音は聞こえない。よって、何を唱えていたのかは分からない。そして、映像は消え、指輪の光も消えてしまった。
慣れない手つきで、さっきの映像を思い出しながら左手の人差し指を噛む。
だが、噛みが甘かったのか血が出ない。モロクにばれぬよう、もう一度噛み直す。
血が出てきた。震える指で、一文字一文字、思い出しながら書くが、
なぜか途中でその指が止まった。
最後の一文字が思い出せないのだ。汗が噴き出し、書いた文字が滲み出す。焦れば焦るほど、思い出せない。
「・・・・・・あっ。」
思い出した。そして、先ほどの映像では、ここで呪文を唱えながら右足を軸に左足で円を描く・・・・が、一体、何を唱えていたのか?
ガタガタと震え、動きが止まってしまった。
すると、モロクがニコラスの方へと歩み寄り、大きな顔を近づけ、
「ぶはぁぁぁっ、どうしたぁ?もう我慢できん・・・。一人ずつ体を引き裂いてくれるわ。」
と、ジェシカの方を睨みつけ、ゆっくり動き出した。
と、その時・・・
「ん、な、なんだ。め、目が・・・・。目が、ぬうぉぉぉっ!」
突然、モロクが右目を押さえ、苦しみだした。
ブゥーン・・・ブゥーン・・・
一匹、二匹、次々にモロクの目蓋と眼球の隙間から、小さな蟲が湧いて出てきた。
「ぬおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ」
大きな口を開け叫ぶと、その口から何千、何万という蟲が滝のように流れ出てくる。そして、その蟲達がモロクの体を覆いつくし、真っ黒に染まると、何処からともなく現れた何者かが、
「喰え。」
と、一言だけ言うと、
キュルキュルキュル・・・・
と、妙な音を立て始め、あっという間にモロクの体は喰い尽くされてしまった