第16話
顎に手を当て、パズズの周りをグルグルと回りながら、もう片方の手に紫色の炎を出したり消したりと、落ち着かない様子で考えるガブリエル。
だが、確かに彼が言うようになぜ、地獄の果てまでその名を轟かす有名な魔術師が見つからないのだろうか・・・?しかし、それはこちらにとって有利になるはず・・・。
その頃天界では、神との議を終えたミカエルと、キルがサラ・ラズバクトの居場所について調べていた。
神に探し出してもらえば容易なはずなのだが、なにせ、神は人間界だけではなく、全宇宙を均等に保つため、それがほんの一瞬であっても人間界だけに意識を集中させるのは難しいらしい。よって、キルはこの世に生を受けた、全人類の産まれる時刻や、終焉を迎える時間など、個人の様々な情報が詳細に記された「死神の書」をめくり、サラ・ラズバクトについて調べていた。そして、そこで生を受け、そこで終焉を迎える、と記された場所をミカエルの神眼の術で見てもらっているのだが、そこにその姿は見受けられない。
そして、神眼の術でミカエルが下界を捜索し、キルが「死神の書」サラ・ラズバクトのページを見ている中、それは突然起こった。
サラ・ラズバクト・・・・・終焉まで残り一万五千三百三十日と九時間十四分。そう記された黒いインクの文字が徐々に薄れ、やがては完全に消えてしまうと、そこに新たな文字が同じ黒のインクで浮かび上がってきた。
サラ・ラズバクト・・・・終焉の時まで残り二日と十四時間三十二分。
「ミ、ミカエル・・・・ねぇ、ミカエルってば・・・。」
目を丸くし、固まったままキルは唇を微かに動かす程度に小さな声でミカエルを呼ぶが、その声は下界に集中する彼の耳には届かない。
「ま、まずいよミカエル・・・。こ、この意味って・・・」
「ブツブツとうるさいぞキル。集中出来んだろ・・・。」
座禅を組み、目を閉じるミカエルにようやくキルの声が届いたが、その重大さまでは届かない。そしてこの後キルは、嫌でもミカエルが耳を傾けるような事を口にした。
「最早手遅れだ・・・。これは偶然ではなく、その他の間違いでもない。必然だ。決まった事なんだよ・・・・二日と十四時間後にサラ・ラズバクトはルシファーに見つかり、事を成し遂げ殺される。もう誰にも止められないんだよ・・・。」
その言葉にミカエルは我が耳を疑い、閉じていた目を開け座禅を解くと、呆然とするキルに歩み寄った。
「今、何と言った?」
ミカエルは座り込むキルにそう言うと、キルは黙って「死神の書」を差し出した。分厚く、禍々しいそれを手に取ったミカエルはサラ・ラズバクトのページに目を通すと、それに合わせてキルが口を開いた。
「余命の残り日数を見てごらんよ・・・。元々の一万五千三百三十日という文字が突然薄れ始め、やがては消えたかと思ったら、二日という文字が浮かび上がってきたんだよ。」
キルがそう言い終えると、ミカエルはそれをバタンッと閉じ、キルの膝元に投げると深く溜め息を吐いた。
「いや、まだルシファーとは限らない・・・だろ?もしかするとアゼザルが先に見つけるかもしれん。」
「そ、そうだね・・・・。で、そのアゼザルは何処にいるの?」
十秒ほど目を閉じるミカエル。神眼の術で調べているのだろう。目を開けると微妙な沈黙の後にこう言った。
「飛行機の中だ。カイロ行きのな。」
天界ではこんな事が起きているとも知らずに、その頃ガブリエルは、キルがそのうちサラ・ラズバクトの居場所を教えに来てくれるだろうと、安易な気持ちで、パズズに最後の質問をしようとしていた時だった。
「ん・・・・まぁいいか。ところで最後にもう一つ聞きたいんだが、アゼザルっておっさんこの辺で見たか?」
「お、おいおいおい・・・・さっきから話を聞いてればサタンだのアゼザルだのって大分話がでかくなってんじゃねぇか。俺は知らねぇよ。なぁ、もういいだろ?勘弁してくれよ。大体あんた何者なんだい・・・?」
答えにならない答えを出すパズズに背を向けたガブリエルは、右手で指をパチンッと弾き、冷たい風が吹く月夜の砂漠地帯に戻すと、大きな翼を広げ、闇夜の中へと消えていってしまった。
それからどれくらい経った頃だろう・・・?
アゼザルはまだ空の上に居た。綺麗な白髪をピッタリ整え、それに合わせたかのように身に纏う白いスーツ。このファーストクラスに自然と溶け込むその佇まいはまるでセレブのよう。両手で大きく新聞を広げ、まるでソファーの様な椅子に悠々と座る人間の皮を被った悪魔。だが、ここに居る人間はそれを知るはずがない。
そんなアゼザルが自分の起こした事故や事件が掲載された新聞に目を通していると、隣の席に見知らぬ女が座ってきた。
長い黒髪を綺麗に束ね、モデルのような顔立ちとスリムなボディーライン。細身の赤いドレスを纏い、その手にはワインが注がれたグラスが二つ。
女は何も言わず、今にも折れてしまいそうな華奢な手で、ワインの入ったグラスをアゼザルに差し出すと、その佇まいからは到底考えられないような口調でこう言ったのだ。
「よぉ・・・・・おっさん。久しぶりじゃねぇか。」
綺麗な顔から放たれたその言葉・・・・。何処かで聞いた事のあるこの口調。
五秒ほど間が空くと、大きく広げた新聞を小さく折りたたみ、手渡されたワインの香りを嗅ぎながら
「なかなかしぶといのぉ・・・・。まぁ、これでまた楽しみが一つ増えたわけか。ウッシャッシャッシャッ。」
と、笑いながらグラスに入ったワインを一気に飲み干したアゼザル。
だが、果たしてこの女の正体を見抜いて言っているのだろうか?
すると、アゼザルは空いたグラスをテーブルの上に置くと、女が持つもう一つのグラスを取り上げ、今度はほんの少しだけ口に含み、それを口の中でしばらく堪能してゴクリと飲み込むと、女の顔を見つめながらこう言った。
「ところで何しに来たんじゃ?小僧・・・。」
「へっ・・・小僧か。いい加減覚えてくれよ名前を。ガブ・・・」
「ガブリエル。」
「何だ・・・知ってんじゃねぇかよ。」
「ウッシャッシャッシャッ。で、何の用じゃ?小僧。」
綺麗に整った女の顔が一瞬、殺意に満ちた表情に・・・・。
しかし、なぜここにガブリエルが居るのだろう?
それはパズズの許から飛び立って数分後の出来事だった。
闇夜の空を飛んでいたガブリエルに、キルから連絡が入ったのだ。
「ガブリエル・・・・まずい事になった。とりあえず質問は無しで聞いてくれ。上手く話せないが、二日後にルシファーがサラ・ラズバクトの前に現れる。これはアゼザルではなく確実にヤツだ。だが、肝心な事に、彼女とヤツの居場所がまだつかめない。ルシファーに関しては恐らく、我々の眼から逃れるために魔力を自在にコントロールする術を身に付けたんだろう。しかし、彼女は別だ。力をコントロール出来たとしても、地球上に生まれた一人の人間として存在する。つまり、どう足掻こうが、我々の眼から逃れられる事は出来ない・・・・はずなんだよね。とにかくあと二日しかないって事を頭に入れておいてくれ。また進展があったら連絡する。あっ、ちなみに君の遥か前方にアゼザルを乗せた一基の飛行機が飛んでいるが・・・・・まぁ、ここまで言えば優先順位は分かるよね?とにかく急いで探し出してくれ。」
と、この様な連絡が入ったはずなのだが、スピードを上げたガブリエルは、なぜか真っ先にアゼザルが乗る飛行機へと向かい、その中の女の体に憑くと、信じられない事にアゼザルと接触を試みたのだ。
指示を無視してまでもアゼザルに復讐を果たしたいのか?それともその他の別な思惑があってのことなのか?
「おっさん・・・あんた、サラ・ラズバクトを探してんだろ?」
ガブリエルがそっと口を開いた。
「お前さんには関係の無い事じゃが、その通り。しかし名前までは知らんかったのぉ。サラか・・・・。じゃが、なぜそれを小僧が知っているんだ?」
鼻の下に綺麗に生え揃う白い髭をいじりながらアゼザルが言う。
そしてこの後、ガブリエルの意図が明らかになる。
アゼザルが持つグラスを逆に取り上げたガブリエルはそれを一気に飲み干すと、女の体を借りているにも拘らず、その綺麗な口からゲップを放ち、意外なことを口にしたのだ。
「悪いがおっさん、それちょっと待ってくんねぇか?いや、遠回しに言うのはよくねぇか・・・・。単刀直入に言わせてもらうと、しばらくの間、俺と手を組んでほしい。おっさんにとっては暇つぶしにもなるだろ?そのかわり、時が来たらサラ・ラズバクトをくれてやるよ。煮るなり焼くなり好きにするがいいさ。どうだ・・・?悪くない話だろ?」
「ワシに指図するつもりか?断る。」
しばし両者の無言の睨み合いが続いた。
すると、アゼザルはその目を小さく折り畳んだ新聞に移すと、徐にそれを広げて読み始めた。まるでガブリエルを無視するかのように。
だが、異様な沈黙を切り裂いたのは以外にもアゼザルの放った一言だった。
「その暇つぶしの内容は・・・・?」
ガブリエルとは目を合わさず、あくまでも新聞の記事を読みながらの一言だった。しかし、ガブリエルはそれについて何も話そうとはせず、黙々と新聞の記事を読み続けるアゼザルをただじっと見つめているだけだ。
しばらくすると、アゼザルは新聞をまた小さく折り畳み、膝の上に置くと
「なるほど・・・・そいつは楽しそうじゃわい。」
と、ニヤリと笑い、金歯を剥き出しにして言った。
だが、これは一体どういう事なのだ?ガブリエルがテレパシーの様なものでアゼザルに語りかけていたのか?
「そんなに面白い記事でも載っていたか?」
アゼザルの膝元に置いてある新聞を手に取り、それを広げながらガブリエルが微笑を浮かべて言った。
そして、ガブリエルが広げたその新聞にはルシファーがサラ・ラズバクトを探している事やその理由、更にはガブリエルがそれを阻止する使命を担っている事など、事細かに載っていたのだ。
「どうだいおっさん?一口乗らねぇか?いずれにしてもサラ・ラズバクトはあんたにくれてやるよ。ただそれが早いか遅いかの違いだけだ。」
新聞を折り畳みながらそう言い、それをアゼザルの膝元に投げるガブリエル。
「悪魔と手を組んで後からどうなっても知らんぞ・・・。」
「へっ・・・そんなの関係ねぇよ。まぁ、その・・・なんて言うか、あれだ・・・・ありがとよ、おっさん。礼と言っちゃなんだが、乳揉んでいいぞ・・・・・。」
ガブリエルが恥ずかしそうにそう言い、微妙な沈黙が流れると、アゼザルの左手がスルリと静かに伸び、赤いドレスの上から、それは悪魔とは思えないほどのいやらしい手つきで無言のまま乳を揉み始めたアゼザル。が、その直後、客室に「きゃぁぁぁっ」と甲高い悲鳴が突然響き渡ったのだ。何事かと思えば、アゼザルが乳を揉んだ瞬間、ガブリエルは女の体から抜け出し、我に戻った女が大声を上げて、隣に座り乳を揉み続ける白髪の老人に強烈なビンタを喰らわせたのだった。
辺りを見回し、ガブリエルを探すアゼザルだが、既に居ないことが分かると、激怒し席を後にする女を尻目に何事もなかったよう元の記事に戻った新聞を読み始めたのだ。
そんなアゼザルの意外な一面をかいま見てから八時間余りが経過した頃、ガブリエルはエジプトにあるベニスエフに到着していた。
鼻と耳をピクピクと動かし、たどり着いた場所は大きな扉に五ぼう星が描かれた、見るからに陰気な建物の前。
そこは町から少し離れた所にあり、怪しげな酒場が一、二軒建っている程度で人通りは少ない。
そんな所に建つ廃屋のような怪しい建物の前で立ち止まったガブリエルは、五ぼう星が描かれた扉をスルリとすり抜け奥へと進むと、黒装束を身に纏った者が4人ほどで炎を取り囲み、酒を飲みながら会話を楽しんでいたようだが、そこへガブリエルが姿を現すと、黒装束を身に纏った者の一人がガブリエルに気付いた。
「な、なんだ貴様!」
その声に合わせて残りの三人もガブリエルの存在に気付いたようだ。
「ほう・・・・俺が見えるのか?さすがは魔術師のエリート軍団ってわけだ。ここが噂のペンタクル教団って処だろ?」
そう言い、炎に照らされたガブリエルの顔は不気味に笑っていた。
だが、彼らは自分たちが召喚した悪魔ではないと分かると、その中の若い女が冷静に懐から札の様な物を取り出し、それを握りながら両手で印を結んだかと思うとブツブツと呪文を唱え始めた。
鋭い目つきでガブリエルを睨み付け、握っていた札を右手の人差し指と中指で挟み、今尚も続く呪文と共にそれをガブリエルへと投げつけると、術者の「フレア」の言葉で、札は燃え盛る矢の様な形へと変化し、ガブリエルの胸に突き刺さったのだ。
その瞬間、ガブリエルの体が凄まじい炎に包まれ、薄暗い部屋が一気に明るくなったかと思うと、ほんの一瞬でそれは消え、ガブリエルの姿も消えてしまっていたのだ。
「凄いな・・・メイサ。まさかフレアが使えるなんて知らなかったよ。俺も一度挑戦したが失敗して右手が焼けちまった。まぁ、それ以来フレアは使ってないけどな。」
メイサを見つめながら一人の男がそう言うと、別の男が口を挟んできた。
「はっはっはっ・・・。使ってないじゃなくて、使えないんだろ?まったく笑わせてくれるぜ・・・・。フレアも使えないお前がなぜこのペンタクル教団に入れたのかが未だに不思議でしょうがねぇ。」
地面で揺れる炎を間に、両者の睨み合いが続く。
「おいおい、仲間割れもいいが後にしてくれねぇか?まぁ、ここがペンタクル教団ってのは分かったが・・・・・」
すると、何処からともなくガブリエルの声が聞えてきた。
慌てて周りを見渡し、態勢を整える4人。それぞれ印を結び攻撃態勢のまま、中央で揺れる炎からジリジリと後ろへ下がりながら辺りを見渡す4人。炎の灯りが行き届かない暗闇に異様な気配を感じたメイサは目を凝らしながらゆっくり近づくと、その奥からいきなりガブリエルの腕が飛び出してきて、彼女の首を掴むと、暗闇からその姿を現したのだ。
「まぁ、そんなに焦んなって。さてと、こいつがサラ・ラズバクトちゃんかな・・・・?いや、まさか・・・・こいつがそうだったらがっかりだな。あんな情けない術しか使えないんじゃ・・・。」
メイサの首を掴んだまま持ち上げ、顔を近づけながらガブリエルが言うと、まるで人形を投げる様にメイサを軽く放り投げた。
地面に転がり、ゲホゲホとむせるメイサに慌てて近づく3人。
すると、その内の一人の男がガブリエルを睨め付けながらこう言った。
「召喚者は誰だ・・・。一体何が望みだ?」
「召喚者だと?何が望みだと・・・?おいおい待ってくれよ。そもそも喧嘩を売ってきたのはお前等だろ?まぁ、今すぐ皆殺しにしてやってもいいが、少々訊ねたい事があってな。だが、今度何か仕掛けてきやがったらマジで殺すぞ・・・・いいな?サラ・ラズバクトという魔術師を探している。同業者なら知ってるだろ?」
ガブリエルは腕を組み、少々怒鳴り気味に言うと、メイサが体を起こし、砂埃をパンパンッと払いながら、3人の男達に黙るよう目で訴え黙々と語り始めた。
「サラ・ラズバクト・・・・名だけなら知っている。誰もが一度は耳にする名だ。だが、残念ながら我がペンタクル教団には存在しない。というより実は我々も探しているのだ。しかし、その詳しい理由までは分からん。我々はただリーダーのダニスに従い、忠実に動く駒。このペンタクル教団は言わば政治結社のようなもの。方法はどうであれ醜い政治を正しき方向へと・・・・・当初の運動はな。だが、最近のダニスはその路線を外れサラ・ラズバクトに固執するようになり、そして昨日あいつが現れてから更におかしくなった。そう、あの牧師が現れてから・・・・ゲホッゲホッ。」
ガブリエルに首を掴まれたせいか、途中で喉を押さえて咳き込むメイサ。しかし、話の途中で現れた牧師というのはまさか、キル達が一時的に監視していたあの牧師なのか?
すると、一人の男が話の続きを語り始めた。
「ジュニアと名乗っていたよ、そいつは。そしてやはりジュニアと名乗るそいつもサラ・ラズバクトについて訊ねてきたんだ。貴様と同じ様にな。すると、奥の部屋からダニスが現れて、まるでそいつがここへ来るのが分かっていたかのように招き入れると、二人きりで奥の部屋へと消えて行ってしまった。それから約一時間が経過すると部屋から出てきたんだ・・・・しかもダニス一人で。そしてジュニアと名乗る牧師は奥の部屋で青白くなって死んでいたよ。椅子に座り、足で聖書を踏んだままの姿でね・・・。」
男が黙々と話し続けていると、メイサがその男の肩をポンッと叩いた。
「映像で見せてやる。」
首をさすりながらメイサはそう言うと、両手で印を結んだまま左足を軸に右足で円を描き、呪文を唱え終えると物凄いスピードで複雑な印を組み合わせて両手の掌を前に突き出した。
それに合わせ、薄暗い部屋に浮かび上がったのは青白い半透明の映像だった。
ダニスという男が奥の部屋から現れるところから始まり、そこには十二人の教団の者が火を囲み集っていた。もちろんそこにはここにいる4人も含まれている。
「諸君・・・・我々の使命は何だ・・・?」
ダニスのその言葉で静まり返った部屋に、一人の男が声を響かせた。
「改革・・・・政治の改革だ。」
その男の言葉を皮切りに次から次へと言葉が飛び交う。
「そうだそうだ。悪党な政治家を排除せよ!」
「我々に、いや・・・・国民に平等を!」
「貧困を作るな・・・!」
様々な怒号が飛び交い、その光景をしばらく見渡しているダニス。
だが、熱気溢れるこの部屋に「パンッ」とダニスが手を叩く音が響き渡ると、ピタリと言葉が止み、その前の静寂を取り戻した。
「静粛に・・・・。そう、我々の目的はまさにそれだ。しかし、政府に立ち向かうにはもっと大きな力が必要だ・・・。だが、ここで勘違いをしてはいけない。諸君一人一人の力があってからこそ、現実のものになる。あと一歩だ。確実に近づきつつあるその目標にはあと一歩及ばず・・・・。だが届かないわけではない。数ヶ月前から探している、そう・・・・サラ・ラズバクト。彼女が我々に加わればこの腐敗した国を建て直せる。さぁ、目前にある夢を掴み取るのだ!」
万遍の笑みでダニスがそう言うと、一斉に拍手が沸きあがった。
だが、部屋中にこだまする喝采に交じり、一人の男がダニスの名を呼んでいた。が、その声は周りの音に掻き消されダニスの耳には届かない。
「ダニス!」
力いっぱい叫んだその声は、ダニスとその他の者達にもようやく届いたようだ。中には気付かない者達もいたが、徐々に静けさを取り戻すと、彼等もその変化に気付いたのか、全員がダニスの名を呼んだ男に視線を注いだ。
「ダ、ダニス・・・さっきの牧師は・・・。」
奥の部屋を覗き込みながら男が言う。
「あぁ・・・彼か。彼は政府の一員だったんだよ。しかも神の名を使い我々から金を取り上げようとした愚か者・・・・。まぁ当然の報いだ。ところでカターナ君・・・・・君が政府と絡んでいると耳にしたのだが本当かね・・・?」
意外なダニスの言葉に固唾を飲み、視線をカターナとダニスに注ぐ一同。
「・・・・・俺は降りる。」
異様な沈黙の中、カタールはダニスに背を向け一言そう言うと、扉の方へと歩き出した。
途中、そんなカタールに「本当なのか?」と声をかける者もいたが、それを無視するかのよう、小走りでその場を後にするカタール。だが、彼はこの建物から出ることは出来なかったのだ。
ドアノブに手を掛け、あとはそれを手前に引くだけのその時、背後からダニスの冷たい声が聞えた。
「カタール・・・・・。」
背筋に異様な寒気を覚えた彼は、ゆっくりと後ろを振り向く。
その視線の先にはダニスの氷の様な冷たく鋭い眼が。
5秒ほどだろうか・・・・カタールは右手をドアノブに掛けたままダニスの眼を食い入るように、それは自分の意思ではなく強制的に見させられていた感じで青い瞳を見つめていると、体中から煙が立ち昇り、やがては炎に包まれて焼け死んでしまったのだ。
「まぁ、仕方のないことだ。さてと、諸君にはこれから一仕事してもらう。今一度アスタロトを召喚するのだ。」
表情一つ変えず、静かにそう口を開くダニス。だが、十一人全員の目は扉の前で燃え続けるカタールにいっていた。
そんな中、「パンッ」とダニスが手を叩く音が響き渡ると、一同は一瞬、体をビクつかせ隣の部屋へと移動し始めたのだ。
壁にかかる幾つものランプに火を灯すと、コンクリート製の床に大きな魔方陣が描かれた召喚の間と呼ばれる部屋が現れ、十一人それぞれが魔方陣を囲むように所定の位置に座り、準備が進められた。
「準備はいいかね・・・・?諸君。」
壁際の一段高くなっている所にある石製の椅子に腰掛け、ダニスがそう言うと、全員が一斉に呪文を唱え始めた。
それからしばらくすると、魔方陣に描かれた五ぼう星の頂点に座る五人の男女が立ち上がり、口を揃えてこう言った。
「闇より深き闇に・・・・その闇を支配する闇の者よ・・・我の声に耳を傾けたまえ・・・・アスタロトという名の闇の住人・・・・
我の前にその姿を現したまえ・・・・。」
そんな言葉を五人は口を揃えて何度も繰り返し、残りの六人は延々と呪文を唱え続けている中、いくら真夜中とはいえ、蒸し暑いほどの室内のはずなのに、ダニス以外の全員の口から放たれる吐息が白くなってきたのだ。
それからしばらくすると、巨大な魔方陣内に薄い氷が張り巡らされ、更にその氷が厚みを増し、やがては魔方陣の中が分厚い氷に覆われると一同の声がピタリと止んだ。
「・・・・・・・・・・。」
十秒ほど経過するが何の反応も無い・・・。もしや失敗したのか?
そう思われた瞬間、ピシッ・・・ピシッと氷に亀裂が入るような音が聞えてきた。
そして、ダニスがニヤリと笑みを浮かべた瞬間、それは分厚い氷を突き破り突如現れたのだ。
頭から全身へと銀の衣を纏い、背中には灰色の大きな翼、袖から微かに出る手は白くまるで女性のような華奢な腕だった。その素顔は銀色のフードを被っているので良く見えない。
そんなアスタロトは目の前の椅子に悠々と座り、微笑を浮かべるダニスにいきなり跪くと、
「おかしな話ですが・・・閣下、お久しぶりでございます。」
と、ダニスに頭を下げながら静かな声で言った。
「そう硬くなるなアスタロトよ・・・。ところで、私は元気か?」
目の前で跪くアスタロトに不思議なことを言うダニス。
過去、二回ほどアスタロトを召喚したことのあるダニスを含めた一同だが、アスタロトに対するダニスの傲慢たる態度や、それにひれ伏し、尊く敬うアスタロトの態度・・・・過去には見られなかったこの状況に唖然とする一同。
「ええ・・・・それはそれは以前にも比べ魔力が格段に増されまして・・・・。それはそうと、閣下からのお言葉で、時はいつ頃に来る?と、申されていましたが。」
ダニスの顔を見る事無く、足元の分厚い氷を見つめたままアスタロトが言う。
「時か・・・・。この待ちわびた長い年月に比べればほんの一瞬だ。押さえられぬ気持ちは分かるが、この世界であと二日ないし、一日といったところか・・・。とは言っても、地獄という世界ではそれが何倍もの永さになってしまうが、まぁとにかくそう伝えておけ。それではもう下がってよいぞ。」
椅子から立ち上がりダニスはそう言うと、アスタロトが分厚い氷の中へ沈み行き、完全にその姿が消えた事を確認すると、魔方陣を囲む魔術師の中から七人を選び出し、真夜中にも係わらず
「これからサラ・ラズバクトを探しに行く。」
と、この部屋に残された分厚い氷を見つめながら言った。
だが、「閣下」とは?「時」とは?と誰しもが疑問に思っていた事なのだが、この状況下でそう質問する者は誰一人いなかった。
それは確実にダニスが別の者だと確信し、その何者かに逆らえば殺されてしまうと皆が思っていたからなのであろう。
すると、ここで映像がプツリと切れた。
「ありゃ確実にルシファーだな。牧師の体からダニスって野郎の体に移りやがった。だが、なぜお前らを残したんだ?」
全ての映像を見終えたガブリエルは顎に手を当て、目の前に居るメイサの顔を見ながら言った。
「分からない。ただ、ここへ来た者は殺せと言われた。それにしてもルシファーとは何だ?サタンの事なのか?」
瞬きをせず、何処か一点を見つめたままメイサが言う。
「まぁ、そんなところだ。さっきの映像はどれくらい前のものだ?」
「十時間ほど前のものだ。なぁ・・・・・教えてくれ・・・。我々はダニスに騙されていたのか・・・・?」
相変わらず呆然とした表情でメイサがそう言うと、ガブリエルは軽く鼻で笑い、
「アスタロトってヤツを初めて召喚した時からお前らのボスも騙されていたんだよ。つまり一番利用されていたのはダニスだ。そしてもうそのダニスは死んだ・・・。」
と、彼女達四人に背を向けそう言うと、大きな翼を広げ、雲一つ無い青い空へと飛び立って行ってしまったのだ。
「ちっ・・・・まずいな・・・。とうとう現れやがったか。」
眼下に流れる広大なナイル川を南に下りながらガブリエルはそう言うと、ようやくここでキルから連絡が入ったのだ。