第14話
「これでも駄目かね?私の質問に耳を貸さないから、耳が聞えないかと思って掃除をしてあげたんだが、聞えるようになったかな?それでも駄目というなら・・・・。」
再びガブリエルの方へとアングルが変わる。と、そこに映し出された映像には、掌サイズの蜘蛛がガブリエルの周りをうろついているではないか。しかも、十匹も・・・。
「彼らは地獄の掃除屋と呼ばれているんだ。何でも食い尽くす。特に肉が好物でね。その貪欲極まりない性格のせいか、腹が減ったと思えば共食いまでする始末だよ。しかも、困ったことに、彼らを手懐けることは不可能。今は私の力で強制的に抑えつけているが、少しでも力を抜くと・・・・・・」
そう、字幕が流れ、再びガブリエルの方へとアングルが変わる。と、十匹ほどいる蜘蛛の中の一匹がガブリエルの顔面へと貼り付く様にジャンプしたのだ。
長い足が表皮を突き刺し、その体を固定すると、口から酸の様な液体を吐き出し、ドロドロに溶けた鼻を食んでいるではないか。
「ぐわぁぁぁぁぁぁっ・・・ま、待て・・・。分かった。話す、話すからこいつを退けろ・・・。」
「フフッ・・・そうこなくちゃ。」
あまりの激痛のせいか、ガブリエルは怒声に近い声を上げ、それに続き、謎の人物の小さく冷たい声が聞えると、それまでの出来事がまるで無かったかのように静寂に包まれた。
「ハァ・・・ハァ・・・ハァ・・」
目だけをギョロギョロと動かし、周りの様子を頻りに伺っているガブリエル。だがそこは、最初となんら変わらない場面に戻っていた。
「どうやら悪い夢でも見ていたようだね・・・?まったく人が話している間に寝てしまうなんて一体どういう教育を受けてきたんだか。さて、話を戻すとしよう・・・。もう一度聞くが、この無限に広がる意識という名の世界に君の核となる本体が存在するはずなのだが、その居場所を教えてくれないかい?」
「分かったよ。連れてってやる。チッ・・・このクソ野郎が。」
「なかなか素直じゃない。さぁ、行こうじゃないか。君を探す旅へ。あっ、旅といっても一瞬か・・・。なにせ意識の中だもんね。」
それは、言う通り一瞬の出来事だった。
生暖かい風が一瞬吹き抜けると、そこは分厚い雲に覆われ、草木が一本も見当たらない、ひび割れた旱魃の大地が広がる場所へと一変した。何も聞えず、生命という言葉が不似合いな、冷たく広がる死の大地・・・。
だが、そこには先程まで存在していたガブリエルの頭部と、謎の人物の姿はない。ただ、そこに映る映像にはひび割れた大地と、そこに突き刺さる一つの棺。
「ストップ・・・・。」
静寂な館内にキルの声が響いた。と、同時に、スクリーンに映る映像が止まった。
膝元に置いてある食べかけのポップコーンを隣の席に置くと、キルはゆっくり立ち上がり、左手の親指と人差し指を舐め、黒いマントに付着したポップコーンのカスをバサバサと払うと、スクリーンの方へと歩き出した。
「脚本、ストーリー共に素晴らしい出来だが、やはりクライマックスシーンは、直々に私が出演しないとね・・・。それに、アブソルート・ワールドをこれ以上長く使うとまずいし・・・って言うか、もう宇宙のバランスが微妙に崩れているかも・・・ね。とりあえず早めに終わらせないと。あっ・・・・台本覚えてないや。まぁいいか、僕が監督だからね・・・。」
一旦、スクリーンの前でその歩みを止め、なにやらブツブツと言うと、キルはスクリーンの中へと消えて行ってしまったのだ。
しかし、このアブソルート・ワールド(絶対的な世界)という技、その昔、ルシファーが編み出した技というが、本来、神のみぞ知る力故に、その代償は大きく、天秤に掛けられた均等が保たれなくなってしまう。
天変地異、或いは宇宙崩壊・・・・。
一体、どうなってしまうのかは定かではないが、キルは知っているはずだ・・・。
相手の力の大小に関係なく、無条件でそれを無にする事ができ、行動、言動、全てにおいて絶対的な力を持てるこのアブソルート・ワールドという世界。
今回はキルらしい発想で、ストーリーからガブリエルの台詞まで全てを意のままに操り、映画バージョンにしたようだが、このふざけたストーリーでもそれが現実のものになる。
しかし、キルはなぜこの様な策をとったのだろうか?
この、アブソルート・ワールドという絶対的な世界ならば、もっと簡単に、いや、一瞬にしてガブリエルの核となる場所を探し出せたはずなのだが・・・・。しかも長く使うと、全ての秩序が乱れ、宇宙のバランスが崩れてしまうと解っているのに・・・。
そして、そんなキルはスクリーンの中で、辺り一面を見渡しながらこう言った。
「雰囲気的にはいい感じだが、ちと照明が明るすぎだな。」
干からびた大地に突き刺さる棺を目の前に、そう字幕が流れると、モノクロ調の映像が若干ではあるが全体的に明るさが弱まった。
「いい雰囲気だ。まさにこのシチュエーションにぴったり。さてと、準備OKということで、本番いきますか・・・。」
キルはそう言うと、地面から少し盛り上がった岩場に腰を下ろし、目の前に突き刺さる棺を見つめながら、ピクリとも動かないシーンがしばらくスクリーンに流れ続けた。
一体、何を考え、何を企んでいるのだろうか・・・?最早この際、今まで保たれてきた均等などどうでもよいのであろうか?
そして、何も動かない、何の変化も見られない、まるで静止画のような映像が映るスクリーンに変化が現れ始めた。
地面に垂直に突き刺さる棺が、何かの衝撃でガタンッと斜めに傾くと、それとほぼ同時に地面から高さ約二メートル、直径七十センチほどの先端が尖った六角形の水晶のような柱が地面を突き破り出現したのだ。
そして、その水晶の様な柱の中には、赤子の目線で我が子を抱く母親らしき女性の映像が映し出されていた。
更に、それの出現を皮切りにあちこちから同じ様な柱が地面を突き破り、地表に現れたのだ。
最早、旱魃の大地が見えないほどに無数の柱が現れると、その中には、一本目と同様、個々にそれぞれの違った映像が収められていた。
その中の一つは、何やら数字やアルファベットがズラリと並ぶ難しそうな方程式や、また違った柱の中には小さな手で子犬を持ち上げている映像など、とにかく様々な映像が何百という個々の柱の中に収められている。
一体、これは何なんだ・・・?アブソルート・ワールドという世界の中でキルがこれを創造したのだろうか?もしそうだとしたら、一体、何のために・・・。
「とうとう始まったようだね・・・。やはり私の計算通り。しかしこんなシチュエーションにピッタリのメロディーを奏でたいものだが、古き良き時代のシステムに設定してしまった故に残念ながら観客の心に響かせることは出来ない。ん・・・・監督として迷うところだがやはり設定を変えよう・・・。」
そう字幕が流れ、ゆっくりと腰を上げると、キルはパチンッと指を弾いた。
すると、モノクロ調の映像がカラーに変わり、館内の古びたスピーカーからはレクイエムの様な美しくもあり、悲しみも感じられるメロディーが流れ始め、誰も居なかったはずの館内にはポツリ、ポツリと、いつの間にかに観客が五、六人ほど座っていたのだ。
「いや・・・これは驚いた・・・。はやり、ここは私の予想通り、無意識と呼ばれる世界だったか。まさに宇宙そのものだよ。素晴らしいと言う他あるまい。ここには、全ての記憶が眠っている。忘れていた事も、今まで見てきた全てのもの、そして、胎児の時の記憶まで・・・。私の予想通り、いや、それを更に凌駕しているよ。」
目の前に広がる光景を見渡しながらキルはそう言った。が、その様子はまだ何かを待っているかのようだ。
そして、そんなキルを見ると、どうやらこの現象は彼が創造したものではないらしい。
そんなキルが「計算通り、予想していた」と、放った言葉の意味。
それは、ここが一つの宇宙空間であり、このアブソルート・ワールドの影響が表に現れないと予想していた事・・・・
つまり意識という名の未知なる宇宙空間の中に存在しているので、外部には何等影響はないらしい。が、このガブリエルの中だけに存在する宇宙の秩序、均等はそうではない。そして、キルが使ったアブソルート・ワールドの影響でその秩序、均等が崩され、本来は無意識と言う名の宇宙空間に埋もれている記憶や情報が全て掘り起こされてしまったのだ。しかし、これもキルの計算通りらしいが、キルの表情から窺うとそれが目的ではなく、まだ何かを待ち侘びている様子だ。
しかし、外部には影響がないと言っても、ガブリエルには何等かの影響があるのでは・・・・?本来、無意識という世界には今まで経験してきたものや見てきたもの、とにかく全ての事がそこに収められ、ある、一定の条件を満たした後にそこから一つや二つ、ぐらいは掘り起こされる場合がある。いや、それは単なる偶然かもしれないが、今回はそうではない。全てだ。
ガブリエルが仮に生身の人間だったとしたら・・・精神崩壊、最悪の場合は死に至る可能性も無いとは言えないだろう。だが、今となっては生身の人間ではないし、それでも何等かの影響が有るにせよ、キルにはきっと秘策があるはずだ・・・。
「まだか・・・・?もしかしたらここではないのか?いや、そんなはずはない・・・。ここに居るはずだ。ガブリエルを蝕む根源が。さぁ、何処に居る・・・・その姿を現せ・・・。」
どうやら、キルが待ち望んでいたものは、ガブリエルを蝕み続けていたウィルスのようだ。だが、果たしてこの待つという意味はあるのだろうか?
ここは、ガブリエルの意識の中であり、キルのアブソルート・ワールドの中でもある。絶対的な支配権を持つキルならば、それを待たなくとも強制的にその根源を引っ張り出せることが出来るはず。しかし、忘れてはいけない・・・・。既に今はその術中の中。古びた映画館のスクリーンの中に居るキルは主演、兼、監督、そして脚本も手がけ、台詞からストーリーまで全てはキルの思いのまま。と、言う事は、これもキルが創造した、その物語の中の一部なのか?もし、そうだとしても、このスクリーンに映る映像を鑑賞している、館内にポツリ、ポツリと見える、彼が遊び心で創り出したに違いない架空の人々の為に、ここまでの必要性はあるのだろうか。そして、それに加え、キルの放った「計算通り」という台詞がどうもイマイチよく分からないのだが、この世界を保つバランスの乱れまで予想して、その後、つまり今はアドリブなのであろうか?
何にせよ、これからのキルの言動を見守るほかないのだ。
「ん・・・・困ったぞ。これは想定外だな・・・。」
棺と、それを取り囲むように地面から突き出た数え切れないほどの記憶を見渡しながらキルが不安そうに言う。
「私が思っていたほど大きな乱れが無く、均等が崩壊しきれなかったのか、ガブリエルの精神力がそれを抑えたのか、或いはウィルスという名の悪魔がこの世界を支配し尽くし、均等を保っているのか・・・。」
苦悶の表情を覗かせながら、更にキルの言葉が続いた。が、そう言い終えると、苦悶の表情から一変し、何とも言えぬ、それはまるで笑いをこらえている様な表情に・・・・。
一体・・・・・・どういうことなんだ?
唇を噛み締め、今にも吹き出しそうなキルは、記憶に取り囲まれ、地面に少し傾いた状態で突き刺さる棺を見つめながら、ついには吹き出しながらこう言ったのだ。
「はっはっはっはっ・・・。いやぁ、もう駄目だ。やっぱり僕には俳優という職業はむいてないようだ。はっはっはっ。さぁ、もう終わりにしよう・・・もう止めだ。」
高々と笑い声を上げ、左手の人差し指で涙を軽く拭うと、鎖で厳重に巻かれた棺の扉が物凄い勢いで吹っ飛び、その前にある六角形の水晶の柱が幾つか砕け散った。
そして、その棺からクスクスと笑いながら現れたのは、なんと、もう一人のキルだったのだ。
左手で腹を抱えながら棺の中から現れたキルは、笑いながらその向こうで笑うキルを見ながら、
「はっはっはっ・・・い、いや、すまない。これはまさにNGってヤツだね・・・・。監督に叱られちゃうよ。あっ・・・監督は僕か。はっはっはっはっ。どうもシリアスな演技をしていると笑いが込み上げてくるんだよね・・・フゥゥッ。いやぁ、まいった。あっ、それはそうと、すまいないねガブリエル・・・君の幾つかの記憶を勢い余って壊してしまったよ。まぁ、普段は引き出されない記憶だから、僕が言うのもなんだけど、仕方ないね。」
キルを見ながら笑うキル。そして、それを見て笑うキル。
そして、そんなキルは自分を見て笑うキルに向かいこう言った。
「そう言えば・・・・、君は笑わなくていいんだよ。」
棺から現れたキルがもう一人のキルにそう言い、パチンッと指を弾くと、そのもう一人のキルがいつの間にかガブリエルに変わっていたのだ。
だが、そのガブリエルは周りを見渡すや否や放心状態。
「おーい、大丈夫かい・・・?」
口をポカンと開け、呆然と立ち尽くすガブリエルに向かい、手を振りながらニコリと笑い、キルは言った。
「いつの間に俺は・・・・・。」
ボソリと呟くガブリエル。どうやら状況が把握できないらしい。が、無理も無い話しだ。そして、そんなガブリエルに対し、キルが説明を始めた。
「まずは、久しぶりだね・・・ガブリエル。何がなんだか分からないだろうが、とりあえず聞いてくれ。まず、ここは、君の意識の中なんだ。しかも、他人はおろか、自分でさえも覗くことが出来ない、いわゆる無意識という名の世界。そして、アゼザルが創り出したウィルスに感染した君は肉体を、つまり、君を構成するエーテルを破壊し、やがては精神にまでその手を伸ばしてきた。そして、窮地に追い込まれた君は、無意識のうちにこの場所、つまり無意識の世界へと逃げ込み、更に無意識のうちに己の存在を否定するかのよう、殻の中へと閉じこもったんだよ、君は・・・・。そう、自らその棺を創り出し、その中へとね。そして、その際に無意識は別の君を創り出し、意識という世界に住まわせた。まぁ、その理由は分からないが、彼のおかげでここが見つかったんだけどね。だが、宇宙と等しいほどの広さを持つ、この意識という世界の更に奥深くに存在するここを、ヤツはどうやってかは知らんが、探し当て、君を見つけた。殻に閉じこもった君をね・・・・。」
キルが淡々と説明をしていると、ガブリエルが口を挟んできた。
「おいおい・・・ちょっと待てよ。俺はそんな事やってねぇぜ。大体よ・・・・・・」
ようやくガブリエルが口を開いたと思いきや、キルはそれを聞かずに語りだす。
「黙れ・・・。言い忘れていたが、ここは君の無意識という世界の中であり、私のアブソルート・ワールドの中でもある。もう君は、喋ることはおろか、動くことも出来ない。そのまま黙って聞いていればいいんだ。さて、話に戻らせてもらうが、君を見つけたウィルスは、なぜか君を侵そうとはしなかった。ただ、君が居る棺の前で薄ら笑いを浮かべながらじっとしていたんだ。まぁ、これは私の憶測ではあるが、恐らくヤツはこの世界で君との共存を考えていたんだろうね。いや、考えていたと言うより、アゼザルに創り出された時に、そうインプットされていたのかもしれないけどね。なにせ、君だけの為に創った訳だから、精神の核である君を壊してしまっては、何の目的も無く、ガブリエルという名の入れ物の中で永遠という時間を過ごす事になってしまう。と、まぁ、この辺は曖昧な説明になってしまったが、そんな節、私が現れた。そして、ヤツは私が君の中に入ったことに気付くと、地面の中へとその身を隠した。君が無意識のうちに創り上げたこの大地には青々と草木が生い茂り、色とりどりの花が散りばめられ、小さな川も流れていた。悪行を重ねてきた君だが、これを見ると、心の何処かでは平和や幸せを願ってきたのかもしれないな・・・。だが、ウィルスがこの大地に身を隠すと同時に、一瞬にして草花は枯れて灰になり、川の水は蒸発し、見るも無残な死の大地へと変貌したんだよ。そして、ついに私はこの無意識という世界を見つけ、更に君を見つけた。この時は既に僕のテリトリーの中。つまり君の中であり、僕の世界の中でもある。君も知ってるよね?アブソルート・ワールドは宇宙の均等を崩すって。そして、私はそれを待ち、やがてそれは始まった。意識という名の宇宙・・・・その均等が予想通り崩れ始めたんだよ。信じられないと思うが、誰しもが持つ意識というものは、宇宙と同等、いや、それ以上の存在なんだ。そんな宇宙の均等が崩れ、普段は引き出させることの出来ない、無意識という世界に漂い続ける全ての記憶が、君の創った大地を突き破り、表面に引き出されてしまった。が、私の待っていたものはこれではなく、その身を隠すウィルスの存在だったんだ。どこに潜むか分からないそれを、私の力で強制的に引っ張り出しても良かったんだが、なにせ意識という未知なる世界は僕も初体験なもので、運よく均等の崩れに巻き込まれてその姿を現してくれたらラッキーと思っていたんだがね・・・・。だが、待つ必要は無かった。なぜ僕がここまで説明できると思う?君がここへ逃げ込んだ事や、ヤツの様子まで・・・・。それは君が教えてくれたんだよ。そう、この地面から突き出た全ての記憶を読み取ったんだよ、私は。この膨大な量の記憶の一部に、今回の出来事が含まれていてね。だが、今そこに居る君はそれを知らない。君は一切を拒絶し、殻の中へと逃げ込んだわけだから、それを知るはずが無い。が、この無意識はそれらを記憶している。そう、これが無意識という世界。そして、全てが明らかになったところで、少し遊んだってわけ。君を殻から出し、君を操っていたんだよ。」
説明が終わると、ガブリエルに近づき、顔を覗き込むキル。
「と・・・まぁ、こんな感じなんだけど分かった?」
「・・・・・・・・・。」
「ん?何か言いたげな表情だけど質問ある?」
「・・・・・・・・・。」
「あっ・・・そうか喋れないんだったか。さぁどうぞ・・・。」
キルがそう言うと、まるで金縛りから解き放たれたかのように、勢い余ってか、ガブリエルは前のめりになり、キルの顔を睨め付けながらこう言った。
「相変わらずムカつく野郎だぜ・・・ったく。質問あるだと?あるに決まってんだろ?ウィルスってヤツは何処に居るんだよ?」
「あっ・・・そうだったね。忘れてた・・・・。」
「はぁ?忘れてた?まだ始末してねぇのかよ?」
「え?あ・・・まぁ、あはははは・・・・。」
笑ってごまかすキル。だが、その表情はなぜかいつものキルとは違って見えた。
「・・・・ガブリエル。君が始末してくれないかい?」
「上等だよ。望むところだぜ。」
自信に満ち溢れるガブリエルのその表情とは裏腹に、キルの表情はどこか悲しげにも見えた。
「僕がアブソルート・ワールドを解除するから、その瞬間に君のそれを見せてくれ。出来損ないのね・・・。」
「何?俺のアブソルート・ワールドが出来損ないだと?」
「まだ気付かないのかい?君のそれは完璧ではない。だからアゼザルにもやられてしまったんだよ・・・君は。」
キルがそう言うと、さっきまでの表情が消え、苦笑いをするガブリエル。
「は?マジで?い・・・いや、こんなの一回で覚えられ・・・・」
「僕は一回で覚えたけどね。」
その顔から笑みが完全に消え、愕然とするガブリエル。
「でも心配する事はないよ。もう既に君は二回も教わったじゃないか・・・。じゃ、解除するよ。いいね?」
今キルは、これから二回目を教えるという意味ではなく、既に二回目を教えたという意味で言ったが・・・・・。
「ちょっ、ちょっと待てよ。ふざけんな。俺は一度しか教えてもらってねぇぜ・・・。」
「大丈夫。僕は今回、君の中の無意識という世界で使った訳だから、君の知らぬ間に、つまり無意識のうちに覚えたはずだよ。さぁ、解除するよ。君と僕以外は動けない設定になっているからね・・・。」
パチンッ・・・
キルの指を弾いた音が静寂な空間に響き渡ったその瞬間、ゴォォォォォッという地鳴り音が鳴ると、突き刺さる棺の前の地面が盛り上がり、勢い良く黒い何かが飛び出してきた。そして、その先に目をやると、黒く大きな翼を広げ、凄まじい形相でキルとガブリエルをウィルスという名の悪魔が見下ろしている。その姿は、隙間が無いほど体中に黒い蟲が這い、まるで蟲の鎧を纏っているかの様な体、そして、その顔は青白く、眉や髪といった体毛と呼ばれるものは一切無い。更に、青白い肌に浮かび上がるような唇は黒に近い紫色、目は細くつり上がり、瞳の色は緑色。ともかく異様な姿だ。
「テメェか・・・・。俺ん中で暴れてた馬鹿は・・・。」
ガブリエルは、相手ではなく、下を向き地面を見据えたまま小さくそう呟くと、長い銀髪が靡く様に舞い、彼を中心に外側へと、一瞬ではあるが弱い風が吹き抜けた。
そんな中、軽く乱れた長い黒髪を手櫛で直し、辺り一面を見回しながら頷くキル。だが、風景もウィルスも、もちろんガブリエル本人も何の変わりも見受けられないが・・・・。
「その汚い翼、要らないんじゃねぇの・・・?」
翼を広げ、宙に浮くそれに向かい、微笑を浮かべながらガブリエルが徐にボソリと呟いた。
すると、どうだろう。それまで、何の動きも見せなかったウィルスは表情を変えることなく、両腕を上げ、背中に回すと、自ら一気に両翼を根元から?ぎ取ったのだ。
阿鼻叫喚と共に墜落したウィルスに歩み寄ったガブリエルは、嘲笑するかのよう鼻で笑いながら、地べたに這い蹲るそれにこう言った。
「お前も馬鹿だね。俺は冗談で言ったのに・・・・。しかも自分で?ぎ取るなんて信じられないよ・・・・。はっはっはっはっはっ。」
頭を踏みつけながら高々と笑い声を上げるガブリエル。そんな彼を見たキルは一言・・・。
「いじめだな・・・・こりゃ・・・。」
そんなキルの言葉を気にせず、ガブリエルは腕を組み、右足で頭を踏みつけながらニヤニヤと笑い、何かを思案している様子だ。
「さてと、次は何がいいかな・・・・?」
すると、キルはそんなガブリエルを見ながらこう言った。
「ガブリエル・・・。お遊びもいいが、早く終わらせたほうがいいぞ。あまり長く使うと、知っての通り次の波が押し寄せてくるからな。今回は何が起こるか分からないし、それに君にはもう一仕事残っているしね・・・・。」
もう一仕事・・・・・?なにやら意味深な言葉だが、果たしてその意味をガブリエルは理解したのだろうか?
「ちっ・・・そういう事だ。助かったな・・・・一瞬で終わらせてやるよ。納得行かねぇけどな。」
ガブリエルはそう言い、頭を踏みつける足を下ろし、二、三歩後ろへ下がると、ヤツに背を向けてゆっくりとキルの方へ歩き出した。
その後、地面に這い蹲るウィルスは、自分の力ではなく、まるで紐で吊られているかの様に、スーッと立ち上がった。だが、その表情は怒りに満ち溢れる鬼面の様な、おぞましい佇まいでガブリエルの遠ざかる背中を睨めつけていた。
「あばよ・・・。」
ガブリエルは背を向けながら軽く右腕を上げ、そう言うと、ウィルスは足元から徐々に石化し、やがては石製のオブジェと化してしまった。そして、ガブリエルはキルの前でその歩みを止め、後ろを振り返ると、自らが創り上げたオブジェを満足そうに眺め、右腕を伸ばし、それを人差し指で指すと
「芸術は爆発だ・・・。」
と、一言。
それはまさに言葉通りで、一瞬の出来事だった。内面から爆発したようにそれは粉々に砕け散ったのだ。
「フッ・・・いい様だぜ。さてと・・・・。」
足元に転がってきた石の欠片を蹴飛ばしながらガブリエルがそう言うと、キルがボソリと呟いた。
「まだ解くな。」
「はぁ?何を?」
「ようやくものにした君のアブソルート・ワールドだよ。」
「何で・・・?早く解かないとまずいだろ?」
「だからもう一仕事あるって言ったろ?」
「もう一仕事・・・?んなの聞いてねぇよ。まさか、まだ別のヤツが居るって事か?」
「まぁ、そんなとこだよ。」
「だったら早く言えっての・・・。俺様がチャッチャと片付けてやるよ。」
ガブリエルがそう言うと、なぜか少しの間が空き、それからまたキルが口を開いた。
「速やかに頼むよ・・・・・。」
「任せな。一瞬できめてやるよ。で・・・獲物は何処だ?」
キルに背を向け、辺りを見回しながらガブリエルが言う。
「後ろだよ・・・・・君の。」
キルのその言葉と共に急いで振り返るガブリエルだが何処をどう見てもそこにはキルしか居ない。
「何も見えないが、さてはまた地面の下にでも隠れているのか?」
ガブリエルがそう言うと、キルは大きく溜め息を吐き、彼らしくもなく少し大きめな声でこう言ったのだ。
「何処を見てるんだ・・・。君なら解るだろ?もうここには君と僕しか居ないって事ぐらい。君が言う獲物ってのは、そう、目の前に居る僕だよ・・・・。」
微妙な沈黙しばし続いた。だが、それを聞いたガブリエルは驚くどころか大きな笑声を上げ、その沈黙を切り裂いた。