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アナザーワールド  作者: 新倉 砂鉄
11/21

第11話

カツッ・・カツッ・・・・・・・・カツッ

少し離れた所でその足音が途中で止まった。

「誰か・・・・・居るのかね・・・・?」

暗闇の奥の方から冷たい風と共に低い声が聞えてきた。が、ガブリエルはその姿を見ることはおろか、声を出すことも出来ない。

「我の名は・・・・・・」

更に低い声が聞えると、ガブリエルのすぐ近くにある暖炉に突然、勢いよく炎が燈った。

「ルシファー・・・。サタンと呼ぶ者もいるがな・・・・。」

それは耳を疑う言葉だった。まさかこんな時に・・・・。

暖炉に燈るオレンジ色の炎が一定の空間を照らす中、その灯りが行き届かない暗闇の方からまた、足音が近づいてきた。果たしてガブリエルはこの状況を分かっているのだろか?

徐々に近づいてくるその足音。

そして、その時がついに来た。

暗闇の中、オレンジ色に揺らめく炎が照らし出したその姿は・・・

長く美しい黒髪を靡かせ、黒いマントを身に纏い、左手には柄の部分に禍々しいドクロがついた大きな鎌のような刃物を持っている。これは・・・・・?

「なんちゃって。本当は死神のキルでした。ねぇ、びっくりした?ねぇ・・・?」

なんと、その正体は死神のキルだったのだ。天使にも悪魔にも属さないこの男、一体、何を考えているのだろう。まぁしかし、おふざけは良しとしてキルはガブリエルを救うことが出来るのだろうか?

「いやぁ、ここを探すのに苦労したんだよ。微妙な空間の歪みを探してはこの鎌で切り裂いて。これを何回繰り返したことか。クリエイティブ・ワールドならまだしもアブソルート・ワールドだもんね。なかなか見つからないはずだよ。しかし、妙だなぁ。クリエイティブ・ワールドではないことは確かなんだけど・・・・何か違うような気がするんだよな・・・?ねぇ、ガブリエル、一体ここで何があったんだい?」

「・・・・・・・・・・。」

「あれ?もしかして話、聞いてなかった?」

「・・・・・・・・・・。」

「もーしょうがないな。仕方がない。キミ、時間を戻して再生してくれるかい?」

薄気味の悪い笑みを浮かべながら、すぐ後ろに居る緑色の化け物の肩を左手に持っている大きな鎌の柄の部分でポンポンと叩きながらキルはそう言うと、化け物は抱えている時計の短針に細い指先を当て、グルグルと時間を戻し始めたのだ。

「ストップ・・・。」

しばらく化け物が時計の針を逆方向に回していると、キルがボソリと呟いた。そして、その声に合わせ、化け物の指の動きがピタリと止まると、ゆっくりその指を短針から離したのだ。

すると、どうだろう・・・・。化け物が時計の針から細い指を離した瞬間、半透明のアゼザルとガブリエルが現れ、その時の状況がリアルタイムの映像として流れ始めたのだ。

目の前で繰り広げられる映像をしばらく見つめながら、キルはなぜか首を傾げている。どこか不思議なところでも見つけたのだろうか。その表情からは何も掴み取ることは出来ない。そして、そんな時がしばし流れると、キルは映像から目を離し、顎に手を当て何かを考えている様子で部屋中をトコトコと歩き始めたのだ。途中で止まっては歩き出し、止まってはまた歩き出し、とにかく落ち着かない様子だ。そして、ちょうどその頃、目の前で流れている映像ではアゼザルが放った一匹の蟲がぶくぶくと肥えた姿で暖炉の中の炎から現れた瞬間だった。

その映像がたまたま横目に入ったのか、それとも考え事をしながら、目には入らなくとも、なにか不思議な力で全ての映像を見ていたのかは分からないが、その映像が流れて間もなくすると、キルは暖炉の方へと歩き出し、勢いよく燃え盛る炎の前に立ち、その中に右手を突っ込んだのだ。

ゴソゴソと何かを探しているようだが、その表情は険しい。一体、何を探しているのだろうか?

そんな事を数十秒続けていると、今度は突っ込んでいた右手を抜き、その手で長い黒髪をかき上げたかと思いきや、いきなり炎の中に顔を突っ込んだのだ。が、それもほんの十秒ほどすると、その突っ込んだ顔を外に出し、険しい顔のままゆっくり立ち上がり、こう言ったのだ。

「毒を知らなければその解毒剤は創れない。まいったなぁ・・・・。何か特殊なウィルスに感染していることは確かなんだけど、既にガブリエルの中に居るウィルスは不規則に変異し続けていて調べられない。せめて、アゼザルの一部であるあの変な蟲のわずかな魔力でも拾えれば良かったんだが・・・・。まいったなぁ。僕、こういうの苦手なんだよなぁ。でも、こうもしてられないし、やってみるか・・・・。」

少し項垂れた状態でキルはそう言うと、左手に持っていた大きな鎌のような物を、右手で広げた身に纏う黒いマントに押し込むように、柄の部分を押し当てると、その鎌のような物は黒いマントに吸い込まれるように消えてしまった。そして、両手の掌同士を擦り合わせ、深く深呼吸をしながらゆっくりと目を閉じるキル。と、その瞬間、両腕を高々と突き上げ、まるでシャッターを勢いよく下ろすように一気にその両腕を振り下ろした。すると、その両腕の動きに合わせ上から下へと一気に風景が一変した。

一体、何なんだ・・・・この空間は・・・。

そこはそれほど広くない白のタイルに囲まれた部屋だった。いや、白と言っても純白の白ではない。元々は白だったであろう、その何千と敷き詰めてあるタイルにはカビのような汚れや、所々に緑色のコケが付着している箇所もあった。

見るからに不衛生なこの部屋には幾つかの蛍光灯が設置されているのだが、そのうちの二つがパチパチと点滅していて、更に、この空間には不適切な物まで見受けられた。

銀色に輝く様々な器具が汚れたトレーに並べられているではないか。それは、見たことも無い器具もあれば、メスやハサミのような物もあった。

腰に手を当て満足げに辺りを見回すキルの隣には、手術台と思われるその上に、ガブリエルが横たわっている。ちょうどその部屋の中央辺りだ。

ギィィィィィィィッ・・・・

突然、耳を塞ぎたくなるような、鉄特有の軋む音が響き渡った。それは蜘蛛の巣が張り、錆びまみれの大きなライトをキルがガブリエルの頭上へと移動させた音だった。

そして、その使えそうもないライトがキルの鳴らした、パチンッという指を弾く音に合わせ、煌々と光を放ち、ガブリエルを照らした。

「雰囲気良し。準備も良し。それでは、ガブリエルの体内に潜むウィルスの除去手術を行う。」

二人だけしか居ない、少しジメジメした空間にキルの声が響き渡る。だが、キルのその顔はいつもとは違い、真剣そのものだった。

「大丈夫。僕なら出来る・・・・。」

そう言いながら、硬く握っていた右拳を緩め、黒い爪とそれとは対照的な真っ白い右手の掌を見つめ始めたキル。その眼差しは何かを語り掛けるかのよう・・・・

何もせず、ただ己の掌を見つめ続けていると、その掌の中央辺りに横スジが現れ、やがてそれが傷口の様にパックリと開いた。

何かと思えば、そこから現れたそれは、赤い毛細血管が稲妻のように走る、大きな目玉だった。

「やぁ・・・ミスターブレイン。久しぶりだね。こうやって君に頼るのは五百年ぶり位かな?もうちょっとこの再会の喜びを楽しんでおきたいのだが、そうもいかないのでね・・・・。そこでなんだけど、今回も君の知恵を借りたいと思っているんだ。君が持っている膨大な量の知識は僕のそれとは比べ物にならない。なんたって、天界にある全ての書物に記されている情報を全て知っているんだからね。じゃ、今回も頼むよ。ミスターブレイン。ガブリエルの体を蝕む未知なるウィルスを探し出し、そいつらを死滅させる方法を導き出してくれ。」

自分の右手に語りかけるキル。そして、そのお相手の大きな目玉の名前はミスターブレインという名らしい。キルが話しかけている間、瞬きをしてはギョロギョロと周りの様子を伺っている。

「いくよ・・・・。」

キルのその言葉と同時に、右手を高々と振り上げると一気にその手を、いや、ミスターブレインをガブリエルの腹部へと突き刺した。

その衝撃で、一旦はガブリエルの頭部と両足が一瞬浮き上がるが、その後は何の反応もない。まるで全身麻酔を打たれた患者のようだ。

そんなガブリエルの腹の中を、肘までめり込んだ腕をグリグリといろんな方向に曲げてはほじくり返す仕草がしばし続く。

「どうだいミスターブレイン?何か手掛かりは見つかったかい?」

何の反応も無い・・・・

「あれ?ミスターブレイン・・・・?どうしたんだい?君とあろう者がまだ解決の糸口を見出せないというのかい?まぁいいか。地道にいこうじゃない。」

そう言いながら、また肘までめり込んだ腕をグリグリ動かし始めるキル。ミスターブレインからの連絡はあるのだろうか。

そして、ミスターブレインからの連絡がないまま、刻一刻と時間が過ぎる中、焦りを感じ始めたキルであったが、突如、ガブリエルに変化が現れたのだ。

だが、そのガブリエルに現れた変化は決していいものではなかった。

それは、キルがガブリエルの腹の中をほじくり返すように調査している中、突然ガブリエルが上半身を起こし、自分の腹にめり込むキルの右腕をがっちり掴むと、

「一体、何者だ・・・・?ワシらを死滅させようなんて無駄なことよ。ウッシャッシャッシャッ。」

と、ガブリエルの口から、どこかで聞き覚えのある口調とその声が・・・・。そして、それが終わると、何事も無かったかのように力なく台の上に倒れてしまったガブリエル。だが、変化が現れたのはガブリエルだけではなかった。

突然の出来事に気を取られ、しばらく呆然としていたキルであったが、その後にガブリエルの腹にめり込む自分の右腕を見ると、血の気の無い真っ白い腕が、ガブリエルの肌のように褐色に染まり、シワシワに乾涸びていて、それが上腕部にまで達していたのだ。

それに気付いたキルは慌てて手を抜こうとするが、なぜか抜けない。一方では徐々にウィルスによるものと思われる侵食が進み、肩の辺りまで広がっていた。

「ごめよ・・・・ミスターブレイン。君まで巻き込んでしまって。近いうちにミカエルに頼んでまた君を創ってもらうからさ・・・。」

一瞬の焦りを見せたが、すぐにいつもの冷静さを取り戻すと、身に纏う黒いマントの中に左手を突っ込み、ゴソゴソと何かを探り始めたキル。そして、その中から取り出したものはキル愛用の大きな禍禍しい鎌だった。

蛍光灯の光が反射し、不気味な光を放つ刃の部分を、侵食され、褐色に染まる肌から2センチほど離した肩の辺りにそっと当て目を閉じるキル。

「ガブリエル。僕の右腕は高く付くよ・・・・。それにミスターブレインもね。」

そう、ボソリと呟くと眉間にしわを寄せ、一呼吸し肩の辺りに当てた鎌を左手で一気に引き、そこからバサリと切断してしまった。

苦痛に顔を歪めるキル・・・と思ったが、意外にもその表情は平然としていて、何事もなかったかのように次から次へと行動に移り始めたのだ。

まず、左手に持っていた大きな禍禍しい鎌を、それはマジシャンのように、身に纏う黒いマントですっぽり覆い隠し、消してしまうと部屋の隅の方へと歩き出した。

長方形に伸びる部屋の一番奥の壁から三メートルほどの間隔を空かしたところでその歩みを止め、なぜか小さな咳払いを一回して、左手の指をパチンッと鳴らした。

すると、キルがパチンッと指を弾いた瞬間、そこから三メートルほど前にある薄汚れたタイル張りの壁面に、大きな鏡が現れたのだ。もちろんそこに映っているのはキル自身・・・・いや、どこかが違う、何かが違う・・・右腕だ。先程、肩の辺りから切断した実体には無いはずの右腕が映っているではないか。

それからキルは数秒間、その鏡に映る己自身を見つめていると、驚くべきことに、その中に居るもう一人のキルが小さな咳払いを見せた。

「デジャブ成功・・・・。これ、意外と難易度高い技なんだよね。なんたって、自分と寸分の狂いもないまったく同じエーテル(霊的物質)を創らなきゃいけないんだからさ。まぁ、その証拠がデジャブなんだけどね・・・・。」

少し顔の表情が緩み、そうぶつぶつ言うと、ゆっくり鏡の方へと歩き始めたのだ。

もちろんその間、鏡の中のキルも同じ動作で近づいてくる。そして、鏡の目の前でその歩みを止めると、キルはその中に居る自分に語りかけ始めた。

「やぁ・・・キル・・・。」

すると、鏡の中のキルもそれに答える。

「やぁ・・・キル・・・。」

「あのさ・・・ちょっと油断をしちゃって・・・・」

「言わなくても大丈夫だよ。君は僕であり、僕は君自身なんだから。あの鎌は空間や時間、そしてエーテルさえも切り刻んでしまう。しかも、君も知っての通り、エーテルの場合は一度消滅したら二度と復元出来ない。と、言うより、神にしか出来ない、神のみに許された行為。まぁ、我々も神の産物にすぎないからね。そんな大層なことは言えないけど。」

鏡の中のキルが薄気味の悪い笑みを浮かべながらそう言う。が、それに対し、鏡の前に立つキルも不適な笑みを浮かべながら、

「そう・・・・その通り。この複雑なエーテルを創りだし、また、再生出来るのは神だけ。だが、なぜ僕とまったく同じエーテルで創られた僕がもう一人いるのかな?これは神のみに許され、神にしか出来ない行為のはず・・・・。」

と、なにやら意味深なことを言い出した。

クスクスと鼻で笑う鏡の中のキル。そしてその鏡の中のキルが手を後ろに組み、左へ右へウロウロと歩き始めると、また語り始めた。

「だが、神はもう一人いた・・・・。僕に、つまり君にあらゆる知識を与え、そして、この技を編み出したもう一人の神・・・・・。」

鏡の中のキルが足を止めた。と同時に、両者とも口をそろえてこう言ったのだ。

「ルシフェル・・・」と。

そう、この男こそ現、地獄に君臨する絶対権力者。その性、傲慢にて傍若無人。知性、魔力とも神に劣らぬ力を持つという。

神に仕えていた頃、十二枚の翼を持ち、神の右腕として全ての天使を取りまとめていた大天使長。

「なんだか懐かしいね。あの頃が・・・。」

鏡の中のキルが言う。

「そんな事言っていいのかい?ミカエルが聞いていたら殺されるよ・・・。あの二人、仲悪かったからね。」

微妙な沈黙が流れた。

「ところで・・・そろそろ本題に入りたいのだが・・・。」

「おっと。これは失礼。右腕・・・・・・だったね?」

なぜか、少し寂しげな表情で鏡の中のキルがそう言うと、その前に立つキルが小さく頷いた。

すると、鏡の中のキルは、本来あるべき姿の所定の位置に戻り、それはまるで従来の鏡の様に実像と向かい合わせになると、ゆっくりと目を閉じた。

「すまないね。ひどく心が痛むよ・・・。君は僕であり、僕は君。これが終わってしまえば僕の手で無に返されてしまう。つまり永遠の死・・・。たかが右腕の為に君は自分に創られ、用が済んだら自分に殺される。しかも君は僕。その事実を知らないはずがない。もし、僕が君に創られた側だったら君を恨むかもしれないよ。死神の僕といえども死は怖い。」

鏡の中の自分に同情するキル。そして、それを鏡の中で目を瞑りながら聞く自分。

「キル・・・・。それが分かっているのならば、早くしてくれないか。君が怖いと思うものは僕も怖い。」

しばらくの間が空いた。ほんの十秒程度だが、なんとも言えぬ空気が流れる。が、何かを吹っ切ったかのように鏡の前に立つキルがゆっくりと左手を伸ばした。

伸ばした左手の指先がその先にある鏡に触れると、水面に触れたかのように鏡に幾つもの波紋が広がる。そして、左腕は吸い込まれるように波紋を広げながら徐々に鏡の中に入ってゆく。

触れた・・・左手の指先が鏡の中のキルの右肩に触れた。

「遠慮する必要はない。さぁ・・・・。」

目を瞑りながら鏡の中のキルは小さな声でそう言うと、自ら、まるでマネキンの腕を外すように右腕を取り外し、それを、外から伸びるキルの左手に握らせると、蒸発するようにそれはスゥーッと消えてしまった。

「・・・感じる・・・感じるよ。君の一部を・・・・。」

鏡の前に立つキルはそう言いながら、鏡の中に突っ込んだ左腕をゆっくり抜き始める。一定のスピードで、ゆっくり、ゆっくりと。

一見、何気ないキルの動作だが、ここでつまずいてしまうと、元も子も無くなってしまう。

よく見てみると、鏡の中に突っ込んだ左腕をゆっくり抜き戻しているのだが、突っ込んだ時と同様、綺麗な波紋が現れる。が、それは、腕を軸に外へ広がって行くのではなく、その逆で、巻き戻し映像を見ているかのように、波紋が外から現れ、その中心の腕に吸い込まれていく。

「入れた時と同じスピードで抜くんだ・・・。そう、そうだ。いいぞキル。少しでも狂うと、鏡に亀裂が入り、腕が抜けなくなってしまう。そして、無理やり抜こうとすればこの鏡は割れ、僕はおろか、この鏡に映っていた全ての物が破壊されてしまう。つまり君も、ガブリエルもね・・・・。」

鏡の中のキルが心配そうに言う。が、ゆっくり腕を抜くキルの表情は苦笑い。そんな事は十分承知のはず。

あともう少し・・・この手首さえ抜ければ・・・・。

「うっ・・・あうっ・・・・・。」

それは、あと、指先さえ抜ければという時だった。突然、キルの後ろから微かな声が聞えた。その声の主はガブリエル。だが、その突然の出来事に驚いたのか、キルの一定の動作に微妙なズレが生じたのだ。

ピシッ・・・・・・

鏡にめり込む指先を中心に、蜘蛛の巣のような細かい亀裂が生じ、キルの動きが止まった。

「・・・・やっちゃった・・・・。」

鏡の中のキルは額に手を当て、俯きながらそう言うと、力なく座り込んでしまった。当の本人も苦笑い。

こうなってしまった今、最早どうすることも出来ないのだろうか?

「心配する必要はない。安心したまえ。」

ピシッ・・・・ピシッピシッ・・・

「あっ・・・。」

鏡の中のキルから譲り受けた右腕分の無色透明なエーテルを体に取り込んだキルは、それを、右肩の付け根の部分から放出し、具現化すると、その新たな右腕で、黒く長い髪をかき上げながらその向こうで座り込むキルにそう言うが、小さな蜘蛛の巣状の亀裂が更に大きく広がってしまった。

「僕を心配するより、自分の心配をしたほうがいいんじゃないの?僕はいずれにせよ滅びる運命。しかし、君は違う。神から与えられた任務を全うする義務がある。」

鏡の中で俯きながら座るキルがボソボソと言う。

「だから大丈夫って言ってるじゃない。ここを何処だと思っているんだい?僕が創ったクリエイティブ・ワールドの中だよ。何でも出来る。いいかい?まず、僕の分身を一体創る。そして、その創った分身を鏡に映らないところで待機させる。で、ここからが本番。僕が一気にこの左腕を力ずくで抜く。もちろんその衝撃で鏡は砕けるはずだ。次に、分身の出番が来るってわけ。僕が手を抜き、鏡が砕けた瞬間、鏡に映らないところで待機している僕の分身が時間を止める・・・。」

鏡の外で実体であるキルが順に説明していると、鏡の中のキルは小さく首を振りながら、それに反論する。

「おいおい・・・大丈夫かいキル?鏡が砕けた瞬間に分身が時を止めると言っても、所詮、分身は分身。この空間に存在する時の流れは止められても、本体の君までは止めることは出来ない。なぜなら、分身とは本体が操るもの。しかも、恐らくその時の君は砕けた鏡のようにバラバラになっているはずだ。仮に、ちょっと難しいとは思うが、意識だけをそのままにして、物質のみを止めたとしても本体がそんなバラバラの状態じゃ、うまく操れるわけがない・・・。」

そう、反論する鏡の中のキルだが、もちろんそんな事は十分承知なはず。しかし、それを黙って聞いていたキルは、なぜかニヤリと笑った。

「ただの分身ではない。もう一つあるではないか・・・・。」

それを聞いた途端、鏡の中のキルは何かを思い出したかのように、勢いよく立ち上がり

「鴉・・・。」

と、一言口にした。

「その通り。鴉は特別な生き物。彼らは、エーテルを直視でき、更にはエーテルに触れることすら出来る。そして、時には死神、つまり僕の使いとなって働いてくれる。」

左手を固定したまま、薄気味の悪い笑みを浮かべそう言うと、身に纏う黒いマントの中に右手を突っ込み何かを探し始めたのだ。

そして、そこから現れたそれは、キルの人差し指に乗った一羽の鴉。

黒の中に淡い紫や緑色が、見る角度によって現れる独特の体毛に覆われた鴉が羽をバタつかせ、キルの顔を見るなりカーッカーッと声を上げ威嚇し始めた。

「シーッ。静かに。さぁ、僕の目を見てごらん。」

人差し指に乗る鴉を顔の高さにまで上げ、黒く小さな瞳から一時も目を離さず、キルがなだめると、鴉はすぐに落ち着きを取り戻した。

「そう・・・いい子だ。賢いぞ。そのまま動くなよ・・・・・。」

そう言い終えた頃、いつの間にかキルの背後に、見知らぬ二本の腕だけが宙に浮いていたのだ。その腕は細く美しく、指先には赤いマニュキアが塗られている真っ白な肌の華奢な腕うでだった。そして、その宙に現れた腕が、キルの長い黒髪にそっと手を伸ばすと、左手で髪を掬い上げ、右手の細い指先で掬い上げた髪の中から一本だけ摘まむと、プチッと抜き、宙を漂いながら鴉の頭上までフワフワ移動し始めたのだ。

何とも異様な光景だが、これもキルが創造し、それがこのクリエイティブ・ワールドという世界の中で実現したに過ぎない。そして今、こうしている間にもキルの頭の中では次に実現化させる出来事を創造しているのだろう。

壁面を埋め尽くす白いタイルよりも更に白い二本の腕がキルの右手に乗った鴉の頭上で止まった。そして、その鴉の頭上で浮遊する二本の腕はキルの頭の中でのシュミレーション通りに事を成し続ける。

微少ではあるが、具現化されているキルの髪の毛一本分のエーテルを鴉の首に括り付け、切れない程度に軽く結ぶと、宙に浮く二本の華奢な腕は指先から蒸発するように消えてしまった。

それまで一時も目を離さず鴉の小さな瞳を見つめ続けていたキルだが、なぜかここで一旦目を閉じた。

そして、それから間もなくすると、微かではあるがキルの表情が綻び、瞑っていた両目をゆっくり開くと、右腕を勢いよく振り上げ、乗っていた鴉を放ったのだった。

またもここからが、キルの頭の中で創造されたことが実現化する。

羽を広げ、宙に舞う鴉を見つめながら右手で指をパチンッと弾くと、なんと一瞬にして鴉が人間に変わったのだ。

「いい趣味してるじゃない・・・。まさに僕好み。」

鏡の中のキルが言う。

「当たり前じゃないか。だって君は僕なんだから・・・。」

そう言うキルの前に佇む一人の、いや、一体の人間の形をした、それのその首には、黒いバンドが巻きつけてある。

恐らくこれは鴉の首に縛り付けたキルの髪の毛、つまり、エーテルを黒いバンドとして具現化したのだろう。

そして、鏡の中のキルが「いい趣味」と指す、その容姿と佇まいは、腰まで伸びる長い黒髪を靡かせた、それはそれは美しい女性だった。

身に纏うものは何もなく、全裸の状態で佇む彼女の表情はどこか冷たく、少し不貞腐れたような顔をしているのだが、何処と無く気品さを醸し出している。

容姿端麗且つモデルのようなボディライン。まさにこれぞ美の最終形態。これを創造する為に目を閉じ、口元が緩むキルを見ると何だか頼りがない。

「ん・・・創造通りだ。美しい・・・・美しすぎる。これも僕の美的センスがあってからこその作品だ。よって今、君に命名しよう。たった今から君の名は・・・・」

ナルシストを気取っているのか、果ては余裕を表しているのか、そう言いながら、足元まで垂れ下がる黒いマントを右手で勢いよくバサリとはらうと、その衝撃が左腕を伝い、鏡に大きな亀裂が広がってしまった。

自分で自分を見ながら情けなさのあまり頭を抱え込む鏡の中のキル。しかし、そうしている間にもどんどん亀裂が広がっていく。

「し、しまった・・・。あ、あとは頼んだよ・・・。」

徐々に広がる亀裂と徐々に後退する彼女を交互に目を移しながらそう言い、女が鏡に映らない所まで移動し、それを確認すると、鏡にめり込んでいる左腕を一気に引いたのだ。

その瞬間、垂直に伸びる鏡の平面がめり込む指先を中心に、ほんの僅かではあるが瞬間的に弧を描くと、弾け飛ぶように鏡は砕け散った。

透かさず鏡に映らない所で待機していた、微弱ながらも鴉本来が持ち得る妖力と、キルの意識と力を併せ持つ女が両手の掌を前に突き出し、小さくこう呟いたのだ。

「止まれ・・・」と。

全ての物音が消え、静寂に包まれたそこには、なんとも異様な光景が広がっていた。


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