後編 月日が流れて、今の話
そして、月日が流れて、今の話です。
丘の上には、木が立っています。
冬でも青々とした葉を繁らせる、とても大きな木です。
それはかつて『奇跡の木』と呼ばれた木と瓜二つでした。
「ミナ、来たぞー!」
「ここにいるよ、テツヤくん。相変わらず声大きいよね」
テツヤの呼ぶ声に、ミナが木の幹から顔をのぞかせて答えます。
テツヤもミナも成長して、すっかり大きくなっていました。
☆☆☆
あれから。
『木』が切り倒された後もふたりは諦めませんでした。
テツヤは、挿し木という方法で『大きな木』を復活させようとしました。
挿し木は、簡単にいうと木の枝などを土に挿して増やす方法です。
『木』を切り倒すのを止めて欲しいという言葉は、聞き入れてもらえませんでした。 でも、代わりに挿し木という方法を教えてもらうことと、と『木』の枝をもらうことはできたのです。
でも、挿し木は成功するとは限りません。
なので、テツヤは、たくさん植えることにします。
自分のうちの庭に、おじいちゃんのうちの庭に、他にも頼めるところには全部頼みました。
幸いなことに、枝はすくすくと育ち、若々しい立派な木になりました。
ミナは木の妖精のことを絵本にして、みんなに知らせることにしました。
『奇跡の木』のことをみんなに思い出してもらって、木の妖精の力を取り戻そうと思ったのです。
木の妖精は、昔のことをよく知っていました。
悲しかったことも、うれしかったことも覚えていました。
それを絵本にすることにしたのです。
ミナは絵本を作り、それを学校のみんなに見せました。
その絵本はちょっとした話題になりました。
昔のことが、まるで見てきたかのように描かれていたからです。
子供たちは『奇跡の木』のことを知りました。
先生や、お父さん、お母さんたちは、昔聞かされた『奇跡の木』の話を思い出しました。
そして、おじいさんやおばあさんは『奇跡の木』への想いを新たにしました。
みんなの想いが、また『奇跡の木』に集まりました。
おかげで、木の妖精は枯れずに生き延びることができました。
そして、木の妖精は満を持して、ふたつの世界を繋げることにしました。
テツヤとミナの努力を無にしないように、全力で頑張りました。
――でも、ちょっと頑張りすぎました。
テツヤの世界とミナの世界は、完全に、ひとつになってしまったのです!
☆☆☆
そして、今日。
ひとつになった世界で、テツヤとミナは待ち合わせをしていました。
丘の上から、『鉄の町』を見下ろして、テツヤが言います。
そこには工場はありません。
「なあ、子供の頃さ。木の妖精が『お前が待ち合わせの時に独り言、言ってた』って話してたけど、結局何を言ってたんだ?」
テツヤと同じように、『鉄の町』を見下ろして、ミナが答えます。
そこには遊園地もありません。
「内緒! もう時効よ。昔の話だし」
――その時です。
ざあっという音。
風もないのに『奇跡の木』の葉が、音を立てました。
木の根元には女の人が立っています。
木の妖精です。
「あのとき、ミナさんがなんて言ってたか教えてあげましょうか?」
「ちょっと、ダメだって!」
ミナの抗議に、木の妖精は笑顔で答えます。
ほんの少しだけ、意地悪な笑顔です。
彼女は、ときどきこうやって待ち合わせ中のふたりに会いに出てきていました。
「ほら、私、『縁結びの木』の妖精ですから、それらしいことをしないと」
「もう!」
「ふふふ、冗談ですよ」
彼女はもう、『奇跡の木』の妖精ではありません。
木の妖精の力で、テツヤの世界とミナの世界はひとつになりました。
この世界では『鉄の町』に『爆弾』は落とされなかったのです。
悲劇がなかった以上、奇跡も必要ありません。
また、『港の町』にも『爆弾』は落とされませんでした。
悲劇はどちらの町にも起きなかったのです。
かつてあった『奇跡の木』も、かつて落ちた『爆弾』も、今はもう絵本の中にしか残っていません。
人々の記憶から、『爆弾』のことは消えました。
でも、何か悲劇があったこと、それを乗り越えたことだけは、心に残ったのです。
だから、人々は大事に思うようになりました。
自分の周りにいる人を、自分のとなりにいる人を。
それは本当なら、あの時死んでしまったかもしれない人だから。
会うことどころか、うまれてくることすら叶わない人だったかもしれないから。
その想いは、丘の上の木を見るとより強くなりました。
周りの人を、となりの人を大切に思う気持ちが、『大きな木』を見るとわきあがってくるのです。
いつしか『奇跡の木』だったものは『縁結びの木』と呼ばれるようになっていました。
木の妖精が言います。
「今日はテツヤさんとミナさんにお別れを言いに来ました」
その言葉にふたりはびっくりました。
「どうしたんだ? どこか調子が悪いのか?」
「大丈夫?」
ふたりは心配そうに尋ねます。
「私は大丈夫ですよ。今回の原因はふたりの方です」
木の妖精は少しさびしそうに笑いました。
「妖精は子供しか見えないのです。ふたりは、もう子供じゃありませんから」
テツヤとミナは顔を見合わせます。
ふたりとも、そろそろ子供とは言えない歳になっていました。
木の妖精の姿が、すこしずつ薄れていきます。
「私、忘れないから! あなたのこと、絵本にもお話にもいっぱい残すから!」
ミナが言いました。
「俺も忘れない! 俺たちの子供にも孫にもその先にも、このことを伝えていくから」
テツヤも言います。
「ありがとう、ふたりに会えてよかったです。今なら胸を張って言えます。
私は『奇跡の木』で『縁結びの木』だって」
木の妖精はふたりの言葉にそう答えると、すーっと消えていきました。
しばらくの間、テツヤとミナは、そこに黙って立ち尽くしていました。
「消えちゃった」
「消えたわけじゃない。見えなくなっただけだ」
ミナのつぶやきに、テツヤが答えました。
「妖精が消えるのは、みんなが木のことを想わなくなったときだろう」
「そうだね。だから、忘れないように伝えていかなきゃ」
ミナは丘の下を眺めます。
そこには工場も遊園地もなく、大きなショッピングモールがありました。
今日はふたりでそこに出かける予定です。
「結局、工場も遊園地つぶれちゃったね」
「そうだなー……。町が移り変わるのは仕方ないんじゃないかな。
でも、この木はきっとずっと残っていくと思う。いや俺たちが残していく」
「うん。がんばろう」
ふたりは歩き出します。
縁結びの木は、そんなふたりを見送るように、さわさわと葉の音を立てました。