前編 そんなに昔でもない、でも、少しばかり昔の話
これはそんなに昔でもない、でも、少しばかり昔の話。
あるところに『鉄の町』という町がありました。
その町には小高い丘があって、そこには大きな木がありました。
冬でも青々とした葉を繁らせる、立派な木です。
とある冬休みの昼下がり。
その大きな木に向かって歩いていく男の子がいました。
テツヤという名前の男の子です。
テツヤは、冬休みに入ってから、毎日その木の下へ通っていました。
大きな木は、とある女の子との待ち合わせ場所だったからです。
「ミナ、いるかー!?」
「そんな大きな声出さなくても。ほら、『奇跡の木』の後ろにいるよ、テツヤくん」
男の子の呼ぶ声に、女の子が木の幹から顔をひょいとのぞかせて答えます。
その女の子――ミナはその木を『奇跡の木』と呼んでいました。
テツヤはそこまで大層なものとは思っていませんでしたが、彼にとっても特別な木であることには間違いありません。
仲の良い友達が実家へ帰ってしまって、ヒマを持て余しているテツヤ。
『港の町』から引っ越してきたばかりで、友達のいないミナ。
ふたりは、毎日のように一緒に遊んでいました。
それはテツヤにとっても、ミナにとっても楽しい時間でした。
「よし! 今日は俺が町を案内してやる!」
「分かった。いろんなとこ教えてね」
今日はふたりで町の散歩をすることにしました。
引っ越してきたばかりのミナを、地元育ちのテツヤが案内することにしたのです。
ふたりは丘を降り、町へ向かいました。
テツヤは張り切って説明します。
「東に遊園地が見えるだろう。あそこは昔、工場だったんだ」
「え? あそこにあるのは工場だけど」
ミナはきょとんとして答えました。
テツヤはびっくりして、そちらを眺めます。
そこにあったのは、遊園地ではなく古びた工場でした。
もくもくと煙を上げています。
「じゃあ、西! 西はずっと昔からある工場なんだ。この『鉄の町』の名前の由来にもなったんだぞ」
「……おかしいわ」
テツヤは西側を指さしながら説明します。
今度はちゃんと工場がありました。
東側に負けず劣らず古びた工場です。
でも、ミナは腑に落ちない顔をしました。
「何がおかしいんだ?」
「西側にあるのは遊園地のはずよ。わたし、連れて行ってもらったことあるもの」
ふたりはキョロキョロと辺りを見回します。
東を見ても西を見ても、遊園地はありません。
東にも西にも似たような、古びた工場が建っていて、もくもくと煙を上げていました。
――東が遊園地で、西が工場だったはず。
テツヤは自分の記憶違いかもしれないと思いました。
けれど、それはあり得ないとも思い直しました。
生まれてこの方ずっと『鉄の町』で育ったのです。
勘違いする訳がありません。
テツヤは得体の知れない不安を感じました。
ミナも不安そうです。
改めて、辺りを見ると見覚えがあるようでいて、でも、全然違う街並みでした。
以前、写真で見た昔の街並みに少し似ている気がします。
「道を間違えたかもしれない。一度、丘の上に戻ろう」
「うん……」
ふたりは来た道を戻ることにしました。
テツヤは心の中では不安でした。
でも、不安そうにしているミナの前ではそれは出せません。
勇気を振り絞って、ミナの手を握りました。
「はぐれないようにしないと」
「うん」
テツヤとミナは手をつないで歩きだします。
その手をブン、ブンと振ると、少しずつ不安が和らいでいきました。
ミナは思い出したように話をはじめます。
「わたしが行った遊園地はね。工場の跡地なんだって」
「そりゃそうだよ。『鉄の町』の遊園地はそこしかないから」
「そういえばそっか。あそこの慰霊碑の所の花壇、すごく綺麗だよね」
「え、慰霊碑なんてあったっけ?」
テツヤはその遊園地が大好きで、年に2回は連れて行ってもらっていました。
それ以上はどんなに頼んでもダメだったので、パンフレットやガイドブックを見て我慢していました。
ちょっとした遊園地マニアです。
でも、慰霊碑なんて見たことも聞いたこともありません。
「え、知らないの? 『鉄の町』の人はみんな知ってるものだと思ってた。
ほら、昔、戦争があったでしょう。
『爆弾』が落ちてきて、たくさんの人が亡くなったじゃない。
その人たちのための慰霊碑よ。
遊園地自体、『爆弾』で工場が吹き飛んでしまった後に建てられたものだって聞いたわ」
――――そんなことある訳ない。
それはテツヤが知っているのと全然違う話でした。
そうこうしているうちに、丘の上に着きました。
大きな木がふたりを出迎えます。
いつも待ち合わせ場所にしている大きな木。
「その『爆弾』で、この丘の木も花もほとんど焼け落ちてしまって。
でも、この木だけが奇跡的に残ったんだって」
ミナは木の幹を軽くなでながら言いました。
「だから、この木は『奇跡の木』なの」
テツヤは考えこんでしまいました。
不思議に思ったミナが尋ねます。
「どうしたの?」
「俺の知ってる話と違う」
テツヤが話します。
「この町に『爆弾』は落ちなかったんだ」
テツヤは丘の上から町を見下ろします。
でも、モヤがかかっていて、建物はよく見えません。
「あの日、こんな風にモヤがかかっていて、建物が見えなくて、ここに落とすのを諦めたんだ。そして、代わりに『港の町』に落とした。
じいちゃんもばあちゃんも、あの工場で働いていたんだ。もし、『鉄の町』に『爆弾』が落ちていたら、ふたりとも多分生き残れなかった。だから、きっと俺はここにいないと思う」
ミナはとまどいます。
「じゃあ、なんで遊園地ができたの?」
「工場が経営不振になって、半分を遊園地に建て替えたんだって」
「……そうなんだ」
相手の言っていることは嘘ではなさそう。
でも、自分の知ってることと決定的に違う。
ふたりの心にモヤモヤとした影がさします。
振り払ったはずの、得体の知れない不安が少しずつ蘇ってきます。
――その時でした。
ざあっという音。
風もないのに『奇跡の木』の葉が、音を立てたのです。
ふたりはハッと驚いて木の方を見ました。
すると、そこには女の人が立っていました。
さっきまで誰もいなかったはずなのに。
着物のような服を着た女の人でした。
その人は優しく微笑みました。
「ふたりの話が食い違う理由を教えてあげましょうか?」
テツヤはびっくりして尋ねます。
「お姉さんは誰なの?」
「私は妖精です。皆さんが『奇跡の木』と呼んでいる木の妖精です」
ミナは疑わしげです。
「本当に木の妖精なの?」
女の人は自分が疑われていることに気付いて苦笑いしました。
「私はこの丘でずっとあなたたちを見てきました。
ふたりがどんなふうに遊んでいるかとか、
ミナさんがテツヤくんを待っている時にどんな独り言を言っているかとか、
全て知っています」
少し意地悪な笑みをする女の人。
ミナは顔を真っ赤にしました。
「分かったから! お姉さんが木の妖精だって信じるから!」
「俺も信じる」
ミナの独り言が気になりましたが、テツヤも女の人を木の妖精だと信じることにしました。
「話が食い違う理由、それはふたりが別の世界の人間だからです」
「どういうことなの?」
ミナの問いに木の妖精が説明します。
「ふたりは別々の歴史を歩んできた別々の世界の住人なんです。
テツヤくんの世界では『港の町』に『爆弾』が落とされました。
その世界ではミナさんは生まれてこられません。
ミナさんと私の世界では『鉄の町』に『爆弾』が落とされました。
その世界ではテツヤくんは生まれてこられません」
「『爆弾』のせいで、じいちゃん達が生き残れなかったから?」
「そういうことです」
木の妖精はうなずきました。
「じゃあ、なんで私たちは出会えたの?」
「元々、私は枯れそうになっていて、テツヤくんの世界の『私』に力を分けてもらっていたのです。
そしてある日、テツヤくんとミナさんが別々の世界でさびしそうにしてるのを見たんです。このふたりが出会えたら、きっと喜んでくれるだろうなって思って、私はふたつの世界を繋ぐことにしました」
ミナが驚きます。
「そんなことできるんだ!?」
「これでも妖精ですから。妖精は子供の味方なんです! まあ、繋げられるのは、木の周りだけなので、丘を離れると少しおかしなことになってしまいますけど」
「丘の下は確かに変だったわ……」
「多分、ふたりの世界が分岐する前の、『爆弾』が落ちる前の世界だと思います」
木の妖精の話を聞いて、ミナはテツヤに尋ねます。
「今の話、分かった?」
「うーん、半分くらい。妖精さんのおかげで俺とミナが会えたってことは分かった」
「もう!」
ミナは半分あきれ顔です。
木の妖精は苦笑いしていましたが、すぐに真面目な顔で言いました。
「ふたりに謝らなければいけないことがあります。おふたりが会えるのは、多分、後1週間くらいの間だけだと思います」
木の妖精が悲しそうな顔です。
「先ほど、テツヤくんの世界の人が来て、子供が登ったら危ないので、そちらの『私』を切り倒すと言っていました。そうなると、ふたつの世界の繋がりは消えてしまいます。私がこうやって出てきたのはそのことを伝えるためなのです。」
「え!? なんで? 『奇跡の木』なのに」
ミナが驚きます。
「あちらの『私』は『奇跡の木』でもなんでもない、ただの大きな木ですから。『爆弾』が落ちなかった以上、『奇跡』もないのです」
木の妖精は、『木』の幹を撫でながら、言います。
「そして、テツヤくんの世界の『私』に力を分けてもらえなくなったら、『奇跡の木』である私も遠からず枯れてしまうでしょう。
私は、人々の『奇跡の木』に対する想いから生まれました。焼け野原でただ一本だけ残った私は、希望の象徴になったのです。
そして、その想いの力で、私は枯れずに生きのびました。それがなければ私はすぐに枯れていたはずです」
木の妖精は真剣な表情で、先を続けました。
テツヤとミナは、その言葉を黙って聞いています。
「時間が経つにつれ、私に対する思い入れは少しずつ減っていきました。あの地獄のような光景を知らない人が増えたのは、喜ぶべきことなのかもしれません。
でも、私は皆さんの想いで生きながらえている身。それがないと体が持たないのです」
みんな、黙り込んでしまいました。
やがて、テツヤが顔を上げて言いました。
「木が切り倒されなければいいんだよな?」
「そうですけど……」
「なんとかしてみる!」
テツヤが大きな声を出しました。
ミナが不安げに尋ねます。
「なんとかって、どうするの?」
「よく分からない。でも、思いつく限りやるんだよ! だって――」
お前ともう会えなくなってしまう――後半の言葉をテツヤは飲み込みました。
恥ずかしかったのと、それと、言ったら本当になってしまうような気がしたからです。
「分かった。私も手伝う」
ミナも不安を振り払っていいました。
「ごめんなさい。このようなことになってしまって」
木の妖精は申し訳なさそうな顔をしています。
「いいって、いいって!」
「そうよ! どーんと大船に乗ったつもりでいなさい」
テツヤもミナも気にしません。
そもそも、木の妖精のおかげで会えたのです。
そして、わざわざ、こうやって別れのことを教えに来てくれている。
それに、別れを防ぐことができるかもしれないのですから。
それから。
テツヤとミナは頑張りました。
木の妖精も手伝いました。
でも、大人を説得するのは子供ふたりでやらなければいけませんでした。
妖精は大人には見えないからです。
けれど、テツヤとミナの言葉は、大人には聞き入れてもらえませんでした。
『木』は切り倒されてしまいました。
ふたりは会えなくなってしまいました。
――それでも、テツヤとミナは諦めませんでした。