○○1-3 氷上麗との再会○○
本屋には色々な料理本が置いてあった。
散々迷って結局、一通り見てからパスタを作らなければならない使命を思い出す。
丁度、開いたページがナポリタンスパゲッティーの作り方だったから。
俺は好き何だけど、さすがに無いだろうなぁ……。
美味そうな写真が横に載せられていたが、このタイミングじゃない。
学校で話をしたら確実に浮くだろう。
ナポリタンスパゲッティーの話をして、流行も知らないのかと友達に笑われる湖華音ちゃんがありありと思い浮かんだ。
あまりの不憫さに泣きそうになった。
もしや、それが原因でイジメに発展するやもしれん。
これは責任重大だぞ、と決意を新たに。
料理本を棚にもどして、女性雑誌の方へと足を向けると数人の女性たちが立ち読みをしていた。
なんという男が入りにくい空間。
気が引ける。でも、負けない。湖華音ちゃんの為に。
すいません、すいませんと言いながら突撃。
プライドなどすでに無いものだと思っていたが、あったらしい。
怪訝そうな女性の視線に男としての何かが削れていくような感覚。それでも、流行であろう料理がでかでかと写された雑誌をとる事ができた。
ほーん。はーんなんて関心をしながら、女性に人気だという食い物の記事に目を通してゆく。
こうなってしまえば周りの視線など忘却の彼方で、ひたすらに立ち読む。
頭の中で料理の作り方を覚えたり、組み合わせたり。
よく外見に似合わないと言われるが、こう言う事が好きなのだ。のめりこんでしまう。
そうやってどのくらいだったろうか。
「てつ先輩ー?」と、突然女性の声で俺の名前を呼びながら肩を叩いてきた。驚いてビクっと体が震えた。
あわてて振り返ると、そこには大学時代の小さい後輩がいた。
なぜか、目元の化粧が大きく崩れてはいたが。
素の顔は童顔で可愛らしい作りをしているのに、今はバケモノみたいだ。
「よぉ」
挨拶すれば「お久しぶりですー」と、のん気な言葉が返ってきた。
化粧の状態を除けば相変わらずの様子だ。
会社帰りなのか、スーツ姿。もっとも俺の知っているスーツ姿とは大きくかわったものではあるが。
スカートは大きくスリットは入っているし、ブラウスなんてボタンの所がふわふわしているのが付いている。
大学卒業後、どこか大手企業の秘書課に配属されているらしいのだが、果たしてこの格好は正しいものなのだろうか。
夜のお店で働いている、と言われてもまったく違和感がないのだが。
「今、帰りなのか?」
さすがに、化粧が崩れている事を言えずに無難な事を言った。この状態を本人は気づいているのだろうか。
「そうですよー。てつ先輩もお仕事のお帰り……ああっ、ごめんなさいー。無職なんでしたっけー?」
俺の気持ちなど知らずに、ニヤニヤと勝ち誇った顔をしよってからに。
大体、俺は無職じゃない。フリーターだ。バイトをしている。今の流行にのっているんだ。
「無職じゃない、間違えるな」
「じゃぁ、正社員になれたんですねー。おめでとうございますー」
正社員なんて夢のまた夢。
夢を見るのは眠っている間だけにして、俺は現実でバイトに忙しいんだっつーの。
黙っていると、さらにニヤニヤ顔を近づけてまとわりついてきた。
「あれっ。どうしたんですかー? まだ、正社員になれないんですかー」
あっ、嫌味ですね。どうもありがとうございます。
俺とは別の趣味の人種にはご褒美であろうが、俺には痛痒も与えない。
と言うか、大学時代からこんなノリで互いに会話していたため、他人から見ると痛烈な会話であろうが、俺たちにとっては普通のことだ。
「そうだ。正社員なんてこっちから願い下げだ」
本心とは違う事を言って、少し傷つく。
安定した収入と休日、正直うらやましいです。
俺と氷上は低く笑いあう。
「……所で、なんで女性雑誌コーナーなんかにいるんですかー?」
崩れた化粧に気づいていないのだろうか。怪訝な表情で聞いてくる。
いや、俺としてはそっちの今の状態のが気になるのだが。
嫌味を言い合えるほど気の置けない仲ではあるのだが。恋人とでも喧嘩でもしたのか……さすがに聞きにくい。
コイツ、自分の弱みを隠すからなぁ。
「流行の料理が気になってな。レシピを見ていた」
結局聞けずに、問いに返す。
「それ女の子向けですよー?」
不審な表情になった氷上は言う。
「彼女でもできたんですかー?」
できるわけないだろう。生まれて28年そんな存在見たことがないっつーの。
言うのも空しいが。俺は一言「ああん?」とだけ言った。出た声が少しだけ低かったかもしれない。
「ですよねー」
ニヤニヤしながら言いやがる。畜生。
「で、なんでなんですかー?」
氷上には言っていなかっただろうか。隣人の一家の事を。
ちらりと考え、どうでもいいか。と、結論する。
それよりも、ちょうど流行りにうるさそうな社会人女性がいるのだ。パスタの事を聞こう。
「作る為だ。流行のパスタってどんなのか教えてくれ」
「ああー。てつ先輩料理上手でしたもんねー。でも、女性向けのなんて作ってるなんて聞いた事ないですよー? 誰か胃袋から落とそうってんですかー?」
ニヤニヤと、相変わらず崩れた化粧で言いやがる。
そんな色気のあるもんじゃねーっつうの。
一人の少女がクラスで孤立しないための、オッサンの気遣いと努力だ。
「同じアパートに住んでる一家の女の子がな、パスタ食いたいっていうから作ってやるんだ」
氷上は俺のアパートの状態を知っている。そこの住人の収入も外見からわかると言うものだろう。
「んなもん、ナポリタンでも食わせてやりゃいいんですよー。小さいうちからこんなのわかるわけ無いでしょー?」
「馬鹿言え。年頃の女の子にそんなかわいそうな事はできんわ。少しでも学校の会話に付いていけるようにしてやりたいんだ」
「……年頃?」
呆れた様子でナポリタンと言ってた氷上の顔が一瞬、俺の返答を聞いた途端『アレっ?』と困惑に変わった。
何かおかしい事でもあったのだろうか。
「……てつ先輩、一つ聞きたいんですけど」
「なんだ」と返しながら、再び雑誌に視線を向ける。
パラパラと捲っていたら、丁度パスタのおいしいお店特集の記事を見つけた。
「その女の子って、何歳なんですか?」
コイツの間延びしない話し方なんて珍しいな、なんて思いながら答える「13歳」
「っええええええええええええ!?」
氷上が大声を出した。うるせぇ。周りに迷惑だろうが。
自然に細くなった視線で氷上を見れば、口をあけたまま固まっていた。
ついでに持っていたブランド物のバックも手からこぼれて地面に転がっていた。
何やってんだコイツ。と、思いながら「どうした」と問う。
「先輩、それ犯罪! 犯罪ですよ犯罪……! 彼女ができないからって中学生、しかも1年生は無いっ……!」
氷上が俺に詰め寄りながら言う。すごい迫力だ。
肩をつかまれガクガクと揺さぶられる。すごい力で。
身長なんて俺の胸よりも無いのに、どいうことだ。
やめろ雑誌がグチャグチャになる。俺は買うつもりは無いんだからな。
氷上は目に涙さえ浮かべて、ギャーギャーと俺に説教らしきものをして来た。
それは違う。誤解だ。
氷上のせいで周りに注目されていると言うのに、その内容が俺のロリコン疑惑とは。
勘弁してくれ。
ただでさえ外見がよくないのにこれ以上生き難くしないでくれ。
説教が次第に何かの懺悔のようなものに変わってきた。
顔もいつの間にか下を向いていて、俺に旋毛を向けブツブツと独り言。……怖ぇ。
オーラというのか、なんと言うのか。鬼気迫る雰囲気が氷上から形成されているような気がする。
いや、違うから。俺、ロリコンじゃないから。
「氷上、落ち着け。俺はロリコンじゃない。お前の想像している何もかもが間違ってる」
読む事を諦め、すでにグシャグシャになってしまった雑誌を閉じながら言う。
……これは買わなきゃ駄目だろうなぁ……。
それでも氷上はブツブツと呟きを止めようとしない。俺の声が聞こえていないようだ。
コイツの悪癖だ。
一つの事に集中してしまうと周りが見えなくなる。
はぁ、とため息一つ吐いて氷上の前でしゃがみ、視線をあわせる格好になる。
そして片手に雑誌をもっているため、反対の手で氷上の肩を強く何度か揺らして言う。
「いいか、よく聞け。俺は隣人一家の手助けをしているだけだ。やましい気持ちなど一欠けらもない」
力強く、ゆっくりとそう声をかける。
焦点の合っていなかった視線が、ゆっくりと俺に定まって行く。
そして、氷上はまるで懇願するような表情で、「本当に?」と言ってきた。
……コイツは俺を何だと思っているのだろう。気の置けない、年齢を越え男女の仲を越えた友人と思っているのは俺だけなのだろうか?
「本当も本当だ。……大体、俺の趣味は知っているだろう」
お姉さん系が好きなんだ。年上美人系の。
今じゃ、俺が28歳になってしまい、大学時代の理想としていた女性の年齢を超えてしまったが。
それでも年上が好きなのだ。
俺の年齢も上がりさらに上に好みの範囲が広がったのだ。下限も上になった。
「あぁ、えー。……あははははあはははは。ですよねー?」
露骨な誤魔化し笑いをしやがって。
怒りよりも呆れが先に来てしまい、怒ることもできない。
「とりあえず、流行のパスタ、教えろ」
少し強めに言うと氷上はひるんだ様子だ。
さすがに仲がよくても俺の容姿だ。怖いものは恐いらしい。
「えー……っとー。まぁ……」
これなんか、良いんじゃないですかねー。と、適当に氷上は俺の持っていた雑誌をペラペラとめくる。
フンフン、と話を聞きながら写真からどんな食材が使われているか適当に予想する。
シェフの語る理想のお店像なんかいらないんだよ、食材を教えろ。
使えねぇ記事だな。
食材がわかれば味の見当もつきそうなものなのに……。
氷上の選んだパスタの中から、料理本に載っていそうなオードソックスな物を作る事に決める。
後は、料理本のレシピを覚えて食材を買って帰らなければならない。
あと、グシャグシャにしてしまった雑誌の購入も。
「おう、悪るかったな。じゃぁな」
分かれる言葉を告げると、氷上は満面の笑みで「てつ先輩、私も食べに行ってもいいですかー?」などとほざく。
はぁ? いやお前、稼いでるんだから店行けよ。
わざわざ、貧乏人からたかるんじゃねぇよ。
……っていうか、彼氏と行けよ。
別れたのかもしれんが。そんな事は俺は知らん。
何を言っているんだ、と言う雰囲気を存外に出す。
コイツと飯を食うといつの間にか、酒を飲みだしてそのままつぶれるから面倒なんだ。
「いいじゃないですかー。味見、してあげますよー。わからないでしょー? 元の味ー」
その指摘に思わず、うめいてしまう。
確かに、レシピとおりに作ったとしても流行の物とは違うかもしれない。
それを湖華音ちゃんが学校で話して……仲間内で浮いてしまうかも。
一瞬で、そんなストーリーが思い浮かんだ。
今、なによりも優先されるべきは湖華音ちゃんの学校生活である。
楽しく思い出に残るものであってほしい。
その為の手伝いなら、できる事をしてやる。
だが、だがどうだろう。
氷上が飯を食いに来たとして、湖華音ちゃんと会う。それが悪影響にならないだろうか?
氷上を見る。そんな俺の行動に氷上は頭を傾げた。
会社人として、一般的なものとは違うスーツ姿。軽い言動、他人に対する人当たりなどなど。
色々考慮するとよろしくない、ような気がする。
鑑みて、明日の湖華音の学校生活……。
悩みに悩んで、結論を出す。1度きりしか会わない人物にそれほど影響は受けないだろうと。
湖華音ちゃんはしっかりした娘だ。コイツとは違う。
「わかった。料理本を見てくる。お前はその間に化粧を直せ」
そういって、別の棚に足を向けた。
背後から、「はぁ?」という、大きな声が聞こえた。