第八十八話 「バックアタック 前編」
本章は本物の視点で書かれています。
ラテラノが天球儀をかざす。
天球儀から飛び出したカードが姿を変えた。
「うわぁ……きれい……」
本物はカードから生み出された七色の蝶が舞うのをみて、思わず歓声を上げた。
七色の蝶は庭園を流れる小川を滑るように飛ぶ。
キラキラと輝く鱗粉が宝石のように煌めいた。
小川の上を舞う蝶に手を伸ばした本物をやんわりと制する声がする。
「た~いちょ、あぶないよ。落っこちちゃうよ~」
バランスを崩しかけた本物をひょいっと抱え上げたのは、モ二―だ。
「むぅ、子供扱いしないで! あたしだって気をつけてるもん!」
「は~いはい。わかったから小川から離れて離れて~」
「ぜんぜんわかってなーい!」
本物はモ二―の脇に抱えられたままバタバタと暴れる。
が、冷静な声が横から入ってきた。
「シギン、前は池に落ちた。小川から離れたほうが良い」
ラテラノに過去の惨事を指摘されて顔が熱くなる。
あれは事故だ。
万に一度もない事故によりあのような不遇に見舞われただけなのだ。
「ラテラノまでひどいなあ……、あれはお池の岩がくずれやすくなっていたからだよ!」
「落ちたのは事実。素直に認めるべき」
「ぐぬぬ……」
今日は、玲樹を含めて、陽織、シャウナ、アウローラ、セリアと言った面々。
さらにはシギンの同胞であるエイルまでもが外出している。
こんな日は研究も捗らないのでシギンは体を本物に明け渡してくれる。
病気の体に負担がかかるため本物が自由に行動できる時間は限られているが、こんな暇なときくらいは遊んでほしいとの計らいである。
ラテラノと本物は誰もいない魔王城の離宮でのびのびと遊んでいた。
しかし、十歳児の二人で遊ばせておくのは危ない。
護衛兼保護者役としてモ二―が常に横に控えている。
もう少し信用してほしいのにな、と思う本物だったが心配性のライルが許すはずもない。
斥侯型のティターンであるエクスも近辺の高台から危険人物がいないかどうかを警護しているだろう。
……しているはず。
フラフラと遊んでいることもあるエクスなのでたまに注意を向けないと消えているかもしれない。
エクスはどこにいるのかなと視線を巡らせた先に、人影が見えた。
背の高い細い体つきの青年がこちらに歩いてくるのが見えた。
「あれ、お客さんかなあ?」
ぴくっとモ二―が反応する。
本物を地面に下ろすと背後に隠す。
滑るようにラテラノの傍へと移動した。
モ二―は通信機器を使ってエクスに連絡を取る。
漏れ聞こえてくる声に本物は耳を澄ませた。
「エクス、二時方向だよ~。反応あった~?」
「……んあ? 二時? ……誰だ、ソイツ?」
「りょ~かい、警戒するね~」
モ二―は腰に装着していたショットガンを引き抜くと安全レバーを外す。
シャコンと弾薬を装填した。
不用意に人が近づいてくるとこのパターンだ。
取り越し苦労であることが多いんだけどね。
小川の向こう岸まで歩いてきた青年に向けてモ二―はショットガンを構えた。
「それいじょ~近寄ると、撃っちゃうよ? あなたはどこのどちら様かな~?」
青年は柔和な笑みを絶やさない。
青髪をかき上げると穏やかな口調で話しはじめた。
「これは失礼。アポイントメントは取っていないが、そちらの、……ラテラノ嬢に用がある。魔法人形のお嬢さん」
ラテラノを見れば、小さく首を振っている。
知らない人のようだ。
「ラテラノは知らないみたいだよ~、お引き取り願いましょ~か」
「そういうわけにもいかない。ラテラノ嬢に譲ってほしいものがある……」
青年は懐から小さな宝石を取り出した。
小さな宝石からは虹色の光が零れだす。
ラテラノの顔に焦燥が浮かぶ。
「それは……、イシュトバーン様のアトランティス・ステルラ……! 何故、あなたが持っているの」
「イシュトバーンから託されたと言われたら信じてもらえるだろうか」
託す。
故郷の再生に必要な道具を他人に託すという事は、イシュトバーンなる人物に何かあったのか。
青年の言っていることが真実であるか否かは魔術でも使ってもらわないとわからない。
少なくとも本物には青年の言うことが本当かどうかわからなかった。
「……あなたは嘘つき」
「嘘? 何故、嘘だと思う?」
次の瞬間、ラテラノが動いた。
カードを生成して魔法を発動させる。
光の剣が天上に浮かび、雨霰と青年に降り注ぐ。
「貴女の体から、イシュトバーン様の魔法を感じる。……化物」
美しく整えられた庭が無残にも穴だらけになる。
光の剣が消え去ると、無傷の青年の姿が土埃の中から現れる。
「厄介だな。魔法の力と言うものは取り込んでも元の使用者の残滓が残るということか。もしくは、我が肉体に馴染むには、神獣の本来の力を取り戻す必要があるのか……、ラテラノ嬢、聞かせてもらいたいな」
取り込んだというのはどういう意味か。
ゾッとした。
もしかすると食べたと言うことだろうか。
青年は見た目通りの生き物ではない。
人の皮を被った得たいの知れない何かだ。
また、青年は魔法についてよく知らないらしい。
魔法少女の力は女にしか扱えない、と。
「アトランティス・ステルラは渡さない。返してもらう」
ラテラノが再びカードを生成する。
「そう何度も……!?」
そう言って一歩踏み出した青年。
機を狙っていたモ二―が容赦なく引き金を引いた。
モ二―の第一の使命は本物を命に代えても守ること。
ラテラノは保護対象外だが本物の近くで不穏な動きをする者がいれば問答無用で殺してもよいと考えている。
魔力を分解するガイストの能力を付与された散弾だ。
障壁魔術を砕く特殊散弾が青年を穿つ。
が、倒れない。
大きく仰け反ったものの両の足でしかと大地を踏みしめている。
大穴の空いた皮膚がみるみる再生していく。
「神気障壁魔術を砕く武器を持っているとは……、魔力も闘気もないと侮ったか」
モ二―はショットガンをもう一丁引き抜いた。
「接敵だよ~、エクス、反撃よろしくね~」
「了解だぜ……!」
モ二―がショットガンを連射する。
遠くからタァンとライフル銃の発射音が聞こえてきた。
青年の姿がぶれる。
飛来する弾丸の軌道を見切って回避した。
飛び散る散弾を土壁魔術で防御する。
「いかに魔素を分解しようとも物質化した物体を分解することはできないようだな。良い勉強になる」
「あらら~、困ったな~」
モ二―はショットガンを連射しながら後退。
油断なく青年を観察する。
ぜんぜん困ったように見えないモ二―であるが、ちらちらとこちらを伺っている。
どうやら本物とシギンの交代をお願いしたいようだ。
ちょうど脳裏でシギンが早く代われとうるさいので、名残惜しいけれど体をシギンに明け渡すことにした。
体の自由がなくなる。
けれど、意識と視界はそのまま本物にも伝わってくる。
ちょうどラテラノが青年に問いかけているのが見えた。
「あなたは何者? マギアが追ってきたの?」
「知りたいのであれば教えて差し上げよう」
青年は芝居がかった仕草で名乗り上げた。
「神獣を束ねるミシュリーヌが最強。世界を創造せし至高の生命体。名を、リヴァイアサン。覚えて貰わずとも良い、お前はもうすぐ我が糧となる」
本物の意識が薄れてきた。
交代すると、精神を休めるために眠くなるためだ。
ラテラノを守ってあげて……。
本物はシギンにお願いをすると緩やかな眠りに落ちていった。