第八十六話 「神獣のゆくえ」
背筋が寒い。
と、思った瞬間に鼻がむずかゆくなった。
「へっくしっ!」
盛大なくしゃみが出る。
鼻をすすりつつ傍に合ったティッシュで鼻をかんだ。
いつの間にか布団が消えていた。
寝ているうちに跳ねのけてしまったようだ。
時計を見ると深夜の二時を回っている。
俺は一人寂しく今のソファに寝転がっている。
流家はさほど大きい家ではない。
寝室に詩乃が寝て、俺の部屋でセリアとシャウナが寝ると、いっぱいだ。
神水流家は道場こそ広いものの寝るには寒すぎる。
隣接する家は恐ろしく狭いので、紫園と陽織とアウローラが寝るスペースで限界となる。
必然的に俺は居間で追いやられることになった。
居間にあるソファは寝そべるにはちょうどいいけど、寝るには背中は痛くなるし、腰は変に曲がるしで、ろくでもない。
日本はいま秋から冬になろうと言う季節。
しかも寒気が下りてきているとかで気温が低い日が続いているんだと。
魔王国は亜熱帯に近い気候のため、温かさに慣れきってしまった体にはしんどい。
ちょっと寒いくらいで環境適応魔術を使うのも馬鹿らしい。
そんなわけでずり落ちてしまった布団を拾い上げる。
するりと何かが滑り込んできたような気もするが、気にせず柔らかな羽毛を抱きしめる。
ぬくいぬくい。
しかし、この布団はむにゅと言うかふにゃと言うか、人肌に柔らかい。
抱き寄せるととても良い香りがする。
布団はぎゅっと腕を回して抱きついてきた。
……貴様、布団ではないな。
目を凝らしても何も見えない。
真っ暗闇で正体を見極めるべく意識を集中させる。
二の腕にさらっと触れる長い髪。
頬に触れるくすぐるような吐息。
優しく背中に吸い付く指使い。
ティンときた。
「……何をやっているんだよ、セリア」
「重要な事を思い出しましたのでお話をと思いまして。……もっと奥に詰めてくださる? わたくしのお尻が落ちそうなんですの」
布団にソファに潜り込んできたのはセリアだ。
「いや、もう無理だって。ソファに二人で寝るのは無理……」
「では、もっと強く抱いてくださいな。落ちないように」
いまの姿勢でも密着しているのにギュウギュウ過ぎる。
互いの顎を肩に乗せるくらいに抱き寄せてどうにかセリアをソファに乗せる。
セリアの胸が胸板に強く押し付けられる。
うぐぐ……、く、苦しい。
ソファの背もたれと胸に押し潰されて肋骨がミシミシと軋んでいる。
「……ふふ、温かいですわ」
おっしゃる通りで。
セリアの温かさに背筋の冷えが消えていく。
二人分の体温のおかげか布団が温まるのも早い。
「それで、大事な話ってなんだ?」
「神獣のことです。ニホンに居たと思われる神獣たちが姿を消した理由について思い当たることがありましたの」
「なるほど。やっぱり奴らは何かを企んでいるってことかな?」
神獣イルミンスールはフェミニュート相手に敗北している。
このままでは狩られしまうと危機感を覚えていてもおかしくはない。
「ええ、おそらくは力を取り戻すつもりではないかと。神獣はミシュリーヌ創世時代に生まれた生物なのは知っておりますよね?」
知っているとも。
シャウナが説明してくれた覚えがある。
神獣は五匹いる。
リヴァイアサン、イルミンスール、フェニックス、ティアマット、シームルグ。
それぞれ特性があって、得意分野では神の如き力を持つらしい。
神獣はその力を使ってミシュリーヌの大地と空と海をつくりだした。
「かつて竜王国で面白い本を読みました。その本によると、神獣はもともとひとつの生き物であり、世界を創るには力が強すぎたため、自らの力を制するために体を割っている、と言うものです」
消えた神獣たちの目的は敵に対抗するために力を結集すること。
「つまり、奴らは合体するってことか。でもさ、ティアマットは死んでいるんだろ? 合体できないんじゃないか?」
セリアは自信がなさそうに声を潜める。
「そこが気になるところですわ。もしかすると、わたくしの考えは取り越し苦労かもしれません……」
でも、気になるな。
もしティアマットを復活させて合体するならば、未知数の力を秘めた生物が現れることになる。
そんなのが暴れだしたらどんな被害がでるのか。
放置しておいていい問題ではない。
「神獣か。どこにいったか追跡ができるならな……」
「そこは任せてくださいな。神気の残り香を追えば追跡はできますわ。完全とは言えませんけれど……」
「本当か! ……神獣に会いに来たんだから追うのもありかもしれないな」
合体を未然に防ぐことで、地球や魔王国の安全を確保できるなら無駄ではない。
また面倒なことに首を突っ込んで、とお小言を言われそうだけど、皆の安全のためだからしょうがないよね。
まずは朝イチで嫁たちに相談だ。
神獣を四匹相手にするのは危険だからね。
ただ、今日はもう一眠りしよう。
あくびを噛み殺しつつセリアの腰に腕を回す。
「もう寝よう。明日の朝に話すよ」
セリアの胸が規則正しく上下している。
返事がない、ただの寝落ちのようだ。
この野郎、こんな呼吸のつらい姿勢のまま寝やがって。
俺は肺が圧迫されてほとんど息ができない状態である。
すこしばかり隙間を確保しようと身じろぎしようとして、セリアの腕が両腕を押さえ込んでいることにようやく気づいた。
下半身を動かそうとしたら、すでにセリアの足がガッチリとホールドしていた。
抱き枕状態である。
結局、一睡もできないまま夜明けを迎えた。
そして。
セリアは抜け駆けで夜這いをかけた罰として、夜の寝る順番を飛ばされることになった。
可哀想だけと自業自得だ。