第七十八話 「いずれ来る脅威」
レギンレイヴのベッドルームに入る。
そこは一瞬即発の危険地帯になっていた。
先程まであどけない寝顔を見せていた少女が荒ぶっている。
銀の髪と緑の瞳、怒りとも困惑とも見分けがつかない無表情がある。
シギンは利発そうな顔つきだったけど、この子は知的な雰囲気を醸す顔立ちだ。
少女は油断なく周囲に視線を配っている。
部屋の四隅を。
両手を上げて刺激しないように距離をとるライルを。
ベッドルームの奥を。
訓練された特殊部隊員のような機敏な動作だ。
少女は不思議な武器を構えている。
煌めく天球儀を右手に、左の掌では金、銀、銅、と輝く数十枚のカードがクルクルと舞っている。
どういった攻撃方法なのか不明だけど防御だけはしっかりやっておく。
対消滅障壁魔術、抵抗魔術はもはや鉄板だ。
俺はそろそろと部屋の中央へ進む。
ちょっとでも警戒心を呷るような真似をすれば攻撃してくる気がする。
穏やかに。
慎重に。
俺はできる限り明るい声で少女に話しかける。
「落ち着いて、俺たちは君を助けたんだよ」
少女の目がわずかに見開かれる。
「……言葉、わかるの……?」
「わかるよ。俺たちは君の味方だ。行きたい場所があるならすぐに解放するし、お腹が空いているなら食事も出せる。とにかく、落ち着いてほしいんだ」
少女は警戒を緩めない。
油断なくこちらを見据えながら尋ねてきた。
「あなたは何者……?」
「俺は、玲樹。流 玲樹。ついでに、そっちにいるでかいのがライル、この飛行機はレギンレイヴだ」
ふたつ目の質問が飛ぶ。
「ここはどこ?」
「ミシュリーヌ、魔術と闘術が発達した世界だ」
みっつ目の質問は少し毛色が変わった。
「……あなたはマギアの配下? マギアの名に聞き覚えは?」
マギア。
聞いたことはない、マギアとやらが少女たちの世界の敵なのだろうか。
「いや、聞いたことはない……」
俺は素直に答えた。
すると、少女はゆっくりと武器を下ろした。
「嘘じゃないみたい……、良かった。疑ってごめんなさい」
「いいさ。こっちからも質問いいかな。君の名前は? カイゼリン・ガイストと何で戦っていたんだ?」
少女はしばらく黙りこくっていたが、素直に答えてくれる。
「私は、ラテラノ。ラテラノ・アニムス。あの黒い女は決闘と称して襲いかかってきた。知らない人」
「ラテラノか。そうか、災難だったな……」
やはり、カイゼリン・ガイストから理不尽な喧嘩を売られただけなのか。
あとはラテラノの持つ異世界の力を学ぶことができればいいんだけど。
しかし、クレクレ君では心証が悪い。
まずは円滑なコミュニケーションが取れるようになってから交渉しないとね。
「君をこの飛行機に乗せたのは気絶していたからだ。さっきも言ったけど、行く当てがあるなら好きにしてもらっていい。疲れているなら休む場所を用意するよ」
俺の魔術が気絶させてしまった原因だとは言いたくないのでそっとしておく。
聞かれていない事実は話さないのが一番だ。
あとで、ライルとレギンレイヴにも釘を刺しておこう。
俺の思惑など露知らず。
ラテラノは可愛らしく首を横に振る。
「……行く当てはない。私の世界は滅ぼされた。いまはマギアから逃げているところ」
世界が滅ぼされたとは穏やかじゃないな。
機械人キベルネテスのような存在が他にもいるってことなのか?
マギアについて知りたい。
俺たちにも、すべての異世界にも関係があることかもしれない。
「さっきから言っているマギアってのはなんだ? 害獣みたいなものか?」
「その認識は正しい。ただし、マギアは生物じゃない。意思の在るエネルギー」
ラテラノはマギアについて説明をしてくれた。
ラテラノの世界ではアニマとアニムスと呼ばれるエネルギーを使って生活する文明が栄えていたそうだ。
しかし、人が増えてアニマとアニムスの消費量が増大。
正のエネルギーであるアニマとアニムス、負のエネルギーであるマギアとのバランスが崩れてしまった。
本来ならば自然に存在するアニマとアニムスがマギアを分解するが、不足してしまったアニマとアニムスがマギアを処理できなくなり、実体化したマギアがラテラノの世界を破壊していったと言う。
「はじめはマギアは対処できない存在ではなかった。でも、異世界の存在が確認されてから、急激にマギアが増大、……あっという間に私たちの世界はマギアに押し潰された」
「そのマギアってのは他の異世界にも侵略してくるのか?」
「わからない。マギアはアニマかアニムスを持つ生物を襲う。可能性はある」
とすると、アニマとアニムスが魔力や潤滑魂で代用可能ならば、マギアの標的になるか。
魔力供給魔術でアニマとアニムスを補充できるのか調査してみる必要がある。
俺は腕を組むと、深いため息を吐く。
厄介なものを放置して逃げやがって、などとラテラノを責めるつもりはない。
考えるべきは今後についてだ。
地球にミシュリーヌの魔物が押し寄せてきたように、マギアとやらも地球やミシュリーヌに侵略してくるかもしれない。
魔王国は嫁たちもいるしヴィーンゴルヴもあるし、オメガたちほど強い存在が押し寄せてこない限り、しばらくは持ちこたえてくれるはずだ。
地球はどうだ?
ファンタジーな力を持たない人類はマギアの標的にならないはず。
いや、待てよ。
魔物や神獣はマギアの標的になる可能性を思うと危ないことには変わりないか。
いずれにせよ、マギアの対策にはラテラノが必要だ。
「……行く当てがないなら、ウチに来ないか? 俺たちの拠点では複数の異世界人が集まって生活しているんだ。マギアの事についても詳しく聞きたいし、君と同じくらいの年代の子もいるし、……どうかな?」
異世界の力が欲しい、という打算もある。
マギアの知識が欲しい、という意味もある。
でも、それだけじゃない。
ラテラノを上から下までよく観察する。
可愛らしい衣装はよく見れば、汚れや綻びや破れが見える。
顔は青白い。
目の下には隈が見える。
腕や足はずいぶんと細く見えた。
先にレギンレイヴが言っていた。
精神的疲労・身体的疲労による睡眠のため目覚めないのではないか、と。
ラテラノは逃げだしてから食事もしていないし寝てもいないんじゃなかろうか。
そんな状態で旅をしていた子を、はい、さようなら、と放り出すのは良心が咎める。
「駄目。私がいるとマギアが追ってくるかもしれない。危険」
が、ラテラノは首を縦には振らなかった。
簡単にあきらめてはいけない。
色々な理由をつけて引き止める。
「マギアが異世界に攻めてくるならどこに居ても危険だと思うよ。それなら、マギアと戦う術を知っておきたい。俺たちがラテラノの住まいを提供する、対価としてマギアについて教えてくれ。戦い方や、対処方法をさ」
「……後悔しても責任は負えない」
「マギアが押し寄せてきた時に対策ができてないことのほうが後悔するよ。頼む、俺たちにマギアの知識を教えてほしい」
ラテラノが顔を伏せる。
お、これは……、悩んでくれているってことかな。
ラテラノの選択を待つべくじっと様子をうかがう。
沈黙が続く。
キーンと耳が痛くなりそうな静寂に包まれる。
たっぷりと待たされたような気がした。
実際は一分や二分の話だったかもしれないけど、体感で一○分は待った気がした。
うつむき加減であったラテラノが顔を上げた。
「……私を狙ってマギアが来るかもしれない。危険は回避できない。本当にそれで良いの?」
「覚悟のうえさ」
「……マギアは強い。助けられないかもしれない。本当にそれで良いの?」
「俺だってそこそこ強いんだぞ? 安心しろって」
自分の力を過信しているつもりはないけど、色々な異世界の力を使えるようになった俺は強いはずだ。
マギアの存在がどれほどのもかわからない。
でも、手も足も出ないほど強大な相手ではないはずだ。
そして、ラテラノが折れた。
「……わかった。……ありがとう、ナガレ。お世話になる」
ラテラノは抑揚のない声で礼を言う。
そして、ぎこちなく、スカートの裾を摘まんでお辞儀をした。