第七十六話 「蒼空を駆る少女」
闘術の本をペラリペラリとめくる。
俺は片腕を机の上について本の内容を眺めている。
いや、眺めてすらいない。
最初の一行を読んでお終いだ。
完全に集中力が途切れている。
「ぁー……ダメだ。やってられん……」
俺は闘術の本を閉じて机に積み上げた。
元々、勉強なんて嫌いなのだ。
オメガの脅威が去り、尻を叩いてくれる嫁もいない、そんな状況でやる気なんぞ起きない。
そう、これは必然だ。
神は言っている、いまは勉強などすべきではないと。
「大魔王殿は努力はお嫌いですか」
「やらなきゃできるようにならないのはわかってるけどさ、気持ちがついて来ないんだよ」
「辛くても気力を振り絞る者が先を往きます、……奥方様にもサボるようであれば報告するようにと承っております。そのような態度であるならば、本官も不本意ではありますが……」
監査役かよ!
一体誰だそんなことを頼んだ嫁は……。
チクられた日にはどんな罰が与えられるのかわかったもんじゃない。
渋々、魔術の本を手に取る。
闘術のほうは飽きてしまったので気分転換だ。
が、突如として警報が鳴り響く。
「なんだ?」
「敵性反応です。ライルが交戦……、否、交戦している敵勢力同士を確認したようです。ライルから映像が転送されてきています」
ラッキー、勉強から逃げられるいい口実だ。
俺は本を放り出してコクピットルームへ向かう。
モニターにはライルが転送してきた映像が、リアルタイムに写し出されていた。
雲海に鋭い稲光が走る。
交差する光の螺旋が見え隠れしている。
ぶつかり合う光はずいぶん小さいな。
モニターをじっくりと見つめてみても人間サイズにしか見えなかった。
レギンレイヴはライルへの通信を開く。
「ライル、もっと接近せよ。これでは敵の確認ができない」
「これでも最大望遠なんだがな……。これ以上の接近は向こうを刺激するぞ?」
傍観を決め込んでいるけど助けられるなら助けてあげたい。
温厚な異世界人ならば、新しい技術や力を手に入れるためにお近づきになるチャンスだ。
「攻撃をしてきたほうが敵ってことでいいんじゃないか? 残ったほうを助けるんだ」
「レーキ、迂闊に首を突っ込むと良くないだろう。いい加減学んだらどうだ?」
「助けた恩返しに何かくれるかもしれないだろ?」
「そんな都合の良い話があるか!」
いかんな、ライル君。
情けは人の為ならずという言葉を知らんのかね。
「とにかくもうちょい接近して正体を見極めてくれよ」
「……仕方ないな。接近する!」
不服ながらもライルは従ってくれた。
ぶつかり合う光点に向かって距離を詰めていく。
と、そのとき光点のひとつが転身する。
雲を突き抜けてライルの前に飛び出してきた。
そいつは見覚えがあった。
俺とライルは同時に叫んでいた。
「カイゼリン・ガイスト!」
何故、こんなところに。
単独行動らしく周囲に機神姫マリルーやオメガの姿はない。
カイゼリン・ガイストがこちらを、ライルを一瞥する。
「解、正体不明は大魔王勢力と確認。……以下、忠告。戦闘の邪魔になるのでどこかに行ってください。あの獲物は、ワタシのものです。奪うと言うのなら相手になります」
「不戦の約束がされているはずだが、……反故にすると言うのか?」
「肯定、……以下、判断。敵の抵抗がある場合は反撃権限が与えられています。貴方が従わないのであれば抵抗したとみなして排除します」
「ふむ、とすると。お前と戦っている相手も抵抗したからか?」
「肯定、……ワタシとの決闘を拒んだので戦闘を仕掛けました」
……何を言っているんだ、コイツは。
決闘を申し込むのもアレだが、断られた相手に襲いかかるとか、何てはた迷惑な奴。
はい、か、YESか、喜んで、の三択ってか。
カイゼリン・ガイストの動きが止まる。
耳に手を当てて口を開く。
「……オメガからの通信。以下、応答。……アー、アー、電波状態が悪いため後ほど報告します、戦闘を続行、反撃開始」
カイゼリン・ガイストが回頭、雲海から飛んできた攻撃を刀で打ち払う。
そして雲間の敵へと突っ込んでいった。
「……どうするんだ、レーキ」
どうしようかね。
オメガ……、あんなのを野放しにしておいていいのかよ。
さすがに可哀想になってきたので、カイゼリン・ガイストの標的になっている人を助けてあげたい。
それに、助けておけば恩を売れる。
しかし、カイゼリン・ガイストに攻撃を仕掛けるとオメガとの約束を違えることになる。
お互いに干渉しない関係であり続けましょう、と言っていた。
ただ、カイゼリン・ガイストの行動を客観的に見るとオメガの思惑の外にある、気がする。
彼は未知の文明を侵略・調査していたけれど、交渉を持つし、強い相手には敬意を払っていた。
カイゼリン・ガイストと戦闘できるということはかなり強い。
オメガなら交渉を入れているはずだ。
消滅させないくらいにお灸を吸えても怒られないんじゃないのか?
……聞いてみるか。
おもむろに収納霊術で魔力化していた通信機器を取り出す。
魔王国でオメガに渡されたものだ。
通信を繋げると待たされることなく回線が繋がった。
「もしもし……」
「……ナガレさん。決心してくれたと考えて宜しいですか?」
「悪ぃ、同盟云々の話じゃないんだ。実は……」
カイゼリン・ガイストの件を伝える。
すると、あからさまなため息が聞こえてきた。
「あの子も困ったものですね。撃墜して頂いて構いません。自力で修復出来るので、しばらく大人しくさせておきましょう」
「わかった。敵対とはみなさないってことだな」
「はい、お手数を掛けますが宜しくお願いします……」
通信の向こう側ではペコペコと頭を下げているんじゃなかろうか。
申し訳なさがにじみ出る声が聞こえてくる。
「ところで、同盟の件は……」
問答無用で通信を切る。
俺は何も聞いてない、聞こえなかった。
さて。
誤解がないように渡りをつけた。
これでカイゼリン・ガイストを堂々と倒すことができる。
あとは誰が戦うか、うーん、ライルはリベンジする気なのかな。
「……レーキ、相手を任せてもいいか? いまの私では奴に勝つことはできない」
ライルは弱気だ。
あれからカイザー・ガイスト装備を強化した話は聞いていないから、相手にならないと考えて当然かな。
でも、俺だって空中戦でカイゼリン・ガイストと戦えるのかわからない。
足場がやられたらおしまいだからね。
「情けないことを言うものだな。失望したぞ」
「突っかかるな……! 戦力を正しく見極めることは最も重要な戦術だ」
「大魔王殿に支援をもらうなど手段はいくらでもあるだろうに、それを……」
「やめろ、カイゼリン・ガイストは強敵なんだ。真面目にやれ」
例の言い合いが始まりそうだったので黙らせる。
もうちょっと仲良くしてほしいものだよな。
「俺がやる。遠距離攻撃でカイゼリン・ガイストを倒せば反撃はないだろ。ライルはカイゼリン・ガイストと戦っている相手の動きに注意してくれ」
「了解した」
狙撃はレギンレイヴの背中に乗ってやることにしよう。
そこで、はたと思う。
高度一○○○○メートルを素の体のままでいたらまずいよな。
寒いし、呼吸はできないし、高速戦闘になったら振り落とされる。
俺は魔術を発動。
環境適応魔術、重力霊術、を使う。
いつもの対消滅障壁魔術や気力変換霊術も忘れない。
「外に出る。格納庫を開けてくれ」
「正気ですか、と申し上げたいですが……問題ないのですね?」
レギンレイヴの反応は極めて普通だ。
でも、安心してほしい。
パラシュート無しスカイダイビングをするわけでも、紐無しバンジーを決めるわけでもない。
「ああ、背中に乗ってカイゼリン・ガイストを狙撃する」
「承知しました。格納庫を開きます。強風にご注意下さい」
格納庫の扉が開かれる。
途端に荒れ狂う風が格納庫に流れ込んできた。
風の音が喧しくて何も聞こえない。
俺は風壁魔術を展開。
風のうねりを止めた。
重力霊術を使ってレギンレイヴの機体の重力方向を変更すると、機体の背中によじ登った。
まずは、カイゼリン・ガイストを捕捉する。
遠視魔術を使い、カイゼリン・ガイストの腰部を確認。
……距離は、一○キロってところか。
ふっくらとした形の良い曲線だ。
黄金の曲線美である。
何故、機械の体で作ってしまったのだろう。
生物への冒涜ではないのか、神への反逆ではないのか。
ええ、勿論、腰の推進機器の話だよ。
当然じゃないか。
狙いを修正。
探知魔術で推進機器の座標を取得する。
あとは攻撃魔術はなにを使うかだ。
カイゼリン・ガイストは魔術を無効化する。
闘術は分厚い闘気に阻まれて威力が減衰する可能性がある。
対消滅弾魔術は敵が確実に死んでしまうのでダメだ。
ここは新しく考えた技の実験をさせてもらおう。
潤滑魂で金剛鉄を作成、円錐状に形を整える。
さらに電撃霊術を発動。
効果を変更して金剛鉄を発射するためのエネルギーへと転換する。
金剛鉄の砲弾を使った超電磁砲。
金剛雷閃魔術といった感じかな。
大気との摩擦熱で金剛鉄が融解することはないので、飛距離に制限はない、はず。
射程は探知魔術で捕捉できないとダメだから二○○○キロメートルくらいか?
追尾設定されているから目標を外すこともない。
「大魔王殿……。そ、その弾丸を放つのか……?」
足元から不安そうな声が聞こえてきた。
足場だ。
「大丈夫だ、一撃で仕留めるから敵の攻撃はないよ!」
「そういう意味では――!」
レギンレイヴが言い切る前に、右手で唸りをあげる金剛雷閃魔術を発射した。
天空を紫電が駆ける。
轟音と共にレギンレイヴが大きく後退した。
カイゼリン・ガイストが光弾に気づいたが、もう遅い。
光弾が推進機器を貫いた。
金属片がキラキラと飛び散る。
まっ逆さまに落ちていくカイゼリン・ガイスト。
おそらく地表に叩きつけられて大破するだろうけど、自動修復するなら平気だろう。
「大魔王殿……」
レギンレイヴの声が一段と低く発せられた。
思った以上に反動が凄まじかった。
重力霊術の影響で機体に衝撃が掛かってしまったらしい。
って、やば……、足元が靴の形にへこんでいる。
「ご、ごめん……」
「修理請求書は魔王国に回させて頂く……!」
「ちょ……!? それだけはやめて、すぐ修理するから!」
「……報告だけはさせていただきます」
ひどい。
修理魔術で直してあげたのに。
……ああ、最悪だ、アウローラに怒られる。
続いて、ライルの通信が割り込んできた。
「今の一撃凄まじいが、味方への被害が発生しているぞ! 注意しろ!」
「悪い、カイゼリン・ガイストと戦っていた人はどうなった?」
「……いまの攻撃によって発生した衝撃波で気絶した。こちらで回収しているので、一度、レギンレイヴに戻る」
二次災害がひどいことになっていた。
「外傷はないと思うが容態を見てくれ。画像を転送する」
……レギンレイヴに戻らないと見れないんだよな。
面倒なので遠視魔術でライルを探す。
ライルの抱えているのは少女だ。
シギンと同年代くらいに見える少女は、実に可愛らしい服装をしていた。
フリルのスカートにやや肌色多めのセーラー服のような衣装。
そして、大きなリボンが胸元にアクセントをつけている。
うん、あれは誰が見てもアレだ。
十人に聞けば八人くらいは同意してくれるはずだ。
ライルが抱えているのは、どこから見ても間違いない魔法少女であった。