第七十三話 「トロピカル・ハンター」 後編
アウローラが無言で指を差す。
あれが、アスピドケドロンか。
なるほど。
言われてみなければ景色に同化していて気づかないな。
ここは浜辺から離れた岩礁地帯。
海底の珊瑚礁が透けて見えるほどの海には大小の小島が浮かんでいる。
アウローラが指すのは、周囲が一キロメートルもないくらいの島だ。
島はこんもりと熱帯林に覆い隠されている。
鑑定魔術で調べてみるとアスピドケドロンとわかる。
状態異常になっているようで、睡眠、と表示されている。
冬眠中みたいなものかな。
ここは常夏だけどね。
アウローラが念話魔術で話しかけてくる。
「これから上陸してアスピルを探す。相済まぬが、アスピドケドロンが目覚めたら魔術で拘束してほしい」
「けっこう難しいな……」
拘束の魔術と言えば泥蔦魔術だ。
しかし、水の上では拘束する地面がない。
ヒレが動かないように縛り付けることはできると思うけど、体を回転されると背中の熱帯林は流れ落ちてしまうだろう。
第二案は状態異常の魔術。
でも、即効性の状態異常は視線を合わせる必要がある。
目、どこだよ……って話だ。
結局、力技しかないのかな。
念力魔術を使って海から持ち上げてしまうのも手だ。
あとは、事象改変霊術を試してみるとか。
でも何が起こるかわからないからな……。
確実性をとるならやめておいた方がいい。
「難しいようであれば何か策を考えるが……、どうする?」
「いや……」
アウローラたってのお願いだ。
期待に応えてあげたい。
成功した暁にはアウローラはメロメロだろう、きっと今夜はベッドを温めて待っていてくれるに違いない。
素敵、抱いて、メチャクチャにして。
フフ、今夜は寝かさないぜ。
……いや、今夜は陽織の番だからそれはないか。
それに、アウローラはそんなこと言わない。
「大丈夫。まかせてくれ」
「では、宜しく頼む」
アウローラは隠密歩行魔術と迷彩魔術を発動させる。
たちまちアウローラの姿は景色に溶け込んだ。
アウローラの気配が遠退いていく。
「玲樹、聞こえる?」
今度は陽織から 念話魔術が入った。
「聞こえているよ。陽織はどこにいる?」
「こっちはね、熱帯林を捜索中よ。まだ、見つかってない……、もう少しかかりそうね」
「そうか。コッチで見ている限りではアスピドケドロンに動きはない。アウローラも向かったから一緒に探してあげてくれ」
「オッケー……、って……あ……ちょ……な、なによコレ!?」
突如、陽織の戸惑いの声が聞こえてくる。
「――どうした? 大丈夫か!?」
もしや魔物か?
陽織の実力ならばそこらの魔物に後れを取ることはない。
しかし、何事にも絶対はない。
ましてや陽織は水着一枚にスコップしか持っていないうえに、全力で戦えばアスピドケドロンに気づかれてしまう。
戦うにはあまりにも悪い条件だ。
「この、好き勝手に……! はぅ…!? ぁ、そん、な、とこ……ぁ、ぁぁ……」
押し殺すような悲鳴。
堪える吐息。
そして、艶めかしい喘ぎ。
……映像がないのが余計にもどかしい。
じゃなくて、こらぁぁぁ、人の嫁に何やってんだぁー!
「植物系の魔物がいるようだな……、陽織が囮になっている間にこちらは捜索を続けるとしよう」
「アウローラ、お前は冷静すぎるだろ。助けてやれよ……!」
「余も全力を出せないので助けに行っても二の舞だ。なに、陽織の神気障壁魔術を突破できる魔物など居はすまい……、後で助ければよい」
ちゃんと助けられるんだろうな。
瞳のハイライトが消えているような状態になっていたら目も当てられないぞ。
俺の心配をよそにアウローラが叫ぶ。
「見つけたぞ……! アスピルだ」
「おお、でかした! 早く回収して陽織を助けるんだ!」
「慌てるな。まず苗木を回収する」
もっと慌ててほしい。
陽織の声は弱々しくなってきている。
「急げよ!」
「確保した、……これで、くっ、馬鹿な!? いつのまに……! 余に触れるな!」
ああ、もう、先が読めた。
お前も捕まるんだろ、アウローラ?
遅れてアウローラらしからぬ嬌声が念話魔術を通して聞こえてきた。
このまま二人の声を楽しんでいたいと思っていたけど、そうはいかない展開となる。
アスピドケドロンの状態から、睡眠、が消えた。
気づかれたらしい。
「おい、遊んでいる場合じゃないぞ! アスピドケドロンが起きた! アスピルを拾ってすぐに逃げろ!」
念話魔術で二人に呼びかけながら魔術を発動させる。
アスピドケドロンを念力魔術で捕まえると、空中へ強引に引きずり上げた。
「ぅご……!? 重……ッ、でか……ッ!?」
水面に見えていた胴体はわずかであり、その巨体の半分以上が海面下に隠されていたのだ。
持ち上げる力が足りない。
滑り落ちそうになる巨体を支えるために念力魔術に魔力を注ぎ込む。
大量の海水が滴り落ちて海面を波立たせる。
驚いたアスピドケドロンが身をよじり、背中に乗った土砂と熱帯林が少しずつ滑り落ちていく。
必死で念力魔術を制御する。
参ったな、抑えきれない。
アスピドケドロンがあまりに柔らかいので念力魔術で捕まえておくのが難しい。
これ以上念力魔術で力を込めると巨体を不可視の力で押し潰してしまう。
二人の反応が返ってこない。
心配になって再度呼びかける。
「大丈夫なのか!?」
「……へ、平気よ」
「なんとかな……、こちらはすぐに下りる。そのまま支えていてくれ」
アスピドケドロンの背から二名の人影が飛び出した。
陽織とアウローラだ。
念力魔術で宙に階段を作り出すと、真っ直ぐにこちらへ駆け下りてくる。
もう、大丈夫そうだ。
俺はアスピドケドロンを離してやる。
水面が爆発したかのような水柱を上げて巨体が海中に沈む。
アスピドケドロンは飛沫をあげてもがいていたが、自由になれたとわかった途端に沖に逃げていった。
平穏無事に暮らしていたのに申し訳ない、運が悪かったと思って諦めてほしい。
茂みをかき分ける物音に俺は振り返った。
お疲れさま、と声を掛けようとして失敗する。
あられもない二人の姿に絶句した。
粘着質の液体が、髪から、肩から、足から、……全身からねばぁっと滴り落ちている。
その液体は溶解液か?
液体が地面に落ちるたびにじゅわっと音がしている。
闘気障壁闘術や神気障壁魔術のおかげで白い素肌に傷ひとつない。
しかし、衣服まで防御が回らなかったのか。
溶けかかった水着の肩紐が外れそうになっている。
腕や脚には引きちぎってきた緑色の蔦を巻きつかせたまま。
素足は揉みあいで地面をはい回ったのか、泥まみれになっている。
しばらく二人の姿を眺めてから、やっとのことで言葉を絞り出した。
「……だいぶ、ひどい有様だな……」
ずいっとアウローラがずだ袋を突きつける。
「だが、苦労の甲斐があったというものだ。アスピルとアスピルの苗木は、この通りだ」
アウローラもつ袋には黄金色の洋梨に似た果物が詰め込まれていた。
そして、右手には土ごと藁でしばりつけた幼木を抱えている。
これで目的は達したわけだ。
あとはバカンスを満喫するだけだな。
アスピルもあれだけあるなら少し食べてみたいものだ。
どんな味がするんだろうか。
アウローラの持つアスピルに注目していると、横手からにゅぅっと腕が伸びてきた。
「……きぼちわるぃ……、玲樹ぃ、清潔魔術してぇ……」
陽織だ。
糸を引く粘液に思わず後退りする。
「うぉい!? その手で俺に触るんじゃない!」
俺は逃げ出した。が、回り込まれてしまった。
反対側からネトネトの両腕を広げて迫るアウローラがいる。
「なんだ、無事生還した嫁を優しく抱き止めるくらいのことをしてくれぬのか? つれない夫だな」
「そうじゃない! せめて、綺麗にしてからぁぁぁぁぁ!?」
が、当然聞き入れられるわけもなく。
両側からドロドロの二人に抱きつかれ、面白半分に粘液を塗りたくられた。
やれやれ、お茶目な嫁たちで困る。
清潔魔術で全身の汚れを落としてから浜辺に戻ることになった。
その後、海岸にてバーベキューをしたり、海水浴を楽しんで日が落ちるまで楽しんだ。
帰りは転移魔術施設を利用すれば、魔王城まで一瞬だ。
エイルの話では中継点を設置しながら移動すれば、長旅をしながら休息は魔王国で可能とのことだ。
修行の旅への準備が整ってきた。
そろそろ行動に移すべきかもしれない。
浜辺のキャンプファイアーを眺めながら、次なる計画について思いを馳せていた。