第六十九話 「夜の英雄」
魔王国が大いに賑わった結婚式。
市街地を巡り、魔王街を訪問し、エルフの森とダークエルフの森に挨拶に向かい、魔王城でパーティが開催され……、すべてが終わる頃には心身共に疲れきっていた。
深夜も深夜。
時刻で言うならば午前一時くらいだろうか。
魔王国の明かりはいまだに消えてはいない。
遠視魔術で市街地を眺めてみれば、祝祭に浮かれた人々が大いに騒いでいる。
俺はそっとカーテンを閉める。
ここは、魔王城の一番奥にある離れの離宮である。
離宮には、大小の部屋の他に、衣裳部屋、料理場、寝室、湯殿、がある。
魔王城は元々アリチェの記憶からもらってきた都市、聖王国の城そのものの姿を為す。
この離宮は王族が正妻や側室との生活を営む場所であったそうだ。
この場所を紹介されたときは正直、ほっとした。
魔王城は生活空間として広すぎる。
離宮は大きな民宿くらいの大きさのため、身の回りを助けてくれるメイドさんはエイルだけで十分に回る。
普段の俺ならばこのままベッドに滑り込んで朝まで熟睡するのが常だ。
ただし、今日は違う。
なんて言ったって結婚して最初の夜だからね。
寝室の扉を叩く音が聞こえる。
どうぞ、と声を掛けると陽織が姿を見せた。
「こ、こんばんは……」
「おう……」
陽織は肌の上に白いガウンを羽織っていた。
湯殿で温まってきたのだろう。
手を取るとふわりと花の香と火照りを感じた。
ちなみに俺も体が冷えてきているけど同じ格好をしている。
一緒に湯殿に入って洗いっこしても良かったんだけど、陽織が恥ずかしがったので本日は別々に入ったのだ。
精神統一霊術が最高に良い仕事をしてくれる。
いまの俺は波一つ立たない水面の様な心である。
聖人の心だ。
賢者の心境である。
緊張と羞恥から解放されている俺は恐れも不安も感じない、と思う。
「まあ、座れよ……」
「うん」
俺は緊張しているであろう陽織の手を取ったままベッドの淵に座らせた。
並んで腰を下ろす。
どうせすることはするのだ。
まずは話でもして気持ちを整えようじゃないか。
「……陽織は嫌じゃなかったのか?」
「ん? 何が?」
「俺との結婚だよ。複数の女性と関係をもつ男と結婚するって、日本じゃありえないだろ」
「んー、気にならないと言えば嘘になるかな。でもさ。……ここで動かなかったら私は玲樹と一緒になることすらできなくなるって思ったら、他の女の子が居てもいいかなって思ったんだよ。アウローラにセリアやシャウナも知らない人じゃないから、気楽だしね」
他の誰かの者になるよりは、他の誰かと共有する者でも構わないってことか。
独占欲ってのはどうしても湧き上がってくるものだと思うけど、そのへんはアウローラたちとルールを決めて共有していくそうな。
大変できた嫁である。
そういう管理って普通は男のほうがするものじゃなかろうか。
「……いつも済まないねえ……」
「しみじみと言わないで欲しいけど。済まないと思うのなら、ちゃんと愛してちょうだい」
「全力で応えさせていただきます」
しかし、はたと思い当たる。
体力も経験もない素人君が果たして全力で応えられるのか。
ここは過去の英雄の力に頼ることにした。
来たれ、太古の夜の英雄よ!
俺は英雄憑依霊術を発動させた。
いるのか?
いるよね、体に沸き上がる力を感じる。
用意万端。
陽織を抱き寄せると、そのままベッドへ押し倒した。
こうして俺と陽織は本当に夫婦となったのである。
そして、翌朝。
最後の一戦を終えると空が白み始めていた。
乱れたベッドの傍らには陽織の寝顔がある。
ようやく満足してくれたのかスヤスヤと安らかな寝息を立てている。
重ねられていた掌をそっと外す。
陽織を起こさないようにベッドから抜け出る、……つもりが引き戻された。
「起きてたのか」
見れば陽織が目をこすりながら起き上がってくるところだった。
「……うん、おはよ……」
「風呂にでも入ろうかと思ったんだけど、眠いなら寝ていていいよ」
「……私もいく……」
俺たちはガウンを羽織ると湯殿へ向かう。
後片付けはエイルに任せていいと言われているので、念話魔術で寝室の清掃をお願いしておいた。
いま何時だと思っているんだい、と小言を言われたがしれっとスルーしておいた。
湯殿はフェミニュートの技術で改造されているので、二十四時間いつでも綺麗なお湯が張ってある。
二人で体を洗い湯船につかる。
「……大きくなったね、玲樹は」
浴槽で隣り合わせになりながら陽織がぽつりと呟く。
そりゃあ、陽織を前にすれば大興奮である。
いかがわしい広告の宣伝のように男らしい姿に変身するだろう。
「そういう意味じゃないわよ、馬鹿!」
怒られた。
下世話な話をしてしまった。
「そうじゃなくて、小さい頃の玲樹と比べての話よ。昔は向こう見ずで、危なっかしくて、私が見てないといけないなって思っていたんだけどね」
「現状もあまり変わっていない気がするけどな」
「……それでも頼りになったよ。たくさん助けられたもの。ドラゴンとの戦いでも、勇者との戦いでも、機械人との戦いでも、最後にきっちりと勝ってくれたからね」
どれも疑わしい勝敗結果だったけど、陽織は勝利と考えていてくれたのか。
「落ち着いたら日本に戻ろうと思うの。結婚の報告もあるけど、落陽昇月流の技術をお母さんから教えてもらおうかなってね。……いまのままじゃ、また玲樹の足を引っ張っちゃうから」
「そのときはつきあうよ」
陽織の母、紫園さんに挨拶するのか。
お嫁さんを四人もらったんです、なんてどの面提げて言えばいいんだろう。
いまから胃が痛かった。
「そのまえに子供の報告がくるかもしれないけどね、えへへ……」
まだするってことですね、わかります。
と言うか、陽織の体力は底なしか。
英雄憑依霊術を発動させていなかったら息の音が止まっていたかもしれない。
服上死の言葉が過る。
まさか、他の三人も同じじゃなかろうな。
俺は戦々恐々と夜を迎えるのであった。
陽織との夜の翌日。
本日の夜は、アウローラの番だった。
「いつぞやは拒まれたが……、戦神姫として、一人の女として、冥利に尽きるな」
「そうか。あれから時間も経っていないのにな、ずいぶんと変わってしまった気がするよ」
「余の気持ちは変わりないぞ。そのように感じるのは、レイキの心に変化があったからではないのか?」
「……かもね」
出会った頃はアウローラの奔放さに気後れしたものだけど、いまでは強引なところも魅力かもしれないなと気持ちを改めつつある。
アウローラはガウンをバサリと脱ぎ捨てる。
月明かりに白磁の肌が浮かび上がる。
「言葉も尽きた。あとは肌を重ねてわかりあえばよい」
艶やかな笑みをつくる、アウローラ。
誘われるがままに引き寄せられてしまう。
そして、二日目の夜も明け方まで頑張ってしまった。
この調子であるならば残る二人も同じだろう。
覚悟を決めて三日目の夜に挑む。
三日目の夜は、セリアの番だ。
しかしながら、同じとはいかない。
予想外の事態に巻き込まれることとなる。
「……あの、セリア……? どうして、そんなに、目が爛々と輝いているの……?」
セリアの瞳はギラギラと光を瞬かせている。
心なしか吐く息も荒い。
高熱に浮かされた病人のようでありながら、上気した顔はどことなくエロい。
「申し訳、ありま、せん……。ティアマットの血のせいで……、少々、難儀していますの……。ドラゴン族はあまり繁殖しない種族なので、一度、引き金が落ちると、……ぅ」
スイッチが入ると凄くしたくなっちゃうらしい。
「落ち着け。ひとまず、冷たい水でも飲んでだね……、きゃぁ」
女の子のような悲鳴を上げてしまった。
野獣となったセリアによって、ベッドに引き倒された。
一番激しい夜となった三日目であった。
そして、四日目の夜。
最後はシャウナの番である。
「あの、大丈夫ですか? ずいぶんと、その、やつれているような……」
心配そうに背中をさするシャウナに親指を立てる。
「勿論です。気のせいですとも、俺は疲れてなどいませんよ」
「そんな青い顔をしながら言われても説得力がありませんが……」
鏡を見た感じとはいつもと変わりない顔色だったのにな。
英雄憑依霊術を発動させていても、精神疲労まで快復するわけではないらしい。
「今夜は休みましょう」
シャウナがぎゅっと抱きしめてくる。
そのまま向かい合わせでベッドに寝転がる。
が、シャウナは顔を赤らめてジトッとした視線を寄越す。
「……レイキ、当たっているのですが……、て、きゃ、もう! 尻尾をなで回さないでください!」
当ててんのよ、てか。
こんなに密着していたら無理だよ。
ごめんなさい。生理現象です。男の子なんです。
「先生がよければ、俺はしたいです」
「……むむぅ、仕方ありませんね……、体が大事ですからほどほとにですよ? それと……、シャウナと呼んでください。いつまでも、先生は困ります」
「わかったよ、シャウナ」
俺はシャウナを強く抱き寄せた。
こうして最後の夜は更けていった。
翌朝。
昇天しかけていた俺は、エイルに用意された栄養材を投与されながら、シャウナに散々に叱られた。
夜の英雄憑依霊術は用法容量を守って正しく使いましょう。
大魔王様との約束だ。