第六十八話 「花嫁の正体」
大聖堂の控え室。
俺は姿見を前に姿勢を正す。
「よく似合っているじゃないか、ご主人様」
「……だと良いけどな」
結婚式ともなればいつもの学生服とはいかない。
肌触りの良い生地であつらえた白上着と白ズボン、それに胸元には金銀細工のペンダントが添えられており、肩と腕にも何やら飾りが輝いている。
見た目は儀礼服に似ている。
王様が着用する特注品らしく、気合の入った意匠が凝らしてある。
この上からマント羽織れば、大魔王花婿の完成である。
まさか、高校生で結婚することになるとは。
しかも、ゲームオタクの出不精が四人ものお嫁さんをゲットするとは。
そう。
どうやら結婚相手は四人もいるらしい。
一夫多妻が当たり前のミシュリーヌでは権力者ほど多数のお嫁さんと結婚するんだとか。
その代わり奥さんを不自由なく養わないといけない。
俺は養われている夫になりそうだけど大丈夫なのかな。
「どうしたんだい、ご主人様? 緊張しているのかい?」
「いや、まあ、……奥さんが四人なんて上手くやれるのかなってね」
エイルは口元を押さえて嗤う。
肘をグリグリと押し付けてくる。
「んふふ……、上手くやってもらわないと困るなあ。ご主人様が子作りをしてくれないと、ボクたちの研究が進まないんだよねぇ……」
ええい、やめろ。型が崩れるだろうが。
俺はエイルの肘を振り払う。
「やめぃ、生々しい! ……ったく、お前はそればっかりだな」
「ボクたちの生きる目的だからね、……おっと、遊んでいる場合じゃなかった。時間だよ」
壁の時計は正午を差そうとしている。
大聖堂では大魔王の側近クラスや仕事で直接かかわりのある魔王国の主要人物だけが列席する。
その後、花婿と花嫁は馬車に乗って市街地を巡る流れになっているはずだ。
俺は精神統一霊術を発動させる。
さらに、対消滅障壁霊術、抵抗魔術、気力変換魔術、痛覚無効魔術、と重ね掛けする。
英雄憑依霊術を掛けておけば準備万端。
結婚式には騒動がつきものだからね。
花嫁を奪いにどんな奴が来ようとも撃退できる自信がある。
さすがに大魔王の嫁を誘拐しに来る不届き者はいないか、居ても困るが。
大聖堂の控室から誘われ、奥にある大扉の前に立つ。
この先は列席者の待つ礼拝堂となる。
エイルが扉を開け放つ。
礼拝堂の光景が目に飛び込んできた。
列席者たちが音もたてずに一斉に起立する。
ステンドグラスから降り注ぐ七色の光が、礼拝堂の壮麗な雰囲気を際立たせている。
物語のワンシーンのような一幕に目を奪われた。
扉を潜り抜けるとエイルが扉を閉めてくれる。そして、手を通路の先に差し伸べる。
案内役はここまでという事か。
俺は教わった手順通りにゆっくりと赤い絨毯を歩いていく。
祭壇の前には法衣に身を包んだアリチェが佇んでいる。
正面を見据えながら、ちらり、ちらりと列席者を確認する。
亜人族の王姫たちが居り、エルフの王エヴァリストが、ダークエルフの王イグナーツが、その他亜人族の王や長が左右に分かれて立っている。
冒険者ギルドマスターのレオン、商人ギルドマスターのガス、セリア、アウローラの側近たちが並んでいる。
ヴィーンゴルヴからはグナ大統領と政府専属ティターンが出席していた。
が、陽織もセリアもアウローラもシャウナもいない。
シギンは花嫁たちの先導を務めるのでいないことは知っているけど、何故だ?
好きだと言ってくれた手前、俺が誰かと結婚するところなど見たくはないということなのだろうか。
わからないでもない。
逆の立場なら俺も複雑な気分だろうしな。
祭壇の前に立つ。
あとは花嫁たちの現れるのを待つばかりだ。
探知魔術を発動させて魔王国周辺の状況を確認する。
脳裏に描かれる魔王国に無数の光点が表示される。
怪しい動きをしている者はいない。
人口密集度は大聖堂付近がもっとも多く、市民の多くが駆けつけていることがわかる。
規則正しく配置されているのは魔王軍とティターン防衛部隊か。
礼拝堂に接近する五つの光点がある。
来たか……。
堂々と胸を張り待ち構える。
りぃんと澄んだ鈴の音が響いた。
花嫁が到着した合図だ。
エイルがゆっくりと扉を開く。
まず、ふわふわとした可愛らしいドレスに身を包んだシギンが入ってくる。
実に愛らしい。
本物がやりたかったらしく表に出てきているようだ。
そして、シギンの後ろには四人の女性が立っていた。
精神統一霊術を発動させているはずなのに高鳴る鼓動を感じた。
目深におろされたベールで顔は見えない。
全員が色彩と趣の異なるウェディングドレスを着ている。
純白光のドレスの女、紅蓮色のドレスの女、蒼天色のドレスの女、陽光色のドレスの女。
どの衣裳も目を奪われるような鮮やかさを持っていた。
花嫁たちは静々と赤い絨毯を渡り、祭壇の前に整列する。
あれ、おかしいな。
花嫁たちが整列するシーンなどあっただろうか。
段取りが違うなと思いつつ内心首を傾げていると、アリチェが恭しく礼をして、四の指輪を差し出してくる。
「それではこれより神の御名において大魔王様の結婚式を行います。……はじめに正妻として迎える花嫁へ指輪を贈り、ベールを外してあげてください」
え、ここで選ぶの?
そんなの初めて聞いたんですけど。
素の自分であればうろたえていたかもしれないけど、精神統一霊術で抑圧された感情は揺るがない。
淡々と行動に移る。
アリチェから指輪を受け取ると花嫁たちに歩み寄った。
しかし、どうするかな。
選べと言われても顔が見えないし、性格はわからないし、判断基準はせいぜいドレスの色くらいなものか。
花嫁たちを見る。
はじめは、白磁のような純白色。
白は無垢な心を表すと言うし一番純粋な想いを秘めているように見える。
続いて、いまにも燃え上がりそうな紅蓮色。
とても品のある紅い色は情熱的な心を表すかのようで強烈に惹きつけられる。
火傷しかねない劫火のような愛は奥手な自分にはちょうど良い相手なのかもしれない。
お次は、澄み渡るような空を連想させる蒼天色。
冷たい印象を与えかねない色なのにとても落ち着いた気持ちにさせてくれる。
精神統一霊術がなければすぐに心乱される俺には、冷静に先を指示してくれるような女性もありなのかもしれないな。
最後に、温かな日差しに包まれているような陽光色。
柔らかな橙色からは包容力と優しさを感じさせる。
色の選び方が少し大人びているのだろうか、他の三名と比べると安心感のある雰囲気を感じさせる。
これは難しい。
けど、あまり長く待たせるのも良くない。
俺は悩んだあげく、純白のドレスを着ていた女性の手を取った。
ゆっくりと指輪をはめてあげる。
ここは手順通りだ。
覚えておいた決まり文句を口にする。
「……我が心を貴女に。誓いを込めて指輪を捧げます」
「……誓いを受け取ります。我が心を貴方様に捧げます」
聞きなれた声がした。
……んん…………、気のせい、か?
「では、ヴェールを外して誓いの接吻を」
アリチェの声が聞こえてくる。
俺は言われるがままにヴェールを外した。
薄く頬紅をつけ、緩く口紅に彩られた、少し恥ずかしそうにはにかむ顔があった。
陽織だ。
純白のドレス姿の陽織の姿がそこにあった。
「な……ん……、んむ!?」
思考停止する俺を妨げるように陽織が顔を寄せる。
奪い取るように唇を重ねてきた。
いつぞやのヘッドバッティングとは違う優しいキスだった。
陽織が離れる。
にひひ、と勝ち誇ったように笑顔を見せた。
「大魔王様。他の花嫁様方にも指輪をお贈りし、誓いの接吻をお願いいたします」
精神統一霊術がなかったとしたらどんな醜態をさらしているんだろう。
魔術の効果を吹っ飛ばすんじゃないかと言うくらいの衝撃に打ち震えていた。
つまり、つまり、つまり……、そういうことか。
こういうことか。
遅きに失して花嫁の正体に気が付いた。
紅蓮のヴェールを外すと、むくれた顔をしてそっぽを向くアウローラがいた。
蒼天のヴェールを外すと、穏やかな微笑みを浮かべるセリアがいた。
陽光のヴェールを外すと、恥ずかしそうに視線を彷徨わせるシャウナがいた。
「……お……お前ら、……これは……」
俺はただただ、四人の花嫁たちを眺めて言葉にならない言葉を発するのみである。
そんな俺に、ずいっと迫る。
「レイキは逃げるからな。こうでもしなければ結婚などせんだろう? 余は待ちくたびれたぞ」
「騙し討ちは悪いと思いましたけれど、これがわたくしたちの偽らざる気持ちですから」
「申し訳ありません。文句はあとで聞きますから、式を進めてもらえませんか?」
その通り。
いまは結婚式の最中である。
周囲は明らかに俺の状況に気づいているようで、微妙な苦笑いを浮かべている者や、諦めろと言いたげに悟りの表情で頷く者もいる。
つまり、全員がグルなわけだ。
俺だけが事実を知らないまま罠に嵌ったわけである。
大魔王とは一体……、うごごごご。
「大魔王様。観念してくださいね」
慈愛に満ちた表情で、アリチェの最後通告が為された。
「……は、い……」
すべてを諦めて粛々と式を進行させる。
アウローラ、セリア、シャウナ、の順番に指輪を渡し、誓いの接吻をする。
すべて終えた後に陽織から指輪を受け取る。
「誓いの儀式、しかと見届けました。……ここにまた新たな夫婦が生まれました。神よ、どうか末永くこの者たちを見守ってくださいますよう!」
起立していた人々が一斉に拍手を贈る。
歓声が各所から上がった。
割れんばかりの人々の祝福の声が大聖堂に響き渡る。
大聖堂の鐘が鳴らされると、外にいる群衆にも伝わったのか、波紋のように歓びの声がさらに広がっていく。
「……それで、どこまでが本当で、どこからが嘘なんだ?」
俺は傍らに寄り添う四人の嫁に尋ねる。
「余は嘘などついていないぞ。宝物庫が破られたことは事実。縁談を申し込んだのは、冥王国の王姫であるアウローラ・ネロ・ジルコニアであり、竜王国の王姫であるセリア・ラナ・カルセドニーであり、流浪の王姫であるシャウナ・レイヴァースであり、神獣イルミンスールの加護を持つカミズル・ヒオリ。すべてではないが、亡国の姫だ。持参金を合算で用意したのも余たちだ。……宝物庫の件は不測の事態のため焦ったがな。レイキの目を盗んで四人で稼ぎにいくのは苦労したぞ」
「嘘……じゃない、のか……? ぇぇ……、納得いかねぇ……」
「ひどいですわ、そこまでわたくしたちと結婚をしたくないのですか?」
少し悲しそうに問う、セリア。
「所詮、私たちの想いは一方的なものだったということですね……よよよ」
シャウナはあからさまに泣き真似をする。
「そうじゃないけどさ……」
見ず知らずの他人と結婚することを考えれば、勝手知ったる陽織たちと結婚するほうが良かったと考えが落ち着こうとしていた。
結婚しなければならない選択を迫られた結果、まんまと誘導された気がする。
彼女たちが嫁で満足だ。
逆に俺でいいのかよ、と問いかけたい。
「ほら、玲樹。街の人たちが待ってるよ! 急いで、急いで!」
陽織に手を引かれて赤い絨毯を歩いていく。
アウローラが、セリアが、シャウナが、俺の後ろを追いかける。
大聖堂を一歩外へ出ると、群衆の歓声は最高潮に達した。
耳鳴りがするほどの喝采。
舞い散る花吹雪。
晴れ渡る空にはカラースモークを噴出しながら飛行するカイザーガイスト装備のティターン部隊がいた。
大魔王は結婚式は大盛況であった。