第七話 「日課」
2016/10/16
本章を「日課」と「お仕置き」に分割しました
淵ヶ峰高校の校舎の屋上には貯水槽がある。
校舎は五つ。
避難民が住んでいる、第一校舎。
魔物に壊されたまま放置されている、第二校舎。
シャウナが住んでいる技術教室がある、第三校舎。
誰も立ち入らない倉庫になっている、旧校舎。
俺と陽織しか生活していない、男子寮と女子寮。
貯水槽に残っている水を排水してから、水生成魔術で新鮮な水を作る。
貯水槽の清掃も必要と思い、技巧魔術の清潔魔術で殺菌・消毒する。
俺が魔術を使う様子をエイルが熱心に眺めている。
「……ふむぅ、空気中の水分量に変化なし。やはり、水生成魔術により生成される水は、使用者の魔力が変換されることで生み出されていることは間違いない。魔力はどのような物質にも変換される万能の物質であるわけだ。清潔魔術は、不浄な物質、細菌と呼ばれる微生物の除去を行う。これは魔力が熱や薬による殺菌・消毒効果と似たような働きをするからだと考えられるけど……、分解速度は桁違いの速さだ。いったいどのような原理で殺菌を行っているのだろうか。人体に影響はないのかな……」
顕微鏡をメガネにしたような奇妙な器具を装着しているエイル。
俺の手を見て、生成した水を掬って、貯水槽の中をのぞき込む。
「おいおいおい、落ちるぞ!」
貯水槽の中に身を乗り出そうとしたエイルの体がズルりと傾くので、慌てて尻を掴む。
あ、……ふよっとして触り心地が最高。
このまま顔を埋めてしまいたい欲望に駆られる。
観察が終わったのか、エイルがもぞもぞと貯水槽から顔を出す。
「エイルさ。魔術の研究くらい自分の魔術でやれよな」
「錬金術師というのは魔術の素養がない者が魔術師になることを夢見てはじまった職業さ。魔術の力を道具によって再現することで、すべての人々に魔術の普及を努める職業なんだよ」
「……自分では魔術を使えないから見せるくらいケチケチするなと?」
「よくわかっているじゃないか」
減るものじゃないし構わないけど。
まあ、魔力は減っているか。
「これで終わりだな」
「うん、お疲れさま」
水を入れ替えているのは、第一校舎、男子寮と女子寮だけだ。
シャウナは自分で水魔術が使えるのでいらないと言っていたし、人がいない校舎の水道が使えても意味がないからだ。
「レイキ君、もう一つお願いしたいことがあるんだ」
エイルが両手を合わせて、お願いのポーズをする。
うわぁ、来たよ――。
エイルの頼みごとを引き受けると、五回に一度は追加がある。
「あんまり時間かかりそうなのは明日にしたいんだけどな……」
「そんな掛からないよ。施設のバリケードが壊れているから、修繕してほしいだけさ」
「いや、それ時間かかるだろ!」
淵ヶ峰高校は丘の上にある。
後門付近はコンクリートで舗装された崖になっているので魔物の侵入を心配することはない。
正門付近は緑の金属フェンスで囲っているだけなので、シャウナが土魔術でグルリと囲いを作ってある。
グルリとだ。
高さ五メートル、厚さ三○センチ、長さにして五○○メートル。
かなりの距離である。
「バリケードは先生が作ったんだから先生に頼んでくれよ」
「シャウナ君は機嫌が悪いとボクの事を無視するんだ。お願いだよ、レイキ君にしか頼めないんだ……」
俺の腕を取り、縋る。
ひんやりとした指先が俺の手に絡められる。
エイルの人形のような整った顔が近い。
かなりの距離である。
そうは言われても、である。
「先生との模擬戦があるんだ、午後にはミシュリーヌへ修行も行きたいしさ……」
予定は詰まっているのである。
しかし、エイルも食い下がる。
「シャウナ君は食事をする時間もあるだろう? 今すぐに訪ねても訓練は始まらないと思うよ。修行の件も問題ないさ。毎日やっているんだ、たまには修行をしない休息日があっても良いじゃないか」
「う、うー……ん」
俺はエイルの手を振りほどいて背を向ける。
シャウナはいま食事をしている。
食休みも欲しいだろう。
修行はシャウナに強制されていることではない。
勇者に勝てそうにないと言うシャウナの言葉に従って毎日繰り返している自主練だ。
休もうと思えば休んでも誰にも怒られない。
悩む俺を見透かすように、エイルがしっとりと背後から抱きついてくる。
耳元で息を吹きかけるようにエイルが囁く。
「レイキ君、……頼まれてくれたら、キミの言うことをなんでもひとつだけ聞いてアゲルよ」
なんでも!?
抵抗していた俺の理性はあっさりと崩落した。
「しょうがねえなあ……」
渋々と言った様子を装い応える。
しかし、その足取りはうきうきピクニック気分。
目の前にぶら下げられた褒美しか見えていない愚かなオオカミである。
「さぁ……レイキ君。コッチだよ……」
エイルは妖しく微笑むと、俺の手を取り、目的の場所へと誘う。
無論、壊れたバリケードの場所である。
二時間後。
俺は修復したバリケードに片手をついてへたばっていた。
「こ、……これで……、終わりだな……」
「うん、お疲れさま」
学校を囲っていたバリケードは思っていた以上に壊れていた。
崩れた場所やひび割れた箇所。
運が悪いことにジャイアントスパイダーが巣を作り出していた場所があったので戦闘にもなった。
「お疲れさまじゃねぇよ……、こんな大変な作業任せやがって……」
作業終了後には俺の魔力残量は半分まで減っていた。
これから模擬戦があるというのに由々しき事態である。
だが、俺は頑張った。
頑張って目標を達成した。
目標を成し遂げたという事は、報酬がもらえるはずである。
「……エイル、ご褒美の時間だぜ、っへっへっへ……」
エイルは一歩後ろに下がった。
「レイキ君……」
おいおい、逃げようったってそうはいかない。
約束破りはお仕置きである。
メイドさんをお仕置き、何という背徳的で甘美な響きであろうか。
「……約束を放り出して、こんな場所でメイドと乳繰り合っているとは、ご貴族様のような身分ですね」
背筋が凍りつく様な冷えきった声が聞こえた。
俺の意識は一瞬で現実に引き戻された。
ゆっくりと振り返る。
「……シャウナ、先生……」
女神の微笑みを浮かべた大魔人が腕組みして立っている。
「ご褒美なら私が差し上げましょう。本日の模擬戦は手加減なしにします。疲れるからやりたくないのですが、本気の戦いであったほうがレイキも身が引き締まるでしょう」
シャウナは、穏やかな口調で言った。
膝が面白いくらいガクガクと笑いだした。
「違うんですよ、先生。これはエイルに頼まれてですね」
エイルに説明してもらおうと、助けを求めるが、メイドの姿はない。
消えたエイルの姿を追うと、校舎の方へ足早に歩いていくのが見えた。
エイルが振り返ってこちらを見た。
唇が動く。
――ご、め、ん、ね。
小さく手をヒラヒラと振ると、食堂へ消えていった。
ぐわし、と俺の右手が捕まれる。
ほっそりとした指先と裏腹に、指一本一本に力強さを感じる。
爪の先がギリギリと肉に食い込んでくる。
肉食獣である。
捕食者である。
俺は、哀れな生贄となったのだ。
「もうお昼です。早く模擬戦を始めましょう、行きますよ」
「……痛い、痛いです。先生」
俺は引きずられるように学校から連れ出された。