第六十話 「悲嘆の機神」
岩が転がり落ちたかのような物音に目覚めた。
グゴゴゴゴ、誰だ、我が眠りを妨げる者は……。
ふかふかのベッドの上で目をこする。
カーテンの開け放たれた窓から月明かりが注いでいる。
青白い室内を見渡す。
廊下側に面した壁がぶち抜かれていた。
入室するならせめて扉から入ろうぜ。
むしろ俺がやらかしたのか?
寝ぼけて魔術を使ってしまったのだろうか。
ベッドの上に散らかしていた学生服を素早く着込む。
と、床で呻く人影を見つけた。
「セリア――!? おい、何を……やってんだ……」
ベッドから飛び降りて抱き起す。
掌に生温かい液体が貼りついた。
指先をこねると真っ赤に染まる。
血だ。
セリアは大怪我をしていた。
すぐさま再生魔術を掛けてあげる。
「どうしたんだ? 何があった?」
「何があったじゃありません……! 反乱が起きているんですよ? いつまで寝ているつもりですか……! ……ケホ、ケホ……」
「反乱……、調査していたんじゃないのか……」
「ロドルフだけの反乱なら大したことはないわ。でも、外部の敵が、手引きをして……魔王国全体が機械仕掛けの魔物に攻撃されているの……」
俺は窓に飛びついた。
眼下の光景は真っ赤に染まっている。
黒煙と劫火。
あの日、淵ヶ峰高校への坂道でみた光景を彷彿とさせる悪夢が広がっていた。
「陽織たちは!?」
「市街地で敵と交戦していますわ」
「俺たちも……」
俺は言葉を呑み込む。
寝室に入ってくる者たちがいたからだ。
騎士装束の少女と貴族服の男だ。
名前が思い出せない。
どこかで見たような見たことがないような。
俺の仕事に関わってくるような人物ではないような気がする。
俺はいつでも戦えるように魔力と闘気を整える。
貴族服の男が尊大に話しかけてくる。
「ようやく会えたな。私はロドルフ・サーペンテイン。お前を倒し、魔王国を帝国再興の礎とさせてもらう」
「お前がロドルフか。わざわざ俺の前に姿を現すとは、……死にに来たのか?」
「余裕だな、大魔王。だが、すぐに思い知ることになるぞ。覇王姫を容易くあしらう帝王姫に勝てるかな?」
ロドルフを守るように騎士装束の少女が進み出る。
両手の剣から滴り落ちるのは赤い滴。
セリアを倒したのはこの少女なのか。
戦いでけりをつけるのはいい。
ただ、戦う前に聞きたいことがあった。
「ロドルフと言ったな。貴様、何が気に入らなかった? 魔王国では貴族の地位にいるみたいだが、不満なのか? 領地が減ったとかそんな理由か?」
「何が、だと? ……何もかも気に入らんよ。私の政策があれば、よりこの国を大きくできると言うのに! 何故、私の意見を聞かぬ……、愚か者共めが!」
おかしいな。
やる気のある人、能力のある人、はどんどん雇用していくとアウローラは言っていた。
性格はともかくやる気の面では及第点だと思うのだけど。
気付かれないように、真偽看破魔術を掛けておく。
「では、お前が魔王国で大魔王に次ぐ地位であったとしよう。何を為す? 俺に説明してみろ」
「良いだろう、大魔王。お前の無駄を余すところなく説明してやる――!」
いままで溜めていた不満が爆発したのだろうか。
しゃべる、しゃべる、しゃべりまくる。
が、正直聞くんじゃなかったと思ってしまう。
ロドルフの政策は俺向きじゃなかった。
彼の主張はこうだ。
帝政を復活させること。
亜人族は繁殖場を設けて管理して奴隷として使役すること。
各領地・市街地から税金を取り立てること。
ヴィーンゴルヴの技術を輸出して利益を得ること。
魔王軍を拡大してミシュリーヌ全土に支配を広げること。
帝王姫を娶り、政権を帝王姫へ譲渡すること、などなど……。
そりゃ、アウローラに選考で落とされるなと思ってしまった。
セリアが耳打ちしてくる。
「……帝国は奴隷制を推奨する国なのです。苛烈な政策も相まって、亜人は寄り付きませんし、周辺国からも嫌煙されていました……」
「そうだろうね」
機関銃のように話し続けるロドルフ。
俺はヒラヒラと手を振ってやめさせる。
「おい、もういいぞ」
「なんだ!? 私は、まだ……!」
「もういいよ、聞きたくない。さっさと終わらせよう」
俺は電撃魔術を発動。
ロドルフに向けて迸る電光を放った。
騎士装束の少女が動く。
ロドルフの前に立ち塞がり、魔力障壁魔術で電光を受け止める。
「電撃魔術無効化。……その程度の魔術ではダメージを受けない」
「む……」
驚いた。
俺の魔術を防いでくるのか。
魔力総量が互角でなければ魔力障壁魔術で魔術は防げない。
あれだけ強化された俺の魔力総量に匹敵する魔力の持ち主なのか。
「ぬぐっ、不意打ちとはな。話をさせるのは油断を誘うためか、卑怯者め!」
「うるせーよ。お前の政策とやらは聞くに堪えない、やるなら他所の国に行ってくれ」
もう話すことはない。
まずは騎士装束の少女を倒す。
そして、ロドルフだ。
「……ロドルフ、敵は強い。完全武装の許可を」
「なんでもいい、さっさと大魔王を殺せ!」
「……許可を得た、モジュールを確保する」
なんの前触れもなく。
騎士装束の少女はロドルフの胸元を貫いた。
「うぉい……!?」
「なんですの……」
俺とセリアは唐突な行動に驚きの声を上げた。
最も驚愕していたのは、ロドルフだ。
信じられないと騎士装束の少女を見下ろしている。
いや違う。
ロドルフの視線が注がれているものは、彼の胸元から引き出された燃えるように輝く宝玉だ。
「な、何故……私ノ、体にぃ……こンナ、ものがァ……」
ロドルフの声が異質に乱れる。
まるで歪んだ機械音声のようにノイズが混じり出す。
「システム、オペレーションモード起動。……茶番はここまでとしよう」
狼狽するロドルフに騎士装束の少女は淡々と告げる。
「……ロドルフ・サーペンテイン、貴殿は帝国で我と共に勇敢に戦い死んだ。我の隣で最後まで槍を奮い、機械兵たちを屠り、力尽きた」
「私はァ……難民として、逃げ延ビタ、ハズ……」
「……改竄された記憶だ。貴殿は帝国で戦死して、マシンソルジャーに改造されたのちに難民の中に紛れ込まされた。我の追加モジュールを安全に魔王国に持ち込むためだ。そして、適度な騒ぎを起こして大魔王に元まで誘導する、貴殿にプログラムされた任務だ」
「馬鹿な、……私の記憶は、あ……」
ロドルフの瞳が見開かれる。
「……機械人が言うには死の間際には不具合で記憶が戻るそうだ。ロドルフよ、思い出したか?」
「そ、ンナ、……ァ、ァァァ、姫サ、マ……、こんな、こんなはずでは……、私は、……申シ訳、ゴザいま……セン……」
「貴殿の忠義に心からの感謝を。……安らかに眠れ」
騎士装束の少女の腕が胸元から引き抜かれる。
ロドルフは、床に倒れて、動かなくなった。
よくわからんけど。
要するにロドルフは敵側に送り込まれていた工作員みたいなもんだった。
用済みになったから殺されてしまったという事か。
「ひでぇことしやがる……」
騎士装束の少女が振り返る。
俺は息をのんだ。
騎士装束の少女の赤い瞳からは滂沱として涙が零れていた。
「お前、悲しいのか……?」
「……眼球洗浄器の不具合だ。気にするな」
騎士装束の少女は袖で顔を拭うと、宝玉を掲げる。
「追加モジュールを起動……、接続シーケンス開始」
宝玉から生え伸びた菌糸のような光線が幾何学模様を描く。
騎士装束の少女を取り巻き、全身を再構成していく。
瞬く間に少女の姿が変わった。
「システム、ターミネートモード起動。……完全武装では難民として潜入するのは不可能。故に手間を掛けてこのような手法を取らせてもらった」
俺は上から下までじっくりと少女の姿を眺めた。
「……そりゃ無理だろうね、そんなわかりやすいロボ娘じゃあ、バレバレだ」
目の前には機械仕掛けの少女の姿がある。
両手に持っていた剣は手から離れて一定間隔を浮遊している。
仄かに光を放つ刀身は水晶のような輝きを放っていた。
人間らしい肌は顔、肩、腹、足の付け根、のみ。
それ以外は青と白の鮮やかな装甲版に覆われている。
背中には長大なロケットブースターを備えており、如何にも飛べます、と言いたげだ。
腰には金属のスカートを履いていてほっそりとした足を隠している。
よく見るとスカートは格納庫のようになっている。
フェミニュートが武器を自在に実体化できるように、色々なものが飛び出してきてしまいそうな予感がする。
セリアが俺の腕を掴む。
「レイキ……」
ビリビリと伝わってくる闘気と魔力の波動に震えているのだろうか。
安心させるため優しく手を取る。
「コイツは俺がやる。セリアは皆の応援に行ってくれ」
「……ご武運を」
セリアは頬に唇を寄せる。
熱い抱擁とキスを進呈してくれた。
「ちょ、……」
「続きはまたこんどに致しますわ」
続きがあることを期待していいのだろうか。
その問いを掛ける前にセリアは身を翻す。
破壊されていた壁から廊下へと走っていった。
「……心残りはないようだ。大魔王レイキ、貴卿の力、見せてもらう」
「俺の力に腰を抜かすなよ」
召喚魔術で、サモン・インテリジェンスソードとサモン・アイギスシールドを呼び出す。
気力変換霊術で魔力を闘気に変換。
闘気障壁闘術を展開する。
併せて、ガイストの能力潤滑魂力場を腕と脚に這わせる。
最後に闘気掌を両手に発動させた。
準備は万端だ。
対する機械仕掛けの少女も拳に闘気を集中させる。
浮遊する剣の切っ先をこちらへ向けた。
「称号システム、起動。マリルーに魔神王の称号をインストール……、実行。ソードビットに剣神姫の称号をインストール……、実行。完了」
……称号システム?
なんだそれ。
しかも魔神王の称号って、なんだよ。
驚き固まる俺に、丁寧にも説明をしてくれる。
「我はこの世に存在するすべての称号を保有している。戦闘状況によって実行する称号を切り替える能力を持っている」
「はぁ!? ……そんなん……ッ」
「貴卿に名乗るのは初めてだな。……機神姫、マリルー・サン・エクセルシア、推して参る」
俺は喚く事すらできなかった。
マリルーの拳が迫る。
俺の闘気障壁闘術があっさりと砕け散った。
辛うじて潤滑魂力場を展開していた腕を交差して凌ぐ。
しかし。
マリルーの膂力は殺せない。
体が弾き飛ばされて、背後の窓ガラスを突き破った。
ガラス片がキラキラと月光を反射する。
一撃でぶっ飛ばされた俺は魔王城から望む市街地へと落下していった。