第六話 「Do not eat」
俺と陽織は連れ添って食堂へと向かう。
先も触れたが、淵ヶ峰高校の食糧事情は悪い。
魔物の侵略があってからすでに三か月。
新鮮な食料は手に入れることができない。
避難所で主に食べられている物は魔物に漁られずに済んだ缶詰やインスタント食品である。
シャウナはカップラーメンを食べたがっていたけど貴重品だったりする。
「そういや陽織さ。カップ麺ってまだ食堂に残ってた?」
「あるわよ。玲樹が持ってきてくれた箱の中に残ってたから」
淵ヶ峰高校の避難所にはルールがある。
集めた食料は食堂に置いて皆で分け合いましょう、みたいなことになっている。
しかし、ルールはほぼ忘れ去られており、俺と陽織しか食料を集めていない。
ほとんどの避難民たちは家族や友人単位でバラバラに行動しており、食料は自分たちで集めて自分たちで食べるみたいなことになっている。
お年寄りや怪我人は食料を手に入れられないから自給自足制だと良くないと思っている。
だが、子供が大人に指図するなと罵られても心が痛いので俺は何も言えていない。
黙って食堂に食料を集めるだけである。
「あ~、でもエイルが配っちゃってるかもしれないわね」
「残っていてくれると嬉しいなあ……」
俺や陽織が拾ってきた食料はある人物が管理している。
一縷の望みに託しつつ食堂の扉を開けた。
全面ガラス張りの室内はしんと静まり返っている。
学生時代には四○○人近い生徒がいて賑わっていた光景がただただ懐かしい。
食事用の長テーブルの間を縫って食券を渡すカウンターへと向かう。
窓際に一角は妙に生活臭を感じる場所がある。
「また増えてるな」
眺めの良いテラス付近には、食堂の主が持ち込んだ雑多ながらくたが積み上がっている。
「本に服に電化製品か。おいおい、自動車のエンジン何てどうやって持ってきたんだ……」
「エイルって凄い力持ちなのよ。このエンジン何て肩に担いで持ってきたんだから。なんでこんな物拾ってくるのかしらね?」
「異なる文化によって生まれた品々は非常に興味深い……とか、前に言ってたな」
「ふぅん」
俺は調理場にいるであろう人物に呼びかける。
「おーい、エイルー! いるかー?」
しばらくすると、ひょっこりと顔を見せたメイド服の少女が一人。
真っ白い髪に真っ白い肌、やせ気味の肢体からは虚弱で病的な印象を受ける浮世離れした少女だ。
彼女の名は、エイル。
ある日、ふらりと避難所に現れてそのまま居着いてしまった自称天才錬金術師の少女である。
シャウナと同じミシュリーヌの人間らしい。
俺の姿を認めると、エイルは淡い笑みを浮かべた。
「やっと来たね。陽織君が作った食事が冷めてしまうよ」
「悪い、すぐ食べる。あとシャウナ用にカップ麺が残ってるか?」
「ふむ、カップ麺ね。まだあったと思うよ。食事は持っていくから座っていてほしい」
エイルは調理場の奥へと戻っていった。
「そういや、お前らって会話できないけど、どうやって意思疎通してるの?」
「食事を作るだけだもの。素材の捌き方は見ていればわかるし……身振り手振りでどうにかなるものよ」
「……そうかな。お前はやっぱすげえよ……」
エイルは日本語を話せないし読めない。
シャウナのように便利な道具も持っていないので、意思疎通ができるのは俺だけだ。
そんな状態で、陽織はよくぞ料理方法を伝授してもらったものだ。
「あら、そお? もっと褒めてくれてもいいのよ」
「ああ、陽織。お前は凄い奴だ」
俺は陽織の頭をナデナデしてやる。
ひとしきり撫でられるがままになっていた陽織は俺の手から逃れる。
「も、もういいから……座ろ」
陽織に促され、カウンターに近い座席に腰を下ろす。
陽織は俺の隣に座った。
エイルはこの食堂で生活しながら地球の文化について研究している。
フリフリのメイド服を着ているのは何故なのか聞いたところ、この世界では奉仕者はこの服装をする文化があるようだと解説された。
その文化、間違ってないけどあまり参考にしないでくれると助かる。
エイルはお人好しな性格だ。
研究をする傍ら、回収されたインスタント食品を配給し、避難民の健康状態の確認して回る
そして。
新鮮な食材を使った調理法を陽織に伝授する。
新鮮な食材は手に入らないのではって?
俺たちが普段食べていた新鮮な食材は手に入らないけど、ミシュリーヌ産の新鮮な食材はうようよしている。
お察しの通りである。
魔物の肉だ。
一番初めの頃の話。
避難所を訪れたエイルは魔物の肉を使った食事を提供してくれた。
だが、問題が起きた。
シャウナやエイルは食べても平気だったが、魔物の肉の料理を食べた避難民は体調不良に陥り、体の弱っていた人は死んでしまったのだ。
俺と陽織もひどい目に遭った。
原因は魔物の肉にはちょっとした毒性があったこと。
ミシュリーヌの人たちには気にならないレベルらしいが地球人の胃腸は耐えられなかった。
それ以来、避難民は食料の配給はもらうけど作ってもらった食事は食べなくなった。
現在は陽織が調理した魔物の肉を、俺と陽織とシャウナとエイルが食べている。
俺は解毒魔術が使えるので食べたら即解毒。
陽織は俺と一緒に食べるので一緒に解毒している。
ただ、最近は解毒がいらなくなってきた。
食べ続けているうちに魔物の肉の毒に抵抗力がついたらしい。
体が慣れてきたんだと思うよ、とエイルは説明していた。
ミシュリーヌでは子供や幼児など抵抗力の低い者は魔物の肉を食べませんね、とシャウナが言っていた。
俺ら地球人の抵抗力は赤ん坊並みだったと言われると悲しいものがある。
「やあ、お待たせ」
エイルは湯気のたつスープを俺と陽織の前に置いた。
銀色のスプーンを添えるのも忘れない。
「どうぞ、召し上がれ」
配膳された皿には塩胡椒で質素に味付けされたスープが盛られている。
スプーンで具材をよそい、じぃっと見るが、良くわからない。
具材は、何かの肉、何かの根野菜、何かの緑野菜だ。
調理者ならば原料を知っているだろう。
陽織を見やる。
「材料、聞きたい?」
「いちおう聞く……」
「肉はボーパルバニーのもも肉。芋みたいなのは学校の林に生えていたマンドレイクの根。緑の葉っぱはトレントの新芽よ」
マンドレイクはハエ獲り草のお化けみたいな植物の魔物だ。
哀れ獲物となったおっさんを丸飲みしていたところをシャウナに倒された。
ボーパルバニーは見た目は小柄なウサギだが、肉食で獲物の首筋を狙って噛みついてくる凶暴な魔物だ。
陽織が仕掛けていた罠に掛かっていたのを射殺したと聞いている。
トレントはエイルが増殖中の森から獲ってきたんだろう。
食欲が恐ろしく減衰した。
俺が今日のご飯は美味しいかと聞いた理由は、そういうことだ。
陽織がそっと視線を反らしたのは、こういうことだ。
しかし、食べなければ避難民のように飢えと栄養失調に苦しむだけだ。
「いただきます」
「……いただきます」
俺と陽織はできるだけ噛まないようにして料理を食べ始めた。
美味しい魔物の肉もあるらしいのだが、いまは淵ヶ峰高校周辺で得られる魔物の辛うじて食べられる部位を調理している。
肉は硬くて独特のえぐみがあり、うっかり舌の上で味わおうものなら嘔吐いてしまう。
菜っ葉は噛みしめると苦味と強烈な青臭さに水で流し込みたくなる。
いや、今日はマシな方だろう。
ひどいときには虫の魔物の料理が並ぶことさえある。
陽織は気を使って食べやすいようにと一口サイズにしてくれているが、現代っ子である俺たちにとって見た目がきつい。
だって明らかに虫なんだもの。
キシャアアって胸を喰い破ってきそうなグラフィックなんだもの。
シャウナに言わせると、「食べるものがあるだけマシだと思いますが」と呆れられてしまった。
ミシュリーヌでは魔物の肉を食べることは珍しい事でもないようだ。
「レイキ君。食べ終わったら飲料水の補給を頼めないだろうか」
「無くなるのがけっこう早いな」
「……消費が多くてねえ」
避難民が増えたからってことかな。
三○人だったら余裕だと思っていたけど、暑い日が続いたからかもしれないな。
ついでに陽織にも聞いてみた。
「あ、私も。水筒に水欲しい」
「おっけい、了解だ」
水生成魔術は飲み水としても最良だ。
そのため、飲料水用と下水用と貯水槽に水を貯える役割を担っている。
もちろん避難民には秘密だ。
「それとカップ麺だよ。最後の一つだからまた補充してくれると助かるかな」
エイルが用意してくれた日○カップ○ードルを受け取る。
SIO味が残っていたか。
俺も食べたいが我慢しよう、まだ首を引き抜かれたくはない。
それより気になったことがある。
「水もだけど無くなるの早くないか? カップ麺とか箱で持ってきただろ?」
俺は淵ヶ峰高校にいる人間では一番遠くまで移動することができる。
食料の回収は一週間に一回くらいしかやらないが、缶詰もカップ麺も三○人が分け合えば六日はなんとかなる量はあるはずだ。
俺の指摘に、エイルは困ったように笑った。
「割と強引な人もいてね。隠しておかないと盗んだり奪い取っていくような人もいて困ったもんだよ」
「そんな奴いるのかよ!」
「どうしたの?」
陽織に食料の略奪者の件を伝えるとむすっと口をへの字に曲げる。
持っているスプーンを曲げるんじゃない。
こら、次に食べる人が困るでしょ!
「懲らしめてやろうかしら」
陽織は本当にやりかねない。
ご存知の通り女らしい箇所は少ないし、もともとの行動も女の子らしくない部分があった。
多聞にあったので危険だ。
「やめなさい、早まるな」
いまにも避難民のいる校舎へ突撃しそうなので押し留める。
雰囲気が伝わったのか。
エイルもなだめる側に回る。
「まあまあ、落ちついて。拾ってくる食料なんてボクたちには必要ないだろう? 欲しいならあげてしまっても構わないさ」
「そうは言うけどな……」
エイルは女の子なわけだし暴力で来られたらと考えると心配になる。
「ふふ、心配してくれるのかい? ボクだってそこそこ戦えるんだよ」
「だとしても心配なんだよ」
エイルが戦っているのを見たことはない。
だが、ミシュリーヌの人間だ。
シャウナのことを考えるとエイルも地球人の暴漢にどうこうできるレベルではあるまい。
苦労してスープを胃に流し込むと、俺と陽織は席を立った。
「ごちそうさま」
「お粗末様でした」
食べ終わると、エイルからスープを器に移し替えたものを手渡される。
シャウナに朝食を届けるのは俺じゃなくてもいいか。
陽織に任せることにした。
「悪いけど、先生に持って行ってもらえるか? 水筒の水はいま入れ替えたから」
「ん、わかった」
陽織はスープと水筒を受け取ると食堂から出て行った。
「では申し訳ないけど、よろしく頼むよ」
「まかせてくれ」
食後のあとは労働が待っている。
今日も一日がはじまる。