第五十話 「理屈と情理」
本章はセリアの視点で書かれています。
セリアは判断を間違えたことがない。
己の選択が間違っていることなど一度もなかった。
セリアが元々持っていた聡明さと神獣ティアマットの血から受け継いだ予知能力のおかげである。
常に正しい選択を。
常に効率的な方法を。
ふたつを念頭に、セリアは間違えずに選んで生きてきた。
幼い頃は他人がどうして正しい選択や効率的な方法を取らないのか不思議だった。
どうして同じ考えができないのか理解できなかった。
やがてセリアは成長して王女となる。
そして理解する。
他人は正しい選択が見えていても感情に左右される生物なのだ、と。
王女として成長したセリアは使命感に燃えていた。
竜王国の民は貧しさと魔物の脅威に晒されている。
国を豊かにして、民の心を豊かにして、誰もが幸せになれるような竜王国にしてみせる、と。
セリアは戦い続けて、勝ち続けた。
王位継承権で勝ち。
魔物との戦で勝ち。
他国との交渉で勝ち。
竜王国を豊かにするために勝ち続けた。
すべて正しい選択だった。
だが、豊かさを追い求めた果てに、セリアは導いてきたはずの民に討ち取られた。
何故なのか。
正しい事を為してきたはずなのに、何故、誰もついてきてくれないのか。
アウローラは言った。
お前は人の気持ちがわからない、と。
イニアスは言った。
人は人によって統治されるべきだ、と。
正しいのに間違っている。
セリアはグルグルと渦巻く思考に呑まれて悩み続けていた。
ヴィーンゴルヴでの戦いでは、自信をもっていた戦闘力でも敵に叩きのめされてしまった。
何をやっても上手くいかない。
ひどく疲れてしまい何も考えたくなくなった。
アウローラの助言だからと王様を休むという名目でダラダラと過ごしていた。
すると、セリアは何もやることがないことに気づいた。
竜王国のことを考えないようにするとセリアには何もすることがなかった。
何をすればいいのかもわからなかった。
ヴィーンゴルヴに敵が攻めてきたことで少しは暇つぶしになったが、敵が来なければ暇そのもの。
日がな一日ぼーっとしてシギンの詰られたりした。
腐っていた。
生きながら腐っていく感覚と言うものを初めて味わった気がする。
「なあ、セリア? どこへ向かっているんだ?」
黒髪の少女、性転換魔術を掛けたレイキが尋ねてくる。
セリアはレイキの腕を引いたまま教会を歩いていたらしい。
ゆく当てもなく小路を進んでいた。
「目的地などありませんわ。わたくしも外を歩きたかっただけです」
「そうなのか? セリアからお説教があるのかと思って冷や冷やしたよ……」
セリアはアウローラと一緒にレイキを探すために市街地へやってきた。
用事がないなら魔王城へ戻るべきだ。
しかし、もやもやとした心が魔王城へ戻る足を鈍らせる。
セリアは足を止めた。
「そうですわね。では、……罰としてどこか面白いところへ案内してくださいな」
「面白いところ……? しかも、罰って……まぁ、いいけど。面白いかどうかはわからないよ」
「構いません」
「じゃあ、魔王城から逃げたときに行こうと思っていた場所があるんだ……」
そう言って、レイキはセリアを連れて歩き出した。
市街地の中央。
東西南北に延びる大通りの交差点は広場になっている。
「おぉー、派手だなあ。凄ぇ!」
広場に設置された巨大なオブジェクトにレイキが歓声を上げる。
「……これは一体なんですの?」
「魔王国を再現するときに知ったんだけどさ。このオブジェクトは、石像を魔力で動かしているものらしい。一日に何回か同じ動きを再現するようになっていて……、人形劇みたいな感じで楽しめるんだよ。この広場にある石像は創世記戦争を題材にしているらしいよ」
「だから、神獣と古獣の石像が戦っているんですね」
「声はないけど文字のナレーションもついているな。はやく、見に行こう!」
待ちきれないと言うようにレイキは走りだす。
腕を掴んでいるものだからつんのめりそうになる。
「そんな引っ張らないでください……」
古獣と神獣。
元々住んでいた種族を他所から現れた種族が皆殺しにして土地を奪う。
その戦いは人族世界の戦争に通じるものがある。
おそらく制作者は連鎖する戦争について訴えたかったのだろう。
セリアは少々げんなりと石像劇を眺めていた。
が、レイキは目をキラキラとさせて石像劇を眺めている。
何故そんな純粋な心で楽しめるのだ。
「楽しいですか?」
「うん、歴史も興味があるけど……石像を動かして劇をさせるなんて魔術はやっぱりすごいよな。俺たちの世界でも、一定時間ごとに機械仕掛けの人形が踊り出す壁時計とかあったんだけど、よく見ていたなぁ」
石像劇を楽しむ。
当たり前のことだがセリアはその思考が抜け落ちていた。
改めて石像たちを眺めてみる。
どれも名だたる石像たちだが一体だけ強く胸を打たれる石像があった。
神獣ティアマット。
ドラゴン族の頂点として君臨したドラゴンだ。
ティアマットは古獣との戦いで深手を負い、逃げ延びた地で人族の娘に助けられた。
そして助けた娘に自らの血と魂を託して消滅したと言い伝えられている。
託した理由は語られていない。
人族の娘を愛していたからだと言う説と竜族の血を絶やさないために竜の血と魂をもつ人族を作り出したかったと言う説もある
ふと、視線を感じた。
レイキがこちらを心配そうに見ている。
「悪ぃ……あんまり面白くなかったかな……?」
「いいえ、そんなことはありませんわ」
石像劇は続く。
神獣ティアマットの傍に文字が浮かび上がる。
『……見誤っていたか……。神よ、吾輩はもう戦わぬ……』
ティアマットの石像は劇から退場する。
ティアマットの言葉は歴史書でも読んだことがある。
主語がないので意味は解読されていないが、ティアマットは創世記戦争を離脱して逃げ延びた。
故に他の国では臆病者の神獣と評価されることもある。
「少しは気晴らしになったかな」
石像劇が終わってからレイキが尋ねてくる。
「気晴らしですか?」
「アウローラや他の皆もだけど、おれが魔王国なんて造ったせいで大忙しだろ。俺は何もできてないし、手伝ってもらってばかりだから、申し訳なくてさ……。セリアも疲れてるんだろ?」
「そんなことを気にしていたのね、わたくしは疲れておりませんよ」
疲れてはいない。
むしろ、充実している。
レイキの為すことを手伝うことが楽しいとすら感じている。
レイキがやろうとすることは全く正しくない。
非効率的。
無駄だらけだ。
しかし、レイキの為すことは不思議と後々の助けとなっていく。
偶然やまぐれと言えばそれまでだが、レイキがやると上手く回るのだ。
アーシル人を助けた時もやり方がよくなかった。
結果的にシギンを倒すことで解決したが、アウローラが居なければいまでも良いように利用されていたかもしれない。
魔王国の運営も非効率な部分が目立つ。
シェイプシフターやマインドフレアを活用すれば、ヴィーンゴルヴを足止めされることもなかった。
たがセリアが対処したらどうなっていただろう。
少なくとも魔王国のいまの形はなかったはずだ。
レイキが関わることで魔王国の市民の感情は良くなっていく。
最近ではギルドマスターたちが協力的になった。
あれは街道敷設のときにやった対応のおかげだろう。
あとは影から支える陽織のおかげか。
それもまたレイキの人徳だろう。
レイキは間違える。
そして間違えたぶんだけ彼についていく人が増えていく。
セリアが出来なかったことを、レイキは回り道をしながら実現していく。
もちろん、シャウナやアウローラやエイルやシギンあってこそだか、皆がレイキを助けたいと思っているのだろう。
セリアも抜けた性格の大魔王を支えてあげたいと思っている。
竜王国は心配だ。
だが、いまでは同じくらいレイキのことが心配で、同時にレイキの為すことが気になってしょうがないのだ。
次はどんな難題を解決してみせるのだろう、と。
「……感謝しています。少し嫉妬もしていますけどね」
「え……? どういうこと……?」
レイキは首を傾げる。
「なんでもありません」
セリアは離れていたレイキの腕をとる。
そのまま自分の腕を絡ませた。
「あの、セリア……、俺はいま女の子の姿であってね……あんまりくっつくと百合百合した感じにだね……」
「わたくしと腕を組んで歩くのは嫌ですか?」
「そんなことは、ないけど、さ……」
そのまま魔王城へ帰ると、烈火の如くアウローラに怒られた。
しかしながら。
セリアの耳には届かない。
胸のうちに沸き上がるふわふわとした気持ちはアウローラの怒声をすべて受け流していたからだ。
一頻り怒りの言葉を吐き出したアウローラは、珍しくため息をつく。
またライバルが増えるな、と呟いた。