第四十九話 「魔王国の聖女」
俺は大通りを逸れて小路に逃げ込んだ。
探知魔術でアウローラの位置を確認する。
迅い。
アウローラは異常な速度で追いすがってくる。
道ではなく屋根の上を走ってきているに違いない。
俺は目立たないようにひたすら人混みの中を走り続ける。
「くっそ……、なんで場所がわかるんだ……!」
俺は探知魔術で位置を悟られないように、妨害魔術を発動している。
妨害魔術は、魔力の波動をすり抜けさせることで、探知魔術や鑑定魔術の効果を阻害する魔術だ。
しかし、アウローラはまっすぐに俺に向かって移動してくる。
探知魔術以外の能力で俺を見つけているとしか思えない。
小路が二手に分かれている。
どうする。
どっちに逃げる。
焦りのあまり次の一歩が踏み出せない。
「だいじょうぶですか? ……顔色が真っ青ですよ?」
横から声を掛けられた。
びくっと肩を震わせた。
声の方へと振り向く。
呼び止めたのは修道服に身を包んだ女だ。
あれ、どこかで見たことがあるな。
ぼうっと修道女の亜麻色の髪を眺めていると、急に袖を掴まれて引っ張られた。
「……こちらへ。急いで」
有無を言わさぬ口ぶりだ。
修道女は俺を連れて足早に小路を抜けていく。
やがて、小路の先に大きな敷地が見えてきた。
教会だ。
確か、市街地で一番巨大な教会なので大聖堂と呼ばれていたはずだ。
天を衝くかのような荘厳な屋根。
くすみひとつない白い建物が陽光に反射している。
修道女は俺を大聖堂に招き入れると扉を閉じる。
そして、ふうと胸を撫で下ろした。
「ここなら安心できます。誰かから逃げていたのでしょう?」
「……あ、ありがとうございます。でも、どうして?」
修道女は両手首をまくってみせる。
そこには、鎖で縛りつけたような惨たらしい傷跡が残されていた。
「わたしも貴女のように逃げていたのです。……そして、助けられた。わたしは自分に与えられた幸福を忘れないために誰かを助けているのです」
「……勇敢ですね」
修道女がどんな目に合ったのか想像もできない。
過去に悲惨な目に遭ったとするのなら、下手に首を突っ込めば自分も巻き込まれるかもしれないと考えてしまうだろう。
それでも尚行動に移せると言うのだから勇気のある人だ。
「いいえ、ただの自己満足ですよ……。ここは朝くらいしか人が来ることはありません。しばらく休んでいかれてはどうですか?」
「はい、お言葉に甘えさせてもらいます」
「少々お待ちください」
修道女は断りを入れて大聖堂の奥へと消えていった。
不思議なことに。
アウローラの気配が大聖堂周辺の小路をうろうろと彷徨いはじめた。
明らかに俺の行方を見失っている。
理由はわからないけど助かった。
ほとぼりが冷めるまでここで休ませてもらおう。
ズラリと並べられた長椅子の一番先頭に座る。
街道敷設の時に重病人を治療していた教会とは比べるべくもない。
歴史番組に見る中世の建築文化遺産の如く荘厳な造りをしている。
説教台の上にはパイプオルガンが設置されており無数の金属管が天井まで伸びている。
さらに。
でかでかと十字架が掲げられ、根元には供物と思われる果物や野菜が並んでいた。
俺は色とりどりの果物と野菜に注目した。
瑞々しい色合いから見るに魔王国で収穫されたものだ。
魔王国の農業はアーシル人の協力を得ている。
おかげで、ひと月も経過していないのに一度目の収穫時期を迎えている。
潤滑魂を利用した促成栽培である。
何故こんなことをと言えば、食料を魔王国に行き渡らせなければならないのでやらせているらしい。
高速成長による土地痩せが気になるので、土壌の様子に気を配りながらであるが、概ね計画通りに食料の供給が進んでいる。
「良かったらどうぞ」
修道女が奥の部屋から戻ってきた。
手にはお盆とグラスに入った水を持っていた。
どうやら飲み物を用意するために奥へ下がっていたらしい。
とてもありがたい。
走り回ったせいで喉がカラカラだ。
「ありがとうございます」
グラスを受けとる。
そこでようやく思い出した。
そうだ。
人族の長を集めたあの日の事を思い出す。
この修道女は俺に助けてくれと縋ってきた僧正だ。
あの時、修道女は貧しい人たちを助けたいと言っていたが願いは叶ったのだろうか。
「シスターさんは大魔王に助けてほしいと言っていた人ですよね?」
「アリチェです」
「はい?」
「わたしの名前はアリチェ、と言います。宜しければわたしのことは、アリチェと呼んでください」
「ああ、失礼しました。俺……私は、レイキです。それで、その……」
修道女、アリチェは頬に手を当てる。
「はい、おっしゃる通りです。お恥ずかしい。見られていたんですね……」
見ていたと言うより頼まれていた大魔王なんだけどね。
まあ、それはいい。
「助けたい人は助けられたんですか?」
「ええ、この大聖堂の横には孤児院が併設されています。わたしが難民として逃れてくる間に拾った子供たちは誰一人欠けることなく生活しています。大魔王様に感謝しなければ……」
そう言ってアリチェは目の前で短くお祈りをする。
神様に祈るみたいに気軽に大魔王に祈ってしまっていいのかね。
また、街の人に恥を知れ、なんて罵られてしまうんじゃないだろうか。
「ふふ、大魔王にお祈りなんておかしいと思いますか?」
「他の人が見るとどうかなってのは、ありますよね……平気なんですか?」
「わたしを邪悪な司祭と罵る人もいますが……、大魔王様に感謝することをやめようとは思いませんし、子供たちにも大魔王様がいるから今日を生きられるんだということを教え続けたいと思います」
俺はちょっと意地悪な質問をしてみた。
「大魔王がもし生贄が必要だー、子供たちの生贄が必要だ―、子供をよこせー、なんて言って来たらどうするんです? 服従を誓えってことはどんな要求が飛んでくるかわかりませんよ」
そんな命令はしないけどね。
魔王国に入植する人は確か誓約書にサインを書かないといけないんだけど、大魔王への忠誠を誓い如何なる要求をも受け入れること、という一文があったはずだ。
難民もこれを聞けば震えあがって出ていく人もいるんじゃないかなと当初は考えていたんだけど、今のところ出ていく市民はいない。
「わたしも最初は不安でした。けど、この街を見ていれば大魔王は無茶を要求するような性格ではないように思えます」
「演技かもしれませんよ?」
「むしろ暴虐な大魔王を演じる姿こそ演技ではないでしょうか。ハッキリとわかりませんけれど、あの少年は無理をして大魔王の役割をしているのかな、と最近では思っています」
「その考えってアリチェさん以外にも?」
「……大魔王は恐ろしい存在だが怯えることはない、そんな雰囲気でしょうね。畏怖する人が半分、感謝をする人が半分でしょう」
「そうですか」
悪感情を持たれていないだけでも嬉しいかもしれない。
難民は助けたい。
けど、面倒ごとは可能な限り避けたい。
いずれ統治は台頭してきた権力者に丸投げる。
以上の三点を実現するためにはじめた大魔王だ。
初動から市民感情が最悪だと、クーデターで統治がひっくり返るかもしれない。
いまのままやっていけばその内に政権交代はできそうかなあ、と思う。
政権交代後も魔王国を訪問したら歓迎してもらえるくらいになれれば最高だね。
そんな妄想を描いていると。
ガンガンと、大聖堂の扉が叩かれる。
「頼もう! 扉を開けていただきたい!」
椅子から飛び上がった。
アウローラの声だ。
「……来た!? ま、まずい」
「この部屋に隠れていてください」
修道女に案内されたのは懺悔室だ。
俺は個室に逃げ込むと慌てて扉を閉めた。
大聖堂の扉が開かれる音がした。
カツ、カツ、カツと具足が床を進む音が聞こえてくる。
「!? ……こんにちは、アウローラ様。我が教会に何か御用でしょうか」
修道女の声が聞こえてくる。
「相済まぬが黒髪の女が逃げてきたと思う。出してもらおう」
答えるのはアウローラだ。
「……ここにはそのような方は、きゃ……!? ダメです、いけません……!」
「検めさせてもらう」
強引だ。
修道女を押しのけるような問答が聞こえた後、アウローラと思われる足音がどんどんこちらへ近づいてくる。
が、足音は懺悔室の前を通り過ぎていく。
なんだ。
気が付いていないのか。
ほっとした瞬間。
懺悔室の司祭が入る側の扉が開かれた。
銀閃が奔る。
本来ならば衝立で阻まれているはずの懺悔室が綺麗に両断された。
鼻先に剣が突きつけられる。
戦神姫は愛剣を構えたまま言い放った。
「懺悔したいとは良い心がけだな。己を悔い改めたいと言うのなら付き合ってやるぞ、レイキ」
「どうして、俺の場所がわかるんだ……?」
「戦神姫の称号を持つものは特殊な魔術が使える。主と定めた者の居場所を特定し、状態をいつでも確認できる、余から逃れることはできんぞ……」
どこか焦点の合わない恍惚した笑みを浮かべる、アウローラ。
怖い。
誰だよ、戦神姫の称号をストーカー予備軍仕様にした奴は!
「お待ちなさい、アウローラ」
凛とした声が大聖堂にこだました。
セリアである。
アウローラと俺の間に割り込むと、剣を下げさせる。
「あとは、わたくしがレイキに言っておきます。アウローラは仕事に戻ってくださいな」
「……いいだろう、さっさと戻るのだぞ。やるべきことは山積みなのだからな」
素直だ。
アウローラは剣を収めると大聖堂を出ていった。
俺は破壊された懺悔室を修復魔術で修理する。
目まぐるしく展開された光景についていけていないアリチェに頭を下げる。
「匿まってくれてありがとうございました。では……」
アリチェが呼び止める。
「貴女は大魔王様、なんですね」
さすがにバレるか。
アウローラとセリアは国の重鎮だ。
二人が現れて捕まえようとする相手は何だと考えれば必然的に答えは見えてくる。
「騙すつもりはなかったんです、ごめんなさい。普段の姿だと騒ぎになるので……」
「怒ってはおりませんよ。むしろ本当のお姿を拝見できて嬉しく思います」
それは好意的な意味で捉えていいんだよね。
「……秘密ですよ」
いちおう口止めしておく。
広まったら大魔王様の威厳が大暴落してしまうからね。
「いきますわよ、レイキ」
セリアに腕を引かれて、俺は大聖堂を後にした。