第四十八話 「サボタージュ」
本日は大魔王を休業する。
俺は判子を投げ捨てると心の中で宣言した。
と言うか、おかしいだろ。
前回の逃亡劇から十日ほどが経過しているが、あれからお休みを一度も貰えていない。
食事の時間と睡眠の時間以外はひたすら大魔王の仕事をやっている。
少しはリフレッシュしないと効率も上がらないよ。
前回は完全に仕事を放り出して逃げたものだから、アウローラとセリアがカンカンに怒っていた。
なので代打を用意していく。
俺は召喚魔術でシェイプシフターを呼び出す。
「お呼びでしょうか、魔神王様」
「俺は大魔王だけどな。代わりにこの判子作業をやっておいてくれよ」
俺は決裁書類の山を指差し、投げ捨てた判子を手渡す。
シェイプシフターを置いて作業を継続してもらえれば決裁書類が山になることはないはずだ。
合法的サボり。
大魔王もたまには有休休暇を消化しないといけないよね。
「魔神王様にしか判別できないものは対処できませんが……それでも宜しいでしょうか?」
「それは残しておいてくれていいや。じゃ、あとはよろしく!」
「ハハッ、いってらっしゃいませ」
俺はシェイプシフターに見送られて執務室を後にした。
小一時間後。
俺は魔王国の大通りを歩いていた。
勿論。
大魔王の姿で出歩くと大騒ぎになってしまうので変装をしている。
俺はいま少女の姿になっている。
性別を入れ替える魔術、性転換魔術を掛けている。
また、服装も魔王国に合ったものを着ている。
こんなこともあろうかと。
シギンにお願いして魔王国を歩いていてもおかしくないような服装を選んでもらっていたのだ。
いまの俺は商人の娘が着るような服装をしている。
一介の市民よりも豊かそうで貴族よりも身分は低く見える格好だ。
シギン曰く。
国営のお店にくるような客層をモデルに選んだ服装だと言っていた。
基準はわからない。
魔王国をフラフラ歩いていても問題ないならいいや。
女の子の服はよくわからないしな。
と、思っていたのだが。
先程から行く人の視線を感じる。
もしかすると黒髪が珍しいのかもしれないけど、服が似合っていないんじゃないかと不安になる。
この世界の住人すべてが魔術を使えるわけじゃないと聞いているので、正体はバレていないと思うんだけどな。
そわそわとする心を宥めつつ目的地へ到着する。
国の運営する飲食店のひとつ、アヴァロン。
国営事業総括が創作した珍しいお菓子の販売と食事が楽しめるレストランである。
酒場よりも明るいイメージを売りにしているらしく客は女性が多い。
大魔王なら入店は難しいが今の俺の外見は女子。
問題なく入店して目的の物を食べることができる。
アヴァロンに入店すると、人、人、人、である。
店内で食事を楽しむ人も多くいるが、お持ち帰りの商品を買いに並ぶ人は列をなす有様だ。
彼女たちの落とすお金が国の運営資金の一部となる。
ありがたいことである。
五分ほど待たされた後、店員が現れて座席へと案内された。
店の創設者が日本人だからかな。
内装は中世ヨーロッパそのものを感じさせるが、サービスはすべてファミレスを思い出させる。
メニュー表を眺めて目的の物を探す。
あった、あった、久しぶりにコイツを食べたかったんだよね。
「すいません、これを下さい」
俺が頼んだのは、チョコレートパフェである。
透明なグラスの底辺にはパリッとしたフレークが敷き詰められ、その上にまん丸のバニラアイスがごろんと入れられている。
アイスの上にはチョコレートが掛けられた生クリームがタワーがある。
このそびえ立つ生クリームタワーを添えられた板チョコで掬いながら食べるのが良いのだ。
これぞ、チョコレートパフェである。
陽織はよくわかっている。
生クリームを堪能しつつ、板チョコをポリポリと齧る。
至福の一時。
と、そこへ声を掛けられた。
「ずいぶん美味しそうに食べてくれるのね」
「んぐぅ――ッ」
変な声が出た。
俺は聞きなれた声に驚き、板チョコを丸のみしてしまう。
目の前に立つのは陽織だ。
いつの間に現れたのだろうか。
チョコレートパフェに夢中になりすぎて全然気が付かなかった。
もしや、俺の正体がバレたのかだろうか。
言葉遣いに気をつけながら返答する。
「え、えと、あの……チョコレートパフェ、人気ないんですか……?」
「ん? そんなことないよ。ただ、チョコレートパフェは食べるのがもったいないって感じるようなお客が多いからね。あなたは初めて見る顔なのに美味しそうに食べているから気になっちゃったんだ」
よく見ているな。
確かに周囲の客を見ていると、お菓子によっては食べ方がわからずに苦戦している娘や店員に尋ねている子もいる。
チョコレートパフェを造作もなく食べ始めるのは目立つ行為だったのかね。
陽織は首を傾げる。
じぃぃぃっと俺の目を見つめてくる。
陽織は神技が使える。
もしかして性転換魔術を見破ってくるだろうか。
「あ、あの……なんでしょう……か?」
背中に脂汗を流しながら視線を堪える。
「……初めて、だよね……? ごめん、どこかで会ったことある?」
俺は全力で首を振る。
「ないないないない、ないです! はじめてです、私たちは今日はじめて会いましたよ!?」
「あはは、そうだよね。ごめんね。私の好きな人に雰囲気が良く似ていたから間違えちゃったよ」
「そんなに似てますか?」
「うん、男なんだけどね。玲樹がもし女の子になったとしたら……あなたみたいな感じになるんだろうなあ」
「は、はは……そうですか……」
まさしくその通りなんだけどね。
勘、鋭過ぎるだろ。
下手に会話を続けているとボロがでて正体を看破されてしまうかもしれない。
適当に会話に相槌を返しつつチョコレートパフェを食べ終える。
アイスの早食いで頭に強烈な痛みが走るがそんなものに気を取られている場合ではない。
「ご馳走様でした。とても、美味しかったです……、じゃあ、私はこれで……」
「そお? ありがとう」
そそくさと立ち上がり会計を済まそうとする。
背後から追うように陽織の声が聞こえてくる。
「チョコレートパフェが好きなことは私が一番良く知っているからね、玲樹。再現するのは大変だったんだよ?」
俺は全身の骨がきしむ様な音を聞いた気がした。
ホラー映画に出てくる五月人形のように。
ギクシャクとした動作で振り返る。
陽織はニコニコと笑っている。
すべてを見透かすかのような微笑みだ。
真偽看破魔術は掛けられていないはずなのに、何故だ。
観念してしらばっくれるのはやめにする。
「……なんでわかったんだ?」
「周囲の人と比べて慣れ過ぎてるし、チョコレートパフェの食べ方が見たことあるし、なんとなく男のときと面影があるし。……あと私は国営事業総括だよ? 緊張もしないでお話しできる一般人なんていないもん」
ボロが出るどころか、ボロを着て歩いていたようなものだったようだ。
「なんでそんな恰好をしているの?」
「実は……」
俺は仕事が嫌になってシェイプシフターに任せてサボっていることを伝えた。
陽織は怒った。
「もう、お休みするなら教えてよ。私も一緒に街を回りたかったのに!」
「そっちかよ……!?」
仕事を怠けていることよりも誘われなかったことにお怒りのご様子だ。
「……でも、今日はちょっとムリかなあ。ぅぅぅ……すべてを放り出して行きたい……」
「シェイプシフターで良ければ貸すけど」
「んにゃ、私がいないとダメなんだよね」
陽織は再度念押しする。
「次はちゃんと誘ってよね、約束だよ!」
「ああ、わかった。連絡する」
「ところでお金は持っているの? 大魔王ならお会計いらないけど、その格好だとダメだよ」
「持ってきたよ」
俺は自信満々でポケットに入れてきた金貨を取り出す。
だが、陽織は眉根をひそめる。
「ダメだよ、この金貨。こんなのお店で出されても困っちゃうよ」
「え、そうなの?」
「日本で言うなら、百万円の硬貨で買い物するようなものだから、お釣りを出せなくて困るんだよ。って言うか、一般人でリリエンソール金貨を出す人なんていないから!」
「そうなんだ……」
金貨にも種類があるらしく、俺が持ってきたのは一番高価な金貨らしい。
このリリエンソール金貨は国庫に保管するために用意してあるんだと説明された。
「しょうがないなあ、玲樹は。奥で両替してあげるからちょっと待っててね」
陽織は金貨を持って店の奥へと引っ込んでいった。
言葉も文字も通じるから日本と同じ感覚でいた。
よくよく考えたらお金の価値もよくわかっていないんだ。
しばらくして陽織が袋を抱えて現れた。
両替してもらった銀貨と銅貨はかなりの重さがある。
重力霊術を掛けて重量を軽くすると、背中のバックに押し込んだ。
「いろいろありがとな。しばらく遊んだら城に帰るよ」
「心配だなあ……。知らない人について行ったりしたらダメだよ?」
「俺は子供か! 大丈夫だよ!」
陽織は半眼で見つめてくる。
「お金の勘定もできないのに?」
「……すいません……」
さんざん心配されたが、陽織にも用事がある。
俺は陽織と別れてアヴァロンから退店することにした。
そこへ。
執務室にいるはずのシェイプシフターから念話魔術が繋がれる。
「どうした?」
「……魔神王、さ、ま……、お逃げ、ください……」
シェイプシフターの反応が途切れる。
召喚魔術が解除されたという事はシェイプシフターが倒されたという事だ。
城が攻められているのか。
俺は緊張を高めた。
ここから見える魔王城に異常は見えないから、大魔王を狙った暗殺だろうか。
シェイプシフターと入れ替わるように念話魔術が飛び込んでくる。
「……ずいぶんと楽しんでいるようだな、レイキ」
アウローラである。
俺は背骨にツララをねじ込まれたかのように総毛だつ。
底冷えするような声音が念話魔術から聞こえてくる。
言葉一つ一つに殺気がにじみ出るかのようだ。
「……アヴァロンの前か。そこを動くなよ……今日と言う今日は、ぜったいに許さん……」
ぶつん、と念話魔術が切られた。
俺はわき目もふらずにアヴァロンの前から遁走した。