第四十六話 「大魔王の評価」
本章は冒険者ギルドマスターの視点で書かれています。
冒険者ギルドマスターはお気に入りの煙草を咥えると火をつけた。
いつもであればギルドの受付嬢に煙たがられるが、ここは冒険者ギルドマスターの執務室。
誰にうるさく言われることもない。
冒険者ギルドマスター、レオン・ブリルヴィッツは紫煙を燻らせる。
ここは魔王国の市街地。
驚くべきことに魔王国は夜中であっても明かりが消えることはない。
大魔王が設置した魔道具の街灯が建てられているからだ。
はしゃぐ子供の声とそれをたしなめる女の声がする。
すぐ真下の街路を歩く子連れの親子が見える。
これもまた驚くべきことである。
普通の街ならば夜間に女子供が出歩くなど人攫いに連れて行ってくれと言っているようなものだ。
たちまち後ろから襲われ暴行されたあげく、他所の国の奴隷商に売り払われることだろう。
昼間でも安全なのは表通りだけ。
裏通りやスラムに迷い込めば同じ目に遭うであろう。
だが、魔王国の警備は万全だ。
魔王軍が昼夜を問わず巡回しており、人の目が届かぬところは魔物の目が光っている。
一般市民にはわからないがレオンの目は誤魔化されない。
路地裏の陰にはビボルダーが。
地下にはシャドウサーヴァントなどの影の魔物が潜んでいる。
犯罪者が隠れられる場所など残されてはいない。
とは言え。
監視と警備は厳しいが魔王国はミシュリーヌの中でも緩い。
聖王国では禁止されている奴隷は許されているし、レオンが吸っている煙草、その他、酒・麻薬の類も禁止はされていない。
無論、それら嗜好品を使って犯罪を犯せば捕まることに変わりない。
魔王国では重犯罪者は例外なく投獄され、……真人間になって戻ってくる。
恐ろしいことに魔王国で死刑になった者はいない。
皆心を入れ替えたかのように綺麗な人間になって戻ってくる。
ゾッとする話である。
恐らく洗脳魔術を受けて精神を破壊されているのだ。
大魔王にとって精神を破壊して意のままの人格に入れ替えるなど造作もないことなのだろう。
ここは魔王を従える大魔王の治める魔都なのだ。
このような恐ろしい都は人が住める街ではない。
が、この街の住民には笑顔がある。
食料がある。
仕事もある。
家々には、井戸ではなく水道なる地下水が配備され、自動着火される魔道具が設置されており、何一つ不自由を感じさせることがない。
市街地を一歩出れば貴族に与えられた魔物のいない田園地帯が広がり、広大な敷地には国営の伐採地や採掘地が存在する。
極めつけは空に広がる巨大な魔力障壁魔術。
我々ミシュリーヌ人を追い立てた鉄の鳥の侵入を許さない鉄壁の守りを敷いている。
これが魔都と言えるだろうか。
しかも、魔法のような技術はすべて大魔王が魔術で生成したものだと言う。
もはや大魔王ではなく伝説に謳われる魔神王のようだ。
コンコンと執務室の扉が叩かれる。
外からギルド受付嬢の声が聞こえてきた。
「ギルドマスター、ガス・オーデュポン様がお見えです」
「通せ」
扉を開けて、ギルド受付嬢と樽のような体型をした男が入ってくる。
ギルド受付嬢は一礼すると扉を閉めた。
お腹をゆさゆさと揺らしながら男はソファにどっかりと腰を下ろす。
そしてテーブルの上に置かれていた魔王国で人気となっている菓子を摘まみだす。
相変わらず遠慮のない男だ。
「やあ、レオン。今日は何の悪だくみをするのかね?」
「人聞きの悪いことを言うな。私はすべての冒険者のために良かれとおもったことを為すだけだ」
ガス・オーデュポン、この男は商人ギルドマスターである。
元々はレオンと別の国の商人ギルドマスターなのだが、難民生活をするうちに交流を持ち、いつの間にか互いに相談事があると話し合いの場を設けるまでの間柄になっていた。
また、大魔王に恭順を示したことで前歴をそのまま採用されている。
レオンもガスも魔王国のギルド長として職を頂いている身だ。
「先週の街道敷設の工事。大魔王閣下の御業を見れたんだろう? どうだったのかね?」
街道工事の際、ガスは配下の者をレオンに同道させていた。
その者から報告は受けているだろうに大魔王の所見を聞きたいらしい。
「驚嘆の一言に尽きる」
「もっとハッキリと言ってほしいのう」
「……大魔王討伐など無理だ。もし、異世界より召喚された勇者がいたとしても勝てるわけがない」
大魔王討伐。
魔王国のギルドの長や貴族の一派によって進められていた計画である。
まだ長の間でしか話し合われていない極秘中の極秘事項だ。
「それに……」
「なんじゃ?」
レオンは躊躇う。
思い出すのは蘇生魔術を使う魔王の姿。
レオンが不死者化させるのかと問うた時、大魔王は傷ついたような顔を見せた気がした。
錯覚かもしれない。
まだ少年ともいえる顔立ちだが大魔王の表情はほとんど変わらない。
人を人と思わぬ尊大な態度で接してくる。
だが、もしかすると。
少年は大魔王として振る舞っているだけで、本来の性格は別のものなのではないだろうか。
「……ともかく、私は下ろさせてもらう。大魔王を倒しても得をすることは何もない」
「ふむ、なるほど。では儂も下りるとするかの」
「ガス……? どういうことだ」
「商人ギルドは大魔王に従うということじゃ。国営事業総括と補佐の考える商品や事業は素晴らしいからのう。それを失うなどとんでもないことじゃ」
ガスは懐から一本の瓶を取り出してきた。
ずいぶんと透明度の高い瓶には琥珀色の液体が波打っている。
「なんだそれは?」
「ウイスキーと呼ばれる蒸留酒じゃ。国営の酒場で販売されておる。亜人の娘や孤児の働く店じゃが人気じゃぞ」
ガスはテーブルに置かれていたグラスを取ると、ウイスキーを注ぐ。
自分とレオン用だ。
毒を盛るような相手ではない。
レオンは注がれた琥珀色の液体に口をつけた。
「旨いな、……香りも良い」
蒸留酒と言えばドワーフ製と決まっているが、これはドワーフの酒を越えるかもしれない。
「ミシュリーヌにはない酒じゃ。街の者はいまこの酒に酔っておるよ」
「お前は革新的な商品を生み出すから大魔王の討伐から下りるという事なのか?」
「うむ。我々は商人ギルド。金のためならば大魔王とも取引をする」
「お前ならあの手この手で技術を奪おうとするかと思っていたが、手を組むとはまた優しい対応だな」
ガスはぴしゃりと禿げあがった頭を叩く。
そして、恥ずかしそうに言った。
「手痛いしっぺ返しを受けてしもうたからの、大魔王にも肝が冷えたが、いやはや……、可愛い女子でも大魔王の側近じゃのう……、あんなに震えたのは子供の頃以来じゃ」
「何をやらかした?」
「商人たちを買収して圧力を掛けてみた。国営事業の一部をもらい受けたくてな」
商人ギルドの影響力はどの国でも強い。
あまり強くなりすぎないように手綱を取るのも国の役割だが、上手くやれない国もあると言う。
小国ほどその傾向がある。
魔王国は移住してから一年間は税を取らないという大盤振る舞いだ。
甘い性格につけこんで商人ギルドが強気で交渉したのだろう。
レオンは国営事業総括と補佐の二人へ挨拶に伺ったことがある。
大魔王と変わらない年齢の少女とまだ幼い子供の組み合わせに面食らったものだ。
側にいたゴーレムたちは屈強であったが力業だけで物事は解決しない。
商人ギルドの相手は苦労するだろうなと思ったが、いやはや、わからないものだ。
「お前の考えはわかった。では、冒険者ギルドと商人ギルドは大魔王につく、と言うことで良いな?」
「そうじゃのう。貴族の御仁には申し訳ないが、相手が悪すぎるわい。むしろ反抗せんほうが良い目を見れるのではないか?」
レオンは大魔王討伐の話を持ってきた貴族の男を思い浮かべる。
「あの男の一番大事なものは権力だ。元大貴族であるプライドにしがみ付いているからな。一人でも一戦やらかすかも知れん」
「教えてやりたいもんじゃが下手に突けばやぶ蛇か。ここは、大魔王様の手腕に期待するとしようかの」
ガスはグラスの酒を一息に煽る。
「戦力と金が抜けたのだ。あの貴族の男が一人で、どうこうできるとは思えないがね」
レオンもまた煙草の煙を吐き出す。
大魔王討伐計画は潰えた。
レオンはそう考えていた。