第四十三話 「セリアのお願い」
俺の執務室は城の中央部にある。
すぐ近くにいたほうが便利だと思うのに、セリアの執務室は城の左翼に構えており、アウローラの執務室は右翼に陣取っている。
これは城を直接攻撃された場合のリスク管理らしいのだが、俺たちにそんなものが必要なのだろうか。
セリアが必要ですわ、と言い張るので執務室の位置は離されている。
エイルに連れられて城内を進む。
すれ違うメイドや官僚は足を止めてお辞儀をする。
俺も反射的に頭を下げそうになる。
が、絶対にするな、とアウローラに怒られたので素通りだ。
背中がムズムズする。
こういう生活は本当に馴れないな。
そうそう。
城の名前は魔王城と呼ばれている。
何の捻りもないネーミングであるが市民が口を揃えて連呼するものだから魔王城に決定してしまった。
ちなみに。
エルフの森、ダークエルフの森、人族の街、すべてを総称して魔王国になっている。
そのまんまである。
彫像や絵画の飾られた廊下を抜け、大理石とモザイク模様の大広間を通り過ぎて、ようやく左翼側の城へ到着する。
遠い。
博物館を一巡してきたかのような疲れを感じる。
「ここだ。ちょっと待ってね」
エイルはドアの前にいたメイドさんに声を掛けて取り次いでもらう。
少々お待ちください、と言ってメイドさんは執務室へと消えていった。
俺の執務室には取次の人はいない。
面倒くさいからやめようといって部屋にすぐ入れるようにしている。
セリアが取次の人を置くのは覇王姫時代の癖なのかもしれない。
しばらくしてメイドさんが戻ってくる。
「入っていいみたいだよ。行こうか」
「ほい」
執務室は十数名の官僚がいた。
俺が判を押している決裁書類を作成したり、または集まってくる要望・嘆願、を文章にする仕事をしているみたいだ。
端の会議室のみたいなところでは議論が交わされている。
うーん、忙しそうだ。
皆が俺の姿を認めるとギョッとしたような手を止める。
俺のことは気にしないで仕事をしてください。
地蔵のように静かにしてますのでお気になさらず。
官僚たちが動きを止めたのを見て、セリアが顔を上げた。
「あら、来ましたの。ちょうど良かったわ」
セリアは椅子から立ち上がる。
固まっている官僚たちに作業を続けるように指示を出すと、スタスタと歩み寄ってきた。
「お願いしたいことがありましたからご足労頂きました。休憩も兼ねてお茶をしながらお話ししたいのだけど、よろしくて?」
「ああ、いいよ。どこに行く?」
「テラスで良いわ」
「ボクはお茶を用意しよう。場所を決めたら念話魔術で教えてよ」
エイルはメイド服を翻して執務室を出ていった。
エイルは魔術を使えないが、念話魔術のシグナルを送受信できる機械を持っている。
城内にいるメイドたちもすべて同じ機械を持っていてスムーズな連携が取れる体制にあるんだとか。
素晴らしい業務効率化だね。
「で、どこのテラスにする?」
「そこは男性らしくエスコートして頂きたいものですわ……」
セリアは残念そうに首を振る。
こりゃ失敬。
配慮が足りなかったようだ。
「じゃあ、中庭が見える左翼のテラスに行こう」
「中庭ですか?」
「噴水と花のアーチがいい感じなんだよ」
中庭に設置されている噴水は魔道具で作られている。
夜になって執務室から寝室に向かう途中で良く眺めているのだが、毎日何かを感知して動きが変わるのが面白いのだ。
不可思議な文様を水で描く様は見ていて飽きない。
さらにこの噴水はジャバジャバとした水音が立てない。
とても静かなのだ。
加えて、中庭で丁寧に世話されている花々は鮮やかで香りも良い。
その場にいるだけで落ち着ける空間だ。
エイルに目的地が決まったことを伝えておく。
俺とセリアは並んで歩き出した。
セリアは口元を押さえてクスリと笑う。
「意外ですね、レイキが庭を気にしていたとは」
「意外って言うな。セリアはむしろ左翼にいるんだから良く見えているだろうに」
「わたくしは、あまり、その、……興味がなくて」
庭なんぞ爺婆の娯楽だと言われることもあるから興味がなくても仕方ない。
人の好みはそれぞれだ。
「ヴィーンゴルヴにいたときは楽器を弾いていたから、音楽とか好きなのか?」
「特に好きなわけではないですね。音は気が紛れますので、嗜んでいるだけですわ」
「なんだい、そりゃ。まあ、無趣味でもストレス発散できているならいいのか」
他愛のない話をしていると、目的地に到着する。
テラスには人影はなく貸し切り状態だ。
「興味はなくても損はないから、見ておいたらいいんじゃないか」
「不思議な模様ですね。こんな噴水があったのは気が付きませんでした……」
セリアは興味深げに噴水が描くアートを眺めている。
気に入ってくれたようで何よりだ。
テラスの椅子に腰かける。
涼やかな風が抜けると柔らかな香りに包まれる。
ミシュリーヌの南方に広がる魔獣の平原はやや湿気の多い地域らしいのだが、噴水と草花のおかげでこの中庭は過ごしやすい。
遅れてエイルが台車を引いて現れた。
テキパキとお茶と菓子を並べていく。
「紅茶はリリエンソール産。お菓子は、陽織君が考案したものだよ。ガトーショコラって言っていたかな」
「見たことのないお菓子ですわ。新作ですか?」
「そうだよ。国営の菓子店で今日から販売していて、商人や貴族のメイドが行列してるんだ」
新作じゃないけどな。
俺たちの世界じゃコンビニでも売っている普通のお菓子である。
「ごめん。ボクはちょっとお仕事してくるから。もし用が終わったら戻ってくれていいよ。片付けは人を寄越すね」
誰かに呼び出されたのか。
エイルは給仕を終えると、城内へと戻っていった。
政治と関係ないと言っていたけど宮廷女官長とやらも忙しそうだ。
「――さて、本日はレイキにお願いがあって呼び出しました」
紅茶とケーキを堪能しながら、セリアは切り出した。
セリアとアウローラの仕切りのおかげで魔王国は形を成してきた。
まだ、行き届いていない部分があるものの国の運営は流れに乗って動き出してきたと言う。
そこで放置してきた問題に着手したいとのこと。
「具体的には何をするんだ?」
「魔獣の平原に街道を整備して欲しいのです。手始めに魔王国から平原の先にある主要街道までを繋げたいと考えておりますの」
魔王国から街道までどれくらいの距離があるのだろう。
一夜で魔王国を建設できたのだから苦戦はしないと思うけど、どういう街道を創るかも悩むな。
地面剥き出しよりも石畳をきっちりと敷いて舗装したいものだ。
「街道か……そりゃあ、やるのは簡単だけど。何でまた?」
「難民対策と魔物対策ですわ」
魔王国に流れ込む難民の数は減らないらしい。
難民は受け容れて住民票を配布したら、すぐに空き家を利用できるようにしているが、今のペースで難民が増え続ければ足りなくなる。
家はそのうち新築の必要がでてくるだろう。
そちらは難民の中に大工職人がいたので彼らの商売になる。
問題は難民じゃないらしい。
むしろ、街道を整備する理由は難民が魔王国を目指して移動できるようにするためだ。
「難民は固まって魔獣の平原を横断してきますが魔物に襲われます。どうやら魔物に襲われて死亡する難民が多くいて、……原因は、魔王国を守っている魔力障壁魔術の魔法陣が……」
「うん?」
「魔力障壁魔術の魔法陣で、魔王国周辺に住めなくなった魔物が平原の入り口あたりに住処を移しているみたいなの」
「あちゃー……」
少し補足させてもらうと。
エルフの森、ダークエルフの森、そして人族の街。
これらをすっぽりと包む超巨大な魔力障壁魔術の魔法陣をエイルに設置してもらっている。
いままでは魔法陣の内側だけを障壁で守る形式だったが、改良して魔力障壁魔術の生成機を魔王城の地下に設置することで、魔王城の中央の尖塔から半径八○キロメートルを保護する障壁を構築している。
ヴィーンゴルヴを襲撃していた敵勢力は障壁内に侵入する前に、ティターンの砲撃により撃ち落とされるので、魔王国を作ってから敵勢力の侵入を許したことはない。
ティターンたちはついでに魔物も倒しているらしく数は激減している。
話を戻そう。
俺たちが魔王国を建設したことで魔物の生息域がずれてしまったらしい。
そして丁度いい獲物として難民がなだれ込んでくる、と。
人間の開発により迷い出てきた肉食獣みたいなことになっている。
「新設する街道は魔法陣を設置しない予定でいます。街道は魔王軍を巡回させることで魔物から難民を守ろうと考えているの」
「いいんじゃないかな」
下手に魔法陣を設置すると魔物たちはさらに別の地域に広がってしまうだろう。
よその国に魔物を押し付けてしまうのはさすがにひどい。
魔物も可哀想だ。
「で、いつからはじめるんだ。すぐにでも俺はできるぞ」
ちょうどいい外出だ。
しばらくの間、判子作業を休めると考えると心が休まる。
しかし、そんなことは許されなかった。
「魔王様自らのお仕事ですからね。盛大に出陣するとしましょう、楽しみにしていてください」
「おい、盛大ってなんだ。……何をするつもりなのか教えろ」
「秘密です。では、三日後に出発ということで」
セリアは企みを描く参謀の表情を浮かべる。
参謀って魔王様を陥れる作戦を立てる人じゃないよね。
事前の情報共有って大事だと思うんだけど、何故、セリアもアウローラも魔王様を蔑ろにするのか。
仏の顔も三度までという名台詞を知らないのかよ。
温厚な大魔王様も弄られ過ぎると怒りますぞ。
そんなことを心の中で喚きつつ、俺は三日間を震えるウサギのような気持ちで過ごすことになった。