第三十九話 「問題発生」
目覚めは爽快だった。
まだ寝ていたいと思うような気怠さはない。
体を起こして簡素なベッドから立ち上がる。
ずいぶん長い間眠っていたはずなのに体の衰えを感じない。
机に畳まれていた学生服を着て姿見の前に立つ。
寝癖のない黒髪。
髭のないツルリとした顎。
筋肉のない細身の体。
どこを見てもいつもの自分である。
「おや、起きましたか。おはようございます」
部屋に入ってきたのはシギンだ。
口には携帯食料のような乾パンを咥えている。
右手には飲み物。
少女らしい可愛い服装をしているにも関わらず、ヨレヨレの白衣を引っ掛けているものだから台無しである。
「もう少し子供らしい生活態度に改めたらどうなんだ?」
「服装と身だしなみには気をつけていますよ。中身が煩いですからね」
「それは気をつけているとは言わん」
すると。
シギンが黙りこむ。
「……何故だか同意されました。不本意です」
どうやら本物はシギンの生活スタイルに不満があるようだ。
それはさておき。
シギンに頭を下げる。
「ありがとう、シギン。俺を生き返らせてくれたんだろ?」
「生き返らせたのは陽織さんですけどね。あたしは、ちょびっとだけ体を改造するのを手伝っただけです」
非常に不穏な言葉を聞いた気がする。
あとで問い詰めるとしてまずは状況の確認だ。
「それで、動力炉で戦っていた日から何日くらい経っているんだ?」
「今日で三ヵ月と二日ですね」
「けっこう寝てたな……、いまは何をしているんだ?」
「ヴィーンゴルヴの修復が終わってからは、レーキさんの希望だった日本への移動を開始しています。現在地は、ミシュリーヌの魔獣の平原という場所を横断しているところですね」
「ふーん、あと何ヶ月くらいで日本につくんだ?」
「わかりません。いまは立往生しています」
「立往生?」
「はい、敵の攻撃を受けてヴィーンゴルヴの脚部を損傷したため停止中です。それ以外にも問題が持ち上がっています」
ヴィーンゴルヴは巨大だ。
生半可な魔物では足を壊すことなどできないと思っていた。
もしや、神獣でも現れたのだろうか。
「俺が手伝えることはあるかな」
「むしろレーキさんがいないから滞っているとも言えますね。すでにシャウナさんを呼んでいるので、キリキリと働いてください」
「……寝起きから扱いがひどいな」
「頼りにしていると言ってください。あなたがいないと始まらないんですよ、レイキ」
いつから聞いていたのか。
部屋の戸口にシャウナが立っていた。
「ひさしぶりですね、先生」
「ええ、ほんとに……」
こころなしかシャウナの目元が潤んでいる。
きちんと言葉を交わすのは勇者戦以来だ。
感動もひとしおである。
「まずはヴィーンゴルヴの様子を見に行きましょう。正直に言って判断が難しい問題に直面しています」
「わかりました。じゃあ、シギン。またな」
「気が向いたらまたどうぞ。レーキの体は弄り甲斐がありますから、クフフ」
悪い顔をしているシギンを見て、可能な限り近寄るのはやめようと、心新たにする。
シギンの研究所から一歩外へでると眩しい日射しに照らされる。
ヴィーンゴルヴ市街は爽やかな昼下がりだ。
周囲から視線を感じる。
はたとヴィーンゴルヴでの知名度について思い出した。
「そうだった。俺はヴィーンゴルヴじゃ顔を覚えられているんだ。出直しましょう……」
「大丈夫ですよ。シギンが手を回してくれたので人が集まってくるようなことはありません」
言われてみるとチラチラと見られているのはわかるが近寄ってくる者はいない。
遠目で軽く頭を下げる人がいるだけだ。
巡回しているティターンは敬礼をして去っていく。
気にならないと言えば嘘になる。
けど、放っておいてくれるのは嬉しい扱いだ。
「さあ、行きましょう」
俺とシャウナは歩幅を合わせて歩きはじめた。
シャウナは肩が触れそうな距離にピッタリと寄せてくる。
なんとなく距離が近い。
そして、顔も近い。
並んで歩いたのは初めてかもしれない。
俺が口を開くのを制するように、シャウナが先に話始める。
「レイキには感謝しています。勇者との戦いでは命を助けてもらい、セリアとアウローラを救い出すことができました。ありがとうございます」
「勇者との戦いで勝てたのは俺だけの力じゃないですよ」
勇者の心臓狙いの攻撃は陽織とシャウナの犠牲があってこそ。
魂喰いの剣を砕くには、シャウナの作成した魂喰いの剣砕きの剣があればこそ。
何より魔王の称号がなければ今の俺はいない。
「あの絶望的な状況で使えるものを拾い集めて勝利を奪い返したのは、レイキです。誰にでも出来たことではありません」
「先生に言われると照れますね」
「私は本心を伝えているだけですよ」
ですが、と前置きをするシャウナ。
表情が怖くなる。
「神獣イルミンスールの開花のとき。あの時の判断は今でも許せません。シュバルツ・ブリードとの戦いもです。レイキは自分を犠牲にしすぎです。あなたに守られる方は気が気でないのですよ?」
「だってあの時は他に方法が……」
「だって、ではありません! シギンから聞いているかもしれませんが、レイキの体は少しだけ強化されています。どうせ無茶をするなら耐えられるようにです。怒るかもしれませんけど、それだけ皆を心配させているんだと知ってください」
「はい、ごめんなさい……、気をつけます……」
余計な反論をすると怒られてしまうので、素直に謝っておく。
俺は話題の転換を図る。
「強化されたって話ですけど、どんな部分が強化されたんです?」
「アーシル人の生命を創造する力であるとか、シュバルツ・ブリードの魔術無効化の力だとか、聞いています。スリープラーニング?というものでレイキに学習させているので、使い方は体が覚えているはずだとシギンは言っていましたよ」
「ぜんぜん少しの強化じゃない気がしますけどね。……なるほど、確かに知らない知識があります」
潤滑魂の使い方は理解できている。
魔術無効化のやり方も解る。
魔力総量はシュバルツ・ブリード戦の頃と比べると増大し、魔力回復能力も目覚ましい成長を遂げていた。
召喚魔術で苦戦した古獣エキドナ。
いまの魔力総量と魔力回復能力ならば、召喚魔術と召喚後の維持もできるはずだ。
「レイキはこれからどうするつもりですか? 日本へ帰りますか?」
「これから? うーん……」
いま何が何でもと言える目的はない。
新潟にいるであろう母と陽織の母について気になるが、たぶん大丈夫じゃないかという安心がある。
あとは横浜にいる神獣イルミンスールを倒す事か。
正直、イルミンスールにこだわりはないのでしばらく放置していてもいい。
勇者も関係ない。
いまの俺ならば苦戦はしても負けることはないだろう。
「特に何もなければ日本へ帰りますね」
「……それは暗に、面倒ごとが降りかかってきたら積極的に関わっていくってことですよね?」
「助けられそうなことでしたらね。見捨てるのは忍びないですし」
「それを聞いてしまうと、見せないといけないけど見せたくありませんね」
「どういう意味です?」
俺とシャウナはヴィーンゴルヴの環状交通路まで到着した。
この先は魔法陣で維持されている障壁がうっすらと虚空に輝いている。
シャウナは歩きながら障壁を通り抜けていく。
俺も後に続く。
「いまヴィーンゴルヴを覆っている障壁はエイルの作成した機械で維持されています。外界の様子が見えるとアーシル人に混乱を与えかねないので、ヴィーンゴルヴ内部では幻影を映し出しています」
「え?」
障壁の向こう側の光景が広がる。
「外はいま、戦場です」
シャウナが指を差す。
空には不思議な形をした戦闘機が飛び交っている。
目の前をカイザー・ガイストを装着したティターンが走っていく。
整列したカイザー・ガイストたちが空に向かってリヴォルヴァーカノンを一斉掃射する。
砲弾は編隊を組む敵戦闘機に命中。
リヴォルヴァーカノンの直撃を受けた敵戦闘機は黒煙を棚引かせて墜落していく。
全方位から飛来する敵戦闘機の攻撃はヴィーンゴルヴの障壁に及んでいる。
ただ威力が低いのか。
障壁の表面を波打たせるだけで貫通することはない。
エイルの創った魔法陣の障壁は頑丈なようだ。
爆発と爆音がビリビリと鼓膜を打つ。
シャウナと俺はお互いの声が聞こえるように叫びあう。
「ヴィーンゴルヴを後退させないと危険じゃないか!?」
「それができないんですよ、ヴィーンゴルヴの足元を見てください!」
シャウナが走りだす。
俺は気力変換霊術で魔力を闘気に変換すると、闘気推進闘術で追いかける。
ヴィーンゴルヴの外周を一気に駆け抜けると縁から下をのぞき込む。
「うぉ!? なんじゃこりゃあ!」
ヴィーンゴルヴの真下には何万人という人々が右往左往している。
遠視魔術で観察してみると、馬車やらボロイテントやらが平原のあちこちに在る。
ヴィーンゴルヴを動かすと彼らを踏みつぶしてしまう。
だから、動けないのか。
「彼らはなんなんだ!」
「ミシュリーヌの各地から逃げてきた難民のようです。ヴィーンゴルヴが敵を撃退しているのを見て集まってきてしまったんです!」
寄らば大樹の陰。
その発想は間違いじゃない。
寄られる側の事情も考えてほしいものだけど、命の危機に瀕している人にそんなことは言えないか。
「とにかく敵をどうにかしないとな……!」
俺は両の掌に魔力を集約させる。
魔術の全設定値を修正。
追尾性能を持たせた炎閃魔術を最大まで集束する。
重ねて、魔術を複製する。
俺がいま複製できる最大値は、……三○○○○。
炎閃魔術を発動させた。
掌から熱線を放つ。
探知魔術によって補足された標的に向かって一斉に飛んでいく。
炎閃魔術は次々と敵戦闘機に追いすがり、喰らいつく。
真っ青な空を覆い尽くすかのように無数の爆発の華が咲いた。
戦場が一瞬にして沈黙する。
爆発の衝撃音だけがこだましている。
「凄いですね……一撃で……」
「魔術無効化とか特殊な敵じゃなければ楽勝ですよ」
と、大地が割れんばかりの歓声が上がった。
「うぉ……」
ビリリリっと肌が痺れる。
ティターンたちが各々の持つ武器を掲げて叫んでいる。
ヴィーンゴルヴでは難民すべてが天に拳を上げて絶叫していた。
「レイキ~~~~、会いたかったよ~~~!」
真横から飛びつかれて俺は派手に転倒する。
陽織だ。
「痛いッ、痛いッ、痛いッ!」
タックルからのベアハッグである。
ミシミシと悲鳴を上げる肋骨に俺は悲鳴を上げた。
合わせ技で鼻水と涙をこすりつけるのは、マジやめろ。
やや本気で力を込めて陽織を引っぺがす。
「落ち着け、普通の人にやったら死ぬぞ!」
「だって~……」
着衣の乱れを治して陽織を立たせる。
気づけば。
アウローラとセリア、さらにカイザー・ガイストを装着したライルが揃っていた。
「レイキ、戦線復帰を祝福しよう。共に戦えることを喜ばしく思う」
ライルがビシッと敬礼をする。
相変わらず真面目な奴だ。
「無事戻りましたね。これから、よろしくお願いしますわ」
セリアは微笑を湛えつつ丁寧に挨拶をしてくる。
鑑定魔術で彼女を見てみると、不死者の体を持っていることに気づいた。
どうやら元の肉体を取り戻したらしい。
「会いたかったぞ、レイキ」
最後はアウローラ。
煌びやかな戦装束を着用する姿はまさに戦場の女神である。
が、戦場の女神ことアウローラは申し訳なさそうな顔で俺に言う。
「早速で悪いが問題があってな……、下の難民共をどうするかと言う話だ」
難民か。
シャウナがちらっと口にしていた見せたくない者とは彼らのことなのかな。
「いいよ。体は万全だし、俺ができることがあるなら手伝わせてくれ」
「すまん。一緒に来てほしい」
俺はアウローラたちに誘われてヴィーンゴルヴの下へ降りることとなった。