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第三十二話 「流転の王姫」

 俺はアウローラを抱えたまま海底を走る。

 とは言え、最後に泳いだのは中学生時代のプールの授業以来だ。

 クロールで五○メートル泳げればいいかなレベルの俺に人を一人抱えて逃げ回るなんて器用な真似はできない。

 召喚魔術(サモン)でケルピーを召喚する。


 ケルピーとは。

 川に生息する馬の上半身に魚の下半身を持つ動物で、水際にいる獲物を水魔術で引きずり込んで襲う。

 海で召喚して大丈夫かなと思ったが平気そうな顔をしている。

 ケルピーは細けぇこたぁいいんだよと言わんばかりにニッと歯をむき出した。


 俺はケルピーの胴体につかまる。

「海岸から離れて沖に出てくれ」

 環境適応魔術(アダプテイション)のおかげで水中で呼吸と会話ができる。

 ケルピーは水を掻いて凄まじい速度で泳ぎはじめた。

 ぐんぐんと浅瀬が離れていく。

 背後を見ればシギンが海の中へと飛び込んできたところだった。


 シギンは追ってこない。

 妖しい笑みを浮かべて俺を見つめていた。

 やがて水の蒼さが濃くなり、シギンの姿は見えなくなった。


 アウローラの様子を見る。

 全身傷だらけで鎧はボロボロ。

 申し訳程度の引っかかった衣服の隙間から血が流れ出ている。

 再生魔術(リジェネレイト)を掛けて治療しておく。


「ケルピー、ヴィーンゴルヴの工場港まで泳いでくれ」

 この人工海はヴィーンゴルヴの環状交通路の内側にある。

 環状交通路が水槽の壁のような役割を果たしており、外側から環状交通路、人工海、ヴィーンゴルヴの陸地、といった具合になっている。

 人口浜からひたすら泳ぎ続ければ、ヴィーンゴルヴ北西部にある工場港まで行くことが可能だ。

 工場地帯は完全な無人。

 警備に気をつければ隠れていられるはずだ。


 ケルピーは俺の命令に従ってひらすらに夜の海を泳ぎ続けた。


 ヴィーンゴルヴ北西部。

 オレンジ色の照明が昼間のように港を照らし出す。

 そして、港は忙しなく機械と物資が動き回っている。

 海岸はすべて埠頭になっていて、見上げるような巨大タンカーが接舷している。

 タンカーに自動制御されたガントリークレーンが昼夜を問わず貨物を積み込んでいる。

 人の姿はない。

 警備のティターンの姿があるくらいである。


 工場港を奥へ進んでいくと巨大な排水管がいくつも並んでいるのが見えた。

 奥は工場排水の処理場になっていて、洗浄された水をここから海に流しているらしい。

 俺はケルピーに押してもらいながら排水管によじ登る。

 ケルピーに礼を言い送還する。

 アウローラをおんぶしながら排水管の奥へと進んでいった。

 奥はウネウネと曲がりくねっており、いくつかの枝道を抜けていくと、広大な空間が広がっていた。


「ここは広いな。なんだろう……」


 俺の呟きがわんわんと反響する。

 東京地下特集か何かで大雨で河川の増水が溢れだすのを止めるために、水を逃がす空間があちこちに作られているとTVでやっていたのを見たことがある。

 あんな感じの空間だ。

 一時避難場所としてここを利用させてもらおう。

 もし水が押し寄せてきたとしても、環境適応魔術(アダプテイション)があるし、魔術で濁流をせき止めることもできる。


 俺は召喚魔術(サモン)でミミックを召喚する。

 ミミックは物に擬態してそばを通り抜けようとした獲物を捕食する生物である。

 いろいろなタイプがいるので、俺は家型のミミックを召喚した。

 木造の細長い屋根をもつ二階建ての家で古ぼけた感じが魔女の家っぽい。


 俺は玄関の扉を開けると中に入る。

 パチパチと薪の燃える暖炉。

 木製の丸テーブルと揺り椅子が部屋の中央に置かれている。

 小さな調理場と風呂場。

 家壁に沿って二階に上がれるらせん階段の上には小さな部屋がありベッドがある。

 ファンタジーなお家感であった。


 が、召喚者である俺だからこんな感想が言えているのであって危険はいっぱいである。 

 揺り椅子は座ったが最後にょきにょきと牙が生えてきたバクリと齧られるだろう。

 暖炉に近寄れば細長い舌に絡めとられて引きずり込まれる。

 ベッドに寝転がればそのまま胃袋へボッシュートだ。

 グルル、と唸り声と視線を感じる。

 アウローラを見ているようだ。


「……この人は食べ物じゃないからな。食べるなよ」

 どこからか悲しそうな声が聞こえてきた気がするが無視する。

「その代わり不用意にこの家に近寄ってきた奴は食べていいからな」

 こんどは嬉しそうな声。

 防犯はミミックに任せておけば大丈夫だろう。


 俺は濡れそぼった体を乾かしてからベッドにアウローラを寝かせる。

 まだ眠っているのだろうか。

 冷たい頬をペタペタと触る。

 うっすらとアウローラが瞼を持ち上げた。

「……レイキか。助かったぞ」

「何があったんだよ。アウローラとシギンが戦っているからどうしたらいいかわからんし、ひとまず煙に巻いて逃げてきたけど。どういう理由なんだ?」

「フ、愉快なことになっているさ」

 アウローラは人工浜であった出来事を話してくれた。


 シギンはフェミニュートであること。

 ヴィーンゴルヴは異世界の力を効率よく収集するための罠であり実験場であること。

 セリアがシギンに捕まったこと。

 今後はセリアが敵になるかもしれないこと。

「シギンの目的はレイキを研究することだろう。生殖行為が目的のようだが……、詳細は不明だ」

「間違いないんじゃないかな。俺も日本にいる仲間の一人がフェミニュートだから」

「騙されているんじゃなかろうな?」

「マインドフレアに頭を改造されてたから裏切りはないとおもうよ」


 アウローラは嫌悪の眼差しを向ける。

「おぞましいことをするな。そんなことをやっていたのか……」

「知らなかったんだよ! 尋問をマインドフレアに任せっきりにしていたら勝手に処置をしちゃったんだよ」

 俺は無実だ。

 俺は、俺はわるくねぇー。


 幻滅させないでくれとか言われちゃうと思いきや。

「力があれば何をしようとも許される。レイキの好きにすればよい。むしろ、魔王らしい行いで良いと思うぞ」

 実にあっさりとした反応であった。


「別に好きでやったわけじゃないんだけどね……」

「で、あろうな。近しい者にやられなくて良かったな。悪魔は狡猾だ。気をつけよ……ごほっ」

 アウローラが血を吐いた。

 じわっと布団が赤く染まる。


再生魔術(リジェネレイト)を掛けたのになんでだ。まだ怪我があるのか?」

「ガイストだ。シギンに、体の中にガイストを仕込まれていた」

「ガイストを? でも……」

探知魔術(サーチ)には反応しないガイストらしい。それに、シギンからのもらい物の体だ。他にどんな仕掛けがあるかわからない。この体はもう使えないな……」

「使えないって言ったって、どうするんだよ」


 アウローラは真剣な眼差しを向ける。

「余を殺せ」

「せっかく助けたのに殺してくれって、お前ね……」

「この体では再生魔術(リジェネレイト)で完治させても満足に戦えぬ。迂闊にシギンとの戦いにでれば、セリアのように捕まってしまうかもしれん。最悪、シギンとセリアと余を相手にせねばならんのだぞ? 最悪の事態をさけるためには、余を殺しておくのが最善だ」


 このままじゃアウローラは戦えないことは理解している。

 シギンとセリアとアウローラが敵に回るような事態になったら、さすがに勝てないだろう。

 だが、殺すのは嫌だ。

 何か手はないのかと思考を巡らす。


「もし、新しい体があれば魂を移動させることができるのか?」

「できるが、この体を一度でも捨てると戻ることはできない。移れる体は限られているから、人形生成魔術(ゴーレムクリエイト)で用意したような体ではダメだ。せめて、アーシル人の創造で生み出された体が必要だ」


 再構築魔術リコンストラクションボディくらいないと無理そうな話だ。

 俺の魔術ではアウローラの体は作り出せない。

 そもそもアウローラの体はどうやって作る?

 最初にアウローラの体を作ったのは誰だ?


「うー……ん、じゃあアウローラに適した肉体を作れそうな魔物を召喚するとか? アウローラが不死者になったのは誰かにやってもらったのか? それとも生まれたときから不死者なのか?」

「余は人間だ。古獣エキドナに願い出て、エキドナの眷族になることで不死の肉体をもらったのだ」

「古獣? 神獣じゃなくて?」

「神獣は神がミシュリーヌを創造するときに生み出した魔物だ。古獣は強力な力を持つが神と関係のない魔物だ。いつの時代から生きているのかも定かでない正体不明の魔物だから古獣と呼ばれている」


 神獣の他に古獣なんて魔物もいるとは。

 ミシュリーヌの世界もいろいろ超生物がいるんだな。


「エキドナってのはまだ生きてるのか?」

「いや。複数の神獣に追われて、狩られたと聞いている」

「なら召喚できそうだな。生きている固有の生物は召喚できないから、生きていたらアウトだったよ」

「……本気か? 神に近い魔物だぞ。召喚などという発想すら思いつかぬ……」

「ダメなら召喚できないだけだし、試してみよう」


 俺は召喚魔術(サモン)を発動させた。

 魔法陣が床いっぱいに広がる。

 呼び出せそうな雰囲気があるので注ぎ込む魔力を徐々に増やしていく。

 しかし、応える反応すらない。

 もっと魔力がいるのかな。

 さらに注ぎ込む魔力を増やそうとしたとき、魔法陣から間延びした声が聞こえてきた。


『すこぉしずつではなくて、たくさんの魔力を下さいな。でないと出られませんよぉ』

 それから。

 いきなり総魔力の九割くらいをごっそり奪われた。


「ぐはっ――、げほっげほっ」

 急激な魔力消失に体がビックリしてしまった。

 肺に水が入ったかのように咳き込んでしまう。


 魔法陣の白い輝きが、怖気が奔るような真っ黒い輝きに変わる。

 内側から細い指先が伸びて、がっちりと魔法陣の枠を掴む。

 ずるりと黒々とした蛇の胴体が部屋に伸びて広がってとぐろを巻く。

 最後に女が魔法陣から出てきた。


 柔和な顔立ち。

 優し気な瞳。

 艶やかな唇。

 その優し気な雰囲気と裏腹に下半身は凶悪な黒い蛇の胴体。

 背中には漆黒の翼を備え、頭には禍々しい角が生えている。


 召喚に成功したはずだが、制御できている気がしない。

 むしろ魔力を勝手に取り出された。

 こいつは俺の指示に従うのだろうか。

 しかも、召喚維持のための魔力消費量がとんでもない。

 シェイプシフターを一○○○○召喚していたときだって、召喚維持のための魔力は自動魔力回復の範疇だったのだ。

 それが、俺の魔力はメリメリと減っている。

 維持できるのはせいぜい三○分だ。


「こんばんは、坊や。あたくしはぁ、エキドナと申します。何か御用かしらぁ?」

「ッ……!」

 声が引きつる。

 とても優しい声のはずなのに。

 喉に声が絡んで出てこない。

 この気配。

 神獣のイルミンスールよりもゾッとする。

 古獣のほうが神獣なんかより全然強いんじゃないのか?


 俺が固まったままでいると、アウローラが倒れ込むようにエキドナの前に跪く。

「――エキドナ様、お久しぶりでございます、アウローラで、ございます……」

 エキドナの緑の瞳が外れた。

 俺は浅く深呼吸をする。


「ええ、アウローラ、アウローラ。勿論覚えておりますよぉ。あたくしが神獣から逃れるときに軍勢を率いて足止めをしてくださった、アウローラ。感謝しておりますよぉ、ふふふふふふ……」


 アウローラ、忠臣だな。

 そんなことをしていたのか。

 だから、神獣にエキドナが狩られてしまったことを知っていたのか。


 俺は勇気を振り絞って声を掛ける。

「エキドナを呼んだのは、アウローラに、新しい肉体を用意してあげて欲しいんだ……!」

「新しい肉体を……? ふぅん……」

 エキドナはアウローラをつぶさに観察する。

「アウローラには不死の肉体を与えたのに、今はずいぶんと貧相な肉体に収まっていますのねぇ」

「申し訳なく……戦いの中で頂いた肉体は失ってしまいました」


「肉体を失ったことはいいのよぉ、アウローラは望みを叶えたのかしら? あなたは復讐のために不死の肉体を欲していたでしょう?」

「願いは叶いました。余は十分に、復讐を果たしました」

「では、アウローラ。次は何のために肉体を欲するの?」


 アウローラはキッと顔を上げる。

「その男と生きて、助けるために、新しい肉体が必要なのです……!」


「ふんふん、なるほどねぇ、新しい生き甲斐を見つけられたのね。良いわ。あなたには眷族として十分に働いてもらいましたし、新しい肉体を与えます」


 エキドナが手を翳す。

 すると、アウローラの隣に光が降り注ぎ、アウローラと同じ姿をした肉体が生み出された。

 エキドナがアウローラの額に触れる。

 アウローラは床に倒れてしまう。

 アウローラの肉体は空気に溶けるように消えてしまった。

「おい……!」

「だいじょうぶよぉ、心配しないで坊や」


 エキドナが新しいアウローラの肉体に触れると眩い光が部屋を埋め尽くした。

「うぉ……!」


 目も開けていられない光の中でエキドナの声が聞こえた。

「人間は面白いですねぇ。この世のすべてを恨んで血反吐を吐いていた少女が、二○○年も魔物と人の殺戮を続けていた少女が、ふと出会ってみると真っ直ぐな心で愛した男と生きたいなどと宣う。なんて身勝手で浅ましい、……ふふふふふ」


 俺はいつも余計な一言が多い。

 でも、わかっているけど言っちゃうんだよな。

 俺は無意識に答えていた。

「……別にいいじゃないか。これから二○○年、魔物と人のために良い事すればイーブンだろ?」

「……ふはは、あははははは……、面白いことを言いますね、レイキは。素敵な考えだわぁ」


 ひんやりとした掌が俺の頭に触れた。

「サービスよ。レイキにも贈り物をあげるわぁ、……神獣が使う技を神技と言うならば、古獣が使う技は霊術と言います。好きに使いなさい」


「霊術!?」


 頭の中に何かが流れ込んでくる。

 俺が魔王になったときのような眩暈と吐き気がくるのかと身構える。


 霊術は、魔術とは異なる知識から編み出されたものであることを理解する。

 次いで力の使い方、もとい設定値についての知識を得る。


 規模、座標、効果などの概念はほぼ変わらないらしく、魔術を使うようなイメージで良いらしい。

 思いのほかスッパリと霊術とやらが俺の頭に収まった。


「……新しい力なのか?」


「そうよぉ……、また、いつか、あたくしを召喚してね。待っているわぁ……」


 召喚魔術(サモン)のリンクが切られた。

 部屋を真っ白に染め上げていた光も消えていく。

 視界が利いてくると、部屋にいるのは俺と白い輝きを纏うアウローラの二人だけだった。


 アウローラはアウローラっぽくなかった。

 なんというか、神々しい雰囲気に包まれている。

 着装している鎧の見た目が羽飾りやら金色の刺繍やら白銀の鎧やらで麗しい。

 いままでのアウローラは姫騎士だったが、戦乙女といった風情だ。

「余は、冥王姫ではなくなったようだ」

「称号がなくなったのか?」

「戦神姫の称号を得た。少々の神気が使えるようになって、闘気と魔力の総量も上がった」


 神気。

 神獣の神技が使えるようになったってことか。

 しかし、エキドナに用意してもらった体なのに神気が使えるようになっちゃうって、良いのかね。


「そうか、よかったな……」

 ミミックを維持する魔力はあるが、魔力を急激に消費したので疲れた。

 そんな俺の様子に気が付いたのか。

 アウローラは俺をサッと抱え上げると自分が寝ていたベッドに転がした。


「寝ろ。疲れただろう、ゆっくりと休むといい。シギンやセリアが攻めてきたら抱えて逃げてやる」

「悪い。あと、……よろしく」


 俺はアウローラに全てを任せると、目を閉じた。

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