第二十五話 「Sorcery Operation」
治療の前にライルにガイストについて聞いてみた。
少女の治療に入る前に事前知識を知っておきたかったのだ。
ガイストの情報を多く持っていれば、より多くの対処方法を思いつくかもしれないからだ。
「わかった。我々が知ることを話そう」
ライルの説明がはじまる。
「ガイストは、潤滑魂を好む。アーシル人は潤滑魂を体内で生成することで様々な種族や生命体を生み出す能力を持っているので、狙われたんだと思われる。問題は、ガイストに感染してしまうとアーシル人は潤滑魂を生成することができなくなる。そして、残っている潤滑魂を吸われ続ける」
「生かさず殺さずってわけじゃないんだな?」
「そうだ。潤滑魂をすべて吸われ尽くしたアーシル人は死体も残らず消えてしまう。本来、死んだアーシル人は純粋な潤滑魂となって世界に還元される。だが、ガイストが吸い尽くしてしまうことで、循環するはずの潤滑魂が途絶えてしまう。まだ確認はできていないが、潤滑魂の循環が起こらないことで生態系に影響がでるのではないかと懸念されている」
「なるほどね」
まずは、潤滑魂を補充できないかを確認だな。
俺は、少女、シギンの潤滑魂残量を計測する。
ゲージは黄色。
もう、五ミリほど削れれば赤色に変わるだろう。
早速、魔力供給魔術を僅かに注ぎ込む。
もう片方の手では解毒魔術を用意しておく。
俺たちが魔力と闘気を吸収すると毒であったように、アーシル人にとっても魔力と闘気は毒かもしれないからだ。
が、少女に変化はない。
むしろ表情が和らいだように見える。
よく見ると、潤滑魂残量が少しずつ上昇している。
潤滑魂は魔力供給魔術で回復できるようだ。
シギンの潤滑魂を全回復させる。
「どうだ?」
「潤滑魂は魔術で回復できるのがわかった。当面は死ぬことはないと思う」
「……ぉぉ……、感謝するぞ、レーキ!」
「礼を言うのはまだ早いぞ。本丸が残ってるんだからな」
次はニヴル・ガイストだ。
ウイルスに効くかどうかわからないが、解毒魔術を掛ける。
効果なし。
足と腕に見えている黒い斑紋に座標を指定して解毒魔術を掛けてみる。
効果なし。
解毒魔術はニヴル・ガイストに効かない。
つまり、ニヴル・ガイストは体にとって毒だとみなされていないという事だ。
では、問答無用で殺菌してしまうのはどうだろう。
清潔魔術をニヴル・ガイストの感染している部位に発動させるのだ。
気になるのは体の免疫を担う体内細菌を殺してしまうかもしれないことか。
試しに自分の左手に清潔魔術を掛けてみた。
いままでは手洗い代わりに皮膚表面だけに発動されていたが、肉から骨、血管から神経、細胞に至るまですべてを清潔魔術する。
痛みや痒み、その他の異変は感じられない。
これだけじゃ試すのは危険か。
が、他に手を思いつかない。
最悪、再生魔術でニヴル・ガイストごと戻すしかないか。
俺はシギンの腕の黒い斑紋に座標を指定。
清潔魔術を掛けた。
黒い斑紋がみるみる小さくなる。
「や、やったぞ……! ガイストが……!」
ライルが驚き喜びに震える。
腕の黒い斑紋が消えた、かに見えた。
「いや……ダメだ。こいつら転移するのか!」
二の腕にあった黒い斑紋は手の甲に発生している。
どうやら清潔魔術の効果を嫌がって感染部位を移動したらしい。
「ぅぅ……」
しかも、シギンが痛そうに顔を歪めている。
ニヴル・ガイストの侵食は痛みを伴うのかもしれない。
急ぎ痛覚遮断魔術を掛けた。
意思のあるウイルスとは厄介なもんだ。
だが、清潔魔術は効果があるとわかった。
今度はシギンの全身に清潔魔術を掛けていく。
足の先から太ももに。
頭から首へ。
肩から指先へ。
胸元から腰へ。
鑑定魔術を通してみるシギンの体内で、ニヴル・ガイストたちが慌てふためいている様子がわかる。
ついでに治療した部分は魔力障壁魔術を掛けて転移させないようにしておく。
いよいよ逃げ場のなくなったニヴル・ガイストたちは為すすべなく消滅していく。
体のあちこちに見えていた黒い斑点が消えていく。
最後に、念入りに清潔魔術を掛ける。
「……よし、完治した」
鑑定魔術で調べても転移してる気配はない。
シギンを蝕むニヴル・ガイストは根絶された。
「レーキ、感謝する!」
ライルは膝をついて礼をする。
「念のため半日は無菌室から外に出さないようにしてくれ。俺はちょっと休憩するよ」
ベッドルーム全体を清潔魔術してから外へと出る。
ベッドルームから退出すると,エクサとモ二―が待ち構えていた。
「どお? たいちょ、治った?」
「もう大丈夫だ」
「凄ぇじゃねえか! もう部屋に入っても大丈夫か?」
「ああ、いまはライルがついてる」
二人が先を争うようにベッドルームへ入っていく。
その背中に声を掛ける。
「ちょっと外で休憩してる。用があったら呼んでくれ」
エクサとモ二―に断ってベランダから外へ出た。
ふかふかとした地面を踏む。
ベランダには土が敷き詰められ、本当の庭のようにガーデニングが楽しめるようになっている。
シギンが世話好きなのか。
ベランダには所狭しと鮮やかな花々が植えられている。
小さな低木には艶やかな果物が実っている。
が、俺が見に来たのは植物ではない。
俺はベランダから見える範囲のヴィーンゴルヴを見渡す。
考えているのはニヴル・ガイスト対策である。
シギンを治療することに成功したが、ニヴル・ガイストに襲われればまた感染してしまうだろう。
ニヴル・ガイストを侵入させない設備を街に設置する必要がある。
魔力障壁魔術を街全体に掛けられればいいんだけれど、魔力障壁魔術や闘気障壁闘術は対人専用。
物には発動できない。
「あー……、先生かエイルがいればな……」
先生ならばミシュリーヌの経験を生かした知恵を貸してくれそうである。
エイルならばサササッと新しい装置を開発してくれそうだ。
召喚魔法で知恵ある者の手を借りる、と言う手もあるが、魔物図鑑はシャウナに返してしまった。
役立ちそうな魔物が思いつかない。
考えに詰まり空を見上げた。
水平線のかなたまで星の煌めきに包まれた夜空が広がっている。
横浜にいたときは見られなかった光景だ。
仰ぐ空の一点に瞬く星が二つある。
その星はずいぶん近くに在るように見える。
「お……?」
いや、星じゃない。
あれは……。
答えを出す前に二つの星が舞い落ちてきた。
「やっと追いついたぞ、英雄殿」
玲瓏たる女の声が響く。
一つの星が緩やかに人の姿に変わる。
深紅の髪を頭の後ろで結い上げた騎士然とした女。
これから戦に出陣する姫将軍かな。
身軽さを追求した軽装鎧と見事な意匠が施された長剣を携えている。
「こんばんは、英雄様。夜分遅くに失礼します」
もう一つの星が人の姿となり、たおやかな女の声が紡がれる。
くすみのない白金の髪を背中で切りそろえた如何にも王女様という女。
宮廷舞踏会にでも出席するのかな。
足首まで隠れる豪奢なドレスを身に着けている。
俺は逃げ腰のまま固まっていた。
二人の姿は透き通っており、場所が場所ならば悲鳴を上げて逃げているところだ。
恐々と幽霊の二人に尋ねた。
「あの……、どちら様で……?」
「余は冥王姫、アウローラ。アウローラ・ネロ・ジルコニア。冥王国の王である」
「わたくしは覇王姫、セリア。セリア・ラナ・カルセドニー。竜王国の王ですわ」
激しく混乱する。
誰だよ。
俺は王様の知り合いなんてどこにもいないぞ。
「理解が及んでいないと見える。余はシャウナ・レイヴァース殿の弟子である」
「それでは説明不足ではありませんの? 魂喰いの剣から助け出されたと素直におっしゃえばよろしいのに」
そこで、はたと思い出す。
「……ああ! 先生に近寄っていた大きめの魂の人……!」
微妙な記憶であった。
でも、間違いない。
魂喰いの剣を破壊した時に見かけた魂だ。
「それで、その、アウローラさんとセリアさんは、なんでまたここに?」
アウローラは両手を腰に当て呵々と笑う。
「余らが消滅するまでの暇つぶしよ。どうやら戻るべき肉体はもはやない、どうせ数日で消えるのならば王としての務めも忘れて物見遊山に耽ろうではないかとセリアと話してな。どこへ行くか迷っていた時に、空を飛ぶ英雄殿を見かけたのだ。ついていけば楽しめるかもしれぬと思って追ってきたのだよ」
いやいや、神獣と言い王姫様と言いなんなんだよ。
俺は面白いことやる人じゃないんだぞ。
平穏無事に暮らしたいだけのただの高校生だって言うのに。
セリアは口元を隠してお上品に笑う。
「うふふ、わたくしたちは可哀想な王様ですから。お外に出るのも従者がぞろぞろと気が休まりません。どうせ死ぬのであれば一度くらいはのんびり旅をしたいと思っていましたの」
王様なんだから当たり前だろうに。
ミシュリーヌの王国がどういうものかわからないけど、世継ぎのいない王様がさくっと死んでしまったら大混乱に陥るだろう。
内戦問題に発展してもおかしくない。
こんなところで遊んでいる暇があるなら余命僅かでも国に帰って復興を助けてやってほしいものだ。
なんて愚痴はおくびにも出さない。
なんせシャウナの親友である。
怒ると怖そうだから余計なことを言って刺激するのはよろしくない。
事なかれ主義なのである。
「……それで、お二人とも今後の予定は?」
「ない。消えるまで英雄殿を見学させてもらう」
「お邪魔はしませんので、構いませんか?」
「構いませんけど……、面白いことは何もしていませんよ?」
「魔術の発動を感じてここにきたのだ。何もしていないことはなかろう? 面白いかどうかは余が決める」
傲慢さがにじみ出る物言いである。
王様ってのは皆こうなのだろうか。
不思議と様になっていて嫌な気分ではないけど、よくスラスラと言い放てるものだ。
「……わかりました。話は変わりますが、消滅ってどういうことです?」
「言葉通りの意味ですわ。いまのわたくしたちは魂だけの存在。肉体がない魂はすぐ召されてしまいますけれど、わたくしたちは残された闘気と魔力を使って現世に留まっているんです。ですが、魔力を回復する手段がないので、魔力枯渇になると召されてしまいます」
「死ぬってことですか。魔力供給魔術で良ければしますけど……」
俺が手を差し出すと、アウローラは首を短く振った。
「ありがたい申し出だが……、いつまでも施しを受けるわけにはいくまい。それに魂だけの余らは魔術くらいは使えるが戦闘力は皆無に等しい。英雄殿の力になってやれぬ」
「うぅーん……」
だからと言ってこのまま消えてしまうのは寂しいではないか。
シャウナも命を懸けて二人を助けたのだ。
せめてお別れの挨拶くらいしてあげるべきではないのだろうか。
「せめて先生に会って別れを告げてからでもいいんじゃありませんか? 俺も先生と合流するつもりですし、それまでなら期限付きで魔力供給魔術しますよ?」
「なに!? あの状態から師、……シャウナ殿は助かったのか?」
「俺が再生魔術で回復しましたから」
「勇者はどうされたのですか? 健在だったように思えましたが……」
「倒すことはできなかったけど、一時的に和解して……別れました。魂喰いの剣がないなら戦う理由はありませんし」
驚愕と困惑。
アウローラとセリアは告げられた事実に混乱しているようだった。
「そうか……生きているのか……」
アウローラは目を伏せて黙っている。
悩むという事は死にたくない気持ちがあるに違いない。
もうひと押しだ。
「それに力になるって言うのは戦う事だけじゃないと思います。経験や知識が俺には足りないから、先生に会うまででいいので、教えてください」
アウローラは念を押すように呟く。
「…………本当に良いのか? 負担になってしまうぞ」
「構いません」
逡巡するアウローラの肩を、セリアがそっと抱きしめる。
「お言葉に甘えさせていただきましょう、アウローラ。先生に御礼を申し上げなければ死んでも死にきれないのではありませんか?」
「うむ……、そう、だな。礼を言わねばならぬ。勝手に消えるわけにはいかんか……」
「二人とも、手を貸してください」
俺が両手を差し出すと、アウローラとセリアは右手と左手を差し出し握手をする。
そのまま魔力供給魔術を発動する。
俺の魔力がアウローラとセリアに注ぎ込まれ、キラキラと輝きながら密度を増していく。
二人の姿がよりはっきりと鮮明に浮かび上がってくる。
「英雄殿。余らは王であるが敬語はいらぬ。どうせ王国もないしな」
「わたくしもです。気軽にセリアとお呼びくださいな」
「そっか、なら俺も玲樹で頼む。英雄殿とか英雄様とか柄じゃないしな……」
三人寄れば文殊の知恵とも言う。
ニヴル・ガイスト対策の妙案も浮かぶだろう。