第二十話 「マスター」
エイルの正体とは。
状態異常治癒魔術を掛けてから聞いてみたが「知らない知らない、なーんにも知らないよ~」と言うばかり。
こうなると尋問とかやったことないし無理だ、拷問とかも当然無理。
となれば頼りになるのはビボルダーが言っていた悪魔である。
正直、気が進まない。
「でも他にいい考えがないんだよな……」
俺はさんざん考えた末に、マインドフレアを呼び出すことにした。
「――吾輩を召喚してくださるとは恐悦至極。魔神王様の命を全うすべく身を粉にして尽力させていただきます」
俺の目の前で頭を垂れるのは、イカのような頭部を持つ豪奢なローブを来た悪魔、マインドフレアだ。
「うん、俺は魔神王じゃないし。そんな畏まらなくていいから。人を殺さないように情報を引き出すとかできるかな?」
「失敬、まだ時期ではございませんな。殺さぬように情報を引き出すとのこと承知致しました。吾輩の種族が持つ能力は精神攻撃。隠された記憶すら暴いてみせましょう」
「じゃあ、こっちに来てくれ。エイル~、入るぞ」
俺はノックをしてから保健室奥にある個室へと入った。
簡素なパイプベッドの上で両手・両足を土魔術で拘束されたエイルが寝転がっていた。
目隠しは外してある。
魔術の無効化をされると困るので、SF小道具のような所持品はすべて取り上げていて、スーツも制御コンソール部分を壊してある。
エイルはどちらかと言うと人類に近い種族に見える。
シャウナのように身一つで強靭な力を持っていないため、暴れたり手錠を外すような抵抗はしない。
ゆったりと落ち着いた様子で周囲を観察している。
「やあ、レイキ君。情報を話してほしいと言われてもボクは下っ端戦闘員だから何も知らないよ」
「だから専門の人に来てもらった。彼に話してやってくれ」
俺は隣に立つイカ頭を紹介する。
イカ頭もといマインドフレアが胸に手を当てながら頭を下げる。
悪魔式の礼かな。
エイルは冷ややかな笑みを浮かべる。
「ボクは拷問・尋問の類も利かないよ。試してもらっても構わないけどね」
俺はイカの触腕を引っ張ると、マインドフレアにひそひそと告げる。
「……ああ言ってるけど、痛めつけたりするのは無しにしてくれよ。そういうの見たくないし」
「勿論でございます。吾輩は魔神王様が心優しき持ち主であることは重々承知しております。女性に相応しい処置に致しますのでご安心くださいませ」
ここまで言い含めておけばエイルをひどい目に合わせたりはしないだろう。
「じゃあ、あとよろしくね」
俺は手を振って個室を後にした。
保健室の二つしかないベッドには陽織とシャウナを寝かせてある。
壁際に立てかけてあったパイプ椅子を引っ張り出して座る。
腰掛けた途端に猛烈な疲れを足に感じた。
そして……、眠い。
壁時計を見ると、時刻は深夜の二時を回ろうとしていた。
疲れて当たり前。
午前の自主訓練のあと陽織とシャウナのお世話。
途中から召喚魔術の実験をやりはじめて、気づいたらシェイプシフターがエイルにとっ捕まり、大捜索を開始。
ついさっきまでエイルの秘密基地に潜入。
陽織とシャウナを救出してからエイルと大立ち回り。
今日は忙しかった。
「ちょっと寝るか」
俺は護衛としてサモン・リビングソードとサモン・リビングシールドを召喚。
周囲の警戒を命じてから腕を組んで目を閉じた。
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まどろみの中、肩を揺らされる感覚に目を開ける。
保健室のカーテンの隙間から陽が差し込んでいる。
朝だ。
陽織の顔が近くにあった。
パイプ椅子を並べて俺の隣に陣取っていたらしい。
「おはよ」
「……ああ、おはよう」
窓際ではシャウナが本を読んでいる。
「おはようございます」
顔を上げて挨拶をされた。
二人とも元気そうで何よりだ。
「おはようございます、魔神王様」
マインドフレアも居た。
禍々しい意匠のティーカップを触腕に持ち何かを飲んでいる。
明らかに異質な風体のくせに普通に馴染んでいて怖いぞ。
そして、自然な動作で俺の前に立つ者がいる。
「おはよう。良い朝だね、ご主人様」
「…………はぇ…………?」
たっぷり沈黙の後、俺の喉から間抜けな声がでた。
ややぎこちない笑みを湛えるのはエイルである。
メイド服姿のエイルである。
手には茶器を持っており、マインドフレアに給仕をしていたのがエイルであるとわかる。
「どうしたんだい、ご主人様? どこか具合でも悪いのかい?」
俺のおでこに手を当てる。
瞼を優しく押し上げて瞳孔を見据え、抱きすくめるように心臓に耳を当てる。
ついでにしれっと下半身に手が伸びてくる。
横に座る陽織の眦がキリリとつり上がる。
これ以上はいけない!
「だ、だいじょうぶ。だいじょうぶ。だいじょうぶ、だいじょうぶだ! エイル離れろ! だいじょうぶだから俺から離れてくれ!」
一体何が起きたのだろうか。
エイルが自由に動き回っていて危険ではないのか。
情報を聞き出す話はどこへいってしまったのか。
ご主人様ってなんだ。
「エイル、少しだけ廊下で待っていてくれないか? 用が終わったらまた呼ぶから……」
「わかったよ、ご主人様。体の調子が悪かったらすぐに言うんだよ」
エイルは素直に廊下へと出ていった。
扉が閉まった瞬間、俺はマインドフレアに掴み掛からんばかりの勢いで詰め寄った。
「どういうことなんだよ!? エイルから情報を聞き出してくれるって話だろう!」
「その通りにございます、魔神王様。エイル殿をあのような処遇するのが最善と愚行致しました」
「どこが最善!?」
「ご説明致します」
マインドフレアは落ち着いた口調で語る。
「はじめに。情報を引き出したのち、エイル殿をどのように管理するかを考えますと、洗脳して奴隷化したほうがよいと考えました。魔神王様が苦戦するほどの相手。正常な状態であれば、何らかの手段で脱出して反撃にでることでしょう。情報を引き出したあとは始末してしまうのが簡単な解決ですが、魔神王様が最も好まぬ手法と考えております」
「う、ううん……確かに、そうかも……」
確かにエイルから情報を引き出して殺してしまうなんて言うのは躊躇われる。
俺は実験材料にされかけたけど不本意ながら助けられた部分もある。
お互いの利害を一致させるような関係に持っていきたいなあと考えていた。
マインドフレアは鷹揚に頷き、話を進める。
「次に、我が智に置いてもエイル殿の説明は理解の及ばぬところも多く説明は困難であると判断しました。エイル殿の口から情報を素直に話してもらったほうがよいと考えた次第です」
「うん……なるほど、ね……」
エイルは俺たちの世界でいうところのSFの世界の住人と思われる。
マインドフレアに理解できない概念があっても不思議ではない。
伝言ゲームにならないようにエイルの口から正しい情報を説明してもらったほうがいいと考えるのは自然に思えた。
「最後に、エイル殿は子孫を為すことに積極的であることがわかりました。誘惑魔術が最も掛かりやすく、精神攻撃に脆弱なため、我が得意とする魔術にて、魔神王様を心より慕う奴隷へと改造致しました。エイル殿の目的意識は改変致しませんでしたので自由意志を持っておりますが、魔神王様を裏切ることは決してありませぬ。愛するも良し、嬲るも良し、どうぞ心行くままお楽しみください」
「奴隷……」
凄まじい爆弾を投下された。
全身の血の気が引くとはこのことか。
「では、我はこれにて帰還致します。また御用とあらば参上致しましょう」
マインドフレアは一礼すると光の礫となって消えていった。
召喚獣のくせに自分から召喚者と召喚獣のリンクを切れるのかよ。
とんでもない悪魔だ。
カチッ、カチッ、と保健室の壁時計の秒針の音がやけに大きく聞こえた。
陽織は何も言わない。
シャウナも沈黙している。
無言の時間が過ぎていく。
説明しろと言ったのは俺だ。
マインドフレアは悪くない。
でも、陽織とシャウナにドン引きされそうなことも説明するのは配慮が足りないんじゃなかろうか。
マインドフレアがこっそりとエイルの話を俺一人に説明してくれるのなら構わない。
驚きつつもワクワクドキドキといった感覚を味わえたに違いない。
もしかして、もしかすると、高校生の溢れるリピドーをエイルに受け止めてもらってもいいのかしらん、などと妄想してしまったかもしれない。
しないけど。
もちろん、エイルとの話し合いの場をしっかりと設けてからですけど。
ふと、思い出す。
ビボルダーが悪魔一のサディストだと言っていたのはこのことなのか?
言い訳ご無用のこの状況を想像してマインドフレアは楽しんでいるのか?
とんでもない悪魔だ。
カラカラに乾いた口を開き、何とか声を絞り出す。
「……さ、さぁ……、時間もないし、エイルの正体について聞くとしますか……」
「玲樹、座って」
パイプ椅子が滑ってきた。
円になるように三個の椅子が並べられる。
三人分の椅子である。
「エ、エイルの分が足りないんじゃないかな……」
「まずは三人で話すべきでしょう、レイキ」
着席した二人の視線に射抜かれる。
真顔である。
怒りだとか、嫉妬だとか、負の感情ではなく、お説教をしますといった真面目な顔であった。
「……はい」
俺は諦めて着席する。
まずは、陽織からだ。
「玲樹、ムリヤリにエッチなことをするのは犯罪なのよ? 奴隷は世界中で禁止されていることなのよ?」
初っ端から俺の扱いは性犯罪者であった。
俺は無実だ、冤罪である。
マインドフレアに任せきりにしてしまったことに問題があったことを説明して、俺はエイルを奴隷にしてやろうなどと邪な感情を持っていなかったことを、繰り返し説いた。
たっぷりと説教をした後、陽織は以下のように締めくくる。
「玲樹がエッチなことをしたいって気持ちがあるのは、……お、男の子だからしょうがないと思うけど……、とにかく、ムリヤリはダメだからね。どうしてもダメな時は、私が……」
「私が?」
「なんでもないわよ……!」
陽織は腕組みをすると、そっぽを向いてしまった。
どうにか機嫌を戻さねばと思うが、後に控えている者からの視線が痛い。
続いて、シャウナだ。
「レイキ、奴隷は様々な用途で利用されるためミシュリーヌでは珍しいことではありませんが、暗黒魔術を用いて奴隷にしてしまうのは重罪です。さらに、エイルはマインドフレアの能力で洗脳されてしまったので、状態異常回復魔術を掛けても元に戻りません。罪は罪ですがエイルはミシュリーヌ人ではないようですし、エイルを知る人もこの場にいる者だけです。口をつぐんでしまえばいいんですけどね……。レイキがこれに味を占めて犯罪行為に手を染めるようになったら……、さすがの私も黙ってはいられません」
初っ端から俺の扱いは再犯予備軍であった。
俺は優良生徒だ、停学・謹慎と無縁の無害な高校生である。
エイルの件を見なかったことにしてくれる事を感謝すると共に、暗黒魔術を悪用しないことを心から誓う。
また、召喚魔術で知性のある魔物を呼び出したときの注意点を教えてくれた。
召喚魔術で呼び出された魔物は、悪魔や天使の場合は間接的に召喚者に危害を与えてくる危険性がある、という事。
召喚魔術で呼び出された魔物は、知識や経験を語るが召喚者を誘導していることもあるので鵜呑みにしてはいけない、という事。
懇々と説明をした後、シャウナは以下のように締めくくる。
「……レイキはそんなに、……したいんですか?」
男ってのはエッチなことがしたいんだよ。
しかし、紳士的な俺はストレートな表現を避けるのだ。
「したくないと言えば嘘になりますね」
シャウナは言い辛そうに俯く。
「……魔術には、あの、そういった事を処理する魔術もありますので……、我慢できない時はそれを使うようにしてください」
なんと、初耳だ。
すべての魔術を押さえているはずなのに、俺はそんな魔術は知らんぞ。
「ほぅ、先生も良く利用されているというわけですね」
がばっと顔を上げるシャウナの顔は真っ赤であった。
「なっ!? ……ち、違います! 私は……ッ!」
「私は?」
「~~~ッ、もう知りません!」
ぷいっとシャウナは背を向けてしまった。
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五分ほど格闘してみたものの、陽織とシャウナの機嫌は戻らなかった。
俺は諦めて話を先に進めることにする。
廊下に待機してもらっていたエイルを呼び戻した。
陽織とシャウナが背を向けたままだけど、話を聞くなら耳を塞いでいなければ大丈夫だ。
「エイル、お前の正体を教えてくれ」
了解したよ、ご主人様とエイルは話しはじめた。
「ボクはフェミニュートと呼ばれる種族。CATEGORY9シリーズと呼ばれる交配研究を専門とする部隊の兵士で、識別番号はE番の三三○一。コンバートワールドで活動するのは五回目かな」
もう、わからない。
頭に残った単語について聞いてみることにする。
「コンバートワールドってのはなんだ?」
「生命体のいる惑星を物理的に取り込んで、仮想世界にデータ変換した世界のことだよ。ちょっとシステムに不具合があって、仮想世界で死ぬと物理世界でも死んでしまうんだけど、根幹に影響する部分だから修正も効かなくて放置されている。あと、ひとつの仮想世界に複数の惑星の生命体が集められている理由は、フェミニュートの部隊を各世界に分散させずに済むからだね」
仮想世界ね。
俺たちは仮想世界から元の世界に戻れるか、という事が重要だ。
「地球、ミシュリーヌ、というか全部諸々のことなんだけどさ。元に戻すにはどうすればいいんだ?」
「わからない。いままで物理世界を解放した事例がないし、考えたこともないね」
「んー……、それじゃあ、この世界は今後どうなっていくんだ?」
「調査と研究が終わればコンバートワールドは解体される。すべてのフェミニュートの部隊が撤収した後、この仮想世界はデリートされて、物理世界も保存領域の邪魔だからデリートされるね」
マジかよ、そりゃまずい。
放っておいたらこの世界は消去されてしまうし、俺たちの元の世界も完全削除されてしまうわけだ。
「いまってどのくらい研究が進んでいるのかって、エイルは把握しているのか?」
「ボクは末端兵士だから、わからない。ボクは帰還命令を受けるまではひたすら研究と報告を繰り返すだけなんだ」
「そっすか……、またかよぉ……」
勇者の来襲、神獣の開花、お次は世界の消滅と来たか。
いつ来るのかわからない問題が多すぎるのは勘弁してほしいものだ。
悶々と悩む俺に、エイルが提言する。
「コンバートされた世界を元に戻す方法はわからないけど、ご主人様が助かる方法はあるよ」
「なに、どういうことだ?」
エイルは妖しく微笑むとしなだれかかってきた。
肩を掴んで押し返そうとするが、思いのほか力が強い。
後ろに下がって逃げようとしたら壁際に追いつめられてしまった。
エイルの顔が近い。
所謂、壁ドン。
でも逆だよね、普通は男の子が女の子にやるものじゃないのかな。
「簡単な事さぁ、ボクとご主人様の間に子供ができればいいんだよ。人類がフェミニュートに必要な存在だとわかれば、現実のフェミニュートの体に研究成果を反映させる必要がある。物理世界で地球を復旧しなければならなくなるのさ。魔術や闘術が人類の進化に必要だとわかればミシュリーヌも必要だって結論に至るかもしれないねえ……」
結局、振出しに戻る、だ。
「俺を研究材料にするのは一緒じゃないか! ……ちょ、ひっつくなし、ハァハァ言い過ぎ……!」
「フェミニュートは種族復活を達成する、地球は仮想世界から脱出する、両者がWIN-WINになる最良の関係だと思わないかい……って、あららら……」
エイルがズルズルと後ろに引きずられていく。
左腕を陽織が。
右腕をシャウナが。
いつぞや俺が連行されていたように拘束している。
「いまはそんな事をやっている場合ではありません」
シャウナは窓の空を見上げる。
「来たわよ」
陽織が空を指さす。
なに、なに、なに、何が来たっていうんだ。
淵ヶ峰高校のグラウンドに黒い影が落ちる。
窓枠を小さく揺らす駆動音が絶え間なく聞こえてきた。
「なんだ……ありゃ……」
雲を割って現れたのは巨大な飛行物体。
金属製の板を羽のように広げて浮かぶ様は、くらげか、傘をイメージさせる。
飛行物体は淵ヶ峰高校の上空にて停止する。
小さな黒い点が飛行物体から飛び降りてくる。
黒い点は人間だ。
人間の男だ。
彼は淵ヶ峰高校のグラウンドに降り立つとズラリと剣を抜き放つ。
これだけ離れた位置で感じられるほどの強烈な闘気が吹き抜けた。
言われなくても理解できた。
あれが、勇者だ。