第十八話 「錬金術師の秘密」
時は過ぎていく。
ドラゴンとの戦いから七日目の夜。
今日も勇者は来なかった。
シャウナは魂喰いの剣砕き剣を完成させた。
いまは俺や陽織が使える防具作りに取り掛かっている。
陽織は体がなまらないように鍛錬をしている。
神獣の影響をかなり受けているはずだがつらそうな顔は見せない。
でも、シャウナの見立てでは限界だろうと言っていた。
シャウナは寝ている陽織を観察しながら、「ヒオリは内側から溢れ出ようとする神気を、持ち前の闘気で抑え込んでいるのです。だから見た目は平気そうに見えますが、限界を超えた瞬間、開花がはじまってしまいます……非常に危険です」と説明していた。
明日の朝には陽織を転送魔術で遠くに送らなくてはいけない。
六時間後だ。
引っ張っても八時間だ。
何で来ないんだ、といら立ちが募る。
もうだめかもしれないとも思った。
今日も、自主練をして、シャウナのお世話をして、陽織とイチャコラして、一日が終わってしまった。
夜になって陽織が寝た後、シャウナの呼び出しの合間を縫って、俺はいそいそと食堂へ向かう。
淵ヶ峰高校のメイドさん、もといエイルに会うためだ。
毎夜愚痴を垂らされる身になると申し訳ないと思うが、嫌な顔せずに出迎えてくれるのでいいだろう。
「……というわけで、今日も勇者は来なかったよ」
「そうかい。だいぶ疲れているようだね」
蝋燭の明かりに照らされながら、エイルは沈んだ顔で言う。
懐中電灯の電池は貴重品のため夜に明かりが欲しいときは蝋燭を利用しているのだ。
「ヒオリ君とシャウナ君は食事は摂っているかな? ここ最近はヒオリ君がずっと作っていたから、食べられない部分を入れていないか不安なんだが……」
「食べていたよ。いつも通りの、噛めない激マズ料理だ」
「フフ、そうかい。なら問題ないね」
俺とエイルは蝋燭を前に並んで座っている。
語らいに何もなしでは寂しいので昨日見つけたコーラを飲んでいる。
氷結魔術でキンキンに冷やされたコーラは久しぶりの味でめちゃくちゃ旨く感じた。
「エイルはいつまでここにいるんだ? 勇者が来る前には、淵ヶ峰高校を離れたほうが良いと思っているんだけどな」
「んー……どうだろうね。勇者についても研究したいんだけどなぁ、できないかなぁ」
相変わらず平常運転のエイルだった。
「お前は怖いもの知らずだな」
「命を狙われているのはレイキ君だからね」
エイルはくすくすと笑う。
いつの間にか用意していたボトルを開けると、コーラの入ったグラスに注ぎ始める。
そして、ススッと肩が触れ合う距離まで近寄る。
それは、酒じゃないのか。
「おい、エイル。お酒は二十歳になってからと言うのを知らんのか……」
「なんだい、それは?」
エイルは俺のグラスにもトクトクとボトル傾ける。
ウイスキーだよ、コレ。
ハイボールになっているんですけど。
「まあ、いいけどさ……」
異世界人に未成年の飲酒云々を語っても理解されない気がする。
グラス一杯くらい飲んでも平気だろう、たぶん。
俺はちびりちびりとハイボールを飲み始めた。
カッと喉の奥に熱を感じる。
初めて飲んだけど意外とイケるものだ。
ふと、エイルの顔を傍でみて頬が赤く腫れているのが見えた。
酔いが回ったわけじゃあるまい。
「エイル……顔、どうしたんだ?」
「大した話じゃないさ……って、こら……」
顔を背けて逃れようとするエイルを捕まえる。
頬をろうそくの明かりに照らすと、赤く少し青みがかった痣になっている。
これは殴られた痕だ。
すぐに治癒魔術を掛けた。
以前、食料を奪いに来る避難民がいるとの話を思い出していた。
「もしかして食料絡みで襲われたんじゃないだろうな」
「アハハ……、説得はしてみたんだけど聞き分けがなくてね。問題にならない程度に処理しておいたよ」
処理って言うのがどういうものか気になるが、女に暴力を振るうような奴だ。
魔物の餌にされていたって俺の知ったことじゃない。
「そんな不届き者はやっちまえ。……でもなあ、怪我するまえに反撃したっていいんじゃないか? 顔を殴られるなんて……」
「少しばかり怪我をしていたほうが反撃の理由にはちょうど良いだろう?」
「そうかもしれないけど、わざわざ痛い思いをしなくてもな」
「いいんだよ、大丈夫さ。治してくれて感謝するよ、……ところで」
唐突にエイルは切り出した。
「レイキ君はこの世界についてどう思うかな?」
藪から棒に飛び出た質問。
ずいぶんと漠然としていて要領を得ない。
「この世界って、日本の事か? ミシュリーヌのことか?」
「日本だけではないさ。地球とミシュリーヌ、どうして二つの世界は一緒になってしまったんだと思う?」
どうして?
言われてみれば一度も考えたことがなかった。
読み漁っていた異世界転移ものの小説を思い出してみる。
定番と言えばなんだろうか。
ミシュリーヌの神様が呼び出したとか。
魔術を使った転移の実験してたら失敗したとか。
もしくは。
アメリカやらロシアやら中国やらが新兵器の実験をやって失敗したとか。
ミ○トとかフィ○デル○ィア・エ○スペリ○ントとかそんなやつ。
こんな大事件が自然現象で起きるわけない。
「……少なくとも誰かがやったことは間違いないんだろうな」
「ふむ、それはどうしてそう思うんだい?」
「そういう映画や小説があったからだよ」
「なるほど。ニホンジンは想像力が豊かだね」
エイルはグラスの酒を飲み干すと、お代わりを注ぐ。
ついでに、俺のグラスが空になっていたのを見て注いでくれる。
「エイルはどう考えているんだ? いろいろ研究しているから、ぼんやりと原因が想像できてるんじゃないのか?」
「いろいろなんて研究してないさ。ボクの目的はただ一つだからね。研究は一つだけさ」
研究は一つだけなのか。
あれだけ魔術や魔力について研究していたから、シャウナのように知らないことを知っていく作業が好きなのかと思っていたのに。
「そうなのか。何を研究してるんだ?」
エイルはいつになく真面目な表情で答える。
「受胎方法だよ」
俺の思考が停止する。
受胎ってなんだったっけから始まり、妊娠の事だっけかと思い当たり、子供の創り方ということか、と結びついた。
揶揄われていると言う意識がよぎるがエイルの真剣な顔を見て思い直した。
エイルの年齢は俺と同じくらいに見えるから高校生くらい。
でも、エイルはミシュリーヌの人間なわけだからもしかすると結婚も早いのかもしれない。
やることやって問題に直面したのかもしれない。
言葉を選びつつ訊ねる。
「……不妊治療の研究か?」
エイルは違う違うと首を振る。
「説明が不十分だったね。受胎はできるはずだけど、ボクたちの種族の雄は遠い昔に滅んでしまったんだ。だから、雌しかいない。ボクたちは種族が滅ばないように常にクローンを製造して生きながらえている。ボクたちの研究はさ、ボクたちと子供を創ることができる雄を生み出すことなんだ」
「クローン……」
ずいぶんSFチックな単語が飛び出してきたな。
「今回フィジカルコンバートされた世界は期待されているんだよ。魔術と闘術と呼ばれる生命体に依存する技術、進化と生物多様性と遺伝子の存在、どちらも今までに遭遇したことのない技術だ」
「フィジカルコンバート? よくわかんないな……、何の、話をしているんだ……?」
「最後に説明してあげようかなって思ってね。ニホンジンはよく言うじゃないか。――冥土の土産に教えてあげるってさ」
……。
…………。
それは渾身のギャグか何かなのか?
「お前は、なにをいってれれ……んら」
舌が回らない。
気づけば。
俺は腕を枕にして食堂机に上半身を横たえていた。
体がぐにゅぐにゅになったみたいに力が入らない。
「効いてきたみたいだね。食事はよく噛まないと駄目だよ、何か入っているかも知れないからねえ」
三日月のようにエイルの唇が弧を描く。
「何ら、急に……どういう、つもり、だ……」
「実験だよ」
「実験……?」
「レイキ君が気がついてなかっただけで、ボクはずぅっと実験していたんだよ。魔術や科学、ミシュリーヌやニホンジンについてね。ただ、上っ面の実験と調査だけじゃそろそろ限界でねえ……、もったいないけど本格的な研究に切り替えようかと思ってさ」
いままで実験していたって、一体どこでだ。
「例えば。どうしてニホンジンの中でレイキ君とヒオリ君だけが、魔力と闘気を使えると思う?」
「称号があるからだ……」
「うーん、違うなあ。レイキ君は元々の称号のおかげでわかりづらかったと思うけど、ヒオリ君はボクの実験の成果だよ。気づかないかな?」
俺と陽織が実験されていただって?
他のニホンジンと違うこと。
エイルから提供されたものは一つ思い当たるものがある。
「魔物の肉の食事、か……?」
エイルは小さく拍手する。
「正解。魔物の肉には魔力と闘気が含まれる。ミシュリーヌ人は魔素と闘素で構成された生命体だから影響はないけど、ニホンジンが魔物の肉を消化して魔力と闘気を吸収しようとすると、体が抵抗してしまう。排出されればいいんだけど最悪ショック死さ。レイキ君は解毒魔術が使えてラッキーだったね。ちなみに、ボクも魔物の肉を食べているけど魔力と闘気は身につかなかった。レイキ君たちが羨ましいよ」
エイルは心の底から残念そうに肩を落とす。
避難民が一斉に体調不良になった毒の理由はそれか。
「ミシュリーヌ人は魔術と闘術以外はパッとしなかったけど、レイキ君たち人類は素晴らしい。異世界の技術を自分の体に吸収する適応力! 身に着けた魔力と闘気を持ち前の身体能力で強化してしまう応用力! そして、何より繁殖力が高いのが最高だ」
熱に浮かれたように話すエイル。
隙だらけなので、解毒魔術を掛けようとするが、イメージを固めても魔力がついてこない。
魔術が発動しない。
そんな俺の足掻きをエイルは面白そうに眺めている。
「魔術が発動しないのはなんでだろうって顔だね。魔術の発動には複数の設定を反映させる式を構築する必要があり、式の発動には魔力を伴う。魔術の発動を阻止するには、式を構築させないか、式と魔力のつながりを破壊するか、……無詠唱魔術を使えるキミには後者の方が有効だと思っていたよ」
エイルは銀色の液体が入った試験管を指先でクルクルと回す。
「俺たちを、どうする気だ……?」
「遺伝子の解明とボクたちの種族との交配研究に利用させてもらうよ。ヒオリ君の中にいる神獣にも興味があるんだ。神技だっけ? 再構成魔術はもしかするとボクたちの目指すモノかもしれない。……サナトリウムの連中が目を付けた神獣をボクが横取りってのは悪い気もするけど、早い者勝ちだからね。いやぁ、忙しくなるなあ」
「開花は、どうする気だ? 明日の、話なんだぞ……!」
「どうにでもなるさ。ヒオリ君は最悪ラボで凍結保存かな。魔力と闘気が流動しないようにすれば、神獣と言えども動けないはずだしね」
なんでもないことのように言い放つエイルに俺は寒気を覚える。
こんなにも圧倒的に進んだ文明を持つ種族がいたなんてこれっぽちも気づいていなかった。
そもそもこの世界はミシュリーヌだと思い込んでいた。
地球がミシュリーヌの世界に転移してしまったのだと。
違うんだ。
この世界は、エイルたちの種族が作り出した異世界に、地球とミシュリーヌが転移させられたということなのか。
「エイルは……ミシュリーヌの人間じゃないんだな」
「そうだよ。ボクたちはフェミニュート、この仮想世界を作った種族だよ」
エイルはポケットから拳銃を取り出す。
先端に小さな電流が奔っている。
電撃銃だろうか、あれを喰らったら気絶してしまう。
「それじゃあ、そろそろおやすみ。次にレイキ君が目覚めるときには、きっとボクの子を作れる雄に生まれ変わっているだろうさ。……人間の姿のままかどうかはわからないけど。それはしょうがないよね、不可抗力だもんね」
何か、何か使える魔術はないのか。
魔力のつながりがなくとも使える魔術はなかったっけか。
せめて、陽織とシャウナに念話魔術を。
エイルの電撃銃が発射される。
鋭い痛みを肩に感じた。
薄れゆく意識の中、念話魔術を発動させようとして失敗した。