第十七話 「幼馴染の至福」
ドラゴンとの戦いから六日目。
勇者が現れる気配はない。
そして、陽織は模擬戦の参加を控えるようになった。
神獣イルミンスールの力が戻るにつれて陽織の力も強くなっていったが、全身がだるく疲れやすくなったと零すようになった。
勇者は間に合わないかもしれない。
俺は漠然とその事実を反芻していた。
陽織は俺の寮部屋のベッドで横になっている。
自分の寮部屋があるくせにここで寝ると言うもんだから俺は床で寝る羽目になっている。
が、文句を言うつもりはない。
得体のしれない体の不調に蝕まれているのだから不安にもなるだろう。
話し相手くらい楽なもんだ。
「気分は大丈夫か?」
「……微熱っぽいくらいかな。気持ち悪いとか、体を動かせないとかはないし」
陽織の顔を見る限りでは平常に見える。
実際の体調は本人しかわからないけどね。
俺もドラゴン戦の大怪我をしたときはやせ我慢していたしな。
「困ったことがあったら言ってくれ。何でも持ってくるぞ」
俺は暇をしていた。
シャウナは昼夜を問わず、魂喰いの剣を砕く武器の制作に没頭している。
そのため模擬戦はお休みだ。
俺は一人で自主練習をしている。
自主練習も午前一杯やれば十分なのであとは寝るまで自由時間だ。
「じゃあ、甘いもの食べたーい!」
「こんなこともあろうかと、今日はデザートがある」
俺は隠し持っていた缶詰めを取り出した。
「フルーツポンチ? どうしたの、そんなもの」
「家捜ししているときに偶然な」
「ふぅん、どこへ行ってきたの?」
「俺と陽織の家だよ」
「……どう、なってたの?」
俺と陽織の家は八王子方面にある。
俺がサモン・ライディングワイバーンを召喚できるようになる頃には、ドラゴンが飛来する危険地帯になっており、おいそれと近寄ることができない地域になっていた。
ドラゴン戦の後、強くなった俺は腕試しを兼ねて家の様子を見に行ってきたのだ。
「家はめちゃくちゃだったけど、母さんも紫園さんもいなかった。で、俺の家にこんな書置きがあった……」
紫園もとい、神水流紫園は陽織の母親のことだ。
書置きを陽織に渡すと食い入るように見つめる。
内容は以下の通り。
『――玲樹ちゃん、陽織ちゃんへ。
母さんと紫園ちゃんは車で新潟へ行きます。
実家に避難させてもらえることになったので、もしここに来たら実家を訪ねてね
――母さんより』
この馴れ馴れしい態度、丸っこい女子高生っぽい字、間違いなく俺の母親の字だ。
新潟には祖父母が住んでいる。
日本海側の事情は分からないけど、避難先としてはちょうどいい。
祖父母は人が良いし、実家の部屋も無駄に多い。
陽織のお母さんを住まわせるくらい快く引き受けてくれるはずだ。
「俺の家の車はなかった。車で移動して、運が良ければ新潟にいるんだと思う」
「そっか、良かった……」
陽織は書置きをそっと抱きしめ、目元を抑えた。
「勇者とか神獣とか全部片付いたら、新潟に行こう。もっとマシなものも食べれるだろうしな」
「そうね」
さて、陽織が寝るまで適当に暇をつぶすとするか。
今日はシャウナから本を借りてきたのだ。
と思っていたら。
陽織はもぞもぞと布団から抜け出すと、ベッドをポンポンと叩いた。
「玲樹、ここに座って。壁に寄りかかって」
「……? おお、わかった」
言われるままにベッドに乗る。
陽織が指し示す通りに、壁に背を預けてベッドに足を延ばして座った。
「よいしょっと」
陽織は俺の前に腰を下ろすとごろんと背を預けてきた。
俺と陽織を包むように掛け毛布を被せてくる。
「えへへ……」
ニヨニヨと陽織はだらしない笑みを浮かべている。
「なんだよ、急に笑い出して……」
「べっつにー、なんでもありませーん」
いつも以上にべったりとしたがる陽織。
そういえばと思い出す。
お互いに告白した俺たちは恋人扱いなのかな、と。
そもそも恋人らしい事ってなんだ。
いまいち距離感がわからないままなんだよな。
それはさておき、俺は陽織の前で本を開いた。
「これは何の本なの?」
「魔物図鑑だ。全種類じゃないらしいんだけど、ミシュリーヌの、天界、地上、魔界、に住んでいる魔物が書かれているんだと」
「ふぅん、勉強ってこと?」
「いや、いままで魔力が足りなくて召喚できなかった魔物も、魔力が増えたから召喚できるようになっているはずなんだ。特に知性を持つ魔物、例えば悪魔とかは召喚できなかったんだけど、勇者との戦いで戦力になるかもしれないし、召喚魔術の実験しておきたい」
「悪魔なんて呼び出して大丈夫?」
「召喚できるなら問題ないんだ。召喚者が制御できない魔物は召喚できないから」
「そっか。ならさ、可愛い魔物を呼び出してよ」
陽織はペラペラと魔物図鑑のページを捲り出す。
「可愛いのってお前ね。戦わせるんだぞ、強くないと困るわ!」
陽織は話を聞かない。
ペラペラと先へ進むページが止まった。
「あ、この子は可愛い」
「ええ~……」
陽織が指差した魔物は、大きな目玉を持つ球体の悪魔。
ビボルダーであった。
やっぱり陽織の好きなものセンスはズレている。
あれ、その論法でいくと陽織に好かれている俺はゲテモノってこと?
「どうしたのよ、玲樹」
「なんでもないです……」
若干ブルーな気持ちになりつつビボルダーの注釈に目を通す。
ビボルダーとは。
体の半分以上が目玉であるが、知能は高く、年月を経たビボルダーは強力な暗黒魔術と視線魔術と呼ばれる特殊な魔術を得意とする。
「せっかくだし、試しに呼んでみるか」
俺は召喚魔術を発動させるとビボルダーを召喚する。
白く輝く魔法陣から一抱えもあるボール大の丸いものが飛び出してきた。
陽織は猫よろしく素早い動きで巨大ボールを捕獲する。
「かわぃぃ~~~ぃ! やわらかぁ~い!」
丸い胴体をがっしりと捕まえたまま抱きしめる。
表面はゴム毬のようにむにゅむにゅとした柔らかさとつるつるとした感じである。
クリクリとしたつぶらな瞳がなかなか……いや、やっぱ可愛いくねえ。
『……主殿。我を助けてくだされ……』
陽織に愛されるゴム毬は困ったような声で言った。
可哀想だとは思うが、陽織が興味を示したものを奪い取るのは至難の技だ。
すまない。
これからはバランスボールとして生を全うしてくれ、ビボルダーは犠牲になったのだ。
それよりも気になって仕方がないことがある。
「お前どっから声出してるんだよ……」
ゴム毬もといビボルダーに口はない。
目玉しかない奴がどうやって会話しているのか疑問でしかなかった。
『我ら悪魔は言語を持たぬ故、ほとんどの悪魔たちは念話魔術で会話するのであるよ。ところで我を呼び出したなら命令をするのである。用件はなんであるか?』
「いや、特にないよ。ビボルダーを見てみたかっただけ」
ビボルダーの目玉からハイライトが消えた、様な気がした。
『酷いのである。……いや、主殿はいつも気まぐれであるから仕方ないであるか』
さすがに可哀想になってきたので何か頼むことにする。
「しいて言うなら知識が欲しいかな。戦闘で役立つ魔術の使い方とか教えてくれないか?」
『魔術であるか。そうであるなあ……我は暗黒魔術が得意であるが故、暗黒魔術の有用性について語ろうではないか』
「私は魔術使えないし、好きにやってて~……」
と、陽織はまったく興味がないようでビボルダーを可愛がり倒している。
ビボルダーも陽織は置いておいて語り始めた。
『時に主殿は暗黒魔術の使用はどの程度であるか?』
「まだ、一回も使ったことない。戦闘で使う機会もなくてな……」
暗黒魔術は、生贄を使って暗黒の儀式を催すような悪い司祭が使う魔術だ。
催眠魔術だったり、誘惑魔術だったり、攻撃魔術よりも状態異常を誘発する魔術効果が多い。
悪い司祭は活きの良い生け贄を用意しないといけないからね。
対抗するには、抵抗魔術を掛けておく必要がある。
『主殿の魔力は高いのである。大抵は力技で勝てるはずであるが……、もし攻撃魔術を完璧に防ぐ敵が現れた場合はどうするのであるか?』
「攻撃魔術がダメか……、うーん、念力魔術で巨大な岩をぶつけるとかか?」
『物理攻撃をするのならば、上級の魔術を連発したほうが良いであるな』
そうなると手も足も出ないな。
召喚魔術でバリアを突破できそうな魔物を召喚するくらいだろうけど、俺が突破できないものを召喚獣にできるとは思えない。
「わからん。手がないなあ」
『こういう時こそ暗黒魔術の出番であるよ。抵抗魔術が掛かっていなければ、どんな強力なバリアに守られていても無意味なのである』
「バリアを貫通できるってことか?」
『左様である。暗黒魔術は五感から相手に効果を与えるのである。誘惑魔術、洗脳魔術、石化魔術、この辺りは視線が合うと相手は魔術に掛かるのである。敵が抵抗魔術を持っていない場合は有効な手段であるな』
「どのくらいの距離まで有効なんだ?」
「相手の視力の良さに関係するのである。だから、目のない相手には効かないのであるな」
「なるほど」
俺の魔力障壁魔術を破るには接近戦を仕掛けないと不可能という局面は多い。
特に闘術をメインに戦う者はそうなる。
いままでは集束した魔術で切り抜けていたけど攻撃魔術が効かないならこの作戦は破たんする。
誘いこんでから暗黒魔術で無力化する策は覚えておいた方が良さそうだ。
「抵抗魔術は貫通はできるのかな?」
『貫通するのである。抵抗魔術はあくまで魔術に対する抵抗力を上げる魔術。誘惑魔術、洗脳魔術などは精神力の強さで掛かりが変わるのである。信ずるものは救われる、とはよく言ったもので……あああぁぁぁぁぁ、主殿、主殿――!』
突然、ビボルダーが喚き始めた。
何事かと見やる。
長い話に飽きてしまったのか陽織がビボルダーに抱きしめたまま寝こけていた。
それだけならば良いのだが、だらしなく開いた口からでろぉぉぉんと涎が垂れつつあった。
「……まったく……」
俺はハンカチで陽織の口元をぬぐってやる。
口を閉じてビボルダーの上に固定してやる、これでよし。
陽織の口元がにへらと笑う。
夢でも見ているのだろうか。
『……結局助けてはくれないのであるな』
ビボルダーの恨めしそうな声が響く。
やめろ、そんなペットショップに展示されている子犬のような目で俺を見るな。
「飽きたら離してくれるよ、きっと」
『冷たいのである。……話を戻すのである。暗黒魔術は強敵に対しても通用するので、積極的に取り入れていくと良いのである。それと、我は暗黒魔術を使った戦闘方法を説明したのであるが、情報収集や尋問などに利用したい場合は別の者が詳しいのである』
悪魔同士でも交流があるらしい。
一体どんな光景なのか気になるな。
「誰なんだ?」
『マインドフレアである。あ奴は暗黒魔術を得意とする悪魔の拷問官、えげつない手であればいくらでも思いつく悪魔一のサディストである』
マインドフレアってどんな奴だ。
魔術図鑑を探してみると載っていた。
見た目はイカである。
違う。
イカのような頭部を持つ悪魔で、暗黒魔術を用いた精神操作を得意とする、と書いてある。
「大丈夫なのか、そいつは? あんまり会いたくない感じだけど……」
『困ったら呼んでみるのも手であるよ。優秀な奴である』
「そっか……、まあ、考えておくよ」
ビボルダー一押しの悪魔、マインドフレア。
彼を呼び出すことはなかろう。
高校生の俺が誰かを拷問にかけるなんてことが起きるはずもないからな。
「暗黒魔術で出来ることは、他にはないのか?」
『そうであるな……』
ビボルダーの暗黒魔術の講義は続く。
俺は戦闘方法に加えて、暗黒魔術の活用方法に詳しくなれた。