第十六話 「先生の憂鬱」
ドラゴンとの戦いから五日目。
勇者が現れる気配はない。
ここは、規則正しい金属音が鳴りわたる技術教室。
「先生、機嫌を直してくださいよ……」
カァン、カァン、カァン、と槌が振り下ろされるたびに火花が飛び散り、熱気が噴き上がる。
ゆだるような暑さの中で俺はシャウナに謝り倒していた。
「私は機嫌など悪くありません」
「ええ~……、じゃあこっち向いてくださいよ……」
シャウナは昨日から一度も目を合わせてくれない。
いまは剣を制作中だから仕方ないにしても、だ。
ご飯を持ってきても、差し入れのお菓子を貢いでも、清潔魔術で汗だくの体を綺麗にしてあげても、まったく目を合わせてくれない。
「いま忙しいんです、見てわかりませんか?」
「わかり、ます、けど……」
視線を合わせてくれないだけで邪険にされているわけじゃないんだ。
魔術でわからないことを質問すると教えてくれるけど、やっぱりツーンとしている。
どう考えても前回の模擬戦のことを根に持っているとしか思えない。
シャウナの手が止まった。
槌を置いて右手をこちらに突き出してくる。
「……魔力が無くなりそうです。魔力供給魔術してください」
「はい、手を貸してください」
魔力供給魔術は、魔力を譲渡する魔術だ。
シャウナの鍛造方法は特殊で魔力を大量に消費する。
普段は魔力が回復するまで休憩するそうだが、勇者が来るまで時間がないので魔力回復をしてあげることで効率を上げている。
シャウナの右手を手に取る。
熱く、やや汗ばんでしっとりとしていた。
「なんですか?」
「いや……、力仕事なのにゴツゴツとした指じゃないなと思いまして。マメもないし」
決してしなやかな指先を堪能したいとか疚しい心はないんです。
「ミシュリーヌの生命体は魔素と闘素で構成されています。私たちの肉体は魔力総量と闘気総量の増加と減少により変化します。ニホンジンのように肉体を酷使することにより肉体に変化が起きることはありません」
じゃあ、シャウナが大量の魔力と闘気を失ってしまったら、ワガママな胸とキュートな尻は失われてしまうということなのか!?
「じゃあ、先生が大量の魔力と闘気を失ってしまったら、…………見た目が変化するってことですか?」
シャウナは胡乱げな視線を向ける。
「何か視線が気になりますが……、その通りです。具体的には怠けや老い、あとは病気でしょうか。ニホンジンもそうでしょう? 鍛えない筋肉は衰えると書物に書いてありましたよ」
「確かに、そうですね」
部活をやっていた奴が帰宅部になると、急に太ったりとかするしな。
年齢を重ねてお爺ちゃんお婆ちゃんになれば筋力は落ちていく。
ただ、俺と陽織は何かが違うように思う。
「昨日の模擬戦で陽織を見ていて思ったんですけど、元々鍛えていた筋力に闘気の強化能力が上乗せされている気がするんです。昔の陽織を知っているからか全然動きが違うように見えたんですが……」
陽織だけの話ではない。
俺も確信はないものの、魔術素養に補正が掛かっているような気がするのだ。
顕著なのが魔術の設定だ。
まだ何か知らない設定が隠されているに思えてならない。
規模、座標、効果、配列、複製、保存、この先に連なる設定をもやもやと感じるのだ。
「非常に興味深い話ですね」
シャウナの瞳がキラリと輝く。
しめしめ、食いついてきた。
シャウナは新しい知識や技術について知ることが大好きな性格であることを最近わかってきた。
面白そうな話題からシャウナの気を引く作戦である。
シャウナは楽しそうに持論を語り出した。
「レイキの考える通り、いままでニホンジンは筋力を鍛えることでしか己を強化する術はありませんでした。しかし、ヒオリは闘気を使えるようになり、己を強化する手段を増やした。ヒオリは筋力を闘気で強化しているので、あれ程の力が出せるのかもしれません。もしかすると、レイキも元々持っていたニホンジンの能力を魔力で強化しているため、本来気づかれなかった魔術の設定について理解できているのかもしれません。レイキとヒオリは、ニホンジンとミシュリーヌ人の能力を併せ持つ新種族と言えるかもしれませんね」
「そんな大層な話ですか……? ニホンジンは誰でも同じように強くなると思いますけど」
「それはどうでしょうね。避難民は称号の習得をできていません。いろいろと考えてみましたけど、レイキが称号を継承できた理由も、ヒオリが称号を習得できた理由も、さっぱりわかっていません。レイキやヒオリが特殊なんです」
シャウナは称号の習得、譲渡、継承について説明してくれた。
俺が魔王の称号を手に入れたのも、陽織が狩人の称号を習得したことも特殊な事情があるみたいだ。
「日本人というか地球人が特別ってことじゃないんですか? 称号の取得条件がミシュリーヌ人と違うとか?」
「その可能性は考えてみました。ですが、称号を手に入れる前提条件として魔力と闘気を持つことが第一です。もし、魔力と闘気がなくても称号を手に入れられるのであれば、他のニホンジンも日々の生活の中で称号を習得していてもおかしくありません。称号は戦闘のみで習得できるわけではありませんからね」
シャウナはいつもの眼鏡を掲げる。
この魔法道具は称号を見ることができるんだっけか。
「ここ三か月の間、避難民を観察していましたが称号を習得した者は居ません。ですから、称号の取得条件はミシュリーヌ人と変わらないはずです。イレギュラーなんです、レイキとヒオリは」
「そっすか……」
大きすぎる……修正が必要だ……、とか言われたりしないだろうな。
「大げさに話しているつもりはありませんよ。普通のニホンジンは、魔力と闘気を持っておらず、能力を見ても歴然とした差があります。レイキとヒオリはニホンジンとは異なる生命体と言えるでしょう」
異なる生命体と言われてちょっとへこむ。
「なんか、それは……嫌ですね。俺は人間ですよ」
皆と違うというステータスは好きだけど、皆と別の生き物ってのは寂しい。
でも、わからんでもない。
避難所の人に魔術を使えることを教えていないのは、面倒ごとを頼まれたくないって気持ちはあったけど、得体のしれないモノを見るような眼で見られたくない気持ちがあった。
陽織に話せたのは心打ち解けた幼馴染だったからだ。
信用していたからきっと拒否されないだろうと思っていたからだ。
「あ……、ええっと、言葉が悪かったかもしれませんけど、レイキがニホンジンでなくなったわけではありません。私も元々は獣人族ですが、いろいろあって獣人族の特徴を持った魔族という曖昧な存在です。種族としては私一人しかこの世に存在していませんが、それは悪いことではないと思いますし……って私の事はどうでもよくてですね……、あの、その……レイキはレイキだと思いますから」
シャウナがあわあわと言葉を取り繕う。
「心配してくれるんですね。ありがとうございます、先生」
俺はにこっと笑いかけてみる。
シャウナの獣耳がピンと立ち上がる。
さっと顔を逸らされた。
「心配などしていません……! ――辛気臭い顔をされると気が滅入るんです。さっさと魔力供給魔術をしてください。いつまで手を握っているんですか」
いけね、完全に忘れていた。
「すいません。只今」
魔力供給魔術で一気に魔力を流し込む。
「ひゃぅ!?」
シャウナがその場で飛び上がらんばかりに、体が跳ねた。
「やっべ……?!」
魔力供給魔術は魔力が違うもの同士で行う場合、特に魔力総量が多い者から少ない者へ受け渡すときは、大量の魔力を一気に渡してはいけないと言われていたのを忘れていた。
この調節が難しいのだ。
こんな感じかなあで流すと今のような事態になる。
不意打ちでキンキンに凍ったタオルを首筋に押し当てられるのと同じような感覚だとか。
涙目でプルプルと怒りに震えながらシャウナは言う。
「レイキ……、急かした私も悪いですが、何度目ですか! 気を付けてください!」
「すいません……」
渡す魔力量を調節して魔力供給魔術を再開する。
「ついでなので綺麗にしておきます」
俺は清潔魔術をシャウナに掛ける。
汗に濡れた肌も水気を含んだシャツも殺菌され不浄物はすべて分解された。
シャウナがどこか気まずい表情でこちらを見ている。
「まずかったです? やはり、服は手洗いですかね」
私の衣服はすべて手洗いが基本なんですと言われれば、一着一着を丁寧に手洗いするだろう。
毛皮のマントは押し洗いで全体的に、袖口は掴み洗いで細かいところまで洗い落とす。
肌着や下着は振り洗いで、もちろんマジマジと見たりはしない。
紳士的に機械的に洗浄するのだ。
「いえ、私が言いたいのはそんなことではなく……。そもそも、庶民の衣服ではないので水で洗うようなことはいけません。私の衣服はすべて魔法道具なので」
「ありゃ、そうですか」
あらやだ、聞きました奥様。
魔法道具は洗濯禁止なんですって。
陽織にも魔法道具を渡してあるけど洗濯してないだろうな。
まあ、アクセサリーだから洗濯することはないか。
俺が別の事を考えていると、シャウナが奇妙な行動をはじめた。
シャウナはスンスンと鼻を鳴らしている。
マントに鼻を寄せ、シャツに鼻を寄せる。
何をやっているんだろう。
「レイキはいつも私に清潔魔術を掛けてきますけど、その……何故ですか?」
「え……深い意味はないですけど。汗だくだと気持ち悪く感じません?」
俺は自分自身が、顔が油でベタベタ、服まで汗びっしょりって状態が嫌いだ。
汗をかいたり一日の終わりには必ず清潔魔術を使う。
さらに毎日シャワーは欠かさない。
清潔魔術だけでは、なんとなくサッパリした感じがなくて気になるからだ。
「その、……私の臭いが気になるからとか、です、よね……」
「はい? 先生の臭いは気になりませんね、いい匂いだと思いますよ」
シャウナは獣人族。
獣耳も獣尾も生えているから犬みたいな臭いがするのかと言われればそんなことはない。
香水や化粧はしていないけど、日向の匂いというか僅かな甘い香りというかそんな感じである。
「良い匂いと言われるのも恥ずかしいですが……、変なことを聞いて失礼しました」
どこかほっとした様子でシャウナは言った。
無駄話をしているうちにシャウナの魔力が満タンになった。
「魔力供給魔術終わりましたよ」
「……ありがとうございます。もう行っていいですよ」
シャウナは手を引っ込めると、再び槌を振るいはじめた。
互いに無言のまま金属を叩く音だけが響く。
俺はシャウナの様子を観察しつつ会話のタイミングを待つことにした。
シャウナの武器制作方法は面白い。
シャウナは火魔術と水魔術と風魔術と土魔術の基本をすべて無詠唱で使える。
無詠唱で全属性魔術を使用することで、炉、鞴、金床、などの設備をすべて代用できるのだ。
本当は鍛冶師だけでなく、柄を拵えたり、装飾をしたり、刃を研いだりする職人も必要だと思うんだけど、シャウナは一人でやってしまう。
鍛造も非常に特殊だ。
召喚魔術で生み出したデモンズタイトと呼ばれる鉱石。
デモンズタイトを魔力吸収度が最大になるまで鍛造して、刀身のデモンズタイトを高純度の魔力で置換して錬成する。
魔力は目に見えず固定化できないエネルギーそのものであるが、物質と置換することで固体に変化するらしい。
シャウナ曰く、先代より継承した鍛冶神の称号だけがつかえる置換鍛造と呼ばれる技術らしい。
金属を叩く音が響く。
キィン、コォン、カァン、コォン、と鳴りわたる。
なんだか学校のチャイムみたいな音になっているけど大丈夫だろうか。
「……しばらく魔力供給魔術は必要ありません。気が散るのでどこか行ってください」
「せめて先生の機嫌が治ってくれないと。俺は気になって夜も眠れないんですよ……?」
できるだけしょんぼりと、できるだけ悲しそうに語り掛けてみる。
シャウナは、はぁとため息を吐く。
「私が勇者と戦っている理由についてお話ししましたっけ?」
「魔王の称号を持っているからですよね」
「その理由もありますが、私も勇者に用があるのです。勇者の持つ魂喰いの剣には二人の親友の魂が囚われています。私は彼女たちを解放するために勇者と戦っています」
「と言うと、機嫌が悪いのは勇者と戦うには俺の力が弱すぎるからってことですかね……」
「違います。二人は、私の教え子でした。教え子と言うよりは勝手に教わりに来たという感じですが……、ともかくレイキのように、先生、先生、と勝手に呼んでくるような子たちです」
「はぁ……、なるほど」
「……私は生きていた中で、先生、と呼ばれたことは何度もあります。パッとしない者共が多いですが、中には凄まじい成長を見せる者もいて……、特に勝手に先生と呼んでくる人はだいたい私より強くなります。ええ、それはもう間違いなく一部の例外もなく」
語尾に力がこもっている。
ガィィィンと力任せに槌を振り下ろした音が聞こえた。
「そんなジンクスがあるんですね……」
「私より強くなったのなら適当に巣立ってくれればいいものを、いつまでも、先生、先生、と呼ばれるのです。馬鹿にされているように感じます」
「いや、でも。先生は、生徒にとってはいつまでも先生なんじゃないかなって……」
ぶすっとしたシャウナの声が返ってくる。
「私がいつ貴方を生徒にしましたか?」
「……そう言われると勝手に呼んでいるだけですね」
じゃあ俺が先生をぶっ飛ばしてからも先生と呼び続けたことで怒っているという事か。
俺も陽織のようにシャウナと呼びべきなんだろうか。
しっくりこないんだよな。
シャウナが槌を止めて、ジロリと俺を睨む。
「先生云々はどうでもよいです。……未熟な私がレイキに嫉妬しているだけです。心の狭い女だと嗤えばいいんです」
「そんないじけないでくださいよ、先生。確かに俺のほうが強くなったのかもしれませんけど、魔術や闘術の知識は先生に敵いませんよ。だから、先生は俺の先生です。これからも俺に教えてください」
「……好きにすればいいです」
シャウナは背を向けて作業を再開する。
「魔力供給魔術が必要になったらまた呼んでください」
俺はそう告げると、技術教室を後にした。
槌が金属にたたきつけられる音が聞こえてくる。
カァン、カァン、と小気味の良い音が廊下の端まで響き渡っていった。