第十四話 「作戦会議」
俺は目覚めた。
もう目覚めることはないと思っていたのに、視界に入ってきたのは眩い日差しだ。
見慣れた天井が目の前にある。
淵ヶ峰高校の男子寮の自室。
どうやら俺は羽田空港から助け出されたらしい。
俺の全身の怪我はどうなったのだろう、掛け毛布から手を出す。
掌を見る。
腕を眺めた。
ズルズルに焼け爛れていた俺の皮膚は綺麗な肌色になっている。
腕の骨折もない。
俺の怪我は全快していた。
「玲樹……?」
横から声を掛けられる。
聞きなれた幼馴染の声に安堵を覚えた。
日差しを遮る影を見やる。
いつもの学生服姿で陽織がベッドの横に座っている。
俺が目覚めるまでここで待っていてくれたのだろうか。
「陽織!」
「ぅわ、っきゃぁ!? ちょ、玲樹!」
俺は掛け毛布をはね除けて、陽織を抱きしめた。
陽織の体が強張り耳が茹で蛸のように真っ赤になった。
「あのね、ちょっと、……硬ッ、……熱ッ!? ちょ、玲樹、……当たって、る、からぁ……!」
「陽織、無事でよかった。あのまま死んだかと思った……」
「れ、玲樹、……嬉しいのはわかるけど、落ち、着い、て……!」
「あのまま、俺がゾンビになってたらと思うと、……ほんとに良かった……」
陽織の手があっという間に俺の腕を捻りあげた。
「落ち着きなさいって、言ってるでしょ――ッ」
「うぼぁ!?」
視界が一回転して、宙を舞う。
俺の体はベッドに思い切り投げ飛ばされた。
呆然とする俺。
陽織は顔は背けつつ視線はチラチラと向けつつ口を開く。
「頭冷やして、服を着たら、外に来てちょうだい……ロビーで待ってるから」
真っ赤な顔のまま陽織は足早に部屋を出ていった。
俺は自分の姿を改めて見た。
全裸であった。
修正なしの真っ裸である。
俺は五分ほど自らの行動に身悶えしてから、身支度を整えてロビーに向かった。
男子寮と女子寮は行き来ができないように壁で区切られている。生活空間での逢い引きを防ぐためと思われる。
だが、建物の形がYの字状になっているため入口は一つになっている。
さらに、ロビーは丸テーブルとイスが置かれており、待ち合わせや自習室として使われていた。
壁で区切られている意味がないんじゃなかろうか、と学生時代に思っていた。
「よう、お、おはよう」
「おはよ……」
ロビーにいた陽織に声を掛ける。
「悪い、さっきは動転しててさ……ごめん……」
「気にしてないし、大丈夫だし、ほんと……」
互いにぎこちなく挨拶を交わした後、いまの状況について説明してもらった。
羽田空港でドラゴンと戦ってからすでに三日経過していること。
シャウナとエイルが俺たちを助けにきてくれたこと。
二人が助けてくれたことに心の底から感謝する。
あの場に放置されていたとしたら、俺は死んでゾンビとなり、陽織も魔物に襲われて死んでいただろう。
ただ、治療を施したのはシャウナでもエイルでもないらしい。
「朝からお熱くて何よりですね」
ささくれ立つ声音に横を見ると、シャウナが歩いてくる。
ジットリとした眼差し。
引き結ばれた口元。
「どうしたんですか、先生? なんか、その……」
「なんでもありません。私の心配より自分の心配をしたらどうですか。色に浮かれているからドラゴンごとき相手に死にかけるのです」
「はあ……、すいません」
相当に機嫌が悪そうだ。
なんでもないとは思えなかったけど追及はやめておく。
触らぬ神に祟りなし、だ。
が、神に挑む者がいた。
「イライラしてるからって、玲樹にやつあたりしないでくれる?」
「……真面目な話をするから集まってほしいと声を掛けているのに、いちゃついている貴女に言われたくありませんね」
陽織は腕組みして仁王立ち。
シャウナは尻尾を立てて毛を逆立てさせている。
この二人がサシで話しているのは初めて見る気がするな。
と、俺は違和感に気付いた。
「あれ? 陽織、お前。先生の言葉わかるの?」
「わかるわよ」
俺がスヤスヤと寝ている間に何かが起きたらしい。
「それも含めて説明をするので、まずは座ってください」
シャウナの一声に俺たちはそれぞれロビーのイスに腰かけた。
シャウナはしばらく黙ったままだった。
ずっと何かを考えるように一点を見つめていたが、整理がついたのかゆっくりと口を開いた。
「……いま、ヒオリの体には二つの魂が存在しています。ひとつは、ヒオリの魂。もうひとつは、神獣イルミンスールの魂です」
「……テルミンスープ?」
なんとなくダウジングマシンのような楽器が頭を過る。
「イルミンスールです。ミシュリーヌの創世時代から生きている最強の魔物の一体になります。信奉者もいるので魔物と言うと怒る人もいますが、性質の悪い魔物です」
「それが何で陽織の中に?」
「詳細はわかりませんが、イルミンスールは何者かに倒されてしまい、魂だけの存在となってさまよっていたようです。そして、陽織に交渉を持ち掛けた」
シャウナの話に続けて、陽織が先を話す。
「イルミンスールは魂を休ませて力を回復できる肉体の依代を探していたみたい。だから、玲樹を生き返らせる条件で依代を引き受けたの」
「……俺が助かったのは、陽織のおかげだったんだな……。ありがとう」
「玲樹のこと、大事だから。玲樹も立場が同じだったら、同じようにしてくれたでしょ? 玲樹が私を……」
「黙ってください。説明が途中です」
シャウナがぴしゃりと陽織の言葉を遮る。
素早いノロケ封じであった。
「重要な話はここからです。いまイルミンスールは眠っています。ですが、時が立てばイルミンスールはどんどん回復して元の力を取り戻していきます。そして、イルミンスールが力を完全に復活させたとき、開花が始まります」
また新しい単語が出てきたな。
「開花ってのはなんです?」
「イルミンスールは復活する際、邪魔なものを周囲から消し飛ばすために膨大な魔力を暴走させて大爆発を起こします。それが、開花です」
開花の大爆発が起これば、淵ヶ峰高校周辺は跡形もなく消滅。
ここにいる全員が死ぬことになる、と説明された。
「えっ!? それって、まずいですよね」
皆で逃げようってわけにはいかない、陽織を中心に大爆発するのだから。
「陽織、開花のことはイルミンスールは説明していたのか?」
「してたわよ。……それでも、玲樹を生き返らせたかったの……ごめんね、勝手なことをして」
「生き返らせてもらったのに、そんなこと言うかよ。気にすんなって」
俺は肩を落とす陽織を慰める。
生き返らせてもらったのに恨み言を言う気はさらさらない。
むしろ、これからだ。
どうすれば陽織を救える? 開花を止められるんだ?
パッと思いついたことを口にしてみる。
「開花を止めるために、イルミンスールを殺すことはできないんですか?」
「肉体ごと破壊するなら可能ですが、イルミンスールはいつでも開花できると言っていたので、やめておいた方が良いでしょうね」
「陽織を殺すのは論外です。イルミンスールの魂だけを破壊する魔術とかないんですか?」
「魔王の称号を手に入れたのなら、わかっているでしょう?」
「うぐ……」
魂を直接攻撃する魔術は存在しない。
魂の座標を指定できれば破壊できるのかもしれないけど、魂の座標って想像がつかない。
精神を破壊する魔術を応用すれば魂への攻撃もできるかもしれないけど、……時間がかかる。
「開花するまでの時間はどれくらいあるんですか? 予想とかでもいいんで……」
「一週間程度でしょうか。すでに三日経っているので、あと四日ですね」
「マジか……」
たった四日かよ。
詰んでるじゃないか。
陽織は俺を手をそっと握る。
「玲樹、あきらめないで。私に考えがあるの」
「考え?」
「シャウナ、勇者が持つ剣、魂喰いの剣で殺された魂はどうなるの?」
文献での話になりますけれど、と前置きしてシャウナは答える。
「魂喰いの剣で殺された者は、剣に囚われて眠りにつくと言われています」
「眠っている間は何もできないのよね?」
「できません……が、神獣が眠るのかどうかはわかりません。魂喰いの剣で神獣を殺した者は誰も居ませんから」
「あ、そういうこと?」
俺はポンと手を叩く。
①勇者を倒します。
②奪い取った魂喰いの剣で陽織を殺します。
※陽織を痛くしないように気をつけること。
③陽織とイルミンスールの魂は魂喰いの剣で眠りにつきます。
④イルミンスールの魂は眠っているので開花は発生しません。
なるほど、と思ったが疑問がわく。
「陽織とイルミンスールの魂を魂喰いの剣に入れてしまうのはいいですけど、囚われた魂はどうやって開放すればいいんですか?」
「魂喰いの剣の刀身を砕きます。以前の所有者である魔神も、敗れたときに剣は砕かれたそうです。解放された魂は無事に召されたと」
「召されたらダメじゃないですか」
「だから、玲樹が蘇生魔術で生き返らせてくれればいいのよ。シャウナも生き返らせたんでしょ」
「俺の蘇生魔術は死体がちゃんと残っていないと生き返らせられないんだよ。魂喰いの剣で殺した時の傷が原因で蘇生がうまく発動しないかもしれない」
「その心配はないと思いますよ。レイキはイルミンスールに蘇生してもらったときに、体を再構築されたそうなので。自分の魔力総量が大きくなったのがわかりませんか?」
「えっ?」
言われて自分の体を観察してみると、感じる魔力量が桁違いに上がっていた。
ぜんぜん気が付いていなかった。
魔力総量の増えていると共に、魔術のイメージ構築の精度もぐんと上がっている。
「マジかよ。全然気が付いてなかった……」
「レイキを蘇生させた再構築魔術は、神技と呼ばれる神獣が使う魔術や闘術のようなものです。なんらかの突然変異で強大な魔力や闘気を手に入れた生物は、己の制御ができずに振り回されることになりますが、再構築魔術はレイキの元々の体を基礎に一から作り直すものなので馴染んでいるんでしょうね」
「なるほど」
「……ふん」
コツンと陽織から肘鉄を喰らう。
いかん、話が脱線した。
「蘇生はできるとして、イルミンスールも一緒に蘇生するんじゃないですか?」
「それは大丈夫でしょう。生命体は肉体と魂が繋がりを持っています。蘇生魔術は繋がりを基に蘇生が行われるので、イルミンスールは陽織が受け入れない限り体には入れません。肉体と魂の関係はゾンビを例にするとわかりやすいですね。死体がゾンビになるのは、魂が召されてしまって肉体の所有権が誰のものでもなくなってしまい、幽霊や怨念に操作されて動き始めるんです。そもそも魂とは……」
「余計なうんちくいらないから。話進めてくれる?」
興に乗ったシャウナの長い話が始まるかと思いきや、陽織がバッサリと両断する。
「っ……、問題はイルミンスールは魂だけで動けるので、魂喰いの剣を砕いた瞬間に開花がはじまってしまうことです。なので、安全な場所へ移動してから魂喰いの剣を砕き、即座に陽織を蘇生させて転送魔法でここに戻ってくればいいと思います」
「魂喰いの剣の砕き方はどうすれば?」
「私が用意します。魂喰いの剣は特別な武器でないと破壊できませんので」
「そんな武器持ってるんですか?」
「制作しますから問題ありません。ただ、急いで制作しないと間に合わないので、レイキに協力してもらいたいですね」
シャウナは鍛冶師だ。
作れるというのであれば作れるんだろう。
手伝いも喜んでやろうじゃないか。
「と言うか、勇者と戦うつもりだったのに、いままで作ってなかったわけ?」
陽織の突っ込みは最もだ。
すると、シャウナは自分の剣を叩いて言った。
「いま私が持っている剣も魂喰いの剣を砕けるはずですが、精度がいまいちなんです。いまのレイキに協力してもらえれば、より強力な武器を作れます」
「うーん……」
しかし、根本的な問題が残っている。
「あと四日で勇者を探し出せるんですか? そもそも勇者がいないと話になりませんよ」
「世界の変革があったので勇者がどのように行動しているかわかりませんが、私と勇者が戦っていた時に存在していた魔王は私一人です。あの戦いの後に魔王が誕生していなければレイキの持つ魔王の称号を目指してくるはずです」
「でも、先生が戦っていたときから三か月ですよね。さすがに時間が掛かりすぎじゃ……」
ミシュリーヌの最速移動手段は何か知らない。
だとしてもだ。
乗り物を持っていれば地球の反対側にいたとしてもいい加減到着するんじゃなかろうか。
「無論、勇者が現れなかった場合も考えています」
「どうやって陽織を助けるんですか?」
「助かりません」
シャウナは淡々と言い放った。
「開花寸前になったらレイキは転送魔法でヒオリをどこかへ飛ばしてください。座標を指定しない転移はかなり遠くに送られるはずです」
「そんな……! 他に手はないんですか? 魂喰いの剣を制作するとか……」
「魂喰いの剣に負けない武器を作ることはできますけど。魂を奪うような力を付与させるようなことは、無理です。申し訳ありませんが……」
「玲樹ができないって言うなら、私はここを出るよ。玲樹を死なせたくないから」
「俺は……」
俺はできるだろうか。
開花が目前に迫った陽織に転移魔術を掛けてやれるだろうか。
「聞いて、玲樹」
陽織は俺の後ろ側に立つと、腕を回して寄りかかる。
ふわっと陽織の匂いがした。
俺の肩に顎を乗せて、陽織は囁く。
「イルミンスールと取引はしたけど、私だって何もしないまま死にたくない。もしものときには玲樹に一番辛い思いをさせるってことはわかっている。でも、私は生きたいよ。玲樹といっしょにまだ生きていたいんだよ。だから、やれることをやっておきたいの」
本当に怖いのは陽織のはずなのに、恐れを微塵も滲ませない口調だ。
開花の寸前に陽織に転移魔術を掛けるときは怖い。
でもその時にもっと怖いのは陽織のはずなのだ。
俺が死ぬ寸前まで傍に入れくれた陽織。
でも、陽織が死ぬときには誰もいない。
俺は居てやりたいけど、陽織は許さないだろう。
陽織がこの作戦をやりたいと言うならば、力の限り手伝ってあげるべきだ。
「……わかった。いざってときはまかせてくれ」
俺も腹を括ろう。
その時が来たら陽織の望む通りにしてあげるのだ。
「私は浅はかな考えで賭けなどしたくはありませんので、陽織が学校を出てくれたほうがありがたいですけどね」
俺と陽織の決心とは裏腹にシャウナはあまり乗り気でない様子。
そりゃそうだろうな。
俺と陽織が少しでも心変わりすれば開花に巻き込まれて吹き飛んでしまうわけだし。
俺らのわがままに巻き込むのは忍びない。
「先生は逃げてもらっても構いませんよ。最悪、俺と陽織で何とかします」
と、横で陽織が鼻で笑った。
「最初に相談したときからずっと言ってるのよね。勇者と戦うなら戦力が多いほうが有利なのに、ほんとに倒す気があるのかしら」
ピリッとした空気が流れた。
「別に協力しなくとも構わないのですよ、私は」
「私と玲樹が協力しなくなったらどうやって勇者に勝つつもりなのかしらね。シャウナも勇者に用があるんじゃないの?」
バチッと空気が張り詰めた。
「あ、あの~……陽織も勇者と戦うっていうこと、ですか? 陽織は戦うには厳しいんじゃ……」
「神獣と同化したことでイルミンスールの称号を獲得していますので強いですよ。……神獣の能力をニホンジン如きが使いこなせるとは思えませんけれど」
そうなんだ。
神獣の称号で使える能力ってなんだろう。
もしかして、俺なんかより全然強くなってしまったんじゃなかろうか。
「模擬戦で負け越している人が言っても説得力ないわよね」
「……見たことのない技に驚いただけです。まぐれ勝ちを誇らしく語らないでください」
二人の会話を聞いている限りでは陽織はシャウナに模擬戦で勝っているらしい。
俺より強いことが確定した瞬間である。
「ふぅん、勇者相手に同じこと言えるんだ」
「では、レイキも含めて叩きのめして差し上げます」
あれ、おかしいな。
俺も一緒にボコられる流れになっていないだろうか。
俺は手を挙げた。
「先生。俺はお腹が痛いので見学しています」
シャウナと陽織が申し合わせたように振り返る。
据わった四の瞳が俺を射抜いた。
背筋がピンとなった。
「玲樹、行くわよ」
「レイキ、来なさい」
俺は無言で二人に背を向けると、全力で走りだした。
しかし。
五○メートル走一○秒台の俊足では逃れることはできない。
右腕はシャウナにがっちりと抱え込まれ、女性らしい感触がむにゅっと押し当てられる。
左腕は陽織にしっかりと抱え込まれ、幸せな感触がふにゅっと押し当てられる。
俺は捕物の容疑者よろしく、かかとを引きずられながら連行されていった。