第百二十四話 「リンドブルム防衛戦9」
シャウナがイルミンスールを倒す、ほんの少し前のこと。
--- セリア視点
白銀に輝く羽が吹雪のように押し寄せてくる。
セリアは腰を低く落とし、斧槍を柄の中心で浅く握りしめた。
斧槍の刃で一撃目の白銀の羽を砕き、斧槍の長い柄の先を棍のように鋭く跳ね上げて第二撃の白銀の羽を叩き落す。
立て続けに飛来した白銀の羽は斧槍を風車のように回転させ闘気の旋風を巻き起こして絡めとる。
闘気の旋風はそのまま闘術へと繋げる。
セリアの斧槍から放たれた闘気の円盤、闘舞回転刃闘術は四方向からシームルグへと襲いかかる。
シームルグは回転する闘舞回転刃闘術を素手で弾き飛ばす。
甲高い音を立てて闘気の円盤はあらぬ方向へと弾かれていった。
シームルグは掌に神気を集めると円を描くように振り抜く。
指先から神気の鞭が飛び出してセリアに襲いかかった。
斧槍で神気の鞭を迎えうつも、ついに斧槍が半ばからへし折れる。
「――ッ」
セリアは背中から倒れ込むように躱す。
額のスレスレをすり抜けていった神気の鞭は尖塔の壁を砕いて消えた。
「しぶといですね、覇王姫」
セリアの鎧の右の手甲と腰甲の留め金が抜けてがらんと床に転がる。
鎧が外れた箇所からセリアのドレスが露わになる。
度重なる攻撃で鎧はボロボロだ。
鎧の本体であるイニアスも限界に近いはずだった。
それでもセリアは気丈に振る舞う。
「……当然ではありませんか。わたくしは待っていれば良いのですから」
セリアの目的は時間稼ぎ。
ひたすら防御に徹して、リンドブルム城を逃げ回ればいいのだ。
リンドブルム周辺にあった強大な神気が三つ消えている。
つまり、ティアマット、フェニックス、イルミンスール、は倒されたということだろう。このまま膠着状況でいれば誰かが加勢に来てくれるはずだ。
それまで生き残れればであるが。
「……セリア、もたせてあと……二、三撃だ」
「そうですか」
消え入りそうな声でイニアスが忠告をしてくる。
イニアスはセリアの全身を守る鎧となっている。
リビングアーマーであるイニアスは、セリアの隙を魔法障壁魔術と闘気障壁闘術で守りつつ、微力ながら援護に努めていた。
そのイニアスも瀕死。
直撃をもらえば鎧は砕け散り、イニアスは死んでしまうだろう。
もう再構築魔術を使う魔力は残っていない。
セリアは鎧の解装を呟く。
すると、セリアを覆っていた白銀の鎧は光に包まれ体から離れる。
「……正気、か……私を、盾にするんだ……。セリア!」
床に放り出されたイニアスはひどい有様である。
脱落した部分鎧のせいで右腕と両脚は膝から下がない。全身は亀裂が隙間なく走っており、いまにも砕け散りそうな壊れ方であった。
「イニアス・オブシディアン、貴方の忠義に感謝致します。あとはわたくしが戦います」
「忠義など。……私は、あなたに感謝など、されるに値しない……!」
忠義とは何か。
イニアスが裏切ったことは事実だ。
竜王国の貴族の反乱に乗じて、勇者と協力してセリアを魂喰いの剣に封じ込めた。
理由は竜王国の未来を案じて。
セリアによる竜王国の先導は国と民のためにならないとイニアスは考えていたからだ。
かつては理解できなかったイニアスの思惑も、レイキと共に魔王国を見てきたことでおぼろげに理解している。
レイキは為政者として抜けている。
セリアとアウローラと陽織とシャウナと、まぁ、とにかくたくさんの人間でサポートしても穴だらけだ。
こんな為政者では民は不安になるだろう。
こんな為政者には任せておけない、不甲斐ない、頼りにならない、……とはならなかった。
亜民族たちの王、ギルドマスターたち、聖王国の僧正、彼らはレイキを信頼しており、無数の市民たちにレイキの良く伝えようと努力していた。
自主的に魔王国の市民たちはレイキを支えようとしていたのだ。
自主性。
セリアが導いていた竜王国にはなかった性質だ。
イニアスに裏切られて、竜王国を出てから気づかされた考え方だった。
「わたくしは思ったことを伝えるだけですわ」
無論、感謝されるためにイニアスが動いたわけではないことを知っている。
それでも。
新しい経験を与えるきっかけとなったイニアスに感謝をしていたのだった。
セリアは折れた斧槍に神気を通して構えた。
己を奮い立たせ凛とした態度で言い放つ。
「もうお前たちに勝ち目はありません。降伏をお勧めしますわ」
シームルグは唇に弧を描く。
「降伏? ふふ――。何故、神獣たちが戦っているのか、ご存知?」
「……神獣の本来の力を取り戻すためでしょう」
「違うわ。覇王姫、神獣と呼ばれる生命体の起源を知っているかしら?」
「創世記時代に生まれた……」
言葉を区切り考え直す。
セリアは竜王国にあった古書からティアマットや神獣についての知識を持っていた。
だが、ラテラノがリヴァイアサンから聞いた話と辻褄が合わなかったので、古書の知識は信用しないようにしている。
言いかけた言葉を訂正する。
「――ではなく、神の箱庭で造られた生物、ですわね。神獣はミシュリーヌの外から現れた」
神なる存在について詳しくはわからないが、エイルやシギンのような高い技術力をもった異世界人なのかもしれない。
とにかく神獣は人工的に生み出された生命体ということだ。
「そう。わたくしたちは『神獣』と括られているけれど同じ生命体ではない。家族、いえ、仲間ですらない、……あくまでリヴァイアサンの力で従えられているに過ぎない存在ね」
「従えられているにしてはずいぶんと勝手気ままですわ」
「そうね。皆、それぞれ生きる理由が違いますから」
シームルグは静かに神獣についてを語る。
ティアマットは己を認めてくれる者を探すこと。
フェニックスは力を極めて蹂躙することを喜びとしていたこと。
イルミンスールは人が悲喜交々に生きていく様を眺めていたかったこと。
各々で楽しみを見つけて生きる理由として行動を定めてきた。
「ふん、わたくしたちミシュリーヌに住まう者は堪りませんわね」
「リヴァイアサンは大人しかったでしょう? 彼の目的は、神の箱庭を蘇らせことですから」
リヴァイアサンの目的は強くなることだったと聞いている。
普段は海中深くに身を潜めており、ミシュリーヌ数千年の歴史で表舞台に姿を現したことは少ない。
……口が裂けても大人しかったとは言えないが。
ひとたび目覚めれば天変地異を引き起こす神獣だ。
敵対するものにも容赦しない。
古獣を喰らい、リヴァイアサンに挑んだものを喰らい、力ある者を喰らい生き続けてきた。
神獣は喰らった者の力を吸収することもできる。シームルグが魔法を体得したように、リヴァイアサンは再生を可能とする能力を得るために敵を喰らっていたのか。
「アトランティス・ステルラもそのために……」
「十分な力を得たと確信したようね」
リヴァイアサンが神の箱庭へ帰りたいのはわかった。
でも、わざわざ竜王国でやることはないだろう。
「帰りたいなら一人で帰れば良いではありませんか。竜王国を巻き込んで、わたくしを呼び出して、いったい何の意味がありますの?」
「神の箱庭へ至る道を開くにはすべての神獣が必要になるからですよ。……あの女は魂魄鍵認証などと言っていましたが」
セリアが読んだ古書は、神獣が揃うと力を取り戻すとあった。
どうやらその記述は魂魄鍵認証について間違った解釈が伝わったものということか。
「残念ですわ。あなたとリヴァイアサン以外の神獣はすべて倒された。もはや、神の箱庭に帰ることは叶いませんね」
「そうでもないわ、神の箱庭は最後の魂を待っている」
セリアは眉を顰める。
神の箱庭へ至る道とやらがどんなものかわからないが、リンドブルム周辺に開いているのであれば見てわかるようなものだろうに。
そんなもの一体どこに開いているのか。
セリアの思考を遮るようにシームルグは言葉を続けた。
「どうして空に巨大な大雲渦を引き起こしたのか。理由はふたつあるの――!」
シームルグが動く。
両腕に神気を纏い、魔術も闘術も使わず突き進んでくる。
特攻ともいえる無謀さだ。
「隙だらけ、だ!」
イニアスがなけなしの闘気で練り上げた闘気弾闘術を放つ。
シームルグは右腕で闘気弾闘術を受け止めた。
「砕け散りなさい!」
闘気弾闘術が衝突する瞬間。
セリアがシームルグの腕に闘気投槍闘術を撃つ。
闘気弾闘術と闘気投槍闘術の威力はシームルグの神気障壁魔術を貫いた。
水袋が引き裂かれたかのように血が飛び散る。
が、シームルグはザックリと切り裂かれた右腕に構わない。セリアに体当たりする直前でシームルグの身体が膨れ上がる。
人型を解いて瞬時にシームルグ本来の姿である巨鳥へと変身する。
「グルァ!」
翼で尖塔の壁を払いのけ、強靭な足でもって床を踏み崩す。
たたらを踏んだセリアに向かってシームルグは捨て身の体当たりを仕掛けた。
防御を捨てたシームルグの突進をセリアはまともに喰らってしまう。
シームルグとセリアは尖塔を突き抜け、一塊になって空中に投げ出された。
シームルグの神気を纏う巨体は凶器である。
セリアの神気障壁魔術を一撃で砕き、衝撃に全身が破裂するかのようだった。
「……ご、ふ……!」
肺の空気が絞り出されるような圧迫感。
鎖骨、肋骨、上腕、大腿、ありとあらゆる骨から鈍い音が聞こえた。遅れて鈍痛が全身を駆け巡り、喉からせり上がってきた大量の血が口腔を満たす。
意識が途切れそうになる。
それを、堪えて、耐えて、……深く息を吸う。
シームルグの心臓は目の前。
これほどの勝機はない。
セリアはギリッと歯を食いしばる。
零れ落ちる血を拭いもせず、裂帛の気合を込めて斧槍を突き出した。
「はぁぁぁぁ、雷光、――貫閃闘術!」
至近距離から放たれた闘術の一突きでシームルグの左足をもぎとり、胸元に大穴が穿つ。
瞬く間に白羽毛の身体が深紅に染まっていく。
迸る鮮血がセリアの肢体に降りかかった。
致命傷。
だが、シームルグは怯まない。
「グルァァァァァ――――ッッッ!!!」
残された右足でセリアをがっちりと掴む。
折れた骨が肉に食い込み耐えがたい苦痛がセリアを責める。
「うぁぁ、う、ぐ……は、なし、なさい……!」
セリアは渾身の力を込めてもがくものの、シームルグの爪はセリアの細い胴を掴んで離さない。
シームルグはセリアを掴んだまま力強く羽ばたいて嵐の空へ舞い上がる。
「セリアァ――!」
イニアスの声があっという間に遠ざかる。
視界が一挙に晴れ渡り、シームルグとセリアはぐんぐんと大空に渦を巻く雲の中心へと向かっていく。
「……神の箱庭は、空に、あります……! 残る、ティアマットの認証を通せば、扉は、……開かれる!」
「あの大雲渦は隠すために――」
「……ふ……ふふ、……それだけでは、ありませんよ……」
シームルグの声は掠れはじめていた。胸元に空いた傷から噴き出す血の勢いは弱まり、風を掴む翼の力強さも失われつつある。
天上の大雲渦の中心まであとわずかと言う距離で、急上昇するシームルグを追って空を駆ける人影があった。
シームルグの不意をついて幼い声が響き渡る。
「顕現、――波動光」
煌めく魔法の輝きと散り落ちる羽。
遅れて血飛沫が舞う。
飛翔するシームルグの身体が大きく傾いだ。
シームルグを攻撃した者。
彼女は、右手に煌めく天球儀を構え、左の指先には煌めくカードを広げていた。
セーラー服のような衣装とフリルのスカートをはためかせ、むっつりと引き結ばれた唇と無感動な表情。
最後の応援が今ここに到着した。
「ラテラノ!」
「いつかのお返し、です」
「魔法、少女――!」
シームルグの怒気に満ちた声をさらりと受け流し、ラテラノは淡々と言い捨てる。
「逃げ場はない。あきらめて」
殺気にシームルグは首を巡らせる。
見下ろすリンドブルム城を走る人影がある。
「獣王姫……」
さらに二つの影が天より飛来する。
「ふははははは――! 余を忘れるなよ、シームルグ!」
「手負いか。気が咎めるが致し方ない、許せよ……!」
嵐を裂いて、アウローラとマリルーがシームルグへと斬りかかっていく。
終わりだ。
三人の剣は確実にシームルグの息の根を止めるだろう。
「ふふふ……」
シームルグは勝利者のように笑った。
迫るアウローラとマリルーを睨み、闘気推進闘術で追いすがるシャウナを見やり、最後にラテラノを見据える。
「空の大雲渦は、神の箱庭へ至る道を隠すだけでは、ありません……。私の魔法で創り変えたリヴァイアサン、です……、リヴ――ッ!!!」
シームルグは天を渦巻く雲に呼びかける。
大雲渦の中心から差し込む日差しが陰る。
まるで世界の外側からのぞき込むかのように、巨大な眼が煌めき、山脈の如く牙の並んだ咢がせり上がった。
大雲霞は瞬く間に鱗を象り渦を巻いていた重厚な雲は巨大な海竜の姿へと変化していく。
「よくやった、シームルグ」
リヴァイアサンは瀕死のシームルグに向かってねぎらいの言葉を投げかけた。