第百二十一話 「リンドブルム防衛戦6」
---アウローラ視点
「雲が……、恐ろしいな」
眼下のリンドブルムは遠雷が鳴り渡りシトシトと雨が降りはじめていた。
次第に風も強くなってきている。
神獣たちとの戦闘が始まってから気象が変化しているのだ。
アウローラが漂う場所はリンドブルム上空、約一万メートル付近。
彼方まで届くかと言うほどの渦巻く雲を舞台に、灼熱と極光は熾烈な空中戦を繰り広げていた。
「ヒャハハハ……、やりやがる! 古獣狩りのときよりも強くなったじゃねーかよ、ナァ!?」
フェニックスが翼を大きく振る。
すると、魔力で構成された羽が無数に舞い散り、紅蓮の光線となってアウローラへと殺到する。
「今度は二千だぜェ! 耐えてみなァ――!」
「ちぃ――!」
アウローラは顔をしかめた。
羽の一枚一枚が高純度の魔力で生み出された魔術、烈風獄炎弾である。
生身で触れれば蒸発しかねない超高熱の魔術は、アウローラの魔法障壁をもってしても無傷では耐えきれない。
迎撃するしかない。
アウローラはアニムス・オルガヌムの剣に闘気を這わせる。
「魔法剣、飛剣閃闘術!」
目にも映らぬ速さで剣を振り抜き、袈裟懸け、返す太刀、振り抜く太刀、でもって無数の剣閃を飛ばした。
黄金の煌めきを放つ飛剣閃闘術は烈風獄炎弾を狙い穿つ。
瞬間。
空を彩る爆発の華を咲かせる。
爆炎を抜けて生き残った烈風獄炎弾が飛来する。
アウローラは魔法で生み出した背中の翼を羽ばたかせると上空へと逃げる。
追尾してくる烈風獄炎弾から逃げ回りながら必死で撃ち落としていく。
「がら空きだぜェ!」
「かは――ッ」
死角からの強烈な足の一撃。
アウローラの視界が一瞬真っ白になる。
蹴り飛ばされた先は烈風獄炎弾が群れをなしている。
烈風獄炎弾が一斉に破裂して、アウローラの体を呑み込んだ。
咄嗟に魔法障壁にありったけの魔力を注入する。
しかし、猛烈な爆風と熱に晒されて魔法障壁は乾いた音を立てて砕けてしまう。
魔法障壁を貫通して、アニムス・オルガヌムの鎧を抜けて、熱が肌を焼く。
アウローラは焼ける肉の痛みに奥歯を噛みしめて堪えた。
「おうおう、……頑丈だなァ。いつになったらぶっ壊れるんだァ?」
ボロボロになった全身から白煙を棚引かせるアウローラを見て、フェニックスは面白そうに嗤う。
「……ハァ、……ハァ……、ッ……、しぶとさだけは誰にも負けんよ……ッ」
汚泥と死体に紛れて敵兵の目を逃れたこともある。
裂傷の激痛と熱にうなされながら三日三晩戦い続けたこともある。
……果ては、死者となって生きながらえることを願った事さえある。
生きてさえいれば、為せることがある。
玲樹はきっと来てくれる、ただ信じている。
アウローラは再構築魔術で全身の大やけどを瞬時に癒していく。
しかし、失われた体力までは戻らない。
「死なない身体を持つお前にはわからんかもしれないがな」
荒く息を吐きながらフェニックスを睨む。
「ククク、俺様は不死身だからなァ……、生きているだけで幸せなんてのは理解できねェよ」
フェニックスの放つ烈風獄炎弾は、アウローラを攻撃する魔術であると同時に、アウローラが放つ攻撃を防ぐ弾幕となる。
烈風獄炎弾を撃ち貫く技があればよいのだが、無数の烈風獄炎弾を前にしては、アウローラの魔法と闘術をもってしてもパワーが足りない。
手数で勝負といきたいところだが、元々剣士であるアウローラは魔術が得意ではないし、シャウナほど魔術に精通しているわけでもない。
何か、決定打が必要であった。
「でもまァ、強くなったよな。喰ってみるか……、少しは足しになるかもしれねェなァ」
フェニックスが低い笑い声を漏らす。
戦場で荒んだ男たちが向ける獣欲に満ちた視線とは違うが、舐めるように這いまわる視線にじくじくと悪寒が奔る。
「やれんよ。この身体は余の差配ひとつで済むことではないのでな」
「知らねェよ、黙って喰われとけやァ!」
フェニックスの身体が太陽のように輝く。
まるで中天に輝く太陽が無数に増えたかのように、凄まじい熱と光が周囲を覆い尽くした。
汗が蒸発した。
肌が焼けるのではないかと言う熱に耐えるべく魔法障壁を展開しなおす。
アレを身に受ければ死ぬ。
死ぬわけにはいかないが、この場を退くわけにもいかない。
体力が失われていくのに加えて少しずつ嫌な感情が湧き上がってくる。
玲樹が間に合わないのではないか、と言う気持ちが膨らんでくる。
心の底から玲樹を信じているはずなのに、傍らにいないだけでこんなにも心細くなる。
「レイキよ、……フェニックスに喰われても、余を忘れないでくれるか……」
アウローラは闘気をアニムス・オルガヌムの剣に纏わせる。
重ねて魔法の刃を練り上げた。
「んじゃ、旨そうに焼けろよなァ! ヒャハハ――!」
フェニックスが烈風獄炎弾を驟雨の如く打ち出した。
ご丁寧にも軌道を変えてアウローラの全方位から襲いかかってくる。
逃げ場はない。
迎撃して穴をあけた先にはフェニックスが待ち構えているだろう。
視界一面に広がる灼熱にアウローラは覚悟を決めた。
――が。
「困るな。……我の任務は、貴卿を守ることだ」
誰かの声。
同時にフェニックスの展開する烈風獄炎弾が一部、爆発四散する。
「なん――!?」
フェニックスが驚愕の声を上げる。
雲の大渦を裂いて現れた六本の剣が舞う。
陽光を反射しながら飛来した剣が駆け抜けるたび、烈風獄炎弾が吹き散らされてその場で大爆発を起こす。
あっという間にフェニックスの放った烈風獄炎弾は視界から消え失せた。
さらに。
太陽を背にフェニックスの突貫を仕掛けた者がいた。
「んにゃろ――!」
フェニックスは素早く身をひるがえす。
逃さぬとばかりに、フェニックスに襲いかかった者は不意打ちざまに手元の大剣を一閃。
炎の尾羽が数枚散っていった。
「システム、ステルスモード解除。……浅い。甘かったようだ」
「野郎……、なめたマネしてくれるじゃねェか!」
強襲を辛うじて回避したフェニックスは態勢を立て直すと、襲いかかってきた相手に吠えた。
「ミシュリーヌの最強生命体を侮りはしない。……勝たせてもらうぞ、フェニックス」
フェニックスを襲った者が大剣を払う。
こびれついたフェニックスの尾羽が炎の残滓を牽きながらハラハラと散っていった。
遅れて背後に六本の剣が集う。
「機械の王姫。そうか、……レイキは間に合ってくれたか」
アウローラは記憶の淵より玲樹から聞いていた名を思いだした。
機神姫、マリルー・サン・エクセルシア。
オメガに滅ぼされた帝国に命を賭した姫の成れの果て。
いまはオメガの命に従う人形のようだが、戦力としてはありがたい。
そんな思いを巡らせたアウローラに鋭い殺気が向けられる。
「間に合ったのは大魔王ではなく我だが、な。……そして、貴卿の理解は半分誤りだ。我には我の意志がある。その目は不快だ」
「――ッ」
アウローラはぎくりと体を強張らせた。
憐みの視線を向けたのは事実、機微に聡い者でなければ気づかないと思っていたのだが……。
オメガに改造された王姫称号持ちとの話だったから、感情や意思を失った人形のごとき存在であると勝手に思い込んでしまった。
アウローラは即座に意識を切り替える。
「……失礼した、マリルー・サン・エクセルシア。無礼を詫びよう」
「……話は後程。いまはフェニックスだ」
マリルーの言葉にアウローラは小さく頷いた。
ニ対一。
ただの王姫であれば神獣相手は厳しいが、戦神姫と機神姫であれば絶望的な話ではない。
それにだ。
マリルーの戦いぶりを見て、アウローラは新たな戦法が思い浮かんでいた。
「さて、仕切りなおしだ……!」
「クックック……。デケェ魔力の塊が二匹。いいねェ、食いでがありそうだなァ――」
己の身体が傷つけられてもフェニックスは怯まない。
切り裂かれた尾羽はすでに再生し終わっている。
フェニックスは不敵に嗤いながら、アウローラとマリルーを眺める。
はっきりとした戦いの勝敗はいまだ見えない。
だが、玲樹が助けに来ている。
それだけでアウローラの心に芽生えていた心細さは吹き飛び、フワフワとした熱い感情に体が震えてきそうであった。
「疑ってしまった、余は愚かである。しかし、感じるぞ……!」
戦神姫は添い遂げると誓った者を想うほど力が増す能力がある。
それゆえの感情の高ぶりであるが、先程まで死にそうなくらい気分が沈んでいたのに切り替えが早すぎる気がしないでもない。
無論、些細なことは気にしないのがアウローラである。
「クフフフフ……、愛! これが信愛の力よ!」
「緊急事態発生、オメガ応答せよ。……護衛対象の精神異常を確認。非常に危険。可及的速やかに回収し、脳の修復の必要性を提言する。……気にするな? オメガ、対象の詳細なデータを……、問題なし? ……報告終了。継続する」
高笑いを上げて妙なテンションになったアウローラ。
マリルーは護衛対象をジットリとした目で眺めながら呟いていた。
かくして、フェニックスとの戦いは次なるフェーズへと進む。