第百十九話 「リンドブルム防衛戦4」
---陽織視点
リンドブルムの城下町。
薄く雪の積もった屋根を走りながら、玲樹との念話魔術を切る。
玲樹の了解を得たけれど、きっと心配でもやもやしているんだろうなあ、とぼんやりと思う。
気力猛毒化が危険なことを十分に承知しているつもりだし、玲樹に心配を掛けたくない気持ちも本当だ。
でも、もしも――。
例えばの話、ティアマットを倒すことを諦めてセリアに何かあったとしたら、たとえ勝利を手にしたとしても大きなしこりとなって玲樹に、いや……、皆に残ってしまう気がする。
何か、は容易く想像できる。
セリアの死、それも再構築魔術でも蘇ることができないような死であったのなら、陽織は自分を許せないだろう。
だから、自分の命を懸けてできることをやり遂げてみたかった。
陽織は隣を駆けていたカイゼリンに話しかけた。
「許可はもらったわよ!」
「把握。……オメガより気力猛毒化兵装の使用許可が承認されました」
カイゼリンはコクリと頷くと、腰部装着された推進機器を展開する。
噴射炎を迸らせてカイゼリンが屋根からゆっくりと浮かび上がる。
カイゼリンは背中まで伸ばされた黒髪の留め飾りを外す。
艶やかな黒髪が天鵞絨のようにふわりと広がって、淡い水色に輝きだした。
カイゼリンは無感情な瞳を動かすと、陽織を見据える。
「推奨。……気力猛毒化兵装、起動シーケンス開始。ワタシから一キロメートル以上距離を取ってください。影響範囲を最小限に指定しますが、完全ではありません」
「ちょっと待って。このあたりに住民はいない、わよね……?」
神獣襲撃の報はリンドブルム城下町に伝わっているのか、通りに人の姿はない。
ティアマットが街を破壊しながら城に向かって突き進もうとも悲鳴ひとつ聞こえてこない。
しかし、もしかすると逃げ遅れて屋内にいる人がいるかもしれない。
ミシュリーヌの世界の生物であれば魔力と闘気を持つので、気力猛毒化の影響を受ければ必ず死んでしまう。
陽織が探知魔術を発動させて周囲の状況を確認しようとすると、先んじてカイゼリンが口を開く。
「解。……付近に生体反応なし。問題なしと判断します」
「信じるわよ。遠くから見てるから、問題が起きたら合図してちょうだい」
「解。……異常事態が発生した場合は連絡します」
カイゼリンは腰の推進機器から噴射炎を噴き上げると、流麗な光の軌跡を描いてティアマットへと飛翔する。
あっという間にカイゼリンの姿は豆粒のように小さくなっていった。
陽織は言われた通りにティアマットとカイゼリンから離れていく。
戦いの結果を見届けるためには見晴らしのよい場所がいいのだけど、手頃な場所はないだろうかと視線を巡らせる。
ふと、目に留まったのは広場の尖塔。
大きな通りをふたつぶんほど離れた広場に建てられていた鐘のついた尖塔が見えた。
「ここがいいわね」
陽織は小さく掛け声をかけて尖塔の上へと飛び上がる。
尖塔の頂点に取り付けられた金属飾りに掴まると、遠視魔術を発動させる。
視界が急速に狭まる。
遥か先に見えている光景が鮮明に見えて、カイゼリンとティアマットの隣にいるかのように、戦闘音と声が聞こえてきた。
ティアマットは飛び回るカイゼリンに構うことなく城へと突き進んでいた。
カイゼリンは横手を掠めるようにティアマットを追い抜くと、ティアマットを進路上に立ちふさがった。
「展開。……気力猛毒化、最大放出」
カイゼリンの輝く髪からを青白い粒子がハラハラと散っていく。
そしてあふれ出す濃密な闘気が場に垂れこめた。
ズラリと日本刀を抜き放つと閃光の如くティアマットへと突進する。
『……大シタ闘気ダガ、ムダ、ダ。力デハ止メラレヌ……』
「否定。……力こそ世界のすべて。力で解決できないことなど存在しません」
カイゼリンの日本刀に青白い輝きが伝わっていく。
「宣告。……証明します、無機生物」
そして。
カイゼリンはティアマットの左足に一閃、立て続けに四の太刀をティアマットに叩きつけた。
青い閃光が迸りティアマットの体を吹き飛ばす。
四肢を破壊されたティアマットが周囲の家屋を巻き込みながら倒れ伏す。凄まじい土埃が舞い上がり、あたり一面が茶色の砂混じりとなる。
カイゼリンは目にもとまらぬ速度で日本刀を振るうと、放たれた風圧でもって土煙を吹き散らしてしまう。
晴れた視界の先には再生をはじめようとするティアマットの姿がある。
寸断された骨が寄り集まり、元の形へと戻っていく。
何も起こらない。
ティアマットに気力猛毒化の効果はなかったのだろうか。
『……力デ、止メルコトハ、デキヌ……! リヴァイアサン、ヲ、倒サネバ……、我ガ歩ミ、止マラヌ……』
脚の再生を終えたティアマットが立ちあがる。
目の前に立ち塞がるカイゼリンに向かって骨の足を振り下ろす。
しかし。
カイゼリンは避けようともせず、ポツリと呟いた。
「探知。……ニヴル・ガイストの感染を確認」
『……ナニ……?』
振り下ろされた骨の足がカイゼリンに触れる直前。
まるで片栗粉の袋をぶちまけたかのように骨の足が爆散した。
『ヌ、ゥ――ッ』
驚愕の声を上げるティアマットであったが、次の瞬間には体を曲げて地面に蹲ってしまう。
体を立ち上がらせようとしても足に力が入らないのか、足に力を込めたまま小刻みに震えるだけであった。
まるで狂牛病に侵された有様である。
全身が真っ白になってしまったカイゼリンは煩わしそうに体の埃を払う。
「解析。……ニヴル・ガイスト、感染拡大中……、無機生物への効果として興味深いデータです」
『……闘気ト魔力ヲ……? コレハ、麻痺、……否、毒カ……。……ナル、ホド……、コノヨウナ、力モ、異世界ニハ、在ル、ノダナ……』
ティアマットの骨の体が四肢の末端からひび割れて崩れ落ちていく。
骨はサラサラの白砂となってティアマットの周囲に小山となって降り積もる。
崩壊は手、足、尾から順繰りに体へと侵食して頭部へと迫ってくる。
『……フム。ドウヤラ、終ワリノヨウダ……、リヴァイアサン』
「ティアマット、貴様……ッ! 神獣として力を取り戻せば蘇るというのに、何故、従わん!」
残ったティアマットの頭骨からぼんやりと白い影のようなものが滲み現れて、小さな蛇竜の姿をした霧となる。
『神獣ノ身ニ、未練ハナイ。魂ノ消滅ニハ時間ガ掛カルヨウデアルガ、……ソレモ、モウ、……終ワル。彼女ノ元ヘ、逝ケル』
小さな蛇竜は霧の身体を激しく揺さぶる。戦慄の声でもって答えた。
「……馬鹿な。死が恐ろしくない、のか」
『我ハ……、満足シテイル』
どうやら小さな蛇竜はリヴァイアサンらしい。
リヴァイアサンは大きな海蛇のような神獣であると以前にシャウナから聞いたことがある。
恐らくあれはリヴァイアサンの分体か使い魔のようなもので、ティアマットの骨の身体にとり憑いて操っていたのだろう。
気力猛毒化の影響を受けているためかリヴァイアサンの分体は、だんだんと力を失って霧の身体が吹き消されそうになっている。
ティアマットはリヴァイアサンに向かってゆるゆると語りかけた。
『貴方ニハ感謝シテイル。神ノ箱庭カラ連レダシテクレタコト、古獣トノ戦イヲ放棄シタコト、其レヲ許シテクレタコト、利用サレ、朽チ、果テル、今モ……、恨ミニ思ウコトハ、無イ』
ティアマットの頭骨が崩れてひと際大きな白砂の山となり、原型が失われていく。
『サラバ、ダ。リヴァイアサン、……ソシテ、縁ガ在ル、ナラバ、伝エテ欲シイ。我ガ力ヲ受ケ継ギシ者ヘ……』
最後にティアマットはカイゼリンに向かって何事かを伝える。
セリアに告げておきたいことなのかもしれないけど、カイゼリンは覚えておいてくれるだろうか。
単純によろしく頼むみたいなことだけだとありがたいけど。
あとで問いただしてみよう。
ティアマットの骨は魔力と闘気をすべて失い、砂の山となった。
街路を吹き抜ける冷たい風にさらわれて、砂は雪に交じり、どこかへと散っていく。
残るは半死半生のリヴァイアサンの分体だけだ。
カイゼリンは刀を構えると無造作にリヴァイアサンの分体へと歩み寄っていく。
「宣告。……殲滅対象リヴァイアサンと酷似する生命体を確認。排除します」
「貴様は、あの機械人の僕か。この場でコレを殺したところでセリアは助からんぞ。ティアマットの魂はすでに我が掌よ」
「解析。……発声パターンから五十六パーセントの虚偽が含まれます。情報攪乱と判断」
リヴァイアサンの分体は何か続きの言葉を発しようと口を開きかけたが、カイゼリンは刀で薙ぎ払いリヴァイアサンの分体を両断する。
霧の身体は空気に溶けるようにあっさりと消えてしまった。
これで良かったのだろう。
リヴァイアサンがどこに潜んでいるかわからないけれど、余計な情報を仕入れて気を揉むよりは一刻も早くセリアの下へ戻ることの方が重要だ。
陽織は遠視魔術を解除する。
たちまち視界が広がって鐘の吊るされた尖塔の景色へと舞い戻る。
「さてっと、戻らないとね。……コホッ……ッ」
喉を痛めてしまったのか咳がひとつ零れた。
肌寒い。
防寒対策にコートは着ているけれど、竜王国は、リンドブルムは寒くてしょうがない。
陽織はコートの襟をしっかりと止めなおすとカイゼリンと合流すべく尖塔から飛び出した。