第百十七話 「リンドブルム防衛戦2」
---陽織視点
陽織は大上段に振りかぶった白の木刀を唐竹割りに振り下ろす。闘気を纏わせた天まで届くほどの刀身は狙いたがわずティアマットの頭部を破砕して、背骨から尾まで両断した。
しかし、だ。
「ムダ、ダ……」
ティアマットは言葉少なに答える。
「――このっ! またなの……!」
ばらばらに砕け散ったはずのティアマットの骨は早回しの逆再生動画を見ているかのように元の形を取り戻す。
次の攻撃は決まっている。
陽織は闘気推進闘術を駆使してティアマットから距離をとる。
ティアマットは口腔に魔力を迸らせると冷霧吐息をぶちまける。
陽織が追いすがる冷霧吐息から疾風の如く飛退くと、先程まであった森が一斉に凍りついて、砂が崩れるように粉々になっていく。
闘術も試した。
魔術も試した。
神技も試したが、ティアマットを倒すには至らない。
骨の体のどこかに核のような心臓部でもあるのかと探してみたりもしたが、全く手掛かりはなかった。
背中をちらりと振り返ると、ぼんやりとリンドブルムの城下町が見えつつあった。
ぐっと奥歯を噛み締める。
あそこにはセリアがいる。リンドブルムに住んでいる人は、はっきり言えばどうでも良いけれど、セリアが守りたいというならばいっしょに守らなくてはいけない。
「――はぁぁぁぁッ!」
陽織は飛剣閃闘術を無数に放つ。
回転しながら飛翔する闘気の刃がティアマットの足を打ち砕く。
足を砕かれたティアマットは頭から前のめりに倒れていった。
数秒で再生してしまうのだが、時間を稼ぐのならば足を壊して歩みを止める、という手段が最も効果的なのであった。
しかし、遅々としたあゆみであろうともリンドブルムに近づいていくのは逃れようのない事実。
時間稼ぎで逃れるのももはや限界であった。
「あぁ、もう……。魔術とか魔物に詳しいシャウナにやってもらえば良かった……」
ティアマットの粉々になった脚の骨が組みあがっていく。
攻撃の手が止まったときだけ、ティアマットは思い出したように口を利きく。
「ムダダ。……力デハ止メラレヌ」
「力でなければどうやって止めればいいのよ?」
陽織は言葉を交わすうちにティアマットの状況が見えてきていた。
生前の記憶を持っていて意識があること。
リンドブルムを攻撃しているのは本意でないこともわかった。
さらにはティアマットは神獣たちに敵意すら持っている。
袂を分かったとは言え同族意識を持っているのかと思っていたが、ティアマットは思いのほか饒舌であった。
「吾輩ヲ蘇ラセシハ、リヴァイアサン。……奴ヲ殺サネバ、吾輩ヲ操ル力ハ、……消エヌ」
「他力本願ね。止めてほしいなら、自分でなんとかしなさいよ!」
「……吾輩ハ、既ニ、滅ビ去ッタ身。下ラヌ思惑ニ、操ラレタ、木偶ニ過ギナイ……。ドチラガ勝トウト、知ッタコトデハ、ナイ……」
「その割には、リンドブルムに近づくほど口数が多いじゃない。気にしているんじゃないの? 助けた王女様の国を壊すこと」
「…………モウ彼女ハ、イナイ。義理ハ、果タシタ……」
イデアの名はセリアの口から聞いたことがある。ティアマットが助けた人族の女性で竜王国を建国した初代王女であった人物だ。
イデアはもういない。
だが、イデアが作りたかったものはいまだ存在している。そして、イデアの血も、意思も伝わっている。
「信じられないわね」
義理だろうか。
義理だけで力のすべてを人族の女性などに託すだろうか。
ティアマットはイデアを――したからこそ、力を渡したのではないだろうか。
友なのか愛なのかはわからないが……。
脚が治りきった。
再び、ティアマットは沈黙して歩きだす。
ティアマットは長い尾を振り回して鞭のように大地を打つ。陽織を狙った一撃は、街道の石畳を砕いて舞い上げた。
陽織は叩きつけられた骨の尾の一撃を最小限の動きで回避する。
避ける動作に合わせて飛剣閃闘術を放つ。が、さすがに同じ手では通用せず、ティアマットは脚を引いて避けてしまった。
「ちょっとでも気に病んでるなら、抵抗してみなさいよ! リヴァイアサンなんかの操られてばっかりでどうするのよ!」
「……木偶ハ木偶。モハヤ、眺メルダケノ存在……。力モ無ク、魂モ無く、……デキルコトナド、ナニモ、ナイ……」
「――だらしない! その言葉を、愛した人に言えるの……ッ!」
陽織は白の木刀の刀身を伸ばして、骨の尾を払いのける。たちまち凄まじい剣戟となって激突の火花が散る。
侵攻は止まらない。
陽織の背後にはリンドブルムへの第一の城壁が迫ってきていた。
「ッ、街が……、――あれはッ!?」
光が曇天より飛来する。
天をつよく裂き破る飛翔音が聞こえ、音速を超える弾頭がティアマットの頭蓋を貫いて爆散した。
ティアマットは頭蓋の奥から膨れ上がるように爆発する。
骨は無数の細かな破片となってあたり一面に飛び散っていった。
「ぅぇぇ!? ちょ、まっ!?」
陽織は神気障壁魔術で爆発の衝撃波と灼熱波から身を守る。
降り積もっていた雪は刹那に蒸発して消え去った。
爆風に城壁がきしみ、爆炎で草木が一瞬にして灰と化して吹き散らされた。
近くに人がいなかったからよかったものの大惨事である。
こんな非常識な横入りをしてくるのはいったい誰だろうと空を見上げる。
「接敵。目標、ティアマットを確認……、排除開始」
くるくると旋回機動をしながら突っ込んでくる女がいた。その姿を見て陽織は思わず顔をしかめずにはいられなかった。
陽織をザクザクに刻んでくれたカイゼリン・ガイストとの再会である。
と、同時に安心もした。
カイゼリンがいるということは、玲樹は機械人オメガとの交渉に成功して、竜王国にたどり着いたということに他ならない。
カイゼリンは陽織の隣に着陸すると、身の丈を超える滑腔砲を肩に担いだ。
「解析。保護対象、上水流陽織を確認。……無事で何よりです」
「……っ、無事で何よりですって言うならあんなものぶっ放さないでくれる!? 普通の人だったら死ぬわよ!」
あの爆風と高熱に晒されたら人は死んでしまうだろう。
全身大やけど、衝撃で鼓膜が破れて内臓破裂くらいになるかもしれない、恐ろしい話だ。
しかし、陽織の抗議にも眉ひとつ動かさない。
カイゼリンは滑腔砲を折りたたんで、代わりに日本刀をスラリと抜き放つ。
「回答。ワタシはアナタの前で気力猛毒化を使用することを制限されています。その結果、最大火力は百二十ミリ滑腔砲による射撃となります。よって、先ほどの攻撃が最適解であると告げます」
「気力猛毒化……。ああ、私が死ぬかもってことね……」
「肯定。理解が早くて助かります」
玲樹が見た未来において、陽織はカイゼリン・ガイストの毒によって死亡することになっていた。そのため使用を禁じているのだろう。
陽織だって毒なんかで死にたくない。
最悪なのは玲樹の子供といっしょに死んでしまうってことだけど……、機械人オメガが味方についたのであれば未来は変わったと考えていいんだろう。
「警戒。ティアマットの残骸に反応あり、復活の兆し」
「……やっぱそうよね」
地面に散らばっていた骨の破片が小刻みに震えている。そして、骨の破片が一斉に巻き上がり、宙の一点に集合する。
あっという間に細切れになっていた骨が形を成していく。
陽織は白の木刀を正眼に構えると、カイゼリンの横へと並ぶ。
力では倒せない。
しかし、もしかしたらと希望を感じてカイゼリンへと問いかける。
「ねえ、あんたさ。気力猛毒化を使って攻撃するとどうなるの……?」
「解説。気力猛毒化は生物の体内にある闘気・魔力を毒素に変えることにより、筋肉の麻痺、神経異常、を発生させます。長時間における毒素の影響を受けた場合、細胞の壊死、意識混濁、最終的に脳細胞の破壊と心筋の断裂により死亡します」
「ティアマットみたいなゾンビに使った場合は?」
「回答。……検索、……検索、……該当なし、……検証なし。効果・反応共に不明です。推測不能」
推測不能と来たか。
しかし、仮説を立ててみてはどうだろうか。
気力猛毒化は闘気・」魔力を毒素に変えることで、生物の組織を破壊する効果を与える。
ティアマットは骨だ。
生物が持つ骨は、有機物と無機物で構成されている。
死んだ生物が持つ骨は、無機物で構成されている。
単純に考えれば生物の組織を破壊する効果は、有機物を破壊しているようなものだから、無機物に効果はないように思える。
しかし、ミシュリーヌの生物は闘気・魔力を保持することで生きながらえている。
闘気・魔力を基準に考えて生死を判断するのであれば、闘気・魔力を保有する無機物は生きていることになる。
――その仮説を頼りとすれば。
ミシュリーヌの無機物に対しても気力猛毒化によるダメージがあるのではないだろうか。
または、ティアマットを操っている何らかの仕掛けを破壊できるのではないだろうか。
「……気力猛毒化で攻撃してみてくれない? ティアマットを倒せるかも」
「拒否。命令違反になります」
「力技じゃ倒せないんだってば!」
「拒否。ワタシに与えられた命令は上水流陽織を守ること。気力猛毒化の使用許可されていない」
めんどくさい。
陽織が離れていれば使ってもいいのかと問えば、護衛だから離れることは許可されていないと返ってきそうな気配がある。
陽織とカイゼリンのやり取りの間に、ティアマットの再生が終わってしまった。
大きく振り上げた爪がリンドブルムの第一城壁に振り下ろされる。続く体当たりによって脆くも崩れ去った。
もうもうと粉塵が舞い上がる。
ティアマットは崩した城壁を乗り越えてリンドブルムの城下町へと侵入を果たした。
目指すは王城。
セリアのいる場所である。
「私が玲樹に掛け合って使えるようにしてもらうから! 許可があれば気力猛毒化が使えるんでしょ!?」
「肯定。……許可があれば、使用可能です」
陽織は念話魔術を発動させる。
玲樹が近くにいるならばきっと届くはずだ。
時間がない。
ティアマットと王城まではの距離はほんの数キロにまで迫っていた。