第百十六話 「リンドブルム防衛戦1」
--- セリア視点
セリアは会議室の真ん中で腕組みをして立っている。
じっと見つめる先には四角い戦議卓がある。
卓に広げられた城や町の描かれた地図にはチェスの駒に似たオブジェがいくつも置かれていた。
人のオブジェは味方のマーク、ゴブリンの駒は敵のマーク。
城には人のオブジェが一個。
城の周囲には人のオブジェが三個置かれている。
ゴブリンのオブジェも城の周囲に三個、人のオブジェと並んで配置されていた。
「わたくしならば、本丸を攻めますわね……」
セリアは城に置かれた人のオブジェをちょこんと人差し指でつつく。
人のオブジェはコトリと倒れ伏す。
あっさりと言ったもの、倒れたオブジェはセリアのことを指している。
イルミンスールの迎撃はシャウナが、フェニックスの迎撃はアウローラが、ティアマットの迎撃は陽織が、玲樹が送り出してくれた最大戦力はバラバラにされてしまっている。
リヴァイアサンとシームルグは隙を見逃さずに城を直接攻めてくるだろう、そして無防備なセリアを喰らい、神獣として力を取り戻してしまうはずだ。
だが、それにしては動きが鈍い。
神獣の気配はいくら探しても三つしか感じられない。
待てど暮らせど攻めてくる気配は微塵もなかった。
玲樹がこちらに向かってきていることを察知しているのであれば行動を急ぐべきだと分かっているはず。
なおのこと攻めあぐねる理由がわからない。
セリアはゆったりとした動きで振り返る。
広い会議室にはもう一人佇む者、イニアス・オブシディアンの姿があった。
「イニアス、何かご存じなら教えていただけないかしら?」
「……私は戦力にならない。当てにされても困るよ……」
イニアスは壁を背に直立不動の姿勢のまま答える。
その様子を見て、くすりと笑みがこぼれてしまう。
「そんなに拗ねなくともよいではありませんか。駒としては配置しておりませんけど、神獣が現れたら戦ってくれるのでしょう? 私を……いえ、竜王国を守るために」
イニアス一人では神獣と戦うことすらできない。
そのため地図上では戦力としてカウントすらしていないのだが、彼にとっては自尊心をひどく傷つけられてしまったらしい。
カウントしていない理由はもう一つあるのだが、それは後々わかるだろう。
「さてどうかな。一撃でやられてしまうのが関の山さ」
「わたくしも人のことは言えませんけれどね」
かつてのシームルグなら相討ち程度には持ち込めたかもしれない。
しかし、魔法を習得したシームルグを相手に勝利を収めるのは厳しく、リヴァイアサンまで加勢してくるのであれば勝ち目はまずない。
「……話を戻そう。君はリヴァイアサンの次の行動が読めないことに困っているんだろ?」
「その通りですわ」
「リヴァイアサンは慎重な性格だ。大魔王を警戒して目立った行動を控えている、と私は考えている」
「でも、レイキはまだ居りませんわ」
「それは向こうにはわからない。だから、大魔王に気づかれないように、神獣の気配を消して城に攻めてくると思っている」
「……なるほど。魔王国に入国してきたのと同じやり方ということね」
セリアが会議室の扉を睨み据える。
緩やかに開け放たれた扉を潜り、女が入ってきた。
柔らかなストールを羽織り豪奢なドレスに身を包んだ姿から、王城の出入りを許された位の高い貴族かと勘違いしそうになる。
現にイニアスは騙されている。
「誰だ? 戦議室の立ち入りは禁止だ。出ていってもらおう」
セリアとイニアスは貴族たちを守るためにリンドブルムで足止めを喰らってる。
この場から動かない確約のもとに余計な干渉は厳禁と言い伝えているので、この場に貴族が現れるのは約束破りだ。
イニアスは約束に従って女を追い出そうとしたが、女は薄く笑うばかりで戦議室から立ち去ろうとはしなかった。
それどころか、逃がさないとでもいうかのように戦議室の扉を後ろ手で閉める。
セリアは肩をすくめた。
女の正体はわかりきっている。
「イニアス、自分で仰ったではありませんの。気配を隠して侵入してくると、あの女はシームルグですわ」
イニアスの鎧の奥に光る眼光が驚愕に瞬く。
ありえないというように鎧を振るわせると声を絞り出した。
「な、に……!? 人の姿で……、しかし神気をどうやって隠している……!」
「何らかの魔法、かしら。わかりませんわ」
セリアとイニアスの反応をどこか面白そうに眺めつつ、女もといシームルグは無表情のまま告げる。
「覇王姫セリア。ティアマットの力、返していただきます」
はいそうですね、と返せる力ではない。
死刑宣告である。
返答は当然のごとく決まっている。
「お断り致しますわ」
「貴方の意見は必要ありません。せめて、一息に死ぬと楽でしょう」
途端に、女の姿がゆらりと不明瞭に崩れる。
白銀の翼を持つ巨鳥に姿を変えると、肌が泡立つような強烈な神気が放たれた。
「……イニアス、力を貸してもらえるかしら?」
「わかりました。……竜王国のために。今一度、貴方の鎧になろう」
イニアスは素早くセリアに歩み寄る。
「無駄な足搔きですね――!」
シームルグはふわりと舞い上がると巨大な鉤爪でもって襲いかかる。
激しい衝突音が響き渡り、衝撃に城が鳴動する。
「!? その姿は……」
巨大な鉤爪を受け止めたのは、銀色に輝く斧槍。
斧槍を握るのは銀色の甲冑に身を包む、白金の髪を翻す乙女
言わずもがな、セリアである。
鉤爪と斧槍の鍔迫り合いをしながら、シームルグとセリアは睨みあう。
「イニアスはリビングアーマーと呼ばれる魔物。神獣の貴女ならリビング系の魔物の特徴もよくご存じでしょう?」
リビング系の魔物は意思を持って敵を自動で攻撃する魔物であるが、命令することで武器や防具として使用することができる魔物だ。
「知っています。しかし、サイズが……、セリアにあつらえたような武具に変わるような能力はありませんね」
「ええ、そうですわ。この鎧と斧槍は竜王国の王族のみが着用できる神具。イニアスは神具と融合することで、神具の力を持つリビングアーマーに転身したのですわ。竜王国を、わたくしと共に、守るために!」
セリアは気合を込めてシームルグを弾き飛ばす。
イニアスもとい竜王国の神具は、脆弱だった竜王国の初代王女を守るために、ティアマットが己の鱗と牙を用いて作り上げた武具である。
セリアはイニアスの鎧を纏うことによって、自身に眠るティアマットの力を最大限に活用することができる。
「ふ、ふふふ、なるほど……。勇者に敗れてしまったのはイニアスに裏切られてしまったから。そういうわけですか」
シームルグは宙で一回転すると軽やかに着地する。
「――どのみち、結果は変わらないでしょうけど」
セリアは大きく亀裂の入った斧槍を油断なく構えたまま、唇をかみしめた。
セリアは理解している。
このままでは勝てない、と。
イニアスの鎧を身に着けてティアマットの力を申し分なく使えるようになったとしても、シームルグに勝つのは難しいと一合交えただけで見えていた。
イニアスは一撃でやられてしまうのが関の山だと言っていたが、それが二撃か三撃に変わっただけに過ぎない。
「ええ、でも……ティアマットの力がわたくしたちに集まっている以上、貴方の狙いはわたくしたち」
セリアは闘術と魔術を発動させるべく、斧槍に闘気を集約、左手に魔力の塊を練り上げる。
「……自殺なんて無駄よ」
もちろん自殺してティアマットの力の吸収を阻止しようなどとは考えていない。どうせ死んだ瞬間に再構築魔術で蘇らせられて食い殺されるのがおちだ。
「するわけありませんわ。レイキを悲しませたくありませんもの。……わたくしは、レイキを信じて待つだけです!」
セリアは斧槍で闘気投槍闘術を放つ。
放たれた闘気の槍はセリアの立つ側の床を粉々に打ち砕く。
石片が宙に舞い上がり、セリアの体は階下に落ちていく。
続けて左手の魔力を使って暴風魔術を発動。舞い上がる石片を巻き込んだ巨大な竜巻を引き起こして視界を遮る壁とする。
落下する速度すらもどかしい。
セリアは闘気推進闘術で階下に急降下する。そのまま、部屋を飛び出して回廊を駆け抜ける。
セリアの選択は逃げること。
逃げて、逃げて、逃げ回って、レイキがたどり着く時間まで生き延びる。
それが今のセリアに許された抵抗だった。
情けなさと悔しさに涙がこぼれそうになる。
しかし、完全な力を取り戻した神獣を前にするレイキの気持ちを思えば、耐えられる。
セリアはたまたま通りかかった伝令に城からの退避命令を回すように告げると、ひたすら闘気推進闘術を駆使してリンドブルム城内を駆け続けた。
--- シームルグ視点
「逃げますか……。まさか、あの覇王姫が、ふふ……」
決死の覚悟で挑んでくるかと思っていた矢先の全力の逃亡。想像外の展開にシームルグは崩落した床を前にぼうっと立ち尽くしてしまっていた。
逃亡という選択はシームルグにとって厄介な選択であった。
目的がティアマットの力の回収のためセリアとイニアスを絶対に手に入れなければならないわけで、戦いを放棄されてしまうことは対処に困る。
竜王国を人質にとっておびき出す手段は大魔王がいる限り復活させられてしまうので、さほど有効な手段ではないし、何より時間を掛けてしまうことがシームルグたちの弱みとなる。
だが、このまま立ち尽くしているわけにもいかない。
シームルグは念話魔術でリヴァイアサンに連絡を取る。
「リヴ、セリアは時間稼ぎをするようです。……ええ、……そうですね。私が追い込みましょう。仕込みもそろそろ終わりそうですしね」
シームルグは人の姿へと変化する。
リンドブルムの城内を追うのであれば目立たないほうが良い。それに、神気を感じさせないほうが追跡にはちょうど良い。
シームルグはストールを羽織りなおすと、セリアの逃げた床の穴へと飛び降りていった。