第十二話 「死線」
ドラゴンが迫る。
逃げなくてはいけない。
俺は咄嗟に考えた。
逃げるためには時間を稼いでくれる者が必要だ。
壁になってくれる召喚獣が必要だ。
召喚魔術で俺が呼び出すことができる中で最も強い召喚獣を選んだ。
召喚の魔法陣が地面に描かれる。
現れたのは全高三メートルはあろうかと言う白の大鎧だ。
片手に白い剣、右手に白い盾、と全身白尽くめの魔物。
サモン・リビングアーマーはリビング系の中で最も強い魔物である。
「ドラゴンを倒せ!」
ドラゴンはもう目の前だった。
振り下ろされたドラゴンの鉤爪をサモン・リビングアーマーが受け止めた。
甲高い衝突音が空港に響き渡る。
ドラゴンの膂力に怯むことなくサモン・リビングアーマーは一歩踏み出す。
盾でドラゴンの頭を殴りつけると、大きく振りかぶった剣をドラゴンの首元へ叩きつける。
負けじとドラゴンは長い尾を振り回し剣を撃ち落とす。
両者は至近距離でにらみ合う。
俺は陽織の手を取ると屋上の出口へ走りだした。
陽織の手は震えていた。
当然か、あのドラゴンに襲いかかられているのだから。
俺の手は震えているのだろうか。
陽織の手を掴む手を強めると、ぎゅっと握り返される。
俺が怯えている場合じゃない。
サモン・リビングアーマーを召喚したことで魔力をかなり消費したが、時間を稼いでもらったら送還すればいい。
ターミナル内部に魔物がいても魔術で応戦するくらいはできる。
サモン・リビングソードとサモン・リビングシールドもまだ残っている。
足の震えが収まってきた。
だいじょうぶだ。
落ち着いてる。
己をひたすら励ます。
「どうするの!?」
「逃げる!」
勝てないとは言わないが、間違いなくギリギリの戦いになる。
俺が怪我する程度で済むのか、手足を失うくらいで済むのか、それとも陽織が……皆まで言うまい。
屋上の扉は鍵が掛かっていた。
「鍵を壊せ!」
サモン・リビングソードが鮮やかな動きでドアの鍵を切り落とす。
間髪入れず扉を蹴り開けた。
旅客ターミナル内はドラゴンが動き回るには狭い。
トイレや従業員室に隠れてしまえばドラゴンも俺たちをあきらめるはずだ。
「……うお!?」
俺たちの真上を重い風切り音が耳元を掠めていく。
ガスンッと空調設備に白い剣が突き刺さった。
そう簡単にはいかないらしい。
白い剣が飛んできた方向を見る。
サモン・リビングアーマーはドラゴンに組み伏せられ、ブレスの餌食になる瞬間であった。
ドラゴンの口から吐き出された猛烈な炎に包まれてサモン・リビングアーマーの鎧が融解していく。
魔力が消えていく感覚。
サモン・リビングアーマーがやられた。
ドラゴンの瞳がこちらを向く。
「中に入れ!」
俺と陽織は薄暗い非常階段へと飛び込んだ。
照明魔術を使おうとして、止めた。
魔術で照らすこともできるが、いまは魔力が惜しい。
カバンに入れてきた懐中電灯を取り出す。
二階……。
一階……。
屋上から一気に階段を駆け下りていき、非常階段からフロアに飛び出した。
ここは手荷物受取場のようだ。
そのままフロアを奔りぬけようとするが、暗がりからズルリと這い出てきた者たちがいた。
重傷者か、餓死者か、額にトリアージタグを付けている。
「おっとっと、ゾンビだらけかよ!」
「玲樹、ドラゴンが!」
窓を見るとドラゴンが滞空しながらこちらを見据えていた。
ドラゴンは呪文を詠唱していた。
滞空するドラゴンの周囲には無数の岩が形成され、次第に大きくなっていく。
旅客ターミナルに撃ちこむ気か。
「くっそ……! 陽織!」
俺は土壁魔術で岩の壁を作り出す。
半円のかまくらをイメージして、分厚く仕上げていく。
飛びついてきた陽織を引き寄せて岩の壁に隠れるのと、岩塊が旅客ターミナルに降り注ぐのは、同時だった。
立ち上がれないほどの激震に尻餅をついた。
建物の土台が掘り返され、大量の土砂とコンクリ片が舞う。
降り注ぐ岩塊が岩の壁に衝突するたびに、ビシィとひび割れが生じるのをひたすらに土壁魔術で補強する。
魔力が凄まじい速度で消費されていく。
だが、岩塊の砲弾を凌げばチャンスが来る。
右手で土壁魔術。
左手は集束水閃魔術を使うべく魔力を溜めはじめる。
ドラゴンの魔術が途切れたら、土壁魔術を解除して反撃する。
超圧縮された水を高速で射出する水閃魔術を叩き込む。
魔力を溜めに溜めた、集束水閃魔術の一撃ならばドラゴンの鱗を問題なく貫通できるはずだ。
シャウナの防御を突破した一撃なのだから。
轟が止んだ。
よし、行くぞ!
気合を入れた目の前で、岩の壁が砕け散った。
サモン・リビングシールドが俺の前に出るもガシャーンと鏡が砕け散るような音と共に割れて消えていった。
肺の空気がすべて押し出されるような衝撃。
「げほ――ッ」
粉砕された壁の破片に吹き飛ばされながら見えたのは、ドラゴンの長い尾。
空中から掬い上げるような一撃で岩の壁を破壊されたのだ。
陽織を抱いたまま俺はワンバウンドしてフロアの床に転がった。
「玲樹、玲樹、しっかりして!」
「ごぼ、ごほッ……」
吐き出されたのは血の塊。
せき込んだ拍子に陽織の頬に血飛沫が掛かってしまった。
ごめん、と言いたかったが言葉が出ない。
ひたすら咳き込んでしまう。
シャウナに反対されていたけど、痛覚遮断魔術を掛けていなかったら痛みでうずくまっていただろう。
ドドンと地面に降り立つ音が聞こえた。
振り返るとドラゴンが胸骨が膨れ上がるほどに大きく息を吸い込んでいるのが見えた。
ブレスが来る。
治癒魔術を使っている時間はなかった。
防御をしなくてはいけない。
分厚く渦を巻くドーム状の風を脳裏に描く。
風壁魔術を展開。
岩の破片を巻き上げるほどの風が俺と陽織を覆い隠した。
ドラゴンが口を開く。
咥内から堰切って吐き出された紅蓮の炎はあっという間に俺たちを呑み込んだ。
ぐんと旅客ターミナル内の気温が上昇する。
失敗した。
風壁魔術で防御するのは悪手だった。
燃え盛る炎は風の壁に阻まれて旅客ターミナルの天井から抜けていく。
しかし、鋼鉄をも易々と溶かす熱は風の壁を突破する。
学生服がきな臭い煙を上げると、ぼぅっと火が付いた。
腕と脚が炎に包まれる。
サモン・リビングソードが召喚者の危機にドラゴンに挑みかかるも、風壁魔術の範囲外に出た途端、ドロドロに溶けてしまう。
自動で反撃も困ったものである。
考えて行動するようにプログラミングとかできないんだろうか。
仕方がない。
反撃のために左手に貯めていた集束水閃魔術の効果を変更。
冷却魔術を噴霧する。
俺が水魔術の効果を攻撃から防御へ切り替えるのを、ドラゴンは狙っていたのだろうか。
劫火が途切れた。
視界が晴れたとき眼前にはズラリと牙の並ぶドラゴンの咢が迫っていた。
噛みつく気だ。
集束水閃魔術の構築は一瞬ではできない。
死ぬ。
一秒後には、鋭い牙に挟まれて、ぐちゃぐちゃに潰される。
せめて陽織だけは。
抱きしめていた陽織を弾き飛ばそうとして、しなやかな体が俺の腕をすり抜けていくのを見た。
陽織は冷静だった。
弓を構えていた。
引き絞った矢を持つ指先はぴしっと伸ばされていた。
ドラゴンを睨み付ける瞳は一分の怯えも含まれていなかった。
「まかせて」
陽織は矢を放つ。
放たれた矢はドラゴンの金色の左目に吸い込まれて、嘘のように角膜を突き破り、矢の末端まで瞳孔に食い込んだ。
ドラゴンは悲鳴を上げた。
激痛に身をよじりたたらを踏む。
陽織が、切り開いてくれたチャンスを無駄にはしない。
俺は集束水閃魔術を再構成する。
残り少ない魔力をすべて詰め込んで、溜める、溜める、溜める――!
一極一点に凝縮するようなイメージを込めて、渾身の魔力を集約させた。
「玲樹、撃って!」
貯めた魔力を一気に解き放つ。
高圧縮された水が一条の閃光となって、駆けた。
集束水閃魔術の一撃は、ドラゴンの胸元を食い破り、肋骨を砕き、心臓を喰らいついた後、背中から抜けて片翼を吹き飛ばした。
ドラゴンを貫いた集束水閃魔術は旅客ターミナルの壁を綺麗にくり貫いて夜闇へと消えていった。
巨体が地に沈み静寂が訪れる。
「っしゃああ!」
「やったわね!」
勝利を喜んだのもつかの間であった。
俺は体をくの字に曲げて倒れてしまった。
「ぐ……、ぅぁぁぁ……」
全身が痛い。
魔力をすべて使い果たしたことにより、痛覚遮断魔術が消えてしまった。
シャウナに腕を千切られた時よりも痛い、熱い。
痛みのあまり叫ばずにいられないが、呼吸をすれば肺が痛む。
生地獄である。
「だいじょうぶ!?」
陽織が懐中電灯を使って俺の周囲を照らしてくれる。
陽織が息をのむ。
己の体ながら、思わず目を反らした。
「ひどい……」
体の状態はぐずぐずだ。
両足と左腕は火傷のせいで黒くひび割れていたり真っ赤に膨れ上がっている。
息を吸うたびにズキンズキンと肺が痛む。
右腕は火傷はないけど折れている。
「玲樹、魔術を使って早く治さないと」
魔力がないので治癒魔術は使えない。
この大怪我を治すに必要な魔力はどれだけ寝ていれば回復するのだろう。
「……魔力が切れ、てる……魔力が、戻らない、と。魔術は、使え、ない……」
「そ、んな、嘘でしょう……」
「悪ぃ……」
暗い。
戦いの時間で夜になってしまった。
陽は完全に落ちて底なしの暗闇が旅客ターミナルに広がっている。
一階フロアにいたゾンビはドラゴンのブレスで焼き払われているようだが、時間を置けばまた集まってくるだろう。
別の魔物も寄ってくるかもしれない。
「陽織……朝、が、来るまで。どこかに、隠れて……。魔物が、やって、きても、大丈夫、なように……」
「……う、うん……」
陽織は答えると、俺の右腕を首に回して体を支えて起き上がらせた。
女の子とは思えない力技で俺を持ちあげるとゆっくりゆっくりと歩きはじめる。
「俺は、放って、おけ……。まず、は、安全な、場所を……」
「できるわけないでしょ! 放っておいたら、ゾンビに噛まれてゾンビになるわよ!」
陽織、お前は漫画の見過ぎだ。
この世界のゾンビは噛まれるとゾンビになるような仕様はない。
ただ攻撃手段が腕を振り回したり、噛みついてくることなので、ゾンビの攻撃によって死んでゾンビになることはありうる。
ていうか俺もこのまま死ぬとゾンビになるのか。
陽織に噛みついたり殴りかかったりするのは困るな……ちゃんと死体は焼いてくれよな。
「俺が、ゾンビに、……なったら、ちゃんと、倒せ、よ、な……」
「馬鹿なこと言ってないで! ほら、横になって」
フロアの片隅に救護所のような施設があった。
簡素なベッドの上に俺を横たえると、棚をひっくり返すかのように使える物を漁り始めた。
陽織は使えそうな物を抱えると、背もたれのない椅子を持ってきて横に座った。
「無理だ、って……炭化するほどの火傷、だぞ……」
「右腕見せて」
見せても何もろくに動かすことなどできやしないので好きにしてほしい。
陽織は硬めの雑誌を腕に当てるとビニール袋を裂いたもので縛っていく。
しかし、俺の右腕はなんで火傷していないんだろう。
陽織はどうだろう。
顔を見ると火傷ひとつなく、頬に俺の血がついているくらいだろう。
制服と髪がこんがりしているものの、火傷なし、骨折なし、怪我らしい怪我は何もなかった。
よくわからないけど、陽織に怪我がなくて本当に良かった。
右腕の応急処置を終えた陽織は、俺の左腕と両足を見て青ざめていた。
「いい……放って、おいて、くれ」
左腕と両足の大火傷はどうしようもなかった。
未開封の医療用タオルがあったので、持ってきた水筒の水に浸して、左腕と両足に掛けてくれた。
火傷を冷やす心遣いはありがたいんだけど、もう足の感覚はないんだよな。
そんなこと告げるの野暮ってものなので陽織にされるがままになっておく。
音のない静かな夜が過ぎていく。
懐中電灯の明かりはつけっぱなしにしており、医療設備のぼんやりとした輪郭が闇に浮かぶ。
本当はうめき声を上げたいくらいに痛い。
しかし、目の前には今にも泣きそうな幼馴染がいる。
陽織が俺の右手を握りしめ、片時も目を離さないものだから必死に声を殺している。
俺は見栄っ張りですから。
やせ我慢全開で幼馴染の涙腺を守るのだ。
「痛かったら我慢しなくてもいいわよ……?」
「だいじょうぶ、だ、って……」
陽織は救護室の外から聞こえてくる物音に警戒しつつ、不安を紛らわせるかのように話しかけてくる。
お前が見守っているから苦しみにくいんだよ、とは言えない。
また咳き込んだ。
吐いた血が陽織の制服の袖をじわりと染め上げる。
また汚してしまった、申し訳ない。
「……ごめんね、こんなはずじゃ、なかったのに……」
頬にポツッと雨が落ちてきた。
しょっぱい。
またポツポツッと降ってきた、大雨だなこりゃ。
「……泣く、なよ」
陽織の瞳から涙が溢れてくる。
涙を拭いてやろうと左手を動かすそうとするが、これっぽっちも動きはしない。
左腕の感覚も消え失せている。
「……私が空港に行きたいなんて、言わなければ、こんな……」
「気に、すんな……」
意識が朦朧としてきた。
気づけば体が燃えるような熱さは感じなくなっていた。
ただただ、寒い。
背中から氷のような冷たさが這い登ってくる。
「もう、ふ……とって、くれる、か……さむぃ……」
陽織は周囲を見渡してから、何を思ったかベッドのシーツを引っ張って俺をずらした。
右手を抱きながらベッドに寝転がる。
狭い。
おっぱい当たってる。
おい、お前は毛布じゃないぞ。
陽織はブレザーを脱ぐと俺の体に掛けてくれた。
なんだろう、気休めくらい温かくなったような気がする。
「温かい?」
「……ああ、すこし、な……」
右腕から陽織の心臓の鼓動が伝わってくる。
脈打つ鼓動が少しだけ早くなった。
「玲樹、まだ……、平気?」
「ああ……へい、きだ……」
陽織は、躊躇いがちに、恐る恐る口を開いた。
「……玲樹は、私のことを、どう思ってる……?」
「……ゆうしゅう、な、おさななじみ、だと……おもっているよ」
嫌いだったら幼馴染なんぞやっていない。
隣家の同い年の女の子、その認識のまま過ごしていただろう。
「そ、それだけ、かな……? 私たち、ずっと一緒だったからさ、他に、なかったりしないかな?」
「そう、だな……。ずっと、いっしょだ、な」
顔を合わせない日がないくらいに陽織との付き合いは長い。
男と女の関係よりは家族と呼べるくらいの距離感のまま過ごしてきた。
ハッキリ言おう。
好きだ、と言う気持ちはずっと持っていた。
でも言えなかった。
居心地の良い距離感に甘え続けていたのだ。
臆病な俺は、陽織とのふわっとした関係性を壊したくなかったのだ。
このタイミングで話を振ってくるんだもんな。
そういう事だよな?
勘違いだったりすると微妙な気分のまま死ぬことになるんだが……、まあいいか。
どうせ最後だ。
「……好きだ、とか。そういうことか?」
沈黙が続く。
「私の事、好きなの?」
「……ぁ~~、ぅ~~、…………好き、だよ」
ああ、やっぱり言うんじゃなかったかな。
俺がもやもやとしていると、 陽織はほっと呟いた。
「そう、良かった……」
嗚咽と鼻をすする音が聞こえてくる。
「じゃあ、いいよね……」
何のことだと思いきや。
俺の頬を陽織の温かい手が包む。
驚き目を開くと、陽織の顔が目の前にあり、唇と唇が触れ合った。
「私も、玲樹のこと好きだよ……」
泣き笑いの顔で陽織は言った。
ちくしょう、そういう事かよ。
「ん、だよ……告って、おけば、エロいこと、くらい、できたかもな……ざんねん」
「……!? な、何言ってんのよ、馬鹿! …………ちょこっとくらいなら、いいケド……」
ちょこっと、だと。
何を甘いことを言っているのだろうか。
ヌルヌルのドロドロになる覚悟を持ってもらおうか、男の真理を悟っていただきたい。
視界が急速に狭まっていく。
瞼が落ちる。
「わるぃ、もう、ねるわ……」
陽織がぐっと右手を強く握る。
俺は目を開く。
「……うん、おやすみ……」
俺が死んだら死体を焼いて骨を砕いて、朝になったら空港を出る準備をしておけよ、と言いたい。
自殺するカップルみたいな無理心中はマジで止めてほしい。
が、頭は回るのに舌が追い付かない。
瞼が落ちる。
もう、目覚めることはないだろう。
右腕には陽織の温かさと鼓動を感じた。
最後に感じるのが幼馴染の生きている感触か、死ぬときに一人じゃないって感じ、悪くないな。
自分が死ぬことが怖くない。
怖くない――。
そして、すべての感覚が消えてなくなった。