第百十話 「誰も知らない記憶」
陽織は玲樹の目の前で手をヒラヒラを振る。
玲樹は反応しない。
ぼんやりとした表情で陽織を見上げている。
ちょいと悪戯に頬を摘まんでムニムニと引っ張ってやるが、やはり反応はない。
「……うーん、ちょっとムリヤリ過ぎたかな」
催眠術を掛けて隠していることを聞き出そうと嫁たちで決めたものの、いざやってしまってから後悔をしている。
玲樹は頑固なところもあるけど説得やお願いをすれば話してくれたかもしれない。
「その気になれば振りほどくこともできたのに、抵抗しませんでしたね。強引な手を使ってちょっと申し訳ない気がします……」
シャウナも顔を曇らせている。
が、マイナスの雰囲気を吹き飛ばすようにアウローラが声を張り上げた。
「ヒオリも師も甘い! レイキの優しさにつけこまれて窮地に陥るかもしれんのだぞ。機械人と同盟を組む理由を問い詰めなくては……」
「アウローラの仰る通りですわ。力及ばぬぶんは知略でレイキの助けとなることがわたくしたちの役目、レイキが良かれと思った事でも、時には否と突きつけることも必要です!」
セリアのいう事も最もだ。
私たちは玲樹のために最善を模索し続けなければならない。
……いや、強制じゃないんだけどね。
玲樹のためにしてあげたいのだ。
「まぁ、……あんまり誉められたことではないけど、今回はしょうがないかな」
玲樹は、神獣との戦いで魔王国に戻ってきてからときどき険しい表情をしていた。
話してくれるものだと思っていたからあえて問わなかった。
でも、玲樹は私たちへの相談なしに決断を下した。
機械人と同盟する、決定をしたわけだ。
機械人と同盟を組むことについて私たちに後ろめたさを感じていたのかもしれないけど、同盟を組む理由が仮想世界の脱出だけとなると納得しきれない。
「よし、はじめるとするか。余は魔法でレイキの記憶を読んでいく。そちらはそちらで任せるぞ」
アウローラは目を閉じると、右目の紋様が煌々と輝き始めた。
その様子を見てラテラノが口を挟む。
「アウローラ、記憶読解は負荷が高い。制御が難しくなったら、すぐさまアニムスを解放した方がよい」
「うむ。承知した、ラテラノ」
ラテラノはアウローラの横に座って魔法の制御を見守りはじめた。
魔法の事ならラテラノが専門だ。
あっちは彼女に見ていてもらえばいいだろう。
「こちらもはじめましょ」
陽織にシャウナは小さく頷く。
玲樹の対面になるように座ると穏やかな声で質問をはじめた。
「……レイキ、正直に答えてくださいね。嘘をついたりはぐらかしたりしてはいけませんよ?」
玲樹はゆっくりと頷いている。
ここで素朴な疑問を感じる。
「催眠状態でも嘘をついたりってできるの?」
「できますよ。強迫観念に支配されていれば安全だという事を理解させないと話してはくれません。意思が強い場合は、……そうですね、誘導したり、信頼を与えたりと工夫をしないといけません」
妖術もすべてに万能なわけではないらしい。
魔法で記憶を読むのも万能でない部分があるのかもしれない。
その辺りはラテラノが上手くやってくれるといいんだけど――。
と、そこで作業を中断させてしまったことに気づく。
「おっと、ごめん。続けてちょうだい」
まずは玲樹から情報を得ることが第一。
陽織は興味本位の疑問をそっと置いておくことにする。
「……機械人たちと同盟を組むことについて隠していることがありませんか?」
「……あるよ」
「それはなんですか?」
玲樹は滑らかに首を振る。
「言えない……、確証はないから。俺の勘違いかもしれない……」
質問に拒絶の回答。
これは、意思の力で答えないようにしているってことかな。
重ねてシャウナがお願いする。
「確証がなくても知りたいのです。教えてください」
「……ダメだ。皆には知ってほしくない。……ダメだ……」
「私たちは秘密を知っても態度を変えたりはしませんよ?」
男がひた隠しにすることと言ったら女絡みだろう。
多重婚状態でいまさら浮気がどうとか言うつもりもないけれど、うーん、エイルならしょうがない。
まったく知らない第三者だったりすれば、チクチクチクチクと虐めるだろう。
ラテラノとかシギンだったら?
処刑かな。
あー、楽しみだなー。
再構築魔術が使えるから何でもできる。
斬って殴って嬲って刺して晒して垂らして、でも、それって私の愛なの。
横から肩を叩かれて、ふと我に返る。
げっそりとした顔でセリアがこちらを見ている。
「ヒオリ、女の問題ではないと思いますのでそんな黒い言葉をブツブツと呟かないでくださる……?」
「おっと、ごめん……」
心の声が漏れていたらしい。
咳ばらいをひとつ、感情を切り替えて現実世界に戻ってくる。
シャウナがいくら質問しようとも玲樹は口を割らない。
「……ダメだ、皆に話すことはできない……」
玲樹は耐えるように唇を噛みしめている。
よほどの秘密を抱えているのだろうか。
でも、いったい……何をそこまで隠すのか?
「困りましたわね。先生、どうしますか?」
「説得するしかないでしょう。レイキは、私たちに話すことを不安に思っているわけですからね」
シャウナは玲樹の手をそっと取る。
「レイキ、前にも言いましたよね。あなたは自分を犠牲にし過ぎです。私たちは頼りない存在だと思われていることは知っていますが……、私も、陽織も、アウローラも、セリアも、新しい力を手に入れて足手まといではなくなっています。もっと私たちに信じてください」
セリアもシャウナの手の上から掌を重ねる。
「先生の仰る通りですわ。一人ですべてを決めることの愚かさをわたくしは知っています。レイキもすべてを一人で抱えるのはやめましょう。貴方の力で切りぬけられない困難を一人で解決できるとは思えない。皆で乗り越えるのです」
玲樹は背を丸めて蹲った。
迷うように頭を振って呻く。
「……俺は……」
ちらりとシャウナとセリアの視線がこちらを向く。
あと一押しを私にしろと言うのかね。
シャウナとセリアに粗方言われてしまったような気もするが、ひとしきり何を言うべきかを迷い、ひとつだけ伝えておこうと思った。
「レイキ、真実を話すよりも優しさが大切って言葉もある。でも、本当に優しくしたいのなら真実を話してほしいの。私たちには真実を受け止める覚悟があるわ」
首を垂れる玲樹に手を添える。
宥めるように、落ち着かせるように、玲樹の頭を撫でた。
玲樹はずいぶんと長い事黙りこくっていた。
陽織も皆もじっと玲樹の反応を待ち続けた。
そして、玲樹はコクリと首肯する。
「……わかった……、これから話すことは、……起こるかどうかもわからない、未来の話だ……」
玲樹の口から語られたのは予想だにしない話だった。
シームルグに見せられた夢について。
陽織の死、セリアとシャウナの死、アウローラとラテラノの死。
見えてはいないが他の人間も死ぬかもしれない不安。
玲樹はすべてを語り終えると深いため息を吐いた。
体内に残っているカイゼリン・ガイストの毒素が妊娠したことにより突然変異して死に至る。
妊娠したということは、つまり子供ができたということだ。
しかし、死んでしまうという事は陽織も陽織の子供もこの世から消えてしまうという事で。
陽織は聞かされた自分の死について嬉しいような悲しいような微妙な気持ちに悩まされていた。
そんな陽織とは裏腹にシャウナは安堵の表情を浮かべている。
「原因がわかってよかったですね。取り越し苦労という事ですから深刻な話ではなさそうです」
深刻な話ではないとは確信を持った言い方だ。
シャウナの様子にセリアも疑問符を頭に浮かべている。
「玲樹の話は、嘘……ではなく勘違いか何かですの?」
「シームルグの夢は妖術で毒の夢と呼ばれるもの。見せた相手の精神に入り込み、記憶の混濁や思い込みを発生させるのです。……ここまで長引くのは稀だと思いますが……、シームルグが厄介な魔法の使い手だったという事でしょうね」
そんな断言しちゃっていいの、と口に出しかけて思いとどまる。
流れは玲樹の勘違いで収まろうとしている。
陽織は妖術のことは詳しくないし毒の夢についても知らない。
だから何とも言えないのだけれど、心がざわついている。
自分の死について聞かされたから精神的な不安に囚われているのかもしれないけれど、シャウナの意見に頭から賛同できない自分がいた。
とは言えシャウナの意見を否定して赤っ恥を書くのも嫌なので、もう一人の調査員を引き合いに出して結論を先伸ばすことにする。
「シャウナの妖術では玲樹の勘違いっぽいってわかったわけだから、あとはアウローラが何を見てくるかを聞いて見ましょ」
全員の視線がアウローラとラテラノに移る。
が、そこでゾワリと悪寒が奔った。
「え――」
ちりっと肌が焼く感覚に咄嗟に身を斜めに傾ける。
室内を鋭い魔力の乱れが駆け抜けた。
陽織の髪が数本宙を舞う。
テーブルに乗っていたガラスのコップが粉々に砕け散り、カーテンが弾けるように引き裂かれた。
出所は、アウローラだ。
「ぐ、ぐぁ……、これ、は……! うぁぁ――!」
突然、アウローラは右目を押さえて苦しみだす。
「いけない! 魔法を維持しているアニムスを解放して――」
ラテラノがアウローラの背中に飛びついた。
「何が起きている!?」
壁際に控えていたライルはシギンを庇うように抱え上げる。
「く、ぬぅぅぅ……!」
アウローラは気合を込めてアニムスを抑え込む。
そして、体に掛かる反動を無視して強制的にアニムスを霧散させた。
バヂィィィンと金属がはじけ飛ぶような音と目を焼く灼光が室内に迸った。
右眼を押さえるアウローラの指先から鮮血が流れ落ちる。
「治療するわ!」
陽織はアウローラに駆け寄るとすぐさま再構築魔術を掛けてあげる。
出血は止まり傷跡一つ残らないアウローラの素顔が現れる。
「……すまんな。助かった、ヒオリ」
「私は平気だけど。何を見たの?」
血に濡れた顔をハンカチでふき取ってやりつつ尋ねる。
あんな状態になるのが記憶読解の魔法だと言うのはちょっとおかしい。
何らかの異常があったに違いない。
「その前に確認をしたい」
アウローラが問いかけるのは、シャウナだ。
「師が玲樹と出会ったのは森の中、玲樹の乗っていた乗り物に跳ね飛ばされたところで相違ないだろうか?」
「え、ええ……そうですけれど」
問いかけの理由がよくわからないのかシャウナは首を傾げている。
「勿論、跳ね飛ばされたのは一度だけであろうな」
「そうですよ。もちろんです」
「そうか……。そうであろうな」
アウローラは腕組みをして一人頷く。
一人で納得していないで早急に説明をしてほしいんだけどな。
陽織の声を代弁するようにセリアがアウローラに詰め寄った。
「いったいどういうことですの? 一人で納得していないで説明をしてくださいな!」
アウローラは信じられんかと思うが、と前置きをしてから再度口を開く。
「玲樹の記憶は、師との出会いから皆の死までを繰り返している。……少なくとも三回は」
全員がアウローラの言葉の意味を理解すべく黙り込む。
騒然とした室内は一瞬で静けさに満ち、時計の針の音だけがこだましていった。