第十一話 「樹海都心」
翌日。
いつものように朝食をとる。
いつものように模擬戦をする。
そして、いつものようにミシュリーヌへ修行へ行くかと準備をしていた時だった。
陽織がやってきてお願いをしてきた。
羽田空港へ行きたい、と。
「ワイバーンちゃんに乗せてもらうのは二回目だけど、やっぱり楽しいわね!」
「あんまり身を乗り出して落っこちるなよ。落ちたら拾い上げられるかわかんないんだから」
眼下は見渡す限りの大森林である。
屹立する高層ビルだけが人工物として見えているが、外壁には植物が生え伸び、巨大樹のような有様となっている。
俺と陽織は空を悠々と飛んでいる。
召喚魔術で呼び出した魔物、サモン・ライディングワイバーンに跨り、羽田空港に向けて飛行していた。
ワイバーン、とは。
緑色の鱗を全身に纏うドラゴンに似た風貌を持ち、鉤爪のついた大きな翼を羽ばたかせて大空を飛び回る、空の魔物だ。
騎乗用の魔物はライディングの名称がつく。
ライディングがつく魔物を召喚すると騎乗用の鞍がついており便利である、とシャウナが説明してくれた。
移動するときは必ずサモン・ライディングワイバーンのお世話になっている。
鞍の先頭に陽織を乗せて後ろに俺が座っている。
俺より少しばかり背の低い陽織を後ろに座らせると前が見えないと喧しいからだ。
「そうそう落ちやしないわよ。それに、命綱もつけてるから平気でしょ?」
陽織は自分の腰と俺の腰に巻き付けられたビニール紐を引っ張ってみせる。
そして俺の交差した掌をぺたぺたと撫でる。
「あと玲樹が支えてくれてるしね。……手つきがなんかやらしいけど、さりげなくお腹撫でないでくれる?」
「お腹が冷えないようにという幼馴染心だよ」
「あっそ。……少しずつ手が上に来てるけど、それ以上するなら生爪剥がすわよ」
「……不可抗力だよ」
なんて恐ろしいことをいう幼馴染だろうか。
とは言え、他人様の腹筋を勝手に楽しんでしまうのは良くない。
長い付き合いだからつい距離感をないがしろにしてしまうが節度は大事である。
俺は素直に手を放して鞍に手を乗せた。
腕に妙な感触が当たる。
なんと、陽織が俺の腕をわっしと掴んでいるではないか。
「おい! 手を放したんだから爪を剥がすなよ!?」
「違うわよ。あんたが人のお腹で楽しんでいたから、私もしたいだけよ」
陽織は腕を触り、腕の付け根まで、俺の肉を楽しんでいる。
虚弱な体がバレてしまう。
ちょっと見得を張るべく腕に力を込めて筋肉をアピールしてみる。
「どうかね? 俺の鍛え抜かれた腕橈骨筋の具合は」
「どこに筋肉があるのよ。ぷにぷにじゃない」
マウスより重い物持ったことないし、いまだって魔術専門だからプニ腕でも問題ないのだ。
「あ! ねえ、あそこの店まだ缶詰とか残ってる」
陽織が突然に地上を指さした。
指のさす方向を見ると、大きめのショッピングセンターが見える。
ショッピングセンターの天井は大きく崩れており薄暗い店内が見えている。
「遠……、良く見つけたな。っていうか、危なくないか? 降りれなくもないけど……」
「あ、ゴブリンがいる」
ショッピングセンターの崩れた壁からぞろぞろと小さな人影が現れた。
やや緑っぽい肌に尖った耳。
粗末な腰布に申し訳程度に革の胸当てをつけた小人が六人。
手には大きなビニール袋と真新しいピッケルを持っている。
どうやらショッピングセンターで拾った物をゴミ袋に詰めて持ち歩いているようだ。
ピッケルは商品として並んでいる物を頂いたのだろう。
避難民が食糧難になっている原因はゴブリンが一番の原因だったりする。
ゴブリンは悪食で人間の食べられるものならば何でも食べる。
コンビニやスーパーの廃墟から食料が消えるのも一瞬の話だった。
「まだ気づいていないみたいだから。弓で倒すわよ」
陽織は矢を取り出すと、背負っていた短弓に番えた。
「数が多いけど大丈夫か? 弓を持っている奴もいるぞ」
「弓持ちのゴブリンから倒すわ」
「わかった。俺は魔術でピッケル持ちを狙う」
俺はサモン・ライディングワイバーンに命令を出す。
ゴブリンたちに俺たちの影が見えないような位置をゆっくりと旋回する。
ゴブリンは魔物の中でも弱い。
しかし侮るなかれ。
ゴブリンは非力で臆病な生物であるが、狡猾でかつ残忍であり、学ぶ生き物である、とシャウナは言った。
陽織は引き絞った弦を離す。
風切り音と共に撃ち放たれた矢は戦利品を数えていた弓持ちゴブリンの頭を貫いた。
続けてもう一矢。
弓持ちのゴブリンをすべて倒した。
「おお、さすがにうまいな!」
「褒めてないで玲樹も攻撃して」
おっしゃる通り。
俺は人差し指をゴブリンに突きつけると無詠唱で魔術を発動させた。
炎閃魔術を発動。
狙いたがわずゴブリンの胸を撃ち抜いていく。
ゴブリンたちは自分たちが攻撃されていると気が付いた時には、一匹を残して地面に倒れ伏していた。
最後の一匹目掛けて陽織の放った矢が放たれる。
陽織の矢はゴブリンが持っている円形の盾に弾かれる。
「く、盾持ってるわ!」
俺が炎閃魔術で狙い撃つと、円形の盾に当たった途端に、靄のように消え失せてしまった。
「魔術に耐性のある盾みたいだな、うん」
「どうするの?」
「力技でなんとかなるんじゃないかな」
そう言って、俺は炎魔術を溜め始めた。
「これは耐えられるかな?」
俺は突き出した右手から集束炎魔術を発射した。
電柱ほどの太さの熱線が盾を構えるゴブリンに命中した。
円形の盾は見るも無残に溶け落ちる。
防御していたゴブリンは熱に飲まれて炭となる。
ゴブリンたちは全滅した。
「よし。袋に入っている食料を回収しよう」
「ダメ。様子を見るわよ」
陽織が待ったを掛けた。
「なんでだ?」
「ゴブリンは自分たちの群れを二つに分けて探索することが多いわ。もう一グループ近くにいて、降りたところに襲いかかってくるかも」
「マジか……良く知っているな。先生に教えてもらったのか?」
「身を持って体験したからよ」
ゴブリンは賢い。
一匹ならばバットを持った運動不足のお父さんでも余裕で退治できるだろう。
しかし、ゴブリンは自分自身のことをよくわかっているので絶対に一人では行動しない。
少なくとも六人以下で行動することはない。
他のグループがいるとするなら六人以上いるだろう。
六人のゴブリンに襲われれば、大人でもひき肉にされてお終いだ。
陽織は実体験と言ったが、良く生きて帰ってこれたものだ。
「それじゃあ囮を頼むとするかな」
「私は嫌よ」
「陽織にやらせるわけないだろ。召喚した魔物にやらせるんだ」
俺は召喚魔法陣を空中に作成すると一匹の魔物を召喚する。
グレムリンである。
描かれた魔法陣から飛び出してきたグレムリンはサモン・ライディングワイバーンの首に飛び乗る。
大きな目をクルクルと回すとぴょんと飛び跳ねて陽織の腕の中に収まった。
「わ!? なにコレ、かわいい!」
か、かわいいか……?
グレムリンは、メガネザルに似た顔つきに小さい羽と大きな耳を持つ悪魔である。
陽織の感性にかとなく疑問を感じる。
「それは、グレムリンっていう魔物だ。偵察や攪乱に向いてるらしい」
「だいじょうぶ? この子が可哀想じゃないの」
「暗黒魔術を使えるしゴブリンよりは強いから平気さ」
ゴブリンの荷物を拾ってくるように命令すると、グレムリンは蝙蝠のような翼を羽ばたかせて地上へと降りて行った。
グレムリンはビニール袋を拾い始める。
周囲に変化はない。
他のゴブリンの姿はいないように見える。
取り越し苦労ってやつだろうか。
「後ろッ!」
陽織の警告に振り返る。
金属の矢尻が太陽の光にきらりと光った。
風魔術で防御をと思ったが間に合わない。
そのとき、俺の背中から飛び出した物があった。
そいつは飛来する矢の前に立ちふさがり、俺と陽織に迫る矢を弾いた。
カン、カァン、と甲高い金属音が鳴り響く。
「危っぶね。召喚しておいてよかった!」
サモン・リビングシールドだ。
俺はこのリビング系の魔物を非常に気に入っており常に召喚している。
魔術師だから接近戦はできないし、不意打ちの攻撃からも自動で守ってくれるので非常にありがたいのだ。
しかし、ゴブリンの奴ら頭良いな。
七匹のゴブリンが俺たちの背後にあるビルの屋上から矢を射かけてきている。
先程倒したゴブリンたちの別チームに違いない。
「ワイバーンをあっちに向けて! ここからじゃ狙えないわ!」
「ヘリコプターじゃないんだからその場で旋回はできないんだよ」
とは言いつつ、このままではゴブリンに矢を撃たれっぱなしになってしまう。
こんなこともあろうかと。
リビング系大好き少年の俺は抜かりなく攻撃用の魔物も召喚している。
「ゴブリンを蹴散らせ!」
俺の命令を受けて、背負っていた大振りの長剣が抜き放たれた。
勝手に抜けていったので発射されたとでも言うべきか。
鞘から飛び出した剣は、サモン・リビングソード。
サモン・リビングシールドと対の装飾を施されたきらびやかな両刃剣の魔物である。
サモン・リビングソードは曇りなき刀身を披露すると電光の如くゴブリンたち目掛けて特攻した。
ゴブリンたちは慌てて武器を持ち替えるが遅すぎる。
一の太刀、二の太刀、三の太刀。
一振り二殺。
舞うような剣筋によってゴブリンたちの胴と首は分たれた。
最後に背を向けて逃走しようとしたゴブリンを頭から股間にかけて一刀両断する。
あっという間にゴブリンを片付けたサモン・リビングソードは疾風の如く鞘に戻った。
「すっごいのね……」
「敵としては戦いたくないよな」
接近されたら瞬く間にバラバラに解体されてしまうに違いない。
ゴブリンを片付けるのと同じくしてグレムリンが帰ってきた。
袋の中身を改めてみることにする。
「うーん……缶詰は食べられそうだけど、あまり良いものは持ってないわね」
「ガラクタばっかりだな」
果物の缶詰が三個と肉の缶詰が一個。
そして、カップ麺の段ボールが一箱。
戦利品は少なかったがいいお土産ができたと考えることにしよう。
さて、道草ばかりしていると暗くなる前に淵ヶ峰高校に帰れなくなってしまいそうだ。
本来の目的を達成すべく俺たちは目的地へと急ぐことにした。
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夕暮れになる頃、俺たちはようやく羽田空港へと到着することができた。
羽田空港は廃墟となっていた。
だだっ広い滑走路には数機の旅客機が放置されており、入り口には空気の抜けた緊急脱出用のスロープが簾のように風になびいている。
魔物の襲撃があって慌てて脱出した飛行機なのかな。
空港にミシュリーヌからやってきた魔物の姿はなく、空港で亡くなったのであろう人のゾンビがうろうろと彷徨っているだけである。
「あーあ、ガセネタだったわね」
陽織は深いため息をつく。
期待していたのかもしれないなと俺は思った。
淡々とした口調であったが、声は震えていたから。
「まだ時間はあるし空港を探索しよう。自衛隊はいないかもしれないけど、到着した痕跡とかあるかもしれないだろ?」
正直に言えば時間はなかった。
いまから引き返しても淵ヶ峰高校に到着するのは完全に日が暮れるだろう。
夜の空に活動する魔物は多い。
さらに、都市の明かりはすべて失われているので周囲は月と星の明かりだけになってしまう。
魔術で明かりは出せるけど夜の空の明かりは魔物が寄ってくる。
夜になるまでに帰らなくてはならない。
でも。
せっかくここまでやってきたんだ。
何かしてやりたかった。
「……ありがと。でも、今日は帰ろ? もう時間も遅いし」
「だけど」
ふっと地面が暗くなった。
日が落ちていて薄暗くなっていたこともあって気付かなかったのだ。
巨大な影が真上から落ちてきた。
轟音と衝撃。
建物の屋上に大きな亀裂が入り、コンクリートの破片が周囲に飛び散った。
俺と陽織は風圧に吹き飛ばされる。
ゴロゴロと数メートルは転がってからようやく止まった。
「大丈夫か!」
どうにか起き上がった俺は陽織へ走り寄る。
サモン・ライディングワイバーンの悲鳴が聞こえた。
ついで魔力の消失を感じた。
召喚した魔物は、送還することで俺の魔力となって戻ってくるが倒されてしまうと召喚に使用した魔力が失われる。
サモン・ライディングワイバーンは一撃で即死したのだ。
きらきらと光の粒子が浮かび上がり、サモン・ライディングワイバーンの体が消えていく。
心臓が早鐘を打つ。
膝が笑えるくらいに震えはじめた。
俺はサモン・ライディングワイバーンに襲いかかった者を見た。
赤く燃えるような陽を背にして巨体が動く。
「ド、ラ……ゴン……」
陽織が呟く。
ドラゴンは己が狙った獲物が肉のない生き物であることを知って次なる獲物を探していた。
金色の目玉が俺と陽織を見つけると虹彩がきゅっと細くなる。
「グルゥォォォォォォ――ッ」
内臓がビリビリと震えるような雄叫びを上げると、ドラゴンは猛烈な勢いで襲いかかってきた。