第百一話 「説得」
目覚めると掌に温かく湿った土の感触を覚えた。
ゆっくりと体を起こして辺りを見渡す。
俺はまばらに草の生えた広場に寝かされていた。
横を見ると、俺の左腕を胸に抱いてシャウナが眠っている。
夢の中で出会ったときの狐耳に九本の尾を持つ姿になっている。
一体全体どうしてこの姿になったのかはあとで尋ねることにするか。
「ナガレ、目覚めた?」
「ラテラノ……! 無事だったか」
真後ろの声に振り返ると、ラテラノが座っていた。
どこも怪我をしている様子はなくぴんぴんしている。
アニムス・オルガヌムを装備しており、戦う気力も万全に整っているように見えた。
ラテラノの奥にはレギンレイヴの姿もある。
「大魔王殿、急いで脱出を。転移魔術施設はすぐに展開できるだろうか?」
「飛べないのか?」
「実は……」
レギンレイヴのレーダーによると、この大陸は敵に包囲されつつあるらしい。
通常の敵であれば強引に突っ切ることも可能だが今回はやめたほうが良いかもしれないと言う。
「マギアが攻めてきている。間違いがあれば、助からない。安全に逃げるべき」
ラテラノの説明曰く。
マギアに侵食されれば肉体も魂もマギアに同化してしまう。
マギアを倒しながら突破を試みるよりは、転移魔術施設で魔王国に飛んだほうが安全だ。
脱出後は、時限爆弾で施設を破壊すれば、マギアが魔王国になだれ込んでくるのを防げる。
「それに、モコモコを連れていくにはレギンレイヴは小さい」
「もこもこ?」
ラテラノが指をさす先、広場を囲う森の陰に何やら生き物の姿がある。
二足歩行するアライグマかタヌキのような奴らだ。
頭には木の兜をかぶり、暖かそうな毛皮があるためか衣服は身に付けていない。
いや、一匹だけ黒い服を来ているやつがいる。
「俺のブレザァァァー!」
人が寝ている隙に奪うとはふてえ野郎だ。
タヌキに突進してブレザーを奪い取りにかかる。
「こら! 返せ!」
「これは戦利品だぬ。返す義理はないだぬ」
がっちりとブレザーを死守する、タヌキ。
襟を掴んで脱がそうとする、俺。
無言の攻防が続く。
木の兜の飾り角には銀色の指環がついている。
これも俺のものだ。
こっちは絶対に返してもらわなければならない。
「指環は返せ。服はやるから!」
「返す義理はないだぬ!」
この野郎、強情なタヌキだな。
鍋にしてやろうかと思いながら、作戦を変えて交渉してみることにした。
ダメなら鍋だ。
潤滑魂でプラチナを作り出すと、記憶を便りに意匠を凝らせた指環を作り出す。
「こいつと交換するのはどうだ?」
タヌキの鼻先に作り出した指環を差し出す。
「きれいな指環だぬ」
「お前が兜につけている指環と交換するなら、やってもいいぞ」
タヌキは兜の指環と差し出された指環を交互に見つめる。
そして。
おずおずと兜の指環を外すと玲樹に手渡した。
交渉成立だ。
指環が戻ってきて良かった。
これを失ったら嫁たちに殺される。
指環を取り返して安心したところで、今一度タヌキに話しかけた。
「ところで、お前は妖獣族だよな?」
シャウナの話では、妖狐マサキなる人物に妖獣族を助けてほしいと依頼されている。
彼らを新しい土地に連れていってあげなくてはならない。
魔王国の土地はまだまだ余っているので問題ないが、素直に従ってくれるかどうかが問題だ。
ここに留まるならばマギアに呑み込まれるだけだ。
最悪、強引にでも連れていきましょうと言っていたが、今後の関係も考えて穏便に事を進めたい。
「そうだぬ。妖狐マサキ様に仕える、ヌガの森の戦士。団長のアグボウとはおいらのことだぬ!」
むふんと鼻を鼻鳴らしてふんぞり返る。
このタヌキが戦士だとは到底思えないが……、まあ、突っ込むのはよそう。
妖狐マサキにとっては大事な友達だったのかもしれない。
「アグボウ、この大陸は危険なんだ。俺たちの国に来ないか? ちょうどマサキにも頼まれているんだ、君らを連れて行ってくれってさ」
「……ありがたい申し出だぬ。でも、おいらたちはマサキ様がこの地に留まるのならいっしょに居るのが使命だぬ」
アグボウはあくまでこの地に留まると言う。
何度か説得してみたもののアグボウの意思は固く、マサキに直接説得してもらうくらいでないと梃でも動きそうにない。
妖狐マサキ。
そういえば件のマサキとやらはどこにいるのだろう。
「ラテラノ、妖狐マサキって人はどこにいるんだ?」
「マサキは死んだ」
死んだと言われても。
もうちょっと詳しい説明が欲しい。
俺の心の内を理解したかのようにレギンレイヴが補足してくれる。
「……マサキ殿は時間を稼ぐためにマギアとの戦いに赴いた。大魔王殿を救出するのに時間が掛かるだろうと考えていたからだ。事実、目覚めるまでに三日ほど掛かっている」
「三日もかよ!」
「うむ。マサキ殿が死んだと判断できるのは、彼女の住みかが消滅したからだ」
説得できそうな人がいないと判明した。
強制移住させるしかないのか?
だが、妖獣族は森の中に散らばっている。
無理矢理連れていこうとするとかなり揉めるだろうし、逃げ出された日には追いかけっこで時間を食う。
いまの会話はタヌキ、アグボウには聞こえていない。
アグボウはマサキが死んだことを知っているのか。
知っていて先のように言ったのか、知らずして言っているのか。
なんと説得したらいいのだろうかと頭を悩ませていると。
そこへ、静かな声が聞こえてきた。
「アグボウ。よく聞いてください」
シャウナだ。
目が覚めたのか。
九本の金色の尾を揺らしながらアグボウの前に立つ。
アグボウの反応は劇的であった。
全身の毛を綿帽子のように膨らせると、目を見開いて固まってしまった。
シャウナは努めて穏やかな口調で語りかける。
「私たちと一緒に行きましょう。新しい土地で新しい暮らしをはじめるのです」
アグボウはぴくりとも動かない。
驚死してしまったんじゃないだろうか、と思う時間止まっていた。
「……マサキ様を感じるだぬ」
木の兜を脱ぐ。
恭しく、シャウナに平服する。
「あんたは捕まえた異世界の人だぬ。……マサキ様は、天に帰ったんだぬ……」
「私が異世界の人だと知っても頭を下げてくれるんですね。あなたの信じるマサキから力を奪った敵かも知れませんよ?」
アグボウは首を降る。
確信を持って否定する。
「ありえないだぬ。妖狐を感じるだぬ。妖獣族はわかるだぬ。……あんたもいずれわかるだぬ」
アグボウは背を向けた。
「……ヌガの森の戦士は妖狐と共にあるだぬ。一緒にはいけないだぬ」
「おい……! このままじゃ死ぬんだぞ!」
「そうです。それに、妖狐と共にあると言うのなら、私に着いてきてください!」
俺とシャウナが言葉を重ねても決してうんとは言わなかった。
申し訳なさそうに肩を落とすのみ。
「ごめんだぬ。おいらのわがままだぬ。マサキ様がいないなら時間を稼ぐ者がいるだぬ」
言われて探知魔術を発動させる。
すでに、半径五キロ圏内に敵の光点が迫っている。
「女子供と護衛の戦士を集めるだぬ。守ってほしいだぬ、妖狐シャウナ様……」
強い意思を感じる背中に、それ以上かけられる言葉は思いつかなかった。
妖獣族の戦士は森の中へと去っていった。