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第九十九話 「これは夢か現実か」

 俺はぼうっと廊下に佇んでいた。


 ここはどこだろう。

 何故、俺はこんなところに立ち尽くしているのだろうか。

 頭が痛い。

 白いもやに掛かったかのように記憶は曖昧だった。


 俺の横には女が立っている。

 長い前髪で表情はわからない。

 ぼさぼさの白い髪に白蝋の肌はゾッとする不気味さを醸している。


 白いワンピース姿の女が、すっと指をさす。

 その先にある部屋には見覚えがある。


 ここはヴィーンゴルヴの研究棟だ。

 この廊下を進んで曲がり角を右にいけばシギンのラボがあるはずだ。


「何をやっているんですか、レイキ! 早く来てくださいとあれだけ言ったのに!?」


 切迫した声が廊下の奥から聞こえてきた。

 シギンだ。


 廊下の曲がり角から顔をのぞかせて必死の表情で叫んでいる。

 何をそんなにあわてているのだろう。


「早く! 急いで!」


 シギンに手を取られる。

 腕が千切れそうな勢いで引きずられていく。

 いったいなんだというのだろう。


「どうしたんだ? そんなに急ぐことでもあったのか?」

「そんなことって……、ヒオリが死ぬんですよ。最後を、看取ってあげてください!」


 息が止まった。


「は……?」


 陽織が死ぬ?

 どうして?


 シギンのラボに駆け込むと、皆がいた。

 シャウナもアウローラもセリアもラテラノもいた。

 皆が暗い顔で一点を見つめている。


 隔離された医療用ベッドに横たわるのは、陽織だ。


 顔に血色はない。

 唇は紫色に、瞼は黒く落ち窪んでいる。

 毛布の陰からのぞく腕には紫色の斑点が見えていた。


 あれが陽織か。

 明るく笑顔を振りまいていた、騒がしく、おせっかいな、幼馴染か。


 エイルは機械とにらめっこをしながら必死で対応しているが、モニターに映る脈のグラフは弱々しく、脈拍をあらわす電子音は不愉快な音を立てていた。


 何でこんなことになっているんだ……。


 いや、いやいや、思い出してきた。

 陽織は毒をもらっていたのだ。

 カイゼリン・ガイストとの戦闘で魔力と闘気に触れると毒素を発する成分を体に取り込んでしまっていたのだ。

 いままで毒素が陽織の体を蝕むことはなかったが、とあるきっかけでカイゼリン・ガイストの毒素が変異してしまったのだ。


 陽織は妊娠していた。

 陽織の胎児の中で変異したカイゼリン・ガイストの毒素は致命的なダメージを与えていた。

 治療の方法もいくつか考えたのだけど闘気と魔力に反応するカイゼリン・ガイストの毒素は再構築魔術リコンストラクションボディでさえ治療することはできなかったのだ。


 よって、蘇生できない。

 蘇生した瞬間に毒素が回って死に至る。


 オメガたちに連絡をとって治療をしてもらうことも考えなかったんだっけか?


「――痛ッ」


 頭が割れるように痛い。

 こめかみに氷の刃を差し込まれているかのような鋭い激痛に額を押さえた。


 ……そうだ。

 オメガたちに連絡を取れなかったのは、互いに決別してしまったからだ。

 アトランティス・ステルラを巡る戦いで完全な敵対関係になってしまったんだ。


 隔離された部屋の強化ガラスに触れる。

 セキュリティキーでロックされた扉を押し開けようとするのをエイルが止める。


「ダメだよ、ご主人様(マスター)! ここを開けたら……!」


 このガラスを超えて陽織の手を触れたい。

 しかし、魔力と闘気に毒素を振りまくカイゼリン・ガイストの変異体がある限り隔離部屋に入ることすら許されない。

 この場にいるエイルを除く全員が感染すれば死ぬ。


 死体になったとしても陽織はこの隔離部屋から出すわけにはいかないのだ。


「次へいきましょう」


 白いワンピース姿の女が隣に並ぶ。

 女の指先がラボの倉庫を指差した。


 俺はフラフラと倉庫へ向かって歩き出す。

 ピーッと甲高い電子音が鳴り響き、陽織をモニタリングしていた脈拍がゼロになったのが見えた。


 幽鬼のような足取りで倉庫の扉にたどり着く。

 たどたどしく扉を押し開けた。


 ---


 景色が一変した。


 目の前にはがれきの山が広がっている。

 倉庫の扉などない。

 振り返ると、ヴィーンゴルヴの研究棟は影も形もなかった。


 ひんやりとしたラボの空気は消え去り、肌を焼く様な熱気が渦巻いていた。

 わけがわからない。

 今度は一体なんだと言うんだ。


 この場所は忘れるはずもない。

 魔王国の離宮だ。

 瓦礫の山となった建物が広がっている。


 後ろから歩いてきた白いワンピース姿の女に追い抜かれた。

 滑るように移動する彼女の背中を追いかける。


 魔王国の離宮を出て、魔王城を抜けて、炎と煙の渦巻く市街地へと辿りつく。


 びちゃりと水たまりを踏み抜いた。

 何か柔らかいものを踏みつけた。


 足元を見る。

 ドロドロと血の川が流れていた。


 一面が死体に埋め尽くされている。

 これは魔王国の人々だ。

 死体はすべて肌が黒く染まっていた。


 マギアだ。

 アトランティスから溢れだしたマギアが異世界を順繰りに襲いはじめたのだ。

 魔王国は防衛に努めていたが圧倒的な敵の数にミシュリーヌ全土が呑み込まれ、最後には押し寄せるマギアに魔王国が侵略されてしまった。


 すべての死体は一刀のもとに切り捨てられており、凄まじい激戦があったことを物語る。

 マギアに汚染されてしまった人々をやむなく殺したのだ。


 のろりと思考が働く。


 マギアに汚染されると肌が黒く染まる。

 何故、俺は、そんなことを知っているんだろう。

 ラテラノに聞いたこともないはずだ。


 石畳を歩く音がした。

 じゃり、じゃり、と踏みしめる足音と剣を引きずる音が聞こえてくる。


 生存者だろうか。

 俺は音の聞こえるほうを頼りに走る。


 居た。

 石畳を歩くその者は見知った人物だ。


「アウ……ローラ……」


 顔の右半分だけがわずかに肌色を残している。

 それ以外のすべてがマギアに侵食されていた。


 右手には輝きを失い今にも折れそうなアニムス・オルガヌムの剣を携えている。

 左手にはマギアに汚染された小柄な人を引きずっている。


 小柄な人は、天球儀(アニムス・オルガヌム)を抱きしめたまま事切れていた。

 ラテラノだ。


「いま、助ける……!」


 アウローラの瞳がこちらを見た。

 もはや、マギアに全身を侵食されていて話すことさえできない。

 一筋の涙が流れる。


 はたと、足を止めた。

 助ける?

 俺は自分で自分の言った言葉を反芻する。

 どうやって助けると言うのか。


 マギアに汚染されると、肉体だけでなく蘇生に必要な魂までもマギアと化してしまう。

 陽織が居ないいま再構築魔術リコンストラクションボディは使えない。

 潤滑魂(マナ)を利用した蘇生も使えない。


 ドクンと心臓が大きく脈打った。

 自分がやろうとしていることに心底恐怖した。


 俺は、――したくない。

 どうにもならないのかと躊躇う気持ちを抱えたままアウローラを見つめる。


 アウローラの顔はほぼ黒く染まりつつある。

 唯一残された瞳で訴えかけてきている。


 アウローラが伝えたいことは何か手に取るようにわかる。

 間違ってはいないはずだ。

 まだ意識があるうちに、マギアではないうちに、――してほしい、と訴えているのだろう。

 どのみち助ける手段などありはしないのだから。


 俺は対消滅魔術(アナイアレイション)をアウローラとラテラノに向かって発動させた。


 ラテラノが光の彼方に消え去る。

 アウローラの足が、腕が、体が、最後に顔が消滅していく。

 威力を上げ過ぎた対消滅魔術(アナイアレイション)で視界が真っ白に染まった。


「これらは一欠けらに過ぎません」


 どこからか、ワンピース姿の女の声が聞こえてくる。


 ---


 そしてまた、目の前に広がる世界が入れ替わった。


 荒れ狂う風が吹き付ける。

 叩きつける雨にたちまち衣服がびしょ濡れになった。


 無数の魔物を従える神獣リヴァイアサン。

 対峙するのは、俺とセリアとシャウナだ。


 俺は溢れる魔物を片っ端から倒して回り、セリアとシャウナがリヴァイアサンの相手をする。


 頭の激痛は我慢できないほどの苦しみとなっていた。

 もう戦うどころではない。


 だが、俺は戦っている。

 ここまで来てようやく気がついた。

 俺は誰かが見ている光景を見せられているだけなんだ、と。


 誰かなんて回りくどい言い方はやめよう。

 俺が、流 玲樹(ナガレ レイキ)が見た光景だ。


 リヴァイアサンとセリアとシャウナの戦いの結末も無論知っている。


 救わなければ。

 助けなければ。


 俺は魔物の群れを蹴散らしてセリアとシャウナの元へと走る。

 ……間に合わないと知っているのに。


 リヴァイアサンの不意の一撃にセリアは怯む。

 そして、背後に潜ませていたリヴァイアサンの分身に襲われた。

 セリアは頭から喰われて絶命する。


 リヴァイアサンの狙いは神獣ティアマットの血を持つセリアを取り込むことだった。

 新たな力を得たリヴァイアサンはシャウナをも喰らう。


 すべての神獣を喰らい、神の力を得たリヴァイアサンが、俺の目の前に立ち塞がった。


 ---


 世界が暗転。


 墨で塗りつぶしたような暗黒の世界へと放り出される。


 俺は怒りに任せてワンピース姿の女に飛びかかる。

 しかし、触れられない。

 ワンピース姿の女を突き抜けて無様に地面に転がった。


 痛い。

 痛くて痛くて、涙が溢れて止まらなかった。


「泣いても何も変わりませんよ。あなたが迎える結末はいつも一つしかない」


 ワンピース姿の女は無情な言葉を投げ掛ける。


「ふざけんな、あんな……、あんなことが、これから起きるって言うのか!」

「ええ、エイルもシギンも、あなたに関わった人はほぼ死ぬでしょう。最後にあなたは一人になる、これがあなたの最後の瞬間……」


「やめろ! そんなもの、見たくない!」


 俺は対消滅魔術(アナイアレイション)を発動させる。


 が、霊術は発動しない。

 魔術も闘術も使えなくなっていた。

 俺は何の力もない、ただのゲーム好きの高校生に戻っていた。


 ワンピース姿の女が迫る。

 俺の頭を両手で包み込むように掴んだ。


 氷のように冷えきった指先に恐気が走った。


「怯えることはありません……、あなたはすべてを知り、受け入れ、諦めれば良いのです。それで終わり、…………ッ!」


 突然、ワンピース姿の女が飛び離れた。


 入れ替わるようにして、暖かな手が回される。

 背後から抱きしめられた。


「安心してください。レイキ、あなたを決して、一人にはさせませんよ」


 優しく穏やかな声に体から力が抜けた。

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