第九十八話 「毒の夢」
--- シャウナ視点
翌日の朝、東の空からうっすらと光が差し始めた頃。
シャウナは狐耳の女が住んでいる祠へ向かうことにした。
「待って。私も行く」
そこへ身支度を整えたラテラノがやってくる。
「まだ朝早いですし寝ていてもいいんですよ?」
「大丈夫。……気になることもある」
来たいと言うのなら止めはすまい。
あまりにも朝早いので待たされるかもしれないが、のんびり寝ていられるような気分ではないのだ。
「レギンレイヴ、あなたはどうしますか?」
「本官は魔王国との通信を試みる。時間はかかるであろうが、現状を伝えられるはずだ」
「わかりました。よろしくお願いします」
レギンレイヴは潤滑魂を回復したおかげで飛行ができるようになっている。
いつでも魔王国に戻る準備はできていると言った。
あの狐耳の女に玲樹を治癒する方法を授かり、玲樹が目覚めたのならばすぐに魔王国に戻るべきだ。
そして神獣たちの今後の対策を話し合う必要がある。
「では、行ってきます」
シャウナはレギンレイヴに手を振ると、玲樹を背負いあげた。
玲樹はいま穏やかな表情をしている。
子供らしい寝顔に安心した。
昨晩。
玲樹はたびたび苦しみうなされていた。
まるで何かを失ったかのように涙を流し、頭を抱えて呻いていた。
一体どんな夢を見ているのかわからないが、少しだけやつれたような気がする。
狐耳の女は毒の夢と言っていた。
放置しておくと死に至る状態異常なのかもしれない。
祠の前にたどり着く。
意外にも目当ての人物は祠の前で大きく伸びをしていた。
相も変らぬ大あくびである。
シャウナとラテラノを見ると、驚いたように目を見開いた。
「ずいぶんと早いのう! もう少し遅くに来るかと思っておったぞ」
「居てもたってもいられないものですから。毒の夢とやらのお話し、聞かせてもらえますか?」
「ここでは風情がない、我が家に招待しよう。ついてくるが良い」
狐耳の女は祠の中へと入っていく。
シャウナとラテラノも後に続いて扉をくぐる。
扉は小さいので必然的に頭を下げてくぐらなくてはならないのだが、祠の中で顔を上げて驚いた。
「あら……?」
「広い」
ラテラノの感想通り。
戸口から一段高くなった板の間が広がっている。
端から端までは離宮の庭くらいの面積がある。
明らかに外で見ていた祠の大きさを超えた空間が存在している。
「祠は入り口に過ぎぬ。この中は、あっしの妖術で作り出した幻夢の空間じゃ。……おぬしらの文化はよう知らんが履物は戸口で脱げよ。板の間は土足厳禁じゃ」
どうやら一段高く設定されているのは靴を脱ぐためらしい。
玲樹の実家も同じような作りになっていた。
狐耳の女はペタペタと素足で板の間を歩いていく。
置いていかれないよう後を追いかける。
驚いたことに祠の内部は別世界が広がっていた。
板の間を奥へ進むと離れへと続く廊下がある。
そこから見える景色は雪景色だ。
ふわりふわりと舞い落ちる粉雪が整えられた石の庭に降り積もっている。
狐耳の女が招いたのは草の香りのするこじんまりとした小部屋だった。
青々とした草を編んだ床の真ん中には砂を敷き詰めた暖炉のようなものがある。
「その布団に男を寝かせるがよい」
小部屋の隅に敷いてあった布団を差しているようだ。
言われるがままに玲樹を布団に寝かせてあげる。
「さて、まずは名乗るとしよう。あっしはマサキ、妖狐のマサキと申す」
シャウナとラテラノも倣う。
互いに自己紹介を終えたところで本題に触れた。
「毒の夢の話であったか。あっしの見立てでは毒の夢のように思えるが、実は違うものかもしれん。それでも話を聞きたいかのう?」
「お願いします。私たちの力では玲樹を治せないようですから……」
狐耳の女もといマサキは、毒の夢について聞かせてくれた。
毒の夢とは妖術のひとつで、眠らせた相手に悪夢を見せて精神疲労させるものらしい。
妖術と呼ばれる力がよくわからないが、シャウナの世界の魔術や闘術のようなものであろうと解釈した。
「直す方法はあるんでしょうか?」
「解呪の妖術を掛ければ目覚めるであろうな。が、毒の夢ではないとするならば……夢の中に入って毒の夢の根っこを消さねばならぬ」
「そんな妖術もあるんですか!?」
魔術に夢を制御する力はない。
せいぜい幻を見せるくらいのものだ。
「喜ばせておいてなんじゃが、夢の中に入るのは妖術の神髄。タダでやってやるわけにはいかんのう」
「……では、何が望みですか?」
マサキの願いとは何だろうか。
異世界の敵に攻められているから戦力が欲しいのかと思っていたが、先程はさっさと出ていけと言っていた。
と、すると異世界の力や技術を欲しているのだろうか。
シャウナの予想はいずれもハズレだった。
「妖獣族を異世界に逃がしてやってほしい。妖獣族は、さっきのタヌキみたいな奴らのことじゃ」
「避難場所ですか」
「違う。新たな安住の地に移してやりたいのじゃよ。この世界はじきに滅ぶ。戦う力のない妖獣族まで心中させるのはあまりに可哀想での……」
確かに、あのアライグマたちに戦いをさせるのは酷だ。
ミシュリーヌではゴブリンやオーク相手にいい勝負をするくらいの力しかない。
「あなたはどうするんですか?」
「あっしは殿を務める。他の異世界に迷惑をかけんように数も減らさねばならん」
「彼ら。妖獣族は、了承しているのですか?」
「していないから骨が折れる。なんとか騙くらかして連れていくしかないであろうな」
「……それも私たちがしろと?」
「いかんかのう?」
シャウナは考える。
自分の力だけで解決するのは無理だ。
玲樹の力が必要になる。
「私の力では無理です。ですが、こちらの私の夫であれば安住の地を用意することができるはずです。彼が起きたのなら私からお願いすることでは足りませんか?」
「その男の性格を知らんからなんとも言えぬな」
玲樹の性格を疑問視されてクスリと笑ってしまった。
「彼のなかに助けない選択肢はないと思いますよ」
シャウナはいままでに為してきた玲樹の武勇伝を語ってやることにした。
ヴィーンゴルヴのアーシル人、ミシュリーヌの人族、エルフ族、ダークエルフ族、それに魔法少女のラテラノ。
玲樹が保護してきた異世界人たちについて説明する。
シャウナの話に半信半疑であったが、ラテラノの援護もあって最後には受け入れた。
頼れる相手がほかにいないから仕方なしかどうかは窺い知れない。
なんとなく思ったのは、マサキは飄々としているものの現状は良くないのかもしれなかった。
「豪気な御方じゃのう。あいわかった、前払いで治療をしてやろうではないか。ちょいと待っておれ……」
マサキは両手の指で不思議な印を結ぶ。
魔力ではないが不思議な力の流れを感じる。
シャウナはこそこそと魔道具の眼鏡を掛ける。
異世界の力を見るチャンスはどんなときでも逃してはならない。
マサキの様子をじっくりと観察する。
力の本質は魔術に似ている。
消費されるのは魔力ではないが、代用できるのではないだろうか。
また、魔術の発動条件とも魔法の発動条件とも異なり、妖術は指の形と印の結びかたで発動する力のようだ。
マサキが動きを止めた。
「厄介な……。これは毒の夢ではない。夢を見ているものを殺す悪夢じゃ。夢の中に入り、根を断つしか手はないぞ」
そう言われても夢の中に行くなどはじめての経験だ。
戦うにしても魔術や闘術は使えるのだろうか。
また、悪夢とやらは素人のシャウナが見分けをつけられるのだろうか。
だいたい、どうやって夢の中に入ればいいのか。
「現実の世界とさほど変わらんよ。あっしが夢への道を開く。お前さんはこの男の側で寝ていればよい」
シャウナはマサキに示された場所で横になる。
ラテラノはどうするのか。
顔を向けると、ラテラノは首を左右に振った。
「私は待っている」
ラテラノは夢へと入る気はないらしい。
そういえば気になることがあると言っていたから、狐耳の女に尋ねるつもりかな。
「では、いくぞよ」
マサキの声を最後に、シャウナの意識が途切れた。